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may探偵伯爵令嬢エレオノーラの事件簿〜助手は喋る黒猫、恋のお相手は公爵様!?〜  作者: 伊織
第2話:主演女優が消えました!犯人は幽霊ですか!?
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後編:幽霊の招待を暴きます!



「……この劇場って、幽霊が出るのかしら……!?」


ベルフォード大劇場の舞台裏。


薄暗い廊下の突き当たりで、エレオノーラ・ウィンデルフォードは壁の通気口を見つめていた。


夕暮れが近づき、窓から差し込む光はすっかり弱まっている。


石造りの壁には冷たい空気が漂い、遠くから聞こえる舞台稽古の音が、妙にくぐもって響いていた。


そして、その隙間を縫うように。


かすかな歌声が聞こえてくる。


美しく、澄んだ女性の声だった。


けれど、周囲には誰もいない。


「……ねえ、ノワール」


エレオノーラは肩に乗せた黒猫を、恐る恐る見つめた。


「幽霊って、歌を歌うものなの?」


ノワールは金色の瞳を細めた。


「俺に聞くな」


「だって、あなたは喋る猫じゃない!」


「喋る猫と幽霊に何の関係があるんだよ」


「同じ不思議な存在でしょう!?」


「一緒にするな」


ノワールは呆れたように尻尾を揺らした。


「それより、よく聞いてみろ」


「……え?」


「声が壁の向こうから聞こえてるだろ」


エレオノーラは通気口へ耳を近づけた。


確かに。


歌声は、壁の奥から響いていた。


しかも、よく聞くと微かに反響している。


「……壁の向こう?」


エレオノーラは、ゆっくりと顔を上げた。


「もしかして、この向こうに部屋があるのかしら?」


「調べてみりゃ分かるだろ」


「……そうね!」


エレオノーラは勢いよく頷いた。


「幽霊だって、居場所くらいあるはずだもの!」


「……まだ幽霊を疑ってるのかよ」


⸻


「地下の稽古場、ですか?」


劇場の事務室で、若い事務員が首を傾げた。


エレオノーラは勢いよく頷いた。


「ええ! この劇場に、地下室はないかしら?」


「ございますが……」


「やっぱり!」


エレオノーラは目を輝かせた。


「そこに、誰かいるかもしれないの!」


事務員は困惑したように眉を寄せた。


「ですが、地下の古い稽古場は、もう何年も使われておりません」


「どうして?」


「湿気がひどく、壁も傷んでおりますので。今は物置代わりになっているはずです」


「……なるほど」


エレオノーラは顎に手を当てた。


古い地下室。


使われていない稽古場。


そして、通気口から聞こえる歌声。


「……そこへ案内してもらえる?」


「ええ、構いませんが……」


事務員は不安そうに言った。


「ただ、古い扉は建て付けが悪くて、外からは開けにくいんです」


エレオノーラは胸を張った。


「大丈夫よ!」


そして、得意げに微笑んだ。


「私、名探偵ですもの!」


肩の上のノワールが、小さくため息をついた。


「……扉と推理力に何の関係があるんだ」


⸻


地下へ続く階段は、舞台裏のさらに奥にあった。


狭い石段を下りるにつれ、空気がひんやりと冷たくなっていく。


壁には古いガス灯が取り付けられ、弱々しい炎が揺れていた。


湿った石の匂いが鼻をくすぐる。


「……何だか、本当に幽霊が出そうね」


エレオノーラは、そっとノワールを抱き寄せた。


「おい。爪を立てるな」


「だって怖いんだもの!」


「お前が先頭を歩くって言ったんだろ」


「名探偵にも怖いものくらいあるわよ!」


ノワールは、諦めたように尻尾を揺らした。


やがて、階段の先に古びた木製の扉が現れた。


扉の表面には細かな傷が走り、蝶番には赤茶色の錆が浮いている。


エレオノーラは、そっと耳を近づけた。


……聞こえる。


あの歌声だ。


「……ここだわ」


エレオノーラは息を呑んだ。


そして、扉を叩いた。


コン、コン。


「……誰か、いませんか?」


返事はない。


もう一度、少し強く叩く。


「すみません! 探偵のエレオノーラ・ウィンデルフォードです!」


歌声が、ぴたりと止まった。


