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没収

アビス・ゲートの最深部を、冷徹な青い光が切り裂いた。

空間が歪み、転移の波動が収束していく。

泥にまみれ、死を覚悟した白銀舞花の目の前に、二人の影が降り立った。

一人は、仕立ての良い漆黒のパンツスーツに身を包んだ、国家ダンジョン監査局の特級監査官・九条院紗季。

そしてその隣には――色褪せたパーカーを脱ぎ捨て、国家監査局の最高格の制服を完璧に着こなした、碓氷零治が立っていた。

目の下の深い隈は消え、その肌には本来の健康的な血色が戻っている。

かつて舞花の魔力を肩代わりしてボロボロだった彼の身体は、呪縛から解放されたことで、今や圧倒的なまでの魔力密度を周囲に放っていた。

「れ……零治……?」

舞花が、血と涙に濡れた顔を上げて喘ぐ。

だが、零治の黒い瞳は、彼女を映しても微塵も揺らがなかった。

目の前では、獲物を邪魔された魔狼王が、怒りに満ちた咆哮を上げて飛びかかってくる。

山のような巨躯が、鋭い爪を振り下ろす。

「下がっていなさい、レイジ。不浄な個体は、私が――」

紗季が前に出ようとした瞬間、零治は静かに手を伸ばし、彼女の細い肩を制した。

「いえ、紗季さん。俺がやります。国家特級インフラ監査補佐としての、これが最初の仕事だ」

「……分かったわ。あなたの『最適化』、見せてちょうだい」

紗季は満足げに唇を歪め、一歩後ろへと下がった。

絶対的な信頼を寄せる彼女の視線を背中に受けながら、零治は前へと歩み出る。

迫り来る魔狼王。

零治は、手元に携えた国家監査局専用の特製端末に、淀みのない動作で指を滑らせた。

詠唱も、派手なポーズもない。

ただ、冷徹な数式が画面を高速でスクロールしていく。

(アビス・ゲート最深部、生エーテル密度340%。空間グリッド抵抗値、正常。……接続)

零治の足元から、幾何学的で精密な、青い魔法陣が瞬時に展開された。

舞花のそれとは違い、一切の無駄な発光も、過剰なエネルギーの漏出もない。

完璧に制御された、美しく冷たい数式の結晶。

「『アース・シンク』――最大出力」

零治が呟くと同時に、魔狼王の爪が彼の目の前に迫った。

しかし、次の瞬間、魔狼王の巨体がまるで見えない巨大な重力場に叩きつけられたかのように、轟音を立てて地面へと圧着された。

ズガガガガガンッ!!

「ル、グルル……!?」

魔狼王が悲鳴を上げる。

零治が放ったのは、攻撃魔法ではない。

ダンジョン全体の魔力流動をミリ秒単位で操作し、魔狼王自身の持つ魔力と、空間のグリッド抵抗を逆転させ、その身に強烈な「接地負荷」としてフィードバックさせたのだ。

抵抗すればするほど、己の魔力によって自滅していく構造。

「これで、終わりだ」

零治が端末のエンターキーを静かにタップする。

瞬間、空間の全エネルギーが一点に収束し、魔狼王の巨体を完全に消滅させた。

残されたのは、静寂と、ダンジョンコアが砕け散る硬質な音だけ。

世界最高峰の深層ボスが、たった一人の「アース」の手によって、跡形もなく駆除された瞬間だった。

まだ生きていたドローンカメラが、その光景を全世界へとリアルタイムで配信し続けている。

『D-Tube』のコメント欄は、文字通り狂乱の渦へと変わっていた。

『は????? いま何が起きた?????』

『攻撃魔法使ってないぞ!? 空間の魔力だけで瞬殺した!?』

『待て、あの制服……国家ダンジョン監査局の最高格じゃねえか!』

『嘘だろ、あのクビになった荷物持ちのチー牛、ガチの化け物だったのかよ!!』

ひっくり返る評価。

手のひらを返したような称賛と、驚愕のログ。

だが、零治はそんな画面には目もくれず、泥の中で呆然としている舞花へと視線を向けた。

「あ……あ……」

舞花は、信じられないものを見る目で零治を見上げていた。

自分があれほど苦労し、命を懸けても倒せなかった魔狼王を、ゴミでも払うかのように処理した元・裏方。

そして何より、現在の彼の放つ、自分とは比較にならないほど高密度で、洗練された魔力の奔流。

「零治……嘘、でしょ……? アンタ、無能の荷物持ちじゃ……」

「無能の荷物持ち、か」

零治は、冷ややかに声を落とした。

「舞花。お前は俺の『アース』を0.5秒ズレているゴミだと言ったな。……逆だ。お前の魔法の出力計算がいつも狂っているから、お前が自爆しないように、俺がわざとミリ秒単位で出力をデチューンして、負荷を俺の肉体に引き受けていたんだよ」

