第7話 空から垂れる一本の光る糸
よっしゃ!!!!
マジか。やった。まさかのまさか。このタイミングでドラマの悪役のオファーがまたこの俺、柳楽雄大に来た。しかも、主人公の宿敵役で、有名監督のネットリフックス作品で世界同時上映ときた。本当に嬉しくて泣きそうだ。いや、泣いた。
本当に最近はジェットコースターみたいな毎日を送らされて色々と心が落ち着かなかったが、もちろん今はいい意味で気分が最高潮だ。
そして、早速、今日は朝からスタジオでそのドラマの初回打ち合わせの予定。昨日の夜にマネージャーの桐谷さんからこの作品オファーの連絡があった際にはその喜びや高揚感から自宅で一人、柄にもなく全く得意でもない、むしろトラウマでしかないダンスを、身体が勝手に踊り散らかした。
本当に、先日から何をやってもうまくいかない状況が続いたからな。あの日も結局はみっちゃんとも合わせてもらえずプレゼントだけを搾取されて帰らされる始末だったし。本当に俺の人生、もう色々と駄目かと思っていたけれど、何だかんだで俺はまだ、天に見放されていなかった。
作品のタイトルは確か、『リキッドマン』
サイエンス系ハードSF作品のようだが、うまくいけば、第2シリーズ、第3シリーズと続く想定のようで、俺の存在を海外へと知らしめることもできる。
明かに、これはまたとないほどのチャンスだ
成功すれば、最近のことを全て挽回できるどころか、お釣りが大量にくるだろう。
そう。本当に俺はこの作品に俳優人生の全てを懸けて挑む。
日本の悪役に柳楽雄大ありということを世界中の人達の心に刻みこんでやる。
そして、そんなことを考えていると、打ち合わせ場所のスタジオビルの駐車場に到着。マネージャーの桐谷さんは事務所から直接来るから別行動。
うし、気合入れるぞ。
「おはようございます!」
「あ、おはようございます!」
気持ちのいい挨拶は気持ちのいい挨拶で返す。当たり前だ。
そんなことを考えながら警備員さんに深々とお辞儀をしながら挨拶を返す俺。
さすが大きなスタジオの警備員さんだ。初めてみる顔だが、一層気が引き締まった気がする。ありがたい。
「おはようございます」
「あ、おはようございます!」
「おはようございます」
「あ、おはようございます!」
そして、今もスタジオビルの廊下を歩いているところではあるのだが、何だろう。
今日、めちゃくちゃスタッフさんらしき人達から挨拶されるな、俺。
何だ。色々と運気というか、ツキが回ってきたか?
「おはようございます」
「あ、おはようございます!」
あ、まただ。やっぱり今日は何か凄いな。
ちょっと、短時間の間にお辞儀をしすぎて腰に負担がかかってくるレベルで凄い。
ただ、とりあえず、言えることは朝からめちゃくちゃ気分はいい。
そう。昨日までが嘘のように気分がいい。
って、うお...。
すると、いつの間にか、俺の少し前を歩いていたADさんらしき若い男性が、何かにつまずいて、盛大に転び、両手に持っていた大量の書類を廊下にバサバサと大胆にバラまいてしまう光景が目に飛び込んでくる。
「だ、大丈夫ですか」
おお、まるでお手本のように豪快にこけたな...。
とりあえず、すぐに転んでいる男性に駆け寄って、手をとり大丈夫か確認、そして周りに散らばっている書類を拾う俺。
「す、すみません。あとは自分で全部拾うので大丈夫です。申し訳ないです」
「いえいえ、一緒に拾いましょう。その方が早いので」
まぁ、何だかんだで、俺も下積みが長いからわかる。この人がどんな番組や作品のADさんかはわからないが、作品を支えてくれているその仕事の大変さはわかる。
おそらく、碌に睡眠もとれていないのだろう。
あ、そう言えば...
