↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
may探偵伯爵令嬢エレオノーラの事件簿〜助手は喋る黒猫、恋のお相手は公爵様!?〜  作者: 伊織
第3話:巨大ダイヤモンドが消えました!犯人は会場の中に!?
PR
8/9

中編:巨大ダイヤモンドが消えました!



「……なんて綺麗なの!」


エレオノーラは、ガラスケースの前で思わず両手を組んだ。


深い青色のビロードの上に置かれた巨大なダイヤモンドは、幾重にも磨き上げられた面に燭台の光を映し、まるで小さな星を閉じ込めたように輝いていた。


角度を変えるたび、白い光の中に淡い青や虹色の煌めきが浮かぶ。


「月光の雫……。素敵な名前ねえ」


エレオノーラは、うっとりと溜息をついた。


「私、こんなに大きなダイヤモンドを見るのは初めてだわ!」


「……そうか」


隣から聞こえた低い声に、エレオノーラは振り返った。


そこには、レオンハルト・グレイヴェルが立っていた。


「…………!」


心臓が、どきんと跳ねる。


い、いつの間に!?


さっきまで少し離れたところにいらっしゃったのに!


「どうした?」


「い、いえ! 何でもありません!」


エレオノーラは慌てて背筋を伸ばした。


せっかくお姉様に、淑女らしく振る舞うよう言われたのだ。


ここは落ち着いて、上品に会話をしなくては。


「レオンハルト様は、宝石がお好きですか?」


よし。


我ながら、なかなか自然な質問だわ!


「特には」


「…………」


会話が終わった。


早い。


早すぎる。


エレオノーラは内心で頭を抱えた。


もう少し、こう……何かないのかしら!?


好きな宝石の種類とか!


色とか!


指輪とか!


……指輪?


エレオノーラの脳裏に、突然、輝く婚約指輪が浮かんだ。


そして、その指輪を自分の左手にはめてくれるレオンハルトの姿が……。


「……ふふ」


「ウィンデルフォード嬢?」


「はっ!」


エレオノーラは慌てて首を振った。


危ない。


今、完全に違う世界へ旅立っていたわ!


レオンハルトは、そんな彼女を不思議そうに眺めていた。


「……宝石そのものには、あまり興味がない」


「そ、そうなんですね!」


「だが、これほどの品となれば話は別だ」


「まあ!」


エレオノーラは目を輝かせた。


「やっぱり、綺麗だからですか?」


「いや。盗難の危険が高い」


「…………」


そうだった。


この方は、王室直属の特別捜査官だった。


「……お仕事熱心なんですね」


「職業柄、気になるだけだ」


レオンハルトは展示ケースへ視線を向けた。


「今夜は招待客も多い。警備が十分でも、油断はできないだろう」


「そうですね!」


エレオノーラは大きく頷いた。


「でも、何かあったら私もお手伝いします!」


「……君が?」


「はい! 私、探偵ですから!」


レオンハルトは一瞬だけ黙った。


それから、ほんのわずかに口元を緩めた。


「……頼もしいな」


「…………!」


褒められた。


また褒められた。


しかも、今度はちゃんと笑ってくださった!


エレオノーラの頬が、みるみる赤くなる。


「い、いえ! そんな! 私なんて、まだまだですけれど!」


「自覚はあるんだな」


「えっ?」


レオンハルトの表情は、すでにいつもの落ち着いたものに戻っていた。


……今の、冗談?


もしかして、冗談をおっしゃったの!?


エレオノーラは胸を押さえた。


どうしよう。


レオンハルト様、意外とお茶目なのかもしれない。


ますます素敵だわ……!


そのとき、背後から涼やかな声が響いた。


「まあ、レオンハルト様」


エレオノーラの肩が、ぴくりと動いた。


振り返ると、深紅のドレスに身を包んだヴィクトリア・フェルンウィックが立っていた。


「こちらにいらしたのですね」


ヴィクトリアは優雅に微笑み、レオンハルトへ一礼した。


「先ほどからお姿をお探ししておりましたの」


「何か用か?」


「いいえ。ただ、せっかくの晩餐会ですもの。少しお話しできればと思いまして」


ヴィクトリアは、ちらりとエレオノーラへ視線を向けた。


「……ウィンデルフォードさんも、ご一緒でしたのね」


「はい!」


エレオノーラは元気よく答えた。


「ダイヤモンドを見ていたんです!」


「それは見れば分かりますわ」


「…………」


どうしてこの方は、普通の会話でもちょっと意地悪なのかしら。


ヴィクトリアは展示ケースを眺め、感心したように息をついた。


「それにしても、見事な宝石ですこと。これほどの大きさで、ほとんど濁りも見られないなんて」


「本当に綺麗ですよね!」


「ええ。もっとも、美しいものほど扱いには慎重さが必要ですけれど」


ヴィクトリアは扇を広げた。


「宝石も、人間関係も」


「……?」


エレオノーラは首を傾げた。


今の、どういう意味かしら?


