第7話:アルミホイルと、屋上のイルミネーション
「ま、待ってください黒崎さん!!」
俺はレイナが内ポケットから「黒い石板」を取り出すのを阻止するため、大声を出して彼女の視界を遮った。
「……何かしら、佐伯ディレクター。私は今、このマンションの住民たちのあまりの『オワコン』ぶりに、スポンサーとして番組の打ち切りを検討していたところなのだけれど」
レイナが地球人の広報担当を装いながら、冷ややかな声で言い放つ。
もちろん、彼女が言う「番組の打ち切り」が、裏では「地球人類の打ち切り(更地化)」を意味していることは明白だ。
俺は一秒で脳内の言い訳辞書をフル回転させた。
相手はネット知識に汚染されたバリキャリ宇宙人だ。普通の言い訳は通用しない!
「い、いいえ黒崎さん! 誤解です! あれは決して醜い争いなんかじゃありません! あれこそが、現代のネット界隈で最も尊いとされる伝統芸能――『プロレス(様式美の煽り合い)』なんです!」
「……なに? 『プロレス』ですって?」
レイナの美しい眉がピクリと動いた。
俺の隣で、ノアも「そ、そうですよ黒崎さん! このマンションの皆さんは本当は仲良しなのに、あえて罵り合うことで絆を深める『ツンデレ』という高度な精神構造を持っているんです!」と必死に援護射撃をする。
「プロレスに、ツンデレ……! ふむ、たしかにまとめサイトの必須用語集で履修した記憶があるわね……」
レイナが顎に手を当てて考え込む。
「その証拠に、これから開かれるマンションの『緊急住民総会』を見てください! きっと最後には、お互いを認め合う感動的な結末が待っているはずですから!」
「……いいでしょう。そこまで言うなら、スポンサーとしてその総会とやらを最後まで監査してあげるわ」
レイナが内ポケットから手を離し、俺とノアは同時に「ふぅ〜っ……」と安堵のため息を吐いた。
そして、俺とノアが胸を撫で下ろしてこっそりハイタッチを交わした瞬間――またしても背後から葵の「……先輩、なんでノアちゃんとハイタッチしてるんですか? 私もいるんですけど」という氷のツッコミが突き刺さり、俺は「あ、葵もハイタッチしようぜ! イェイ!」と涙目で誤魔化すしかなかった。
***
三十分後。マンションの集会室にて、緊急住民総会がスタートした。
『頼むぞ住民たち……! 宇宙人対策という大きなテーマなんだから、せめて最後は「お互い助け合いましょう」ぐらいの無難な結論に落ち着いてくれ……!』
俺が祈るような気持ちでカメラを回す中、議長である管理組合の理事長がマイクを握った。
「えー、それではこれより、『屋上に宇宙人歓迎の巨大イルミネーションを設置するか』、それとも『集会所の壁をすべて対・電磁波用のアルミホイルで覆うか』の決議を取りたいと思います!」
「異議あり!!」
いきなり立ち上がったのは、高層階・恭順派リーダーのセレブ夫人だった。
「決議の前に、十七階の抗戦派の皆さまに問いただしたいことがあります! 今朝、一階のゴミ集積所に出されていた十七階のゴミ袋の中に、分別されていない『納豆のプラスチック容器』が混ざっていましたわ! 宇宙人様は環境問題に厳しいはずなのに、こんなルール違反をする野蛮人がいるせいで、マンション全体が攻撃されたらどうするんですの!?」
『ゴミの分別から入ってきたァァァ!! 宇宙人関係ねえだろうが!!』
すると、名指しされた低層階・抗戦派のアルミホイルおじさんが、顔を真っ赤にして立ち上がった。
「なんだとコラァ! それを言うならな、昨日の夕方、俺がエレベーターに乗ろうとした時、四十五階の奥さんが俺の顔を見るなり『閉』ボタンを鬼のように連打してドアを閉めただろうが! あれは抗戦派に対する兵糧攻めか!?」
「あら、だってアルミホイルを巻いた方が乗ってくると、宇宙人様への不敬罪に連座させられそうで怖かったんですもの!」
「ふざけるな! お前んとこの旦那が、先週の夜中に宅配ボックスを私物化してゴルフバッグを入れっぱなしにしてた証拠写真もあるんだぞ!」
「なんですって!? それは三十八階の佐藤さんのところよ!」
「いいえ、うちは入れてません! 四十二階の鈴木さんでしょう!」
議場はものの五分で、宇宙人対策など完全にそっちのけの『日頃のセコい鬱憤晴らしと足の引っ張り合い』へと変貌した。
「お前んちの犬が廊下で吠えた」「お前の子どものピアノがうるさい」「管理費の滞納があるくせに偉そうにするな」――。
誰も銃なんて撃っていないし、暴力も振るっていない。
それなのに、閉鎖された空間の中で、人間たちが勝手に「宇宙人」を錦の御旗にしてお互いを監視し、吊るし上げ、ジワジワと首を絞め合っている。
カメラの横で、葵がすっかり疲れ切った顔で呟いた。
「……なんか、見てるだけで心が削られますね。宇宙人が攻めてくる前に、こうやってお互いのアラ探しをして、勝手に自滅していっちゃいそうです」
