第5話:バリキャリ宇宙人、ネットで地球を学ぶ
翌週の月曜日。
出社した俺がデスクにつくと、隣の席でノアがいつになく青ざめた顔をして、ガタガタと小刻みに震えていた。
「おい、どうしたノア。またコピー機の光でも浴びたのか?」
葵が席を外している隙に小声で尋ねると、ノアは涙目で俺の袖をギュッと掴んできた。
「うう……佐伯さん、大変です……。私がこれまで母船に送っていた調査報告書が、『地球の唐揚げはジューシーで神です』『コンビニのプリンは宇宙の真理です』ばかりで全く要領を得ないって、上層部からこっぴどく怒られちゃいました……」
『そりゃ怒られるだろ。お前、ただのグルメブロガーになってたじゃねえか』
「そ、それでですね……私の調査がポンコツすぎるからって、今日、母船から追加の調査員として『上級監査官』の怖い上司が地球に降りてくることになったんです……!」
「な、なんだって!? 上級監査官だと!?」
俺の背筋が凍りついた。
だが、ノアはさらに声を潜め、今にも泣き出しそうな顔で俺に両手を合わせた。
「あ、あと佐伯さん! 一生のお願いがあります! 実は私、佐伯さんに宇宙人だって正体がバレちゃったこと、怖くて上司に報告してないんです!」
「はあ!? 報告してないのかよ!?」
「だって、現地民に初日で擬態を見破られたなんてバレたら、私、ポンコツ罪で辺境のガス惑星へ左遷されちゃいます! そうしたら、地球の唐揚げもプリンも二度と食べられなくなるんですぅ……!」
「いや、自業自得だろそれは……」
「もし私が左遷されたら、冷酷無比なレイナ監査官がメイン担当になって、地球のスコアなんてあっという間に0点にされちゃいますよ!? だからお願いです、レイナ監査官の前では、私たちが宇宙人だって気づいていないフリをしてください!」
『……くっ! たしかに、食で買収できるノアがいなくなって、ガチのエリート宇宙人に担当が変わったら地球が詰む!』
「……わかったよ! 気づかないフリをしてりゃいいんだな!」
俺が頷くと、ノアは「わあ、ありがとうございます! 佐伯さんと私の『二人だけの秘密』ですね!」とパァッと顔を輝かせた。
そしてまさにその直後――。
「おーい、佐伯班! ちょっといいか!」
フロアの入り口から、鬼塚部長が満面の笑みで手招きをした。
「今日からうちの番組のメインスポンサーになってくださった、外資系コンサル企業の広報担当・黒崎さんが視察に来られたぞ! 皆、失礼のないように挨拶しろ!」
「ひぃっ……! 来ました、レイナ監査官です……!」
ノアが小さく悲鳴を上げて俺の背中に隠れる。
そして、部長の後ろからコツコツと高いヒールの音を響かせて現れた女性を見て、フロア中の空気が一変した。
『……うわ。こいつもまた、とんでもない美女だな』
ノアが「可愛らしさの極致」だとすれば、目の前の女性は「美しさと知性の結晶」だった。
身長は百七十センチ近くあり、モデル顔負けの抜群のスタイルを高級そうなパンツスーツで完璧に包んでいる。
艶やかな黒髪をかき上げ、切れ長の涼やかな瞳でフロアを見渡すその姿は、まさに誰もがひれ伏す『究極のバリキャリ美女』そのものだった。
黒崎レイナと名乗ったその美女は、俺たちの前で優雅に足を止めると、ノアをチラリと見て(……ふん、私が来たからには、地球人への完璧な擬態というものを教えてあげるわ)と言わんばかりの冷ややかな視線を送った。
そして俺たちに向き直ると、氷のようにクールで知的な微笑みを浮かべ――よく通る美しいアルトボイスで口を開いた。
「お初にお目にかかります、情報番組の制作陣の皆さま。黒崎レイナと申します。……まずは、地球のビジネス界における『最高敬意の挨拶』をさせていただきますわ」
次の瞬間。
レイナは突然、腰を直角に折り曲げたまま両腕を背中の後ろでクロスさせ、さらに首だけを左斜め四十五度にグキッと傾けるという――まるで前衛的なダンスかジョジョ立ちのような、見たこともないアクロバティックなお辞儀を披露したのだ。
『……は?』
俺の思考が三秒間フリーズした。
レイナはその奇妙極まりないポーズをピタリと維持したまま、俺に向かってドヤ顔で流し目を送ってきた。
「……ふふ。地球のSNSにおいて、『新入社員が絶対に知っておくべき伝統ビジネスマナー』として十万いいねを獲得していた正式な挨拶よ。さらに、稟議書のハンコは上司の役職に応じて左斜め三十度に傾けて押すのが鉄則なのでしょう? 私の事前学習に死角はないわ」
『うわあああああ!! ネットの嘘マナー講師のバズりツイートを丸暗記してきてるぅぅぅ!!』
俺は危うくその場に崩れ落ちそうになった。
ノアとは違う意味で、とんでもないポンコツが来たぞ!?
