第6話:タワマン管理組合の仁義なき忖度バトル
月の横に真っ黒な宇宙船が現れてから、二ヶ月が経過した。
宇宙人は相変わらず、ピクリとも動かず完全な沈黙を守り続けている。
だが、地上では「向こうが黙っているなら、こっちの態度をハッキリさせるべきだ!」という謎の同調圧力が加速し、日本中で奇妙なトラブルが頻発していた。
「――というわけで、今日のロケ先はここだ。湾岸エリアにある超巨大タワーマンション『スカイ・グランド・バベル』。なんとここで今、住民同士が『宇宙人への対応』を巡って真っ二つに割れているらしい」
晴れた火曜日の午前中。
五十階建てのそびえ立つタワーマンションの前で、俺は企画書を片手に説明を行った。
俺の隣には、まだ少し頬を膨らませてジト目でこちらを見ている後輩の葵。
そして反対側には、AD姿のノアと――なぜか高級パンツスーツにサングラス姿の黒崎レイナが並んでいた。
「あの、黒崎さん。なんでスポンサーの広報である黒崎さんまで、わざわざ現場ロケに同行されてるんですか?」
俺が尋ねると、レイナはサングラスをクイッと上げ、クールな美貌で鼻を鳴らした。
「ふん、決まっているでしょう。スポンサーとして、番組が『ヤラセ』や『ステマ』をしていないか現場を監査するのは当然の務めよ」
そう言いつつ、レイナは俺と葵に聞こえないよう(実際には俺には筒抜けなのだが)、隣のノアの耳元で冷たく囁いた。
「(……いいこと、ノア。あなたが甘いものばかり食べて地球人の採点をサボっているから、私が直々にこの集合住宅で地球人の本性を暴いてあげるわ)」
「(ひぃっ……! さ、佐伯さん、今日ここで人間がバカなことをしたら、レイナ監査官に大量減点されちゃいますよ!)」
ノアが俺の背中に隠れるようにして、俺のジャケットの裾をチョンチョンと引っ張る。
俺が「(わかってる、俺がなんとかして美談に誘導するから落ち着け!)」と小声で返すと、すぐ横から葵の冷ややかな声が飛んできた。
「……先輩。ロケが始まる前から、またノアちゃんとイチャイチャですか? 距離、近すぎません?」
「ち、違うって葵! 今のはマイクのテストというか、業務連絡でだな!」
俺が必死に弁明していると、レイナがタワーマンションを見上げながら、ふっと知的な笑みを浮かべた。
「それにしても……これが地球のネット掲示板で頻繁に議論されている『タワマン』という建造物なのね。事前学習で完全に把握しているわ」
「へえ、黒崎さん、マンション事情にもお詳しいんですか?」
葵が水を向けると、レイナはモデルのような立ち姿で胸を張り、大真面目に語り始めた。
「ええ、常識よ。この建物の中では、住んでいる階数によって人間のカーストが厳格に決まる『タワマン文学』という法律が適用されているのでしょう? 低層階の住民は高層階の住民とエレベーターで乗り合わせた際、土下座をして酸素の使用料を払う義務があるのよね?」
『どんなディストピア文学を読んできたんだよ!! SNSの誇張されたタワマンマウント漫画をノンフィクションだと思ってんのか!!』
俺が心の中で絶叫する横で、葵は「あはは! 黒崎さん、今日も風刺が効いたブラックジョークが冴えてますね!」と無邪気に笑っていた。
***
しかし、俺たちがマンションのエントランスへと足を踏み入れた瞬間。
レイナの冗談が笑えなくなるほど、異様な光景が目に飛び込んできた。
「な、なんだこりゃ……!?」
本来なら高級ホテルのように美しいはずのロビーの真ん中に、黄色と黒の『立ち入り禁止テープ』が張り巡らされていたのだ。
そしてそのテープを挟んで、二組の住民グループが睨み合っていた。
