第3話:唐揚げと、害虫駆除のボーダーライン
街頭インタビューのロケを終え、俺たちが制作会社のビルへと戻ってきたのは夕方の五時過ぎだった。
「私、カメラマンさんと一緒に機材を倉庫へ戻してきますね!」
「おう、頼んだぞ」
葵が重たい三脚を抱えてエレベーターへと向かう。
その背中が見えなくなった瞬間――俺は隣で呑気に鼻歌を歌っている美少女・星野ノアの手首をガシッと掴んだ。
「えっ? さ、佐伯さん?」
「いいからちょっと来い!」
俺はノアを引っ張り、誰もいない非常階段の踊り場へと連れ込んだ。
背後の鉄扉がバタンと閉まるなり、俺は周囲に人の気配がないことを確認し、声を潜めてノアに詰め寄った。
「……単刀直入に聞くぞ、星野。お前、月の横の『黒い箱』から来た宇宙人だよな?」
その瞬間。
ノアの大きな瞳がカッと見開かれ――驚いた拍子に、またしても身体が床からフワッと三十センチほど浮き上がった。
「えっ!? な、なんで分かったんですかぁっ!?」
『ほら浮いてる! 否定する気ゼロじゃねえか!!』
ノアは空中でバタバタと足を動かしてからストンと着地すると、信じられないものを見る目で俺の顔を覗き込んできた。
「おかしいです! 私の周囲には『美少女ハロー効果』と『微弱認識阻害波』を同時に展開しているはずなのに! どんなに不自然な言動をしても、地球人の脳は『ちょっと天然で可愛い美少女だなあ』と勝手に補正して納得する仕様なんですよ!?」
「やっぱり電波出してたのかよ! 通りで葵までおかしな納得の仕方をしてると思ったわ!」
「佐伯さんの脳みそ、どういう構造してるんですか!? 完全にバグってますよ!」
「バグってるのはお前のガバガバな擬態だ! アンドロメダを青森でごまかしたり、コピー機と戦おうとしたり、あれでバレない方がどうかしてるんだよ!」
俺が頭を抱えてツッコむと、ノアは「むう……事前研修ではバッチリだったのに……」と不服そうに頬を膨らませた。
外見だけは本当に、暴力的なまでに可愛い。
だが、俺にはどうしても確認しなければならない重大な問題があった。
「おい、それよりカフェで見たあの『三十九点』ってやつだ。あれ、赤点になって『害虫駆除検討ライン』とか出てたよな!? 本当に地球を更地にする気なのか!?」
俺が真剣な声で問い詰めると、ノアは「あー……」と気まずそうに視線を逸らし、人差し指をツンツンと突き合わせた。
「えっと……私はただの『事前調査員』なので、最終決定権はないんですけど……。宇宙船の上層部は、地球人と対話すべきか、それとも知性のない害虫として駆除(お掃除)しちゃうか迷ってるんです」
「お掃除って言うな! どうすればあのスコアは上がるんだよ!?」
「え? それはもちろん、地球に『保護しておくべき素晴らしい知性や文化がある』と証明できれば、加点されますよ?」
『素晴らしい知性や文化……!?』
俺の脳裏に、昼間の『小顔矯正に通う女』と『階段ダッシュのおじさん』、そして『全裸でパトカーに押し込まれたユーチューバー』の顔がフラッシュバックした。
『……ダメだ! 人類の知性に賭けていたら、明日にでも地球が更地にされる!』
俺が冷や汗をダラダラと流していると、ガチャリ、と非常階段の扉が開いた。
「あれ? 先輩、ノアちゃんとこんな所で何コソコソ話してるんですか?」
機材を片付け終えた葵が、不思議そうに顔を覗かせたのだ。
「あっ! い、いや、これはだな……」
俺は一秒で脳みそをフル回転させた。
知性で加点できないなら、『文化』――それも、誰も文句を言えない圧倒的な地球の文化を、今すぐこいつに叩き込むしかない!
「よ、よし! 今日はノアちゃんの歓迎会だ! これから三人で、最高に美味いもんを食いに行くぞ!」
「えっ!? 先輩が自分から飲みに誘うなんて珍しい! 明日は槍でも降るんじゃないですか!?」
目を輝かせて喜ぶ葵と、「美味しい有機物ですか!?」と食いつくノアを連れ、俺は夜の繁華街へと繰り出したのだった。
***
俺が二人を連れて行ったのは、テレビ局の裏手にある、安くて旨いことで有名な大衆居酒屋だった。
「じゃあ、ノアちゃんの配属を祝して――乾杯!」
「かんぱーい!」
「カ、カンパーイです!」
俺と葵は生ビール、ノアはウーロン茶のジョッキを合わせる。
そして、俺が店員に頼んでおいた『地球の最終兵器』が、湯気を立てながらテーブルへと運ばれてきた。
「お待たせしましたー! 当店名物、若鶏の特製唐揚げでーす!」
大皿に山盛りにされた、揚げたてアツアツの鶏の唐揚げ。
ノアが「これが、地球の鳥類の肉……」と興味深そうに割り箸で一つ摘み上げ、小さな口で「はむっ」とかぶりついた。
ザクッ、ジュワァ……。
その瞬間、ノアの動きがピタリと止まった。
そして次の瞬間――彼女の大きな瞳に、マンガみたいなキラキラとした星が浮かび上がったのである。
「な、な、なんですか、この『カラアゲ』という物質はぁぁっ!?」
ノアが両手で頬を押さえ、プルプルと震えだした。