沈黙。


やがて。


「……探偵?」


かすかな女性の声が聞こえた。


エレオノーラは目を見開いた。


「……いた!」


ノワールが耳元で呟く。


「……幽霊じゃなさそうだな」


「まだ分からないわよ!」


「喋ってるだろ」


エレオノーラは慌てて扉へ向き直った。


「大丈夫です! 怪しい者ではありません!」


「……探偵が地下室の扉を叩いてる時点で、十分怪しいだろ」


ノワールの呟きは、幸い相手には聞こえなかった。


しばらくして、扉の向こうから足音が近づいてきた。


ぎい、と軋む音が響く。


古い扉が、ゆっくりと開いた。


そして。


「……あっ!」


エレオノーラは、思わず声を上げた。


そこに立っていたのは、銀色の長い髪を持つ美しい女性だった。


白い肌。


疲れたような瞳。


それでも、立ち姿には舞台女優らしい気品が漂っている。


「……セレスティーヌ・ロシュフォールさん!?」


女性は、驚いたように目を見開いた。


「……どうして、私の名前を?」


「私、あなたを捜していたんです!」


エレオノーラは、ぱっと顔を輝かせた。


「見つけたわ!」


そして、思わず両手を上げた。


「やったぁ! 名探偵、大成功!」


ノワールが、ぼそりと呟いた。


「……まだ何も解決してねえぞ」


⸻


古い稽古場には、埃を被った椅子や譜面台が並んでいた。


壁際には古い舞台幕が積み上げられ、天井近くの通気口からは微かな光が差し込んでいる。


セレスティーヌは、その部屋の隅に置かれた椅子へ腰を下ろした。


「……ご心配をおかけして、申し訳ありません」


彼女は疲れたように微笑んだ。


「でも、どうしても怖くて……」


エレオノーラは向かいの椅子に座った。


「脅迫状のことですね?」


セレスティーヌは、はっと顔を上げた。


「……ご存じなの?」


「ええ。支配人さんから伺いました」


セレスティーヌは、膝の上でぎゅっと両手を握りしめた。


「初日の舞台に立つな。さもなくば、命はない……」


震える声だった。


「最初は、悪質ないたずらだと思ったんです。でも、だんだん怖くなってしまって……」


「それで、ここに隠れたんですね」


「ええ。昔、よく一人で歌の練習をしていた場所なんです。ここなら誰にも見つからないと思って」


エレオノーラは、静かに頷いた。


「……手紙は、いつ見つけたんですか?」


「一昨日の朝です。楽屋の鏡台の上に置かれていました」


「そのあと、どうしました?」


「すぐに支配人へ相談しました。そうしたら、手紙は自分が預かるから、ほかの人には話さないようにと言われて……」


「……ほかの人には?」


「ええ。騒ぎになると公演に影響するから、と」


エレオノーラは手帳に書き留めた。


『脅迫状は一昨日の朝』


『支配人が保管』


『口止めされた』


そして、顔を上げた。


「クラリスさんとは、最近よく喧嘩していたそうですね?」


セレスティーヌは、少し驚いた顔をした。


「……あの子と?」


「ええ」


セレスティーヌは、ふっと微笑んだ。


「……あの子は、才能があります」


「……え?」


「まだ荒削りですけれど、舞台に立つと誰よりも輝くんです」


その声には、温かな響きがあった。


「ただ、少し頑固で……私の言うことを、なかなか聞いてくれなくて」


エレオノーラは、思わず笑みを浮かべた。


「……クラリスさんも、あなたを尊敬しているみたいですよ」


「……そうなの?」


「ええ。口では文句ばかりでしたけど」


セレスティーヌは、小さく笑った。


「……あの子らしいわ」


エレオノーラは、ふと真剣な顔になった。


「ところで、最近、クラリスさんが誰かと揉めているのを見ませんでしたか?」


セレスティーヌは少し考えた。


「……そういえば」


「何か?」


「支配人と、言い争っていたことがあります」


エレオノーラのペンが止まった。


「……支配人さんと?」


「ええ。帳簿の数字が合わないとか、修繕費がおかしいとか……」


「……帳簿?」


「詳しいことは分かりません。でも、クラリスは昔、家の商売を手伝っていたことがあるそうで、劇場の事務仕事も時々手伝っているんです」


エレオノーラは、ゆっくりと頷いた。


