第三話:システムサージの予兆
第三話
大手配信ギルド『白銀の翼』のオフィスは、都内の一等地に位置する高層ビルの最上階にある。
ガラス張りのエントランス。
床には特注のペルシャ絨毯が敷かれ、壁にはギルドの象徴である「輝く銀の翼」のエンブレムが誇らしげに掲げられていた。
「はあ? なんでこんなにノイズが混じるのよ!」
鋭い怒声が、豪華なミーティングルームに響き渡る。
白銀舞花は、目の前のデスクを派手に叩きつけた。
真紅の瞳が、苛立ちで細められている。
彼女の指先は、さっきから不自然に小さく震えていた。
「申し訳ありません、舞花さん。最新の自動調整デバイスの初期設定において、アビス・ゲート固有のエーテル波形とのシンクロ率に、わずかな計算誤差が生じているようで……」
デスクの反対側で、東大首席のエリート計算士が額の汗を拭っている。
かつて零治の隣で傲慢に眼鏡を押し上げていた男の顔から、あの時の余裕は完全に消え失せていた。
彼の前には、数百万円もする最高級の演算端末が並んでいるが、画面には「警告:魔力制御遅延」の文字が明滅している。
「誤差? そんなの、前のチー牛裏方の時は一度も出なかったわよ!」
舞花は苛立たしげに髪をかき上げた。
「あいつの時は、私が何も言わなくても、魔法を撃った瞬間に全部『完璧』に調整されてたわ。アンタ、東大首席なんでしょ? なんであの無能にできて、アンタにできないのよ!」
「それは……!」
エリート計算士が言葉に詰まる。
彼は知らなかった。
いや、知るはずがなかった。
零治がかつて行っていたのは、机上の数式をデバイスに入力するような、単純な作業ではない。
舞花が傲慢に、かつ無軌道に垂れ流す過剰な魔力負荷。
それを、自身の固有スキル『アース・シンク』によって直接肉体へとバイパスし、ミリ秒単位で「肉体的なアース(接地)」を構築していたのだ。
機械が1秒間に数万回行う計算を、零治は自分の神経を焼きながら、文字通り命がけで処理していた。
それを「0.5秒ズレているゴミスキル」と笑い飛ばし、同期デバイスを物理的に切断したツケが、今になって回ってきている。
「……まあ、いいわ」
舞花は、深く息を吐き捨てて背もたれに寄りかかった。
彼女の喉の奥は、昨日から奇妙に渇いている。
いつもなら、大魔法を撃った後に残るはずの「心地よい全能感」が、どこか歪んだ、じっとりとした熱の塊となって胸の奥に燻り続けていた。
その不快感を、彼女は自分の才能への過信で強引に覆い隠す。
「次の『アビス・ゲート最深部・魔狼王討伐生配信』には、数億円のスポンサー料がかかってるの。チャンネル登録者数も、これで一気に200万人突破よ。世界中が私の『アーク・レイ』を待ってるの。絶対に失敗は許されないわ」
「は、はい……! 最深部へ到達するまでに、必ずデバイスのパラメータを最適化してみせます」
エリート計算士が必死にキーボードを叩く。
だが、彼がいくら数式を書き換えたところで、国家の巨大な魔力コントロールグリッドが課す、本当の「物理的ペナルティ」の正体には気づいていなかった。
同じ頃。
国家ダンジョン監査局の地下、査察第一課のモニタールーム。
そこは、地上のにぎやかさとは完全に隔絶された、冷徹な電脳の要塞だった。
壁一面に埋め込まれた巨大なモニターには、日本国内に存在するすべてのダンジョンゲートのエネルギー流量が、青い光のラインとなってリアルタイムで描かれている。
その中央のデスクに、九条院紗季と碓氷零治はいた。
「体調は、どう?」
紗季が、手元のコーヒーカップを零治の前に置きながら、静かに声をかけた。
フレームレスの眼鏡の奥にある瞳には、現場で見せる鉄面皮とは打って変わった、深いいたわりが満ちている。
「驚くほど、いいです」
零治はコーヒーを一口すすり、わずかに唇を綻ばせた。
「あんなに軽かったのは、10年ぶりです。毎朝、目が覚めると脳が焦げ付くような痛みに襲われていたのが、本当に嘘みたいだ」
「当然よ。あなたはこれまで、国家インフラ級の負荷を一人で背負わされていたのだから」
紗季は自分のデスクに腰掛け、細い足を組み替えた。
仕立ての良いパンツスーツが、彼女の洗練されたプロポーションを際立たせている。
