鍛冶師ガルド
「二人じゃ無理よ」
翌朝、ギルドの隅の卓で、リーナはそう言った。
俺も同意見だった。
彼女は弓が使えるらしい。俺は使えない。俺の戦力を正確に記述すると「荷を担げる」「走って逃げられる」「箱を開けられる」の三つで、このうち戦闘に関係するのは二つ目だけだ。しかも味方を残していく方向にしか働かない。
「前衛が要るわ。丘を三つ越えるあいだに、野犬も出るし、運が悪ければ大角猪も出る」
「そうですね」
「あと、扉の向こうが問題。何がいるかわからないもの」
「はい」
「というわけで、人を集めましょう」
*
集まらなかった。
午前中いっぱいかけて、リーナは十一人に声をかけた。俺は隣で頭を下げる係だった。
断り文句には、いくつか型があった。
「地図に載ってない遺跡? やめとけ、記録がないってことは誰かが消したってことだ」
「エルフの自費調査? 金にならんだろ」
「Fランクと組むのは、ちょっとな」
最後のは仕方がない。俺が逆の立場でも同じことを言う。
十一人目に断られたところで、リーナはギルドの壁に額を押しつけた。
「……なんで誰も来ないの」
「報酬が安いからでは」
「安いのは事実だけど!」
「あと、たぶん、こわいからだと思います」
「こわい?」
「地図に載ってない遺跡って、こわいですよ」
リーナは顔を上げて、俺を見た。
「あなたはこわくないの」
「こわいです」
「じゃあなんで来るのよ」
俺は少し考えた。
「……こわいまま行っても、たぶん、そんなに変わらないので」
前世の三十二年で学んだことがあるとすれば、それだ。こわいから行かない、を続けた結果がどうなるかを、俺は知っている。こわいまま行くほうが、まだ何か起きる。
リーナは、しばらく俺を見ていた。
それから、少し違う顔で言った。
「変な子ね、あなた」
*
昼過ぎ、俺たちは酒場にいた。
ギルドで人が見つからないなら酒場だ、というのがリーナの理屈だった。理屈としてはわかるが、昼から酒場にいる冒険者というのは、だいたい仕事がないから昼から酒場にいるのだ。そこは考慮に入れないらしい。
そして、その中に一人だけ、明らかに毛色の違うのがいた。
ドワーフだった。
背は俺の胸くらいまで。ただし横幅は俺の倍ある。赤銅色の髭を三本の三つ編みにして、金具で留めている。卓の上には木のジョッキが四つ並んでいて、そのうち三つが空だった。まだ昼である。
そして、その足元に、布に巻かれた長いものが立てかけてあった。
剣だ、と思った。形でわかる。ただ、布の巻き方が妙に丁寧で、まるで武器というより、割れ物を扱うような包み方だった。
「あの人、鍛冶師よ」
リーナが小声で言った。
「知ってるんですか」
「三日前に武器を打ってもらおうとして、断られたわ」
「断られた」
「『気に入った奴にしか打たねえ』ですって。腹が立ったから覚えてる」
*
俺たちは、その卓に近づいた。
「ちょっといい?」
リーナが切り出した瞬間、ドワーフは顔も上げずに言った。
「断る」
「まだ何も言ってないわ」
「エルフの嬢ちゃんが二度も来る用事なんざ、ひとつしかねえだろうが」
「今日は武器の話じゃないの」
「じゃあなんだ」
「護衛の依頼」
ドワーフは、ようやく顔を上げた。
赤ら顔に、灰色の目。年季の入った顔だった。ドワーフの年齢はよくわからないが、少なくとも若くはない。
「俺は鍛冶師だ」
「戦えるでしょう」
「戦えるのと戦うのは違う」
「報酬は銀貨三枚」
「話にならん」
会話が二十秒で終わった。
リーナが唸った。俺は横で、なんとなく卓の上のジョッキを数えていた。四つのうち三つが空。四つ目も半分。この時間で。
「あの」
俺は言った。
「肝臓、大丈夫ですか」
酒場が、一瞬静かになった。
ドワーフが、ゆっくりと俺のほうを向いた。
「……なんだって?」
「いえ、その、昼から四杯目だったので」
リーナが俺の袖を全力で引いた。目が「なぜ喧嘩を売るの」と言っている。売ったつもりはない。前世の記憶が勝手に喋った。あの世界では、あれくらいの飲み方をしていると本当に人が死ぬ。
ドワーフは、俺をしばらく睨んでいた。
それから、鼻を鳴らした。
「ドワーフの肝は樽でできてる」