***
「では、番組の企画会議を始めましょうか」
会議室へと場所を移し、俺と葵、鬼塚部長、そして宇宙人コンビの五人でテーブルを囲む。
レイナは、俺にも完全に『地球のエリートキャリアウーマン』と信じ込ませているつもりで、大真面目に俺の企画書をめくり始めた。
「……なるほど。佐伯ディレクター、あなたの企画書を拝見したわ。地球の専門用語で評価するなら、いわゆる『神企画』、あるいは『今期の覇権』と呼ぶべきかしら」
「あ、はあ……ありがとうございます」
「ただ、少し懸念があるわね。この番組構成だと、地球を裏から支配している闇の政府『ディープステート』や、日本の職場に生息する最上位捕食者『お局様』の逆鱗に触れて炎上しないかしら?」
「……あの、黒崎さん。差し支えなければ、どこでその地球の知識を学ばれたのかお聞きしても?」
俺が引きつった笑顔で尋ねると、レイナはクールに髪をかき上げて鼻で笑った。
「愚問ね。私はどこかの新人ADのように、無計画に現地へ降り立つような真似はしないわ。母船……いえ、本社を出発する前に、地球の英知が集積されている『匿名掲示板』と『まとめサイト』、および『動画サイトの広告』を三日かけて全件ダウンロードして完全履修してきたのよ」
『学習元のチョイスが最悪すぎるだろ!! インターネットのゴミ溜めから地球を学ぶな!!』
しかし、レイナはさらに自信満々な表情で続けた。
「だから、万が一のトラブル対策も完璧よ。もし番組が炎上してスポンサー交渉が絶体絶命のピンチに陥った時は、熱した鉄板の上で『焼き土下座』をすれば、地球の法律ではすべて許されるのでしょう? 鉄板と炭の手配ならいつでも任せてちょうだい」
『カイジの知識じゃねえか!! どこの世界に謝罪で肉を焼く広報担当がいるんだよ!!』
俺が吹き出しそうになるのを必死で堪えていると、隣に座っていたノアが、テーブルの下で俺の太ももをツンツンと突いてきた。
そして、俺の肩に自分の肩をピタリと寄せ、耳元で必死に囁いてきたのだ。
「(さ、佐伯さん、笑っちゃダメです! レイナ監査官は今、自分が完璧に地球のビジネスエリートを演じきれていると思ってドヤ顔してるんですから、話を合わせてあげてください!)」
「(いや、無理があるだろこれ! なんでお前の上司はネットの嘘知識に全振りしてるんだよ!)」
俺とノアが顔をくっつけ合うようにしてコソコソと耳打ちし合っていると――。
「……ガッハッハッハ!!」
なんと、向かいに座っていた鬼塚部長が、腹を抱えて豪快に笑い出したのだ。
「いやあ、黒崎さん! 最初はどんなお堅いエリート美女が来たのかと緊張しましたが、まさかそんなクールな顔でネットスラングやマンガのネタを連発して場を和ませてくださるとは! 実にユーモアと茶目っ気のある素晴らしい広報さんだなあ!」
『……えええええ!? またしても認識阻害と美女ハロー効果で、完全にポジティブ変換されてるぅぅぅ!!』
俺が愕然とする横で、レイナは(……ふふ、計画通りね。佐伯ディレクターも含め、現地の地球人どもは私の完璧な擬態にすっかり騙されているわ!)と満足げに頷き、テーブルの下でノアに「見たかしら、これがプロの仕事よ」とアイコンタクトを送っていた。
***
「黒崎さん、これからぜひ社長にもご挨拶を!」
打ち合わせが終わり、鬼塚部長がレイナを案内して先に会議室を出ていった。
「ふぅ……助かりました佐伯さん! 佐伯さんが合わせてくれたおかげで、なんとか私のミスもバレずに済みましたよ!」
ノアが胸を撫で下ろし、俺の手を両手でギュッと握りしめて無邪気に笑う。
「いやあ、これからあの上司の相手をするかと思うと、胃薬がいくらあっても足りないぞ……」
「大丈夫です! 私たち二人の秘密のコンビネーションで乗り切りましょうね!」
俺とノアが秘密の共有者として頷き合っていた、その時だった。
ゴゴゴゴゴ……と、背後の空気が氷点下まで急降下する音がした。
おそるおそる振り返ると、そこには資料の束を両手でギリギリと握り潰し、笑顔のままこめかみに青筋を浮かべた葵が立っていた。
「……あのー、先輩?」
「ひっ!? どうした葵、そんな怖い顔して……」
「さっきの会議中から思ってましたけど……なんでノアちゃんとそんなにピッタリくっついて、机の下で手をつないだり耳打ちしたりしてるんですか?」
「えっ!? い、いや、これはその、黒崎さんの対応についてだな……」
「私が入社した時は『会議中は私語厳禁だ!』って怒ってばっかりだったのに……! もう私の知らないところで、ノアちゃんと『二人だけの秘密』まで作っちゃったんですか!?」
葵の大きな瞳が、悔しそうに潤んでいく。
「知りません! 先輩なんて、美人のノアちゃんと黒崎さんに囲まれて、一生鼻の下を伸ばしてればいいじゃないですか! バカァ!」
「ま、待て葵! 誤解だァァァ!!」
会議室を飛び出していく葵と、その横で「あれ? アオイ先輩、どうしたんでしょうか?」と小首をかしげるノア。
空には無言の宇宙船、職場にはポンコツ宇宙人とネット汚染宇宙人、そして拗ねてしまった後輩ヒロイン。
俺は空になった胃薬のシートを握りしめ、誰もいない会議室で一人、天を仰いだのだった。




