自然な流れ
ゆらりと揺れ続ける船。
ヒュヘルムネーは個室で目を覚ました。
しばらくの間、周囲の景色を見て混乱していたが、やがて自分が日本行の船の中にいたことを思い出す。
科学文明によってなる『異世界の船』の中にいるのだと、彼女は認識していった。
(本当に『船』の中にいるんだなあ)
彼女にとって、長距離を移動する船というものは『縁のないもの』であった。
国家間を結ぶ海のインフラであり、多くの荷物を運ぶための乗り物。
あくまでも海運、あるいは遊覧のための代物である。
自分が乗り込むなど想像したこともなかった。
だが今は乗り込んでいる。
ふと光が差し込む方を見れば、カーテンごしに朝日が見えていた。
早朝である。
この船が日本本土へ到着するまで、まだ時間があった。
「う~~ん」
乙女心の小悪魔的思考回路が、結末へのルートを模索する。
船の上という限定的な空間で、芦原大和と仲を深めるべきだ。
そうするにはどうするべきか?
少なくとも接触するべきだ。
このまま放置していると、クロリスが彼との間に割って入ってくるかもしれない。
(とりあえずドアをノックしよう! 話はそれからだ!)
早朝に異性の個室へノックできるのは乙女だからであろう。
彼女は覚悟を決めて個室のドアを開けた。
「ん? おはよう」