「外殻はクリスピーな装甲で覆われているのに、噛み砕いた瞬間、内部に閉じ込められていた高温の肉汁エネルギーとニンニクの芳香が口内でビッグバンを起こしました! ち、地球の鶏は神なのですか!?」
「あはは! ノアちゃん、唐揚げでそんなに感動してくれるなんて可愛いなあ! ほら、マヨネーズとレモンもあるよ!」
「マヨネーズ!? 酸味と脂質のハイブリッド兵装ですね! いただきます! ……んんっ〜!!」
夢中で唐揚げを頬張るノア。
さらに俺が追い打ちで注文した『締めの濃厚チョコレートパフェ』を一口食べたノアは、もはや恍惚とした表情で天を仰いだ。
そして、テーブルの下でこっそりと黒い石板を取り出すと――俺にだけ見える角度で、ホログラム画面をタップしたのだ。
ピロリン♪
【鶏の唐揚げおよびチョコレートパフェの極めて高い文化的価値を確認。プラス3点】
【現在スコア:42点(害虫駆除・保留ラインへ回復)】
『よっしゃあぁぁぁ!! 居酒屋の唐揚げとパフェで人類が救われたぞォォォ!!』
俺はテーブルの下で、誰にも見えないように渾身のガッツポーズを決めた。
大衆居酒屋の料理人よ、お前こそが地球の救世主だ。
「いやー、ノアちゃんがいっぱい食べてくれるから、見てて気持ちいいね!」
「はいっ! 地球の食文化、とっっても素晴らしいです!」
和気あいあいと盛り上がる俺たち三人。
このまま毎晩、俺の自腹でノアに居酒屋グルメやスイーツを餌付けし続ければ、なんとか地球の平和は守れるかもしれない。
そう思って胸を撫で下ろした、その時だった。
「――ギャハハハ! いやー、マジで宇宙人が来てくれて助かったわ!」
すぐ隣のボックス席から、酔っ払ったサラリーマン集団の下品な笑い声が聞こえてきたのだ。
***
「聞いたかよお前ら? 俺さ、先週うっかり発注ミスして取引先の納期に穴を開けちゃったんだけどさあ!」
赤ら顔の男が、ジョッキを振り回しながら自慢げに語り始める。
「『きっと月の横の宇宙船が出してる謎の電磁波で、うちのサーバーがバグったに違いありません!』って嘘ついて、全部下請けのシステム会社のせいにしちゃったよ! 向こうの社長、青い顔して平謝りしてたぜ!」
「うわ、お前ひっでえな! でもナイスアイディア!」
向かいに座る別のサラリーマンも、ゲラゲラ笑いながら身を乗り出した。
「俺もさあ、『どうせ一年後に宇宙人に滅ぼされるかもしれないのに、コツコツ貯金するなんて無意味だろ』って嫁を言いくるめてさ! 子どもの学資保険を解約して、リボ払いで欲しかった高級時計買っちゃったぜ! いやー、終末万歳だな!」
「違いない! 宇宙人様にカンパーイ!」
ガチャン、と下品な音を立ててジョッキを合わせる男たち。
その会話を聞いていた葵が、不快そうに眉をひそめた。
「……うわぁ。なんなんですかね、あの人たち。最近、宇宙人を言い訳にして無責任なことをする大人が増えましたよね」
「……ああ、そうだな」
俺が苦い顔で頷いたところで、葵が「すいませーん! お冷やを三つくださーい!」と店員を呼びに席を立った。
テーブルに残されたのは、俺とノアの二人だけ。
俺が「あー、ノア、今の連中はその、ごく一部のダメな大人であってだな……」とフォローしようとして、ノアの顔を見た瞬間。
俺の言葉は、喉の奥で凍りついた。
さっきまで唐揚げを食べて無邪気に笑っていたノアの顔から、スッと一切の感情が消え失せていたのだ。
「……佐伯さん」
居酒屋の喧騒の中で、ノアの声だけが不気味なほど冷たく、澄み切って響いた。
彼女は隣の席でバカ騒ぎしているサラリーマンたちを一瞥し、氷のような瞳で呟いた。
「私たちはまだ、あなた方に銃を向けたわけでも、脅迫の言葉を掛けたわけでもありません。ただ、空に浮かんでいるだけです」
『……ッ』
「それなのに、あなた方は勝手に『終末』を言い訳にして、嘘をつき、責任を押し付け合い、弱い立場の者を踏み台にして笑っている」
その瞳は、可愛い新人の後輩ではなかった。
シャーレの中で醜く共食いを始めた「増えすぎた害虫」を、顕微鏡越しに淡々と観察する上位存在の目だった。
「……私たちが手を下すまでもなく、この星の生き物は、勝手に腐っていくのですね」
ピロリン、とテーブルの下で小さな電子音が鳴り、せっかく回復したスコアが『41点』へと1点減ったのが見えた。
背筋に、氷水を浴びせられたような悪寒が走る。
俺が何も言い返せずに息を呑んでいると――。
「お待たせー! お水もらってきたよ!」
パタパタと明るい足音を立てて、葵がテーブルへと戻ってきた。
するとノアは、わずか〇・一秒で先ほどまでの冷徹な空気を完全に消し去り、花が咲くような満面の笑みを浮かべたのだ。
「わあ、ありがとうございますアオイ先輩! あっ、佐伯さん、私『軟骨の唐揚げ』という物質も追加で調査してみたいです!」
「あ、あはは……いいぞ、好きなだけ頼め……」
俺は引きつった笑顔で頷きながら、冷たいお冷やを一気に飲み干した。
『……マジで気を抜いたら終わるぞ、この星』
居酒屋の賑やかな笑い声の中で、俺の胃袋だけがキリキリと悲鳴を上げていた。