「あなたの魔力回路の自己治癒は、ほぼ完了しているわ。さあ、レイジ。技術的なプロセスを確認しましょう。『白銀の翼』のログ、どう見える?」
零治は、手元の専用端末に視線を落とした。
画面には、舞花たちのギルドシステムが、次の配信に向けて構築している魔力流動のプロファイルが映し出されている。
零治の黒い瞳が、冷徹な技術者のそれに変わる。
「……素人ですね。上辺だけの数式で、システムを組んでいる」
「具体的には?」
「彼らは、自動調整デバイスの出力を上げることで、強引に魔力流動を安定させようとしています。でも、アビス・ゲートの深層は、周囲の生エーテル密度が通常のダンジョンの3倍以上に膨れ上がる。そこで出力を上げれば、国家グリッドとの間で『システムサージ(逆流負荷)』が発生する。それを抑えるための、アースの構造が、この設計には完全に欠落しています」
零治の指先が、画面上の一つの数式をタップした。
「魔力流動方程式の第4項。システムサージ抵抗による最適化能力。彼らはこれを、ただの自動処理の『飾り』だと思っている。だから、リミッターの許容量を限界まで引き上げている。これでは、負荷がかかった瞬間に、すべてのエネルギーが術者へ逆流する」
「つまり、自爆するということね」
紗季の唇が、酷く妖艶な笑みを刻んだ。
「その通りです。おまけに彼らは、今回のミリオンビュー配信のために、スポンサーへの見栄から『事前申請なしの最大出力魔法』を撃とうとしている。国家魔力分配税法における、リアルタイム申請の許容量を完全にオーバーする数値です」
「未申請過剰魔力行使――すなわち、明確な『魔力脱税』の成立ね」
紗季は立ち上がり、室内の大モニターを指し示した。
そこには、すでにカウントダウンが始まっている『白銀の翼』の生配信予告画面が映し出されている。
「配信開始まで、あと3時間。悪質な違法インフラ利用者を摘発するための、法的な要件はすべて整ったわ」
彼女は零治の隣へ歩み寄り、その細い手を、零治の肩へとそっと置いた。
絶対的な庇護者としての、確かな熱がそこにある。
「レイジ。数百万人の視聴者の前で、傲慢な悪役がリアルタイムに失脚する。これ以上の『インフラ監査』の舞台はないわね。あなたの実力を、そして彼らの犯した罪の重さを、世界に知らしめてあげましょう」
「はい、紗季さん」
零治は力強く頷いた。
その瞳には、かつての「疲弊した裏方」の面影は微塵もない。
国家権力と、完璧な数式を武器に得た、本物の技術者の静かな闘志が宿っていた。
数時間後。
深層ダンジョン『アビス・ゲート』の最深部。
きらびやかなライトが、洞窟の荒々しい岩肌を照らし出している。
配信プラットフォーム『D-Tube』の画面上では、視聴者数がすでに180万人を超え、なおも猛烈な勢いで上昇を続けていた。
「ついに来たわよ、みんなー! ここが最深部、魔狼王の領域です!」
舞花がカメラに向かって、華やかなポーズを決める。
コメント欄は、彼女を称賛する言葉で埋め尽くされていた。
『舞花ちゃん最高!』
『いよいよ伝説の魔法が見れるぞ!』
『チー牛裏方をクビにしてから、さらに輝いてるな!』
そのコメントを見て、舞花は優越感に浸る。
(そうよ、私には才能がある。あんな暗い裏方なんて、最初からいらなかったのよ!)
だが、彼女の背後では、エリート計算士が血相を変えて端末を叩いていた。
最深部の異常なエーテル密度。
自動調整デバイスのメーターは、すでに危険域を示す黄色から、真っ赤な警告色へと変わりつつあった。
「ま、舞花さん……! 空間のグリッド抵抗が、予想を超えています! このまま魔法を発動するのは危険だ、一度、国家への負荷追加申請を――」
「うるさいわね! そんな時間かかることやってたら、視聴者が離れちゃうでしょ!」
舞花は、エリート計算士の忠告を怒鳴り声で遮った。
目の前の空間が歪み、巨大な影が姿を現す。
漆黒の毛並みに、血のような赤い眼を持つ、アビス・ゲートの主――『魔狼王』。
「スポンサーも見ているのよ! ここで一撃で仕留めて、200万人を突破するの!」
舞花は、真紅の瞳を爛々と輝かせ、華美な杖を天へと掲げた。
彼女の身体から、かつてない規模の、凶悪なまでの金色の魔力が膨れ上がり始める。
それは、破滅へのカウントダウンだった。