とりあえず、俺はバッグに入っていたアレの存在を思い出して、目の前に取り出す。
「はい。もしよかったら、これ。人からもらったけど僕は食べないからあげます」
実際は、俺が気に入って定期的に購入している少し高めのエナジーバーだが、ポケットに入るし、腹持ちもよく、味もかなり美味しいから、お勧めだ。
「え、あ...ありがとうございます」
「ハハ、いえいえ、大変だろうけど、お仕事頑張ってください。絶対にいつか頑張りが報われる時がきますから」
そう。俺もどん底に落ちて本当にもう駄目かと思っていたけど、こうやって一本の光の糸が空から降りてきた。そして、その光の糸を絶対に掴みとるため、今ここにいる。
そんなことを考えながら、拾い終わった書類を目の前の彼に渡して、その場所を立ち去る俺。
でも、本当に監督からのこのチャンスを逃してしまえば、もうおそらく俺に次がないことは確実だろう。今回は死ぬ気でやる。いつも以上に絶対に。
「え?柳楽さんですか」
「へ?」
すると、今度はどこかからか、それなりに年配であろう女性の声が聞こえてくる。
声の方をふりむくと、実際にそこには50代くらいだろうか、年配の眼鏡の女性が立っている光景。服装的に清掃員さんだろうか。
「あ、あの、私、柳楽さんの大ファンなんです。うわー、嬉しい」
何だろう。割とグイグイ来るタイプのお人っぽい。
ただ、俺のファン...。俺にファンといって声をかけてくれる物珍しい人は正直少ないからめちゃくちゃ嬉しいのは嬉しい。
「あ。そうだ。これ。もしよろしかったら、昨日、私が家で作ったの。周りの同僚にもさっき分けてたんだけど、余ったからどうぞ」
「え、ああ。そんな...申し訳ないです」
「いやいや、もう、遠慮なんかしないで、ほら」
とりあえず、そう言って、目の前の女性が俺に差し出してきた袋に入っているのは、おそらく餡ドーナツ...。
「あ、じゃあ。お言葉に甘えて。ありがとうございます」
多分、受け取らないと終わらないから素直に受け取って、その場を後にする俺。
そして、ようやく打ち合わせの会議室に到着するも少し早く来すぎたようで、俺は案内された控え室に一人で入って待機の時間。
って、うお。すごい。
そう。入った控室の机の上には、ご自由にお食べ下さいの張り紙とともに、高級ブランドのチョコレートや、クッキー、マドレーヌなど、豪勢な洋菓子が大量に陳列されている...。
前々からネットリフックスは資金が潤沢にあるという話は聞いていたけど、打ち合わせでこのレベルとは凄すぎるな。あらためて、力が入ってくる。
そして、俺は席に座って、とりあえず目の前にあるチョコレートをひとつ拝借し...ようかと思ったけど、あれだな。さっきおばさんからもらった餡ドーナツ。賞味期限わからないな。
先にあっちから食べた方がいいか。
そんなことを考えながら、さっきバッグにしまった餡ドーナツを再び取り出して、手にとる俺。
そう言えば、何味なんだろう。
餡ドーナツだから、やっぱりスタンダードな餡子かな?あと、こし餡か?それとも粒餡?俺は個人的には粒餡の方が好きだ。
そんなことを考えながら、俺は手にもっている餡ドーナツを中身を確認するために真っ二つにちぎる。
おお...やった、粒餡。あと、めちゃくちゃ餡がぎっしりで凄いな。
ただ、肝心の味はどうだろうか...。俺は、とりあえず一口ゆっくりとその餡ドーナツを頬張る。
「え、うま」
何だこれ。めちゃくちゃ美味いじゃん。あのおばさん、プロか?