隣でレオンハルトが静かにグラスを置いた。


「私は少し失礼する」


「まあ、もうですの?」


ヴィクトリアが残念そうに眉を下げる。


「伯爵に挨拶がまだだったのでな」


「そうでしたのね」


レオンハルトは二人へ軽く会釈すると、会場の奥へ歩いていった。


エレオノーラは、その背中を名残惜しそうに見送った。


……もう少しお話ししたかったなあ。


「ウィンデルフォードさん」


「はい?」


「あなた、ずいぶん楽しそうでしたわね」


ヴィクトリアは扇の向こうから、じっとこちらを見ていた。


「そ、そうですか?」


「ええ。お顔が真っ赤でしたもの」


「そ、それは!」


エレオノーラは慌てて両頬を押さえた。


「会場が少し暑くて!」


「まあ。そうでしたの」


ヴィクトリアは、にっこり微笑んだ。


「わたくしには、ちょうどよい温度ですけれど」


「…………」


絶対に分かって言ってるわ!


⸻


やがて、展示室の前方に、一人の男性が進み出た。


五十代ほどの、恰幅のよい紳士である。


丁寧に整えられた灰色の口髭と、上質な黒い礼服。


胸元には、宝石商組合の徽章が輝いていた。


「皆様。本日は、このような素晴らしい機会をいただき、誠に光栄に存じます」


男は深々と頭を下げた。


「私は宝石商のアーネスト・ベルモンドと申します」


ウィンデルフォード伯爵家と長年取引を続けている宝石商だった。


「今夜ご覧いただく『月光の雫』は、北方の鉱山で発見された極めて珍しいダイヤモンドでございます」


招待客たちが、興味深そうに耳を傾ける。


「その大きさもさることながら、特筆すべきは、この澄み切った輝きです。これほどの品は、私も長い商人人生で数えるほどしか目にしたことがございません」


「まあ……」


「素晴らしいわね」


貴婦人たちの感嘆の声が広がる。


エレオノーラも、真剣な顔で頷いていた。


「……すごいわねえ」


肩に乗ったノワールが、小さく呟く。


「……お前、値段の話になったら目を回すんじゃねえか」


「失礼ね!」


「お嬢様?」


近くにいた給仕が振り返った。


「……あっ!」


エレオノーラは慌てて咳払いをした。


「い、いえ! 何でもありません!」


給仕は不思議そうな顔をしたが、すぐに一礼して立ち去った。


ノワールは、知らん顔で前脚を舐めている。


……この猫、絶対に楽しんでるわ。


アーネストは説明を続けた。


「なお、宝石の安全を確保するため、展示ケースは特別に製作したものでございます」


彼はガラスケースの縁へ手を添えた。


「厚いガラスと堅牢な錠前を備え、開閉には専用の鍵を必要といたします」


エレオノーラは、思わず身を乗り出した。


「へえ……!」


「お嬢様」


隣に立っていたセシリアが、小声で注意した。


「背伸びをなさらないで」


「だって、よく見えないんだもの!」


「あなたは先ほどから十分に見ていますわ」


「……はーい」


エレオノーラは大人しく踵を下ろした。


そのとき、少し離れた場所で、警備員の一人が別の警備員に何かを囁いているのが見えた。


二人は展示室の入口を確認すると、それぞれ持ち場へ戻っていく。


今夜は警備が厳重なのね。


エレオノーラは、何となく感心した。


「それでは皆様、どうぞ間近でご覧くださいませ」


アーネストの言葉に、招待客たちがゆっくりと展示ケースへ近づいた。


⸻


「ねえ、ノワール」


エレオノーラは、展示室の隅にある小さな椅子へ腰掛けた。