「そうなんですか」
「そうなんだよ」
彼はジョッキを空けた。四杯目である。
*
「その代わり、うちの種族は他がひでえ」
ドワーフは、なぜか話を続けた。
「膝は五十で終わる。目は百で終わる。指は——」
言いかけて、彼は左手をひらひらと振った。
俺は、そこで気づいた。
指が、二本ない。
薬指と小指の付け根から先が、きれいになくなっていた。古い傷だ。断面は白く盛り上がって、もう何十年も経っているのがわかる。
「これは自業自得だ」
視線に気づいたのだろう、彼はあっさりと言った。
「炉で失敗した。焦った俺が悪い」
「そうですか」
俺はそれ以上聞かなかった。
聞かないのはいつもの癖だが、このときは少し違った。聞いてはいけない話だ、というのが、なんとなくわかった。彼の言い方は軽かったが、軽くする練習を何十年もした人間の軽さだった。
「ガルド・オルムスンだ」
ドワーフは言った。
「聞いてねえのに名乗るのも妙だがな。嬢ちゃんが三日前から俺の名前を知らんまま怒ってるのが、だんだん気の毒になってきた」
「知ってたわよ!」
「なら呼べ」
「……ガルド」
「おう」
*
「で」
ガルドは、俺のほうを向いた。
「坊主、名前は」
「セイン・ヴェルグです」
「装備は」
「短剣が一本です」
「見せてみろ」
俺は腰から鞘ごと外して、卓に置いた。
母がくれた短剣だ。鞘は使い込まれ、握りの革は所々すり切れている。祖父のものだったという。
ガルドは無造作にそれを取って、鞘を払った。
刃を灯りにかざす。指の腹で峰をなぞる。刃元を親指で押す。一連の動作が、驚くほど速かった。気に入った相手にしか打たねえと言っていた男の手つきは、武器を前にすると正直だった。
「悪くねえ」
彼は言った。
「三十年は経ってるな。打ったのは腕のいい奴だ。人間にしては——」
そこで、言葉が止まった。
柄頭のところで、彼の親指が動かなくなった。
小さな刻印がある。
ヴェルグの家紋だ。三つの丘と、その上に置かれた一枚の楯。子どものころから見慣れた紋だから、俺には特別なものに見えない。辺境の、痩せた土地の、小さな家の印だ。
ガルドは、その紋を見ていた。
長い時間だった。
酒場の喧騒が、遠くなった気がした。
「……ヴェルグ」
彼は言った。
さっきまでの声と、明らかに違っていた。
「東の辺境の、ヴェルグか」
「はい」
「竜の鱗を守ってる家だな」
俺の背中が、ひやりとした。
家宝のことは、領内では知られている。だが、それは領内の話だ。ハルグの町ですら、灰鱗の名前を出しても通じたためしがない。三百年、痩せた土地で、誰にも顧みられずに守られてきたものだ。
なのに、この鍛冶師は知っていた。
「知ってるんですか」
「知ってる」
「なんで」
ガルドは答えなかった。
短剣を鞘に納めて、俺のほうへ押し戻す。
それから、卓の下に手を伸ばして、布に巻かれた長いものを引き寄せた。まるで、それを人目から隠すみたいに。
「嬢ちゃん」
「なによ」
「その遺跡は、東の丘の向こうだったな」
「そうだけど」
「三つ目の丘か」
リーナが、目を細めた。
「……なんで知ってるの」
「行く」
ガルドは立ち上がった。
「え」
「護衛の話だろうが。受けると言ってる」
「い、いま断ったわよね!?」
「気が変わった」
「三十秒前に!?」
「ドワーフは決断が早いんだ」
そう言って、彼は布包みを肩に担いだ。
*
酒場を出るとき、俺は横に並んで聞いた。
「ガルドさん」
「ガルドでいい」
「……ガルド。なんで、受けてくれたんですか」
彼は前を向いたまま、少し歩いた。
石畳を鳴らす靴音が、俺の倍くらい重い。
「坊主」
「はい」
「俺は嘘が下手だ。だから、言えねえことは言わねえことにしてる」
「はあ」
「今日は、そういう日だ」
それきり、彼は何も言わなかった。
三歩後ろで、リーナが小声で毒づいているのが聞こえた。「ドワーフはこれだから」だの「筋が通ってない」だの。
俺は、自分の腰の短剣に手を触れた。
母がくれたもの。祖父のもの。柄頭に小さく彫られた、三つの丘と一枚の楯。
——竜の鱗を守ってる家だな。
十五年間、一度も特別だと思ったことのない紋章が、その日、少しだけ重くなった。