「……なるほど」


胸の奥で、何かが引っ掛かった。


脅迫状。


クラリスの鞄。


支配人。


そして、帳簿。


まだ一つにはつながらない。


けれど、無関係とも思えなかった。


⸻


セレスティーヌを事務員に託し、安全な場所で休んでもらうことにしたエレオノーラは、再びクラリスの控室へ向かった。


舞台裏の廊下には、夕方の薄暗さが忍び寄っていた。


壁のガス灯が一つ、また一つと灯され、劇場は昼間とは違う表情を見せ始めている。


控室の扉を叩くと、クラリスが顔を出した。


「……またあなた?」


「ええ!」


エレオノーラは勢いよく頷いた。


「セレスティーヌさんを見つけたわ!」


「……え?」


クラリスの表情が変わった。


「本当!?」


「ええ。無事よ!」


「……よかった」


クラリスは、ほっと息を吐いた。


その肩から、力が抜ける。


エレオノーラは、少しだけ微笑んだ。


「……やっぱり、心配していたのね」


「……当たり前でしょう」


クラリスは、照れ隠しのように顔を背けた。


「……それで、もう一つ聞きたいことがあるの」


「何?」


「劇場の帳簿についてよ」


クラリスの表情が、ぴくりと動いた。


「……帳簿?」


「ええ。修繕費がおかしいって、支配人さんと話していたそうね」


クラリスは、しばらく黙っていた。


そして、部屋の奥へ歩いていく。


引き出しから、小さな手帳を取り出した。


「……これ」


エレオノーラは受け取った。


そこには、日付と金額が細かく書き込まれていた。


『舞台床板修繕費』


『照明設備修理費』


『地下稽古場補修費』


どれも、かなり大きな金額だった。


「……これ、何?」


「劇場の帳簿から、私が写したものよ」


クラリスは真剣な顔で言った。


「事務仕事を手伝っていたとき、妙な支出がいくつもあったの」


「……妙な支出?」


「ええ。修理した覚えのない場所に、修繕費が計上されていたのよ」


エレオノーラは、はっとした。


「……地下稽古場?」


「そう。あそこなんて、何年も使っていないでしょう?」


エレオノーラは、思わず手帳を見つめた。


さっきまで、セレスティーヌが隠れていた場所だ。


壁は傷み、扉の蝶番は錆びついていた。


とても、大金をかけて補修したようには見えなかった。


「……これ、本当に工事したのかしら?」


「私もそう思ったの。それで支配人に聞いたら、余計なことを調べるなって怒鳴られて……」


クラリスは唇を噛んだ。


「それから、事務仕事を任されなくなったのよ」


エレオノーラは、ゆっくりと顔を上げた。


「……ありがとう、クラリスさん」


「……え?」


「大事なことを教えてくれたわ」


⸻


エレオノーラは、舞台の大道具を管理している職人を訪ねた。


作業場には木材の匂いが漂い、壁には鋸や金槌が整然と掛けられている。


年配の舞台職人は、突然の訪問に目を丸くした。


「……地下稽古場の修繕?」


「ええ。最近、工事をしましたか?」


「いや、してねえな」


職人は首を振った。


「少なくとも、この一年は手を入れてねえよ」


「外の業者さんが来たことは?」


「ねえな。工事があれば、俺たちにも連絡が来るはずだ」


エレオノーラは、手帳に書き留めた。


『地下稽古場、修繕なし』


『外部業者の出入りもなし』


さらに、彼女は舞台で使う小道具についても尋ねた。


「血の付いた手袋が見つかったんですけど……」


「血?」


職人は眉を寄せた。


「舞台用の血糊じゃねえのか?」


「……血糊?」


「ほら、芝居で怪我をしたように見せるためのやつだよ」


職人は棚から小瓶を取り出した。


中には、赤黒い液体が入っていた。


エレオノーラは目を見開いた。


「……これ!」


楽屋で見つけた手袋の染みと、よく似た色だった。


「手袋を警察の方に調べてもらえば、分かるかしら?」


「そりゃ、調べりゃ分かるだろうさ」


エレオノーラは力強く頷いた。


「ありがとう!」


⸻


次に、エレオノーラは劇場の事務室へ向かった。


若い事務員は、まだ机に向かって書類を整理していた。


「あの、少し聞いてもいい?」


「はい、先生」


(……先生!)