その言葉に、俺は背筋が寒くなった。
恐る恐る横を見ると――レイナとノアの二人が、まったく同じ「無表情」で、罵り合う住民たちを見つめていたからだ。
レイナが、俺たちには聞こえないと思っているのか、隣のノアの耳元へ顔を寄せて静かに囁いた。
「(……これが『ツンデレ』と『プロレス』なの、ノア?)」
その声には、いつものズレた茶目っ気は微塵もなかった。
絶対零度の風が吹き抜けるような、冷徹な監査官の響き。
「(私たちは、核という危険なオモチャを取り上げただけで、まだ指一本触れていないわ。それなのに、彼らは自分たちを守るためではなく、隣人を蹴落とすために『私たちの存在』を利用している)」
レイナの細い指が、再びスーツの内ポケットへと伸びる。
「(やはり、この惑星の文明はすでに内部から壊死しているわね。……大幅減点よ)」
『まずい!! 今度こそ止められない!!』
俺が咄嗟に動こうとした、その時だった。
「――あっ! く、黒崎さん、ちょっと待ってください! あそこを見てください!」
なんとノアが、集会室の窓の外――マンションの中庭を指差して叫んだのである。
「……なによ、星野さん。今さらどんな言い訳をしても、スポンサーとしての評価は覆らないわよ」
「いいえ! あそこに、この国の知性と食文化の最高傑作が来ています!」
ノアが指差した先――マンションの中庭の駐車スペースに、一台のカラフルな軽トラックが停まっていた。
タワマンの住民向けに毎週火曜日にやってくる、『焼きたてメロンパンとベルギーワッフルの移動販売車』だった。
しかもその周りには、総会をサボったマンションの子どもたちや若い母親たちが集まり、甘い香りに包まれながらニコニコと平和にメロンパンを頬張っていたのである。
「……メロンパン?」
レイナが怪訝そうに眉をひそめる。
ノアが素早くレイナの耳元で「(レイナ監査官は、まだ地球の『焼きたて菓子パン』の威力を知りません!)」と囁き、そのまま俺を振り返って叫んだ。
「佐伯さん、今です! 差し入れとして、ありったけ買ってください!」
「おう、任せろ!!」
俺は財布を握りしめ、集会室から中庭へと全力疾走した。
***
十分後。
マンションの敷地を出た俺たちの手には、湯気の立つ『焼きたて極上バターメロンパン』と『チョコチップ・ベルギーワッフル』の袋が握られていた。
「……ふん。こんな小麦粉と糖分の塊を差し入れされたところで、私の番組評価が覆るとでも思っているの?」
クールに鼻を鳴らしつつも、レイナは一口、焼きたてのメロンパンをかじった。
サクッ……ふわぁ……。
その瞬間、モデル顔負けのクールビューティーの動きが、完全停止した。
「(……ッ!? な、なんなのノア、この外側のクッキー生地の『サクサク感』と、内部の異常なまでの『ふわふわ感』のギャップは……!? バターの芳醇な脂質が脳内の報酬系を直接ハッキングしてくるわ……!?)」
「(でしょう!? これが地球の『ギャップ萌え』という文化です、レイナ様!)」
「(くっ……! こ、これはたしかに……ネットのまとめサイトで見た『飯テロ』という概念そのものね……! 恐るべし、地球の製パン技術……!)」
レイナは顔をほんのりと赤らめながら、驚くべきスピードでメロンパンとワッフルを完食すると、コホンと咳払いをしてバッグの中の石板をこっそり操作した。
ピロリン♪
「……こ、今回は、あのキッチンカーの高度な『シズル感』に免じて、このロケの低評価は相殺してあげるわ。感謝しなさい、佐伯ディレクター」
『やったあああ!! メロンパンの移動販売車がタワマンの愚民どもから地球を救ったぞォォォ!!』
俺とノアが顔を見合わせて、再び無言のガッツポーズを交わす。
……しかし。
その後ろで、一人だけ袋を持ったまま立ち尽くしていた葵が、ついに限界を迎えたような低い声で呟いた。
「……先輩」
「えっ? あ、葵、メロンパン美味いよな!」
「さっきの総会の途中から、ノアちゃんと二人でアイコンタクトして急に走り出したと思ったら……なんで私じゃなくて、黒崎さんとノアちゃんの顔を交互に見て『やった!』みたいな顔をしてるんですか……?」
葵が、袋の中のメロンパンをギュウッと握りしめた。
「やっぱり、二人で私に隠れて何かコソコソやってますよね!? もういいです、会社には私一人で先に戻りますから、先輩は美女二人とメロンパンでも食べててください!!」
「あ、おい待て葵ィィィ!! メロンパンが潰れるぞォォォ!!」
走り去っていく葵の背中を追いかけながら、俺は今日何度目かわからないため息を吐いた。
地球のスコアはなんとか42点で踏みとどまったが、俺に対する後輩ヒロインからの好感度スコアは、今まさに赤点(絶交検討ライン)へと突き進んでいるのだった。




