第四話:リアルタイム監査執行
『D-Tube』の同時視聴者数が、ついに大台の200万人を突破した。
画面を埋め尽くす弾幕のようなコメント。
きらびやかなエフェクトが乱舞する中、最深部に君臨する魔狼王が、低く地鳴りのような咆哮を上げる。
その圧倒的な質量を前にしても、白銀舞花の唇は傲慢な笑みを刻んだまくだった。
「世界中のみんな、見てなさい! これが、真のトップディーヴァの力よー!」
舞花が真紅の瞳をぎらつかせ、華美な杖を天へと突き上げる。
彼女の全身から、眩いばかりの金色の魔力が噴出した。
周囲の空間が、その膨大なエネルギーに耐えかねてガラスのようにひび割れ始める。
背後では、東大首席のエリート計算士が、悲鳴に近い声を上げていた。
「ま、舞花さん! 駄目だ、デバイスのリミッターが作動しかけている! アビス・ゲートのグリッド抵抗の急変動に、最新デバイスの演算が追いついていない! このまま撃てば、国家の魔力コントロールグリッドへの負荷が――」
「うるさいって言ってるでしょ! 黙って調整しなさいよ!」
舞花はエリート計算士の制止を、狂気じみた怒鳴り声で跳ね除けた。
ここで魔法を止めれば、200万人の前で恥を晒すことになる。
スポンサーからの巨額の契約金も、トップランカーとしてのプライドも、すべてが水の泡だ。
「デバイスが追いつかないなら、リミッターを強制解除しなさい! 必要な魔力は、グリッドから強引に引き出すから!」
「そんな! 国家への事前申請をしていない最大出力を強引に引き出すなんて、それは――」
「やりなさいよ! 私は白銀舞花よ!? 国だって、私の配信のためなら少々の超過くらい大目に見るわよ!」
焦燥と全能感に狂った舞花は、端末のコントロールを奪い取り、画面に表示された赤い安全弁の解除ボタンを指で叩きつけた。
カチリ。
致命的な電子音が、洞窟の奥に響く。
国家のエネルギーインフラから、未申請の生エーテルが、濁流となって舞花の杖へと流れ込み始めた。
彼女の背後に、巨大な魔法陣が幾重にも展開していく。
その輝きは確かに美しい。
だがそれは、制御を失った剥き出しのエネルギーの塊に過ぎなかった。
「消し飛びなさい! 『アーク・レイ・マキシマ』――ッ!」
舞花が勝利を確信し、杖を振り下ろそうとした、その刹那。
世界から、すべての音が消えた。
黄金に輝いていた魔法陣が、まるで見えない壁に衝突したかのように、唐突にその光度を失って静止する。
「え……?」
舞花が呆然と声を漏らした。
杖の先から放たれるはずの、すべてを滅ぼす極大の光線が出ない。
エネルギーの供給が、根元から完全にストップしていた。
同時に、200万人が見つめる生配信の画面中央に、突如として、どす黒いほどの鮮血を思わせる、巨大なシステムウィンドウがポップアップした。
『【警告】国家ダンジョン監査局より緊急通達』
『対象アカウント:白銀の翼/白銀舞花』
『執行内容:未申請過剰魔力行使(魔力脱税)による魔力融通の即時停止、および配信口座・全関連資産の緊急凍結』
「な……何、これ……?」
舞花は目を瞬かせた。
画面の向こうのコメント欄が、一瞬で凍りついたように静まり返り、次の瞬間には未曾有の速度で混乱のログが流れ始める。
『え? 監査局?』
『脱税ってマジ!?』
『魔法が出ないんだけど!?』
同じ瞬間。
国家ダンジョン監査局、査察第一課のモニタールーム。
冷徹な青い光に満ちた部屋で、碓氷零治は静かにマイクに向かって声を落としていた。
「魔力分配税法第12条、および魔力流動方程式の第4項に基づき、当該アカウントの魔力融通を即座に停止。および配信口座の緊急凍結を執行する」
彼の前にあるメインモニターには、舞花が強制解除したリミッターのログと、ミリ秒単位でそれを捉えた監査局のシステムが映し出されている。