エレオノーラは一瞬だけ頬を緩めた。


だが、すぐに真剣な表情へ戻った。


「クラリスさんの控室の鍵についてよ」


「……鍵、ですか?」


「ええ。昨日、支配人さんが予備鍵を借りていたわよね?」


事務員は頷いた。


「はい。午後二時に」


「その時間、クラリスさんは舞台で稽古していたそうなの」


「……そうでしたか」


「支配人さんは、何のために鍵を借りたの?」


「衣装の点検だと伺いました」


エレオノーラは、少し考えた。


「……衣装の点検って、普通は誰がするの?」


「衣装係のマチルダさんです」


「……そうよね」


エレオノーラは、ゆっくりと頷いた。


「貸出帳を見せてもらえる?」


事務員は少し迷ったが、帳面を開いた。


そこには、確かに記録が残されていた。


『昨日 午後二時』


『クラリス・ヴェルナー控室 予備鍵』


『借用者 ヴィクトル・ハーグレイヴ』


エレオノーラは、その文字をじっと見つめた。


前編で見た、支配人の署名。


あのときは、何とも思わなかった。


けれど、今は違う。


(……クラリスさんの鞄に、誰かが紙を入れたのだとしたら)


(鍵を持っていた人なら、できるわよね……?)


エレオノーラは、ゆっくりと手帳を閉じた。


「……ありがとう」


そして、静かに息を吐いた。


「少しずつ、分かってきたわ」


⸻


ヴィクトル・ハーグレイヴ支配人の事務室には、重厚な木製の机が置かれていた。


壁には劇場の歴代公演のポスターが飾られ、棚には分厚い帳簿が並んでいる。


窓の外では、夕暮れの王都にガス灯が灯り始めていた。


ヴィクトルは机の向こうに座り、穏やかな笑みを浮かべていた。


「……先生。何か進展がございましたか?」


エレオノーラは、ゆっくりと頷いた。


「ええ。セレスティーヌさんを見つけました」


「……何ですって?」


ヴィクトルの表情が変わった。


「ご無事なのですか?」


「ええ。怪我もありません」


「それは……何よりです」


ヴィクトルは胸を撫で下ろした。


エレオノーラは、その様子を静かに見つめていた。


そして。


「……支配人さん」


「はい?」


「いくつか、確認したいことがあるんです」


エレオノーラは手帳を開いた。


「まず、クラリスさんの控室から見つかった脅迫状の下書きについてです」


「……ええ」


「クラリスさんは、自分のものではないと言っています」


「しかし、彼女の鞄から見つかったのでしょう?」


「そうです。でも、誰かが入れた可能性もあります」


ヴィクトルは眉を寄せた。


「……誰かが?」


エレオノーラは頷いた。


「昨日の午後二時、支配人さんはクラリスさんの控室の予備鍵を借りていますね?」


ヴィクトルは、一瞬だけ目を細めた。


「……衣装の点検のためです」


「ええ。そう伺いました」


エレオノーラは、落ち着いた声で続けた。


「でも、衣装係のマチルダさんに確認すれば、本当に点検が必要だったか分かります」


ヴィクトルは黙っていた。


「それから、劇場の帳簿です」


エレオノーラは、クラリスの手帳を開いた。


「地下稽古場の修繕費が計上されています。でも、舞台職人さんは、この一年間、修繕工事はなかったと証言しています」


ヴィクトルの表情が、少しずつ硬くなっていった。


「……何が言いたいのですかな?」


エレオノーラは、まっすぐ彼を見つめた。


「支配人さん。私は、あなたが何かを隠しているのではないかと思っています」


「……失礼な!」


ヴィクトルは声を荒らげた。


「証拠もなく、私を疑うのですか!?」


エレオノーラは、少しだけ肩を震わせた。


だが、目を逸らさなかった。


「……いいえ」


彼女は、静かに首を振った。


「まだ、あなたが犯人だと決めつけるつもりはありません」


ヴィクトルは、わずかに目を見開いた。


「……何?」


「でも、確かめなければならないことが、たくさんあります」


エレオノーラは、手帳を閉じた。


「脅迫状の原本も、帳簿も、予備鍵の貸出記録も。全部、警察の方に調べてもらいます」


ヴィクトルは、しばらく黙っていた。


やがて、低い声で言った。


「……お好きになさるといい」


エレオノーラは、静かに頷いた。


「ええ。そうします」


⸻


その頃。


劇場の上階にある回廊では、一人の青年が静かに立っていた。


レオンハルト・グレイヴェル公爵。


王室直属の特別捜査官である。


彼は、警備の確認を終え、階下の事務室へ続く廊下を歩いていた。


その途中、半開きになった扉の向こうから、若い女性の声が聞こえてきた。


「……まだ、あなたが犯人だと決めつけるつもりはありません」


レオンハルトは、足を止めた。


聞き覚えのある声だった。


エレオノーラ・ウィンデルフォード。


一週間前、婚約指輪の事件で出会った、騒がしい伯爵令嬢。


彼は、静かに耳を傾けた。


「でも、確かめなければならないことが、たくさんあります」


その声には、迷いがなかった。


レオンハルトは、わずかに目を細めた。


(……なるほど)


最初に会ったときは、ただの夢見がちな令嬢だと思っていた。


しかし、彼女は自分の推理に飛躍があると気づけば、立ち止まることができる。


そして、相手がどれほど立派な人物であっても、必要な確認を怠らない。


(……少しは、探偵らしくなったようだな)


