第9話:生放送のババ抜きと、屋上の缶コーヒー
結局、誰がメッセージを読むか決まらないまま、無情にも生放送のカウントダウンが始まった。
「本番五秒前! 四、三、二……」
赤いタリーランプが点灯し、日本中――いや、世界中のネット中継へとスタジオの映像が配信される。
『頼む……! カメラが回れば、さすがに大の大人が見苦しい真似はしないはずだ……!』
俺の必死の祈りも虚しく、司会者が「それでは、宇宙船へ向けた人類代表メッセージの前に、まずは皆さまのご意見を!」と振った瞬間、惨劇は幕を開けた。
「えー、まず申し上げたいのはですね、隣の鬼瓦さんは『徹底抗戦』などと勇ましいことをおっしゃっていますが、週刊誌の報道によれば、奥様に頭が上がらず毎月のお小遣いは二万円だそうです! そんな恐妻家に、宇宙人と交渉する資格はありません! よって、メッセージは鬼瓦さん以外が読むべきです!」
実業家の堀内が、いきなり政策と全く関係のないゴシップで先制攻撃を仕掛けたのだ。
「な、なんだと貴様ァ!」
鬼瓦が顔を真っ赤にして立ち上がった。
「それを言うなら堀内! お前が経営している『宇宙人ウェルカム・オンラインサロン』、実は脱税の疑いで国税局にマークされてるそうじゃないか! そんな犯罪者予備軍を人類代表にはできん! 大泉大臣、あんたが読め!」
「えー、お二人のようなスキャンダルを抱えた方々と一緒にされては困ります。ちなみに堀内さん、三年前に六本木のラウンジ嬢と密会していた写真、私の秘書が持っていますよ?」
「ひっ!? な、なんでそれを!? いや、大泉大臣だって選挙区で有権者にメロンを配ってたじゃないですか!」
生放送のスタジオは、宇宙人へのメッセージどころか、お互いに「いかに相手が人類代表にふさわしくないか(=いかに自分がババを引かずに済むか)」を罵り合う、地獄の暴露大会へと化した。
しかも、番組のリアルタイム視聴者投票のグラフが画面の隅に表示されているのだが――。
『やっぱり恭順派はクズだな!』
『いや、抗戦派の老害こそ地球の恥だ!』
『政治家を生贄にして宇宙船に撃ち込め!』
と、テレビを見ている国民たちまでもが、SNSで罵詈雑言のトレンド合戦を繰り広げている。
カメラの後ろでカンペを出していた葵の肩が、小さく震えていた。
「……もう、やめてよ……」
葵がぽつりと呟いた。
「宇宙人が来てから、みんなおかしいよ……。誰も傷つけられてないのに、どうして人間同士でこんなに足を引っ張り合って、傷つけ合わなきゃいけないの……?」
その時だった。
スタジオの隅で腕を組んでいた黒崎レイナが、静かにサングラスを外した。
「(……決まりね、ノア)」
レイナの冷徹な声が、スタジオの怒号を縫って俺の耳に届いた。
「(指導者層から一般大衆に至るまで、外敵を前にしてなお、同族の失脚と責任転嫁にしか関心を示さない。これは知性体の社会ではなく、ただの『腐敗した群れ』よ)」
レイナが内ポケットから「黒い石板」を取り出し、画面をタップする。
空中に浮かび上がったスコア表示が、俺の目にはっきりと見えた。
【現在スコア:42点 ―― 大幅減点処理を実行します。マイナス10点】
『やめろォォォ!! 10点引かれたら32点だ!! 即座に更地化プログラムが発動しちまう!!』
だが、生放送中のフロアディレクターである俺が、今ここでレイナに飛びつくわけにはいかない。
どうする!? どうやってあの冷酷な監査官の手を止める!?