「え……?」

「お前がこれまで『自分の才能』だと信じていたものの正体は、俺の肉体と神経を削って作った、ただの砂の城だ」

舞花の顔から、完全に血の気が引いていく。

これまでの自分の栄光が、すべて目の前の男の自己犠牲の上に成り立っていたという残酷な事実。

それを、現在の零治の「圧倒的な強さ」が、何よりも雄弁に証明していた。

そこへ、紗季が硬質なヒールの音を響かせて歩み寄る。

彼女は懐から、最高格の執行書を取り出し、舞花の目の前へと突きつけた。

「白銀舞花。国家ダンジョン監査局の権限に基づき、執行令を言い渡します。……ギルド『白銀の翼』は、本日をもって設立許可を取り消し、即時解散。および、過去3年間にわたる『未申請過剰魔力行使』――すなわち魔力脱税のペナルティとして、ギルドの全資産、およびあなたの個人口座をすべて没収します」

「し、資産没収……!? ギルド解散……!?」

舞花の声が、絶望で裏返る。

現代社会において、口座の凍結と資産の没収は、文字通りの「社会的な絶対死」を意味する。

築き上げてきた富も、名声も、タワマンも、ブランド品も、すべてが今この瞬間に消滅したのだ。

「いや……嫌よ! 私から全部奪わないで! 零治、助けてよ! 私たち、幼馴染でしょ!? また前みたいに、私の後ろで私を支えてよぉ!」

舞花が泣き叫びながら、零治の靴に縋り付こうと手を伸ばす。

しかし、その手が零治に触れる前に、紗季が冷酷な視線で彼女を射すくめた。

「身の程を知りなさい、脱税者が。あなたの汚れた手で、国家の至宝たる我が専属バディに触れることは許さないわ」

零治は、縋り付く舞花を見下ろし、静かに、だが明確に最後の手向けを告げた。

「もう、遅い。……舞花。お前は最新の自動調整デバイスに頼ればいいさ。俺という『インフラ』は、もうお前のものではない」

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

舞花の絶叫が響く中、監査局の突入部隊が次々と転移し、彼女の両腕に魔力封じの手錠を嵌めていく。

全世界に醜態を晒し、すべてを失ったかつてのディーヴァは、ただの犯罪者として引きずられていった。

配信カメラは、その悲惨な末路を最後まで映し出し、やがて配信は強制終了された。

数日後。

国家ダンジョン監査局の最上階。

全面ガラス張りのオフィスからは、都市の美しい夜景が一望できた。

デスクに置かれた端末には、数日前の事件に関するニュースが流れている。

『白銀の翼』の崩壊、エリート計算士の資格剥奪、そして「国家監査局に現れた謎の天才接地士」への、世界中からの熱狂的な称賛の声。

「ずいぶんと有名人になったわね、レイジ」

紗季が、ソファーから立ち上がりながら悪戯っぽく微笑んだ。

彼女は二つのグラスを持ち、一歩一歩、零治のデスクへと近づいてくる。

フレームレスの眼鏡を外し、その美しい夜の瞳で、零治を真っ直ぐに見つめた。

「世界中の大手ギルドから、国家予算並みの移籍金で引き抜きのオファーが殺到しているわよ? どうするの?」

零治は、手元の端末の数式を最適化する手を止め、紗季からグラスを受け取った。

ふっと、柔らかい笑みを浮かべる。

「断るに決まっています。俺を地獄から救い出し、本当の価値を認めてくれたのは、紗季さん……あなただけですから」

その言葉に、普段は「氷の監査官」と恐れられる紗季の頬が、ほんのりと朱に染まる。

彼女は嬉しそうに目を細め、零治のグラスに、カチン、と自分のグラスを合わせた。

「模範的な回答ね。ええ、あなたはもう、誰にも渡さないわ。私の後ろで、ずっとその最高の技術を振るい続けなさい」

「はい。あなたの構築するインフラの足元は、俺が完璧にアースしてみせます」

二人は夜景を見下ろしながら、静かにワインを口に含んだ。

不当に搾取されていた本物の技術者が、国家の権力を得て、世界の最適化を始める。

碓氷零治の新たな戦いと、絶対的な肯定に満ちた幸福な日々は、まだ始まったばかりだった。


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