レオンハルトの口元に、ほんのわずかな笑みが浮かんだ。


だが、彼は声を掛けなかった。


今は、彼女自身の事件なのだから。


青年は静かに踵を返し、廊下の奥へと歩いていった。


⸻


その後、事件は王都警察局へ引き継がれた。


警察は劇場の帳簿を詳しく調べ、実際には行われていない修繕工事の請求書を複数発見した。


請求書に記載された業者の住所には、該当する会社が存在しなかった。


さらに、劇場の資金の一部が、ヴィクトル個人の口座へ流れていたことも判明した。


「……そんな」


知らせを聞いた劇団員たちは、言葉を失った。


ヴィクトルは最後まで関与を否定した。


しかし、帳簿の不自然な記録と関係者の証言から、警察は彼を資金横領の疑いで身柄を拘束した。


脅迫状の筆跡や予備鍵の使用状況についても、引き続き調査が進められることになった。


そして、クラリスへの疑いは晴れた。


⸻


翌日。


ベルフォード大劇場には、華やかな音楽が響いていた。


赤い絨毯の上を、正装した貴族たちが歩いていく。


劇場の入口には豪華な馬車が次々と到着し、王族を迎えるための警備兵たちが整然と並んでいた。


客席には、期待に満ちたざわめきが広がっている。


そして。


舞台の幕が、ゆっくりと上がった。


『月影の姫君』


主演は、セレスティーヌ・ロシュフォール。


銀色の髪を美しく結い上げ、淡い青のドレスを纏った彼女は、舞台の中央に立っていた。


澄んだ歌声が、劇場いっぱいに響き渡る。


客席は、静まり返った。


誰もが、その歌声に聞き入っていた。


舞台袖では、クラリスがじっとセレスティーヌを見つめていた。


その目には、憧れと、少しの悔しさが浮かんでいる。


やがて、セレスティーヌが舞台袖へ戻ってきた。


「……クラリス」


「……何よ」


「昨日は、心配をかけたわね」


クラリスは、少しだけ顔を背けた。


「……本当よ」


そして、小さく呟いた。


「……もう、勝手にいなくならないでよね」


セレスティーヌは、優しく微笑んだ。


「ええ。約束するわ」


二人は、ほんの少しだけ笑い合った。


⸻


その夜。


王都ベルフォードの商業街。


パン屋の二階にある小さな探偵事務所では、エレオノーラが満足そうに椅子へ腰を下ろしていた。


窓の外では、ガス灯が柔らかな光を放っている。


階下からは、焼きたてのパンの香りが漂ってきた。


「……ふふふ」


エレオノーラは、事件記録の手帳を開いた。


『第二の事件 主演女優失踪事件』


その下に、大きな文字で書き込む。


『主演女優、無事発見!』


「……完璧だわ!」


エレオノーラは、満足そうに頷いた。


机の上では、ノワールが丸くなっていた。


「……どこが完璧なんだよ」


「何よ!」


「幽霊が出るって大騒ぎしてただろ」


「だって、あんな地下室から歌声が聞こえたら、誰だって幽霊だと思うわよ!」


「普通は地下室に誰かいると思うだろ」


「……細かいことは気にしないの!」


エレオノーラは、ぷいっと顔を背けた。


ノワールは、呆れたように目を細めた。


「……まあ、今回はよくやったんじゃねえか」


「……え?」


エレオノーラは、思わず振り返った。


「いま、褒めた!?」


「……気のせいだ」


「褒めたわよね!?」


「うるせえな」


エレオノーラは、満面の笑みを浮かべた。


「ふふっ! やっぱり私、名探偵の才能があるのね!」


「……調子に乗るなよ」


「もうっ!」


そのときだった。


コンコン。


事務所の扉が叩かれた。


「エリーちゃん! お手紙が届いてるよ!」


階下から、マーガレットの元気な声が響いた。


「はーい!」


エレオノーラは椅子から立ち上がった。