俺が絶望の淵に立たされた、まさにその瞬間だった。
「――いい加減にしてください!!」
スタジオ中に、凛とした、しかし震えるような女の子の叫び声が響き渡った。
声の主は――カメラの横で立ち上がった、後輩ADの水瀬葵だった。
***
「あ、葵!? お前、生放送中に何を……!?」
俺が息を呑む中、葵は出演者たちの罵り合いを遮るように、持っていたスケッチブックのカンペを床に叩きつけた。
マイクが彼女の声をしっかりと拾い、全国へと放送されていく。
「大の大人が、生放送で何をやってるんですか!? 『お前が戦犯になれ』とか、人の失敗を暴き合ったりとか……そんなことばっかりやってて、恥ずかしくないんですか!?」
堀内も、鬼瓦も、大泉大臣も、突然キレた若手ADの女の子に呆気に取られて口をパクパクさせている。
葵は目にうっすらと涙を浮かべながら、真っ直ぐにカメラ――その向こうにいる何千万人の視聴者、そして空に浮かぶ宇宙船を見つめるようにして叫んだ。
「宇宙人が何を考えてるかなんて、誰にも分かりません! でも、もし本当に宇宙人が私たちのことを見ているなら……こんな風に仲間割れして、責任を押し付け合ってる姿を見せるのが、一番カッコ悪いじゃないですか!」
スタジオが水を打ったように静まり返る。
「誰かが代表になって生贄になるんじゃなくて……ただ一言、『私たちはここで、今日も一生懸命に生きています』って、それだけを伝えればいいじゃないですか……!」
ハァ、ハァ、と肩で息をする葵。
スタジオ中が凍りつく中――俺は腹を括り、ディレクター用のインカムマイクのスイッチを入れた。
「……第1カメラ、そのまま水瀬に寄れ! スイッチャー、今の水瀬の言葉を『人類代表メッセージ』としてテロップに出せ! 責任は全部、ディレクターの俺が取る!」
俺の指示に、ベテランのカメラマンと調整室のスタッフたちが「……おうよ!」とニヤリと笑って動いた。
画面いっぱいに、涙目で唇を噛み締める葵の真剣な顔が映し出され、そのまま番組はエンディングの提供クレジットへと突入した。
そして、俺が恐る恐るスタジオの隅を振り返ると――。
石板の『マイナス10点』のボタンを押そうとしていたレイナの指が、あと一ミリのところでピタリと止まっていた。
「(……ふん)」
レイナはしばらく無言で葵を見つめていたが、やがてふっと小さく息を吐き、石板の画面をスワイプして減点処理をキャンセルした。
「(……最後の最後に、少しだけ『バズる』展開を見せてくれたわね。あのADの個体が見せた非論理的な感情の発露……ネット用語で言うところの『エモい』という現象かしら。今回は、プラスマイナスゼロで保留にしてあげるわ)」
「(わあ……! アオイ先輩、すごいです……!)」
ノアが感動したように胸に手を当てる。
俺は力の抜けた膝を必死に支えながら、心の中で深く、深く安堵のため息を吐いた。
今度ばかりは、俺の誤魔化しでもスイーツでもない。
何も知らないはずの葵の「真っ当な人間の心」が、本当に地球を救ったのだ。
***
三十分後。
生放送のスタジオで大暴れした葵は、当然ながら鬼塚部長から「お前、なんてことをしてくれたんだ!」と雷を落とされた。
……のだが、放送直後からSNSや局の電話に『あのADの女の子が言ったことこそ正論だ!』『よくぞ腐ったコメンテーターどもに言ってくれた!』『今期の神回!』と称賛の声が殺到したため、手のひらを返した部長から「でかしたぞ水瀬! 人類の底力を見せたな!」と褒めちぎられる結果となった。
そして、騒ぎが落ち着いた夜の十時過ぎ。
俺は一人でテレビ局の屋上に出て、自販機で買った缶コーヒーを二本握りしめていた。
ガチャリ、と屋上の扉が開き、少し気まずそうな顔をした葵がやってくる。
「……先輩。さっきは、勝手なことをしてすみませんでした。ディレクターの先輩にまで、始末書を書かせることになっちゃって……」
「いいってことよ。ほら、お疲れさん」
俺は葵の頬に、温かいカフェオレの缶をピタッと当てた。
「ひゃっ……! あ、ありがとうございます」
両手で缶を受け取った葵が、俺の隣に並んでフェンスにもたれかかる。
見上げた夜空には、美しい満月と――そのすぐ横に、光を一切反射しない不気味な『黒い立方体』が、相変わらず無言で浮かんでいた。
「……ねえ、先輩」
葵がカフェオレを一口飲んで、静かに呟いた。
「あの宇宙人って、なんで何も言わないんでしょうね」
「さあな。……もしかしたら、俺たち人間がどういう生き物なのか、黙ってテストしてるだけなのかもしれないぜ」
「テスト、ですか?」
「ああ。でも、今日の葵を見てたら、きっと向こうの試験官も『おっ、地球人もまだ捨てたもんじゃないな』って赤点を取り消してくれたはずだよ」
俺が冗談めかして笑うと、葵はキョトンと目を瞬かせた後、照れくさそうにふわりと微笑んだ。
「……なんですか、それ。でも、先輩がそう言ってくれるなら、怒られた甲斐がありました」
昼間のヤキモチもすっかり溶けたような、いつもの優しい相棒の笑顔。
しかし――。
俺たちが屋上からフロアへと戻ろうとした時、階段の陰で待っていたノアが、葵が先に降りていったのを確認してから、俺の袖をそっと引いた。
「……佐伯さん。今日はアオイ先輩のおかげで助かりましたけど……でも、気をつけてください」
ノアの声は、いつになく真剣だった。
「今日の一件で、世間の『恭順派』と『抗戦派』の対立は、さらに過激になっていくみたいです。……このまま地球の社会そのものが止まってしまったら、いくら私やレイナ監査官が保留にしても、母船のメインコンピューターが自動的に『文明崩壊』と判定してしまいます」
『社会そのものが、止まる……?』
ノアの残した不吉な言葉の意味を、俺たちはそれからわずか数ヶ月後に、嫌というほど思い知ることになるのだった。