「さっきのダイヤモンド、本当に綺麗だったわね」


「……ああ」


ノワールは隣の椅子に飛び乗り、尻尾を揺らした。


「でも、お前が一番嬉しそうだったのは、公爵と喋ってた時だろ」


「そ、そんなことないわよ!」


「顔が赤かったぞ」


「それは会場が暑かったから!」


「さっきの女も同じこと言ってたな」


「…………」


エレオノーラは、そっと頬を押さえた。


「……そんなに分かりやすいかしら」


「分かりやすすぎる」


「もう!」


ノワールは、呆れたように欠伸をした。


「で、あの公爵のどこがいいんだ?」


「えっ?」


エレオノーラは目を丸くした。


「どこって……」


少し考える。


「まず、お顔が素敵でしょう?」


「……ああ」


「背が高いでしょう?」


「……ああ」


「それから、声が落ち着いていて、立ち姿が綺麗で、いつも冷静で……」


「……まだ続くのか?」


「もちろんよ!」


エレオノーラは両手を組んだ。


「それにね、ちゃんと人の話を聞いてくださるの!」


ノワールの耳が、ぴくりと動いた。


「……へえ」


「私が探偵だって言っても、笑わないでしょう?」


エレオノーラは、少しだけ声を落とした。


「最初は驚いていらしたけど、事件のことをちゃんと聞いてくださったのよ」


ノワールは黙って彼女を見つめた。


「……なるほどな」


「だから、素敵な方だと思うの」


エレオノーラは、嬉しそうに微笑んだ。


「……まあ、まだ全然、私のことなんて意識してくださってないと思うけど」


「そりゃそうだろ」


「ちょっと!」


「事実だ」


「もう少し夢を見させてくれてもいいじゃない!」


そのとき、背後から声がした。


「何の夢だ?」


「ひゃあっ!?」


エレオノーラは椅子から飛び上がりそうになった。


振り返ると、レオンハルトが立っていた。


「レ、レオンハルト様!?」


「……驚かせたか?」


「い、いえ! 全然!」


心臓が壊れそうなほど鳴っている。


聞かれた!?


どこから!?


お顔が素敵ってところから!?


それとも、声が落ち着いていてってところ!?


エレオノーラは必死に平静を装った。


「な、何かご用でしょうか!」


「いや。伯爵から、君がこちらにいると聞いた」


「お父様が?」


「ああ。客人に紹介したかったようだが、姿が見えなかったのでな」


「まあ!」


エレオノーラは慌てて立ち上がった。


「す、すぐ参ります!」


その拍子に、ドレスの裾が椅子の脚に引っ掛かった。


「きゃっ!」


身体が前へ傾く。


転ぶ!


そう思った瞬間。


「危ない」


レオンハルトが、すっと腕を伸ばした。


エレオノーラの身体が、彼の腕に支えられる。


「…………!」


近い。


とても近い。


レオンハルトの礼服から、ほのかに清潔な石鹸の香りがした。


「大丈夫か?」


「…………」


「ウィンデルフォード嬢?」


「……は、はい!」


エレオノーラは、ようやく声を絞り出した。


「だ、大丈夫です!」


「そうか」


レオンハルトは、彼女がしっかり立ったことを確認してから、そっと手を離した。


「足元には気をつけることだ」


「……はい」


エレオノーラは、真っ赤になった顔を隠すように俯いた。


……どうしよう。


今、支えてくださった。


しかも、すごく自然に。


まるで小説の王子様みたいだったわ……!