扉を開けると、白いエプロン姿のマーガレットが封筒を手に立っていた。


「ほら、あんた宛てだよ。立派な封筒じゃないか」


「まあ! ありがとう、マーガレットさん!」


エレオノーラは封筒を受け取った。


厚手の上質な紙。


裏には、ウィンデルフォード伯爵家の紋章が押されている。


「……あら?」


エレオノーラは目を丸くした。


「実家からだわ!」


「そうかい。じゃあ、あたしは下に戻るよ。お腹が空いたら、パンを食べにおいで」


「ありがとう!」


マーガレットはにっこり笑い、階段を下りていった。


⸻


エレオノーラは机に戻り、封筒を開いた。


中には、上品な筆跡で書かれた手紙が入っていた。


差出人は。


セシリア・ウィンデルフォード。


エレオノーラの五歳年上の姉だった。


「……お姉様からだわ!」


エレオノーラは、嬉しそうに手紙を広げた。


『親愛なるエレオノーラへ』


『あなたが探偵事務所を開いてから、しばらく経ちましたね。きちんと食事は取っていますか? 夜更かしばかりしていないでしょうね。』


「……うっ」


エレオノーラは、思わず目を逸らした。


「……どうして分かるのかしら」


ノワールが机の上から覗き込んだ。


「……何だ?」


「お姉様からのお手紙よ」


エレオノーラは、続きを読み始めた。


『さて、今度、伯爵家で晩餐会を開くことになりました。あなたも必ず出席なさい。』


「……晩餐会?」


エレオノーラは首を傾げた。


『今回は、我が家と長年取引のある宝石商が、非常に珍しい品を手に入れたそうです。』


『その品のお披露目も兼ねた晩餐会となります。』


「……宝石?」


エレオノーラの瞳が、きらりと輝いた。


さらに、次の一文を読んだ瞬間。


「……えええっ!?」


彼女は、勢いよく立ち上がった。


『今回披露されるのは、これまで王都でもほとんど例のない、巨大なダイヤモンドです。』


「……巨大なダイヤモンド!?」


エレオノーラは、思わず声を上げた。


「ノワール! 聞いて!」


「……聞こえてるよ」


「巨大なダイヤモンドですって!」


彼女は胸の前で両手を組んだ。


「どれくらい大きいのかしら!? 卵くらい!? それとも、もっと!?」


「……そんなに大きかったら、値段もとんでもねえだろうな」


「きっと、ものすごく綺麗なんでしょうね……!」


エレオノーラは、うっとりと目を細めた。


頭の中には、眩い光を放つ巨大な宝石が浮かんでいた。


シャンデリアの光を浴び、七色に輝くダイヤモンド。


それを囲む、華やかな貴族たち。


そして、もしかしたら。


「……レオンハルト様も、いらっしゃるかしら……!」


エレオノーラの頬が、ほんのり赤く染まった。


「ふふふ……! 楽しみだわ!」


ノワールは、机の上で大きく伸びをした。


そして、何気ない調子で呟いた。


「……こういうのは大抵、怪盗に盗まれるのがオチだよな」


「……え?」


エレオノーラは、きょとんとした。


「怪盗?」


「巨大な宝石のお披露目なんて、いかにも狙われそうだろ」


「……まさか!」


エレオノーラは笑った。


「そんなこと、あるわけないじゃない!」


「……そうかねえ」


ノワールは、意味ありげに金色の瞳を細めた。


エレオノーラは、もう一度手紙を見つめた。


そして、満面の笑みを浮かべた。


「とにかく、晩餐会が楽しみだわ!」


窓の外では、王都の夜が静かに更けていく。


ガス灯の光が石畳を照らし、遠くで馬車の車輪が音を立てていた。


エレオノーラは、まだ知らなかった。


その巨大なダイヤモンドを巡って、近いうちに新たな事件が起こることを。


【第2話 完】

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