美味すぎて、思わず笑みを顔から漏らしながら一人で、うんうんと頷いてしまう俺。
そして、気が付けば、手に持っていた餡ドーナツは既に全て、俺の口の中。自然とあと一つの残っている餡ドーナツにも俺は手が伸びる。
「美味ぃ」
やっぱり。美味い。でも、本当に美味いものを食べると人間、ついつい独り言のように心の中の言葉が口にでて、満面の笑顔になってしまうな。まぁ、こればかりは仕方がないことだろうし、この部屋には俺しかいないから、何の問題もなしだ。
「......」
って、桐谷さん。遅いな...。
いや、まだ時間にはなってないから、厳密には何も遅くはないんだけども、普段の桐谷さんならもう来ていてもおかしくない時間だ。もしかして、何かあったのだろうか。
まぁ、大丈夫か。とりあえずはそう。俺はこの作品『リキッドマン』に人生をかけている。冗談抜きでこの作品のためならば、とことんまで自分を追い込むつもりだ。とりあえず、今は精神を統一するためにSNS関係も全て絶っている。余計な雑音を心に入れるつもりはない。俺は悪役。至上最悪の人間になる男、柳楽雄大だ。
そう。次のこの作品で日本中、いや、世界中の人達から畏怖され、嫌悪され、憎悪される存在になってやる。世界一の嫌われ者になって孤独になる覚悟なんてとっくにできている。なんせ、それこそが俺が最高の悪役であり、俳優であることの証明になるのだから。
やる。やってやる。やはり俺の生きる道はこの道しかないのだから。
待ってろ、世界。俺が世界最高の悪役になる男。柳楽 雄大だ。
ガチャ
「柳楽さん。おはようございます!すみませーん。少し遅れてしまいましたー」
あぁ、あらためてそんな決意をしていると、ようやくマネージャーの桐谷さんがご到着。
「おはよう!いや、全然。そもそも開始時間はまだだし、そこのお菓子でも食べてちょっとゆっくりしなよ。ハハッ、ほら、凄いラインナップじゃない?このチョコとか絶対に高いよ」
桐谷さんなら、またまた美味しそうに頬張って食べてくれること間違いなし。
「いや、それがですねー。さっきここに着いた際に言われたんですけど、どうしてもプロデューサーさんが今日の打ち合わせに来れなくなっちゃったみたいでしてー、リスケになっちゃったんですー」
「え、そうなの?」
マジか。
いや、まぁ、そもそもが引手数多の忙しい人だろうからな。それにそういう人が関わってくれている作品だと思うと、さらに熱が入るってもんだ。
「OK。ちなみに今日の俺の仕事ってもう無い感じ?」
「はいー。お疲れ様です。今日はもうゆっくり休んでくださいー」
「ハハハ、何もしてないから全然疲れてないけど、じゃあ帰らせてもらうね。あ、桐谷さんは今日は何出来たの?タクシーとかなら事務所まで車で送って行こうか?」
「いえいえ、今日は大丈夫です。ありがとうございます!」
「そっか。じゃあ、お疲れ様。何もできなくて申し訳ないけど、引き続きお仕事頑張ってね。いつも本当に助かってる」
まぁ、とりあえず、本当に何もなさそうだし、今日はもう言われた通り帰るか。
そんなことを考えながら、控室を一人俺は後にする。
「.....」
でも、何だろう。気のせいかもしれないが、何かさっきの桐谷さん、変じゃなかったか?なんとなく、言葉が全て棒読みに聞こえたと言うか何と言うか。それに、ここに来るのも、やはり桐谷さんにしてはいつもより遅かったし。
もしかして、桐谷さん。体調悪い?
彼女はしんどくても頑張っちゃう子だからな。
実際、最近の俺の不始末にも色々と彼女は動いてくれていたのだろうし、普通に心配だ。ただただ申し訳ない。
だからこそ、俺は次の作品では絶対に成功しなければならない。いや、する。
よし、とりあえず今日はもう何もないし、まだ朝だ。
野性を高めるために、山で走り込みでもするか。あと、幸か不幸か、ドラマが一本中断したことにより時間に空きもある。本格的にプロから新たな格闘技でも習ってみるとするか。そう。作品のためにできることは全てしてやる。
待ってろ。リキッドマン。
――――そして、そんなことを意気込みながら、あらためて最高で最悪の悪役俳優になることを決意した彼、柳楽雄大は自分の車に乗り込み、ストイックにも山に向かうのであった。
そう。彼は悪役俳優である前に、たただた一人の《《純粋》》で実直な男、柳楽雄大である。
そしてもちろん、『リキッドマン』という作品の撮影が一生始まることはなく、逆に今ついさっきまでのスタジオでの光景が、残念ながら近日中にお茶の間に放送されてしまうことを、この時の彼がまだ知らないことは、言うまでもないことだろう...。