ノワールが、椅子の上から冷ややかに見ていた。


「……椅子に負ける探偵って、どうなんだ」


エレオノーラは、笑顔のまま猫を睨んだ。


⸻


それからしばらくして。


晩餐会の料理が運ばれ始め、会場は再び賑やかになっていた。


焼きたての肉料理。


香草を添えた魚料理。


色とりどりの野菜。


そして、甘い香りを漂わせる焼き菓子の数々。


エレオノーラは、目を輝かせた。


「まあ! 美味しそう!」


「エレオノーラ」


セシリアが静かに声を掛けた。


「落ち着きなさい」


「……はい」


エレオノーラは、背筋を伸ばして椅子に座った。


その隣では、ヴィクトリアが優雅にナイフとフォークを動かしている。


「ウィンデルフォードさん」


「はい?」


「先ほど、レオンハルト様とずいぶん親しそうにお話ししていらしたわね」


エレオノーラは、危うくスープをこぼしそうになった。


「そ、そうですか!?」


「ええ」


ヴィクトリアは、何でもないことのように続けた。


「ですが、あの方はどなたに対しても礼儀正しい方ですもの。勘違いなさらない方がよろしいですわよ」


「……勘違い?」


「ええ。親切にされたからといって、特別な意味があるとは限りませんもの」


エレオノーラは、少しだけ眉を下げた。


……それは、分かっているわ。


でも。


「……私、勘違いなんてしてません」


エレオノーラは、静かに答えた。


「ただ、素敵な方だと思っているだけです」


ヴィクトリアは、一瞬だけ目を丸くした。


「……そう」


そして、ゆっくりと扇を閉じた。


「それなら、よろしいですわ」


二人の間に、何とも言えない沈黙が流れた。


……気まずい。


エレオノーラは、そっとスープを口に運んだ。


そのとき。


「……あら?」


会場の照明が、わずかに揺れた。


シャンデリアの灯りが、一瞬だけ暗くなる。


「……?」


エレオノーラは天井を見上げた。


すぐに、元の明るさへ戻る。


気のせいかしら。


近くの給仕も、少しだけ天井を見上げていた。


だが、誰も特に気にする様子はない。


エレオノーラも、すぐに料理へ視線を戻した。


⸻


食事が一段落すると、招待客たちは再び展示室へ向かい始めた。


「もう一度、あのダイヤモンドを見たいわ!」


エレオノーラは、嬉しそうに歩き出した。


「さっき見ただろ」


ノワールが肩の上で呟く。


「何度見ても綺麗なものは綺麗なのよ!」


「……そうかよ」


展示室の入口では、警備員たちが招待客を案内していた。


「どうぞ、足元にお気をつけください」


その声に、エレオノーラは顔を上げた。


「あっ!」


見覚えのある若い警備員だった。


昼間、廊下で話した青年である。


「こんにちは!」


青年は、少しだけ驚いたように顔を上げた。


「……これは、お嬢様」


「また会ったわね!」


「ええ。今夜は何かとご縁があるようですね」


エレオノーラは、にっこり笑った。


「警備のお仕事、お疲れ様!」


「ありがとうございます」


青年は丁寧に一礼した。


「ダイヤモンドは、もうご覧になりましたか?」


「ええ! とっても綺麗だったわ!」


「それは何よりです」


「あなたは見た?」


「……ええ。少しだけ」


「綺麗でしょう!」


「確かに、見事な宝石ですね」


青年は穏やかに微笑んだ。


「ですが、私はこうして皆様が楽しそうにしていらっしゃる方が、ずっと嬉しいですよ」


「まあ!」


エレオノーラは感心した。


「本当に素敵な警備員さんね!」


青年は、小さく笑った。


「光栄です」


ノワールは、エレオノーラの肩の上で静かに青年を見つめていた。


やがて、青年は一歩横へ退いた。


「どうぞ、お楽しみください」


「ありがとう!」


エレオノーラは元気よく答え、展示室へ入っていった。


⸻


展示室には、すでに多くの招待客が集まっていた。


ガラスケースの中では、『月光の雫』が変わらぬ輝きを放っている。


エレオノーラは、うっとりと眺めた。


「……やっぱり綺麗ねえ」


「お前、何回言うんだ」


「だって、本当に綺麗なんだもの!」


そのとき。


ぱちっ。


小さな音がした。


「……え?」


天井の灯りが、わずかに揺れた。


そして。


ふっ。


突然、展示室が暗闇に包まれた。


「きゃあっ!」


「何事だ!?」


「灯りが!」


あちこちから悲鳴が上がる。


エレオノーラは、思わずノワールを抱きしめた。


「ノワール!?」


「落ち着け、エリー!」


「だ、だって真っ暗よ!」


「分かってる!」


暗闇の中で、何かが小さく擦れるような音がした。


続いて、誰かの靴音。


「皆様、その場を動かないでください!」


警備員の声が響いた。


「すぐに灯りを戻します!」


エレオノーラは、息を潜めた。


一秒。


二秒。


三秒。


そして。


ぱっ!