零治の指先は、ミリ単位の狂いもなくキーボードを叩き、国家の巨大なグリッドを完璧にコントロールしていた。
「レイジ、完璧なタイミングね」
隣に立つ九条院紗季が、フレームレスの眼鏡の奥の瞳を冷酷に細め、満足げに微笑んだ。
「事前申請なしの最大出力魔法。泳がせておいた甲斐があったわ。これで言い訳のしようのない、現行犯での『魔力脱税』の立件が完了した。さあ……ツケを支払わせましょう」
零治は、画面の向こうで混乱するかつての相方を見つめる。
「舞花。言ったはずだ。第4項を忘れるな、と」
彼という「アース」を失ったシステムで、安全弁を無理やり解除して引き出したエネルギーが、行き場を失えばどうなるか。
その物理法則の答えは、あまりにも残酷で、そして確実だった。
「えっ、魔力が出ない!? なんで!? ねぇ、なんで出ないのよ!」
深層ダンジョンで、舞花が狂ったように杖を振り回す。
だが、いくら叫んでも、国家の魔力グリッドは彼女に一滴のエネルギーも与えない。
そして、本当の恐怖が彼女を襲った。
行き場をなくした『アーク・レイ・マキシマ』の莫大な余剰エネルギー。
本来なら、零治がその身を削って、自身の肉体へとバイパスし、霧散させていたはずの悪魔の熱量。
それが、逆流した。
システムサージの全てが、術者である舞花の肉体へと、ダイレクトにフィードバックされる。
「あ、が……っ!?」
舞花の動きが、ピタリと止まった。
真紅の瞳が、恐怖と激痛で極限まで見開かれる。
「あ、あ、頭が、熱い……脳が、割れる――ッ!!」
彼女の絶叫が、アビス・ゲートの岩肌に木霊した。
内側から脳を直接焼き焦がされるような、凄絶な激痛。
かつて、零治が毎日のように、彼女の代わりに耐え続けていたあの痛みが、何十倍もの質量となって彼女自身の肉体を破壊していく。
「いや、嫌ぁぁぁ! 熱い! 助けて、誰か助けてぇ!」
舞花は杖を取り落とし、地面に伏せてのたうち回った。
輝く金髪のツインテールは泥にまみれ、美しい顔は激痛で醜く歪む。
やがて、彼女の耳と鼻から、限界を迎えた魔力神経の破裂を示す、一筋の鮮血がたらりと流れ落ちた。
生配信のカメラは、その無惨な醜態を、200万人の視聴者の前でありのままに映し出し続けている。
『うわ、ガチで苦しんでる』
『耳から血が出てるぞ!?』
『最新デバイスどうしたんだよ!』
コメント欄が恐怖と困惑でパニックに陥る中、隣にいた東大首席のエリート計算士は、真っ青な顔で自分の端末を放り出した。
「ひ、ひぃっ! 巻き添えはごめんだ! 監査局に目をつけられたギルドなんて、もう終わりだ!」
「あ、あんた……待ちなさいよ……私を、助け……」
舞花が泥の中から手を伸ばすが、エリート計算士や周囲の取り巻きの配信スタッフたちは、彼女を見捨てて一目散に空間転移ゲートへと逃げ出していった。
上辺だけのハイスペックを気取っていた人間たちの、あまりにも呆気ない裏切り。
残されたのは、魔力回路がボロボロになり、動くこともできない舞花ただ一人。
その孤独な獲物に向けて、これまで静観していた魔狼王が、血の滲むような赤い眼を爛々と輝かせた。
巨大な顎が開かれ、鋭い牙が、無防備なディーヴァの頭上へと迫る。
「いや……いやぁ……零治……助けて……零治ぃ……!」
かつて、どんな危険な状況でも、必ず自分の後ろで静かに自分を守ってくれていた、あの冴えない幼馴染の名を、舞花は涙と血にまみれながら叫び続けた。
だが、彼女の声に応える者は、ここには誰もいないはずだった。
魔狼王の鋭い爪が、彼女を引き裂こうと振り下ろされた、その瞬間――。
彼女の目の前の空間が、まばゆい青い光と共に、激しく捻じ曲がった。




