ライ麦畑
それから十一日後、ようやく私が賜った領地へと到着した。一か月……いや、実際は回り道をしたので王都を出てから三十七日ほど経っていた。
領主の館がある場所まではここから二時間ほど掛かるそうだ。
馬車を降り、領地を眺める。何もない広大な土地が広がる。この距離からでもくっきり見える雲を突く山々は、エルダ地方と魔族領を遮るものだ。エルダ地方はこの山に囲まれた場所にあるため、基本的に安全な領地だ。
ここは、ランカスター公爵家が代々受け継いだが、辺境すぎるためか元父の代からはほぼ放置されているといっても過言ではない地域だ。資料によると、先代の公爵の時に一週間ほど南西にある海沿いの地域のオリド子爵領がエルダ地域の購入を申し出たとあったけど……先代ランカスター公爵はそれを却下していた。理由は示されていなかった。
この山は西に隣接する辺境伯の領地の途中まで伸びている。ティアの父親の男爵の領地はさらに西にあり、そちらはどうやら魔族との交流が暗黙の了解であるようだ。
子供たちというと……その適応力が凄い。エリアスともあっという間に仲良くなっていた。よかったのが、エリアスの口数がそのおかげで増えたことだ。
ティアが笑いながら言う。
「やはり子供同士で遊ばせるのが一番ですね」
「この調子なら、エリアスが癒えるのも早いかもね」
草原でシャーロットとエリアスと共に追いかけごっこをしていた双子が私に手を振る。
「ししゃくさま~」
双子はなぜか私に懐いている……何故なのかは分からない。
(それは、絶対オリビアの魂の匂いがいいからだから!)
(ディーネじゃないんだから、匂いフェチじゃないわよ)
辺りを見回し深呼吸をする。王都に比べると綺麗な空気だ。
「しかし、想像していたより長閑……というかこの辺は本当に何もないわね」
「ここから一時間ほど進めば、ライ麦畑が広がっています」
珍しくマイルズが答える。
「久しぶりの故郷なのよね?」
「はい……六年ぶりです」
久しぶりの故郷のはずなのに、なんだかマイルズの顔は浮かなかった。
「何かあるの?」
「私は四男で、兄たちを優遇する親とはあまり折り合いがよくなくて。手紙を書こうにしても、両親も兄たちも字が読めないので……久しぶりだと思うと、緊張してしまい」
マイルズはアントンに誘われて王都の学園の授業料免除の試験を受けたという。二人は村で唯一学園に通った者から読み書きを覚え、王都で働き口を紹介され他のち、三年掛けて入学試験に向けて勉強したそうだ。
アントンからの情報だと、住み込みで働いていた場所での扱いが酷くマイルズは以前よりもさらに無口になっていったという。二人は一緒に苦労してきた分、学園に入ってからは共に成功したいという思いも強かったようだ。
「故郷に帰ることになってしまったけど……いまさらながらそれでよかったの?」
「申し訳ありません。故郷に戻るのが嫌というわけではありません。ただ仕送りもできなかったので……私はいない息子になっているかと」
ああ、そういうことか。オリビアも父親に相手されていなかったので、マイルズの思いに共感するところはある。
マイルズの丸くなった背中を軽く叩く。
「マイルズ、あなたは今、子爵に仕えているのよ。背筋を伸ばしなさい! 今のあなたを認めない家族なら、それは彼らの損失だから」
「は、はい!」
マイルズが笑顔を見せる。これもレアだ。
それから馬車で揺られること一時間、マイルズが言ったようにライ麦畑が見えてきた。あと数週間もすれば、一帯が黄金色になる季節だ。ただ、畑を有効活用していないのかライ麦はまばらだ。
――数年後、この畑を含めたすべての国のライ麦が病気に侵される。
下手したら、それはもう始まっているかもしれない……。
シナリオのライ麦の病気は、美香の前世の麦角病に似ているものだ。ただ、全く同じか分からない。米なら田舎で作業を手伝っていた。米にもいもち病があった。でも、あれは作物が枯れるだけで、食べたからって麦角病のように身体に害を及ぼすことはなかった。
シナリオには、黒くなったライ麦を持続的に食した人々が『聖者の火』と呼ばれる、体が焼けるように熱くなる症状に陥り、幻覚を繰り返し、最後には手足が腐るという病状を発症した。
シナリオでは、国のほとんどのライ麦が燃やされた。それが引き金となって飢饉が訪れる。
前世のライ麦や米と同じで菌が原因なら、対処法も似ているのかもしれない。
「菌が原因ならね……」
馬車の窓の前で日向ぼっこしていたダンに尋ねる。
(この栽培中のライ麦に何か異常はありそう?)
(栄養不足じゃな。地力が衰えておる)
(病気とかは?)
(病気はしてはおらんが……強くもない。だが、心配はない! ワシがすぐに土に養分を吹き込んでやるぞ!)
(ディーネもいい水撒く!)
(それは頼もしいわね。でも、やりすぎは気を付けてね)
学園の芋事件を思い出す。あんな巨大な作物は困るけど、妖精パワーで土が甦るなら使わない手はない。
後々、私はこの判断をもう少し考えるべきだったと後悔をすることになる……。