天井の灯りが、再び点いた。


「……ああ!」


招待客たちが、安堵の息を漏らす。


エレオノーラも、ほっと胸を撫で下ろした。


「びっくりしたわ……」


「……ああ」


ノワールは、腕の中から周囲を見回していた。


そのときだった。


「……な、ない!」


誰かの震える声が響いた。


「ダイヤモンドが……!」


エレオノーラは、はっと顔を上げた。


展示ケースの前で、宝石商のアーネストが青ざめている。


「……月光の雫が、ない!」


「……え?」


エレオノーラは、ガラスケースを見た。


そこには。


青いビロードの台座だけが残されていた。


先ほどまで眩い光を放っていた巨大なダイヤモンドが、跡形もなく消えていたのである。


「…………!」


展示室が、騒然となった。


「盗まれたのか!?」


「そんな馬鹿な!」


「誰か、扉を確認しろ!」


警備員たちが慌ただしく動き始める。


しかし、展示ケースの鍵は、しっかりと掛かったままだった。


ガラスにも、傷一つない。


「……どういうこと?」


エレオノーラは、呆然と呟いた。


「鍵が掛かっているのに……」


ノワールが、低い声で答えた。


「……妙だな」


そのとき、展示室の入口から、レオンハルトが姿を現した。


「何があった?」


「レオンハルト様!」


エレオノーラは、思わず駆け寄った。


「ダイヤモンドが消えたんです!」


レオンハルトは、すぐに展示ケースへ視線を向けた。


「……なるほど」


彼の表情が、引き締まる。


「警備責任者は?」


「は、はい!」


一人の警備員が進み出た。


「扉は?」


「消灯中も、警備員が配置についておりました!」


「誰か外へ出たか?」


「いいえ! 誰も!」


レオンハルトは、静かに頷いた。


「まずは出入口を確認しろ。招待客を無理に動かすな」


「承知しました!」


エレオノーラは、そんな彼の姿を見つめた。


……格好いい。


こんなときでも、落ち着いていらっしゃるなんて。


「エリー」


ノワールが、耳元で囁いた。


「……今は見惚れてる場合じゃねえぞ」


「……はっ!」


そうだった!


事件よ!


しかも、目の前で起きた事件!