片方は、お揃いの白いヨガウェアを着て、首から『宇宙標準マナー検定・二級』のネームプレートを下げたセレブ風のマダムたち。
もう片方は、防災ヘルメットの上にさらに『家庭用のアルミホイル』をぐるぐる巻きにし、手には水耕栽培のプチトマトの鉢植えを持った中年の旦那さんたちだ。
「ちょっと、三十二階の奥様! 勝手にロビーの観葉植物を『宇宙人様歓迎用のスピリチュアル・ストーン』に置き換えないでちょうだい! 軟弱な恭順派のせいで、宇宙人にナメられたらどうするのよ!」
「あら、十七階の旦那様こそ! エレベーターの壁にアルミホイルを貼るのはやめてくださる!? 『宇宙人の洗脳電波を跳ね返すためだ』なんて言って、見た目が貧乏くさくて資産価値が落ちるわ!」
俺たちが呆気に取られていると、管理人らしき疲れ切った老人がトボトボと歩み寄ってきた。
「ああ、テレビ局の方ですね……。見ての通りですよ。一ヶ月前、三十階以上の高層階に住む奥様方が『宇宙人様は高いところがお好きだから、高層階の私たちこそが人類代表としてお迎えすべきだ』と【恭順・おもてなし派】を結成しましてね……」
「は、はあ……」
「そうしたら、二十九階以下の住民たちが『ふざけるな、高層階だけで宇宙人に媚びて生き残る気か! 俺たちは徹底抗戦だ!』と反発しまして……今や、三十階を境にしてマンションが真っ二つなんですよ」
『宇宙人への対応じゃなくて、ただの普段からの階層マウントのこじらせじゃねえか!!』
俺が頭を抱えていると、高層階リーダーのセレブ夫人が、俺たちのカメラに気づいて優雅に微笑みながら近づいてきた。
「まあ、テレビの取材ですのね! ちょうどよかったわ。ぜひ私たちの素晴らしい『おもてなし活動』を全国に放送してちょうだい! そうすれば、月の横の宇宙人様も『まあ、このマンションの高層階の個体たちはなんて知的で従順なのかしら』って、真っ先に私たちを保護してくださるはずよ!」
すると、低層階リーダーのアルミホイルおじさんが「ふざけるな!」と割り込んできた。
「テレビ局のあんたら! こいつらの言うことを聞くな! 俺たちはな、宇宙人がいつ攻めてきてもいいように、マンションの共用プールで『食用ザリガニ』の養殖を始めたんだ! この不屈のサバイバル精神を放送しろ!」
「ちょっと! プールが泥臭くなるからザリガニはやめなさいって言ってるでしょうが!」
「うるせえ! お前らこそ、夜中に屋上で『宇宙人様への歓迎フラッシュモブ』の練習をするな! 足音がうるさくて眠れねえんだよ!」
カメラの前で、ギャーギャーと罵り合いを始める住民たち。
そのあまりのレベルの低さに、葵がマイクを持ったまま遠い目をした。
「……先輩。宇宙人はまだ一言も喋ってないのに、なんでこの人たちは共用プールでザリガニを飼ったり、フラッシュモブの練習をしたりしてるんでしょうね……」
「聞くな葵。俺にもさっぱり分からん」
だが、本当の危機はここからだった。
俺がふと横を見ると――黒崎レイナが、サングラスの奥の瞳を氷のように冷たく細め、スーツの内ポケットから「黒い石板」を取り出そうとしていたのだ。
「(……ノア。どうやらあなたの調査を待つまでもないわね。同じ建物に住む同種族同士で、これほど無意味で低次元な争いをするなんて……知性レベルは害虫以下よ。今すぐマイナス10点にして、更地化を申請するわ)」
「(ひゃあっ!? ま、待ってくださいレイナ監査官!!)」
ノアが顔を真っ青にして、俺の脇腹をグイグイと肘で突いてきた。
『やばい!! レイナの採点はノアみたいに甘くないぞ! 一発でマイナス10点なんか喰らったら、その瞬間に地球が終わる!!』
俺は冷や汗を噴き出しながら、レイナの前にガバッと立ちはだかった。