エレオノーラは、勢いよく顔を上げた。


「レオンハルト様!」


「何だ?」


「私にも、調べさせてください!」


レオンハルトは、彼女を見た。


「……君が?」


「はい!」


エレオノーラは胸を張った。


「私、探偵ですから!」


レオンハルトは、少しだけ考えた。


そして、静かに頷いた。


「……現場を荒らさないこと。それが条件だ」


「はい!」


エレオノーラの瞳が、ぱっと輝いた。


「ありがとうございます!」


ノワールが、小さく溜息をついた。


「……まずは落ち着けよ」


⸻


エレオノーラは、展示ケースの前にしゃがみ込んだ。


「……うーん」


ガラスは割れていない。


鍵も掛かったまま。


台座の上には、宝石が置かれていた跡が残っている。


「……不思議ねえ」


「……ああ」


ノワールは、彼女の肩から床へ飛び降りた。


「ちょっと下を見てくる」


「お願い!」


黒猫は、展示台の下へするりと潜り込んだ。


エレオノーラは、ケースの周囲を注意深く眺めた。


そのとき。


「……あら?」


台座の足元に、何か白いものが落ちている。


ほんの少し。


まるで、粉をこぼしたような跡だった。


「……何かしら、これ」


エレオノーラは、そっと顔を近づけた。


指で触れようとして、思いとどまる。


……駄目だわ。


現場を荒らしちゃいけないって、レオンハルト様に言われたもの。


彼女は、床に落ちた白い粉をじっと見つめた。


「ノワール、ちょっと来て!」


「何だ?」


黒猫が、展示台の下から顔を出した。


「ここ、何か落ちてるの」


ノワールは鼻を近づけた。


「……粉だな」


「それは見れば分かるわよ!」


「じゃあ、聞くな」


「もう!」


エレオノーラは頬を膨らませた。


そのとき、背後から鋭い声が響いた。


「……ちょっと、お待ちなさい!」


振り返ると、ヴィクトリアが警備員たちに囲まれていた。


「わたくしを疑っていらっしゃるの!?」


「い、いえ、その……」


警備員の一人が、困ったように口ごもる。


「ただ、消灯の直前、展示ケースのすぐ近くにいらっしゃったと伺いまして……」


「それが何ですの!?」


ヴィクトリアは、怒りに頬を染めた。


「宝石を見に来たのですから、近くにいるのは当然でしょう!」


「ですが、その手袋が……」


エレオノーラは、はっとした。


ヴィクトリアの右手の手袋。


その指先に、小さな裂け目ができていた。


「……あら?」


エレオノーラは首を傾げた。


ヴィクトリアは、悔しそうに唇を噛んでいる。


「これは、先ほど扇の金具に引っ掛けただけですわ!」


「しかし……」


「わたくしが盗みなどするわけありませんでしょう!」


周囲の招待客たちが、ひそひそと囁き始めた。


「まあ、フェルンウィック侯爵家の……」


「まさか……」


「でも、あの手袋……」


ヴィクトリアの顔色が、みるみる青ざめていく。


エレオノーラは、思わず立ち上がった。


「ちょっと待ってください!」


全員の視線が、彼女へ集まる。


エレオノーラは、ヴィクトリアの前へ進み出た。


「手袋が破れているだけで、犯人だなんて決めつけられません!」


「ウィンデルフォードさん……?」


ヴィクトリアが、驚いたように目を見開いた。


エレオノーラは、真剣な顔で続けた。


「だって、まだ何も分かっていないでしょう?」


「……ですが、お嬢様」


警備員が困ったように言う。


「消灯直前に近くにいたのは、事実でして……」


「それなら、ほかにも近くにいた人はいるはずです!」


エレオノーラは、展示ケースを指さした。


「それに、鍵が掛かったままなのに、どうやって宝石を取り出したんですか?」


警備員は、言葉に詰まった。


「……それは」


「そこを調べないと、犯人なんて分からないわ!」


展示室が、静まり返った。


ヴィクトリアは、しばらくエレオノーラを見つめていた。


やがて、小さく呟く。


「……あなた、どうして」


「え?」


「どうして、わたくしを庇うんですの?」


エレオノーラは、不思議そうに首を傾げた。


「だって、まだ犯人じゃないでしょう?」


「……そうですけれど」


「それに、ヴィクトリア様は少し意地悪だけど、泥棒をするような方には見えませんもの!」


「…………」


ヴィクトリアの表情が固まった。


「……少し意地悪?」


「……あっ!」


エレオノーラは、慌てて口を押さえた。


しまった!


思ったことが、そのまま出ちゃった!


「ち、違うんです! そういう意味じゃなくて!」


「どういう意味ですの!?」


「ええと……!」


ノワールが、足元で小さく呟いた。


「……お前、本当に口が先に動くな」


「うるさいわね!」


「……誰に言ってますの!?」


「い、いえ! 何でもありません!」


ヴィクトリアは、しばらく呆れたように彼女を見つめていた。


そして。


「……ふふっ」


小さく笑った。


エレオノーラは目を丸くした。


「……ヴィクトリア様?」


「いいえ。何でもありませんわ」


ヴィクトリアは、扇を開いた。


「……あなた、本当に変わった方ですわね」


「そうかしら?」


「ええ。とても」


その声は、先ほどより少しだけ柔らかかった。


⸻


騒ぎが落ち着いた頃。


エレオノーラは、もう一度展示ケースの前へ戻った。


「……うーん」


鍵は掛かったまま。


ガラスも無傷。


誰も外へ出ていない。


それなのに、ダイヤモンドだけが消えている。


「……どう考えても、おかしいわ」


ノワールが、隣で尻尾を揺らした。


「おかしいのは確かだな」


「ねえ、ノワール」


「何だ?」


「さっきの白い粉、何だと思う?」


「さあな。石か、漆喰か……」


「……漆喰?」


エレオノーラは、ふと顔を上げた。


どこかで。


今日、どこかで、似たようなものを見た気がする。


白い粉。


ほんの少しだけ、指先についていた……。


「…………あれ?」


エレオノーラは、ゆっくりと目を見開いた。


廊下。


警備員。


丁寧な挨拶。


そして、濃紺の制服。


……そういえば。


あの人の手袋にも、白いものがついていなかったかしら?


エレオノーラは、はっと顔を上げた。


「……ノワール!」


「何だよ」


「私、ちょっと確認したいことがあるの!」


「……何を?」


エレオノーラは、展示室の入口へ視線を向けた。


「昼間に会った、あの警備員さん!」


ノワールの金色の瞳が、細くなった。


「……あいつか」


「ええ!」


エレオノーラは、ぎゅっと拳を握りしめた。


「もう一度、お話を聞いてみなくちゃ!」


【後編へ続く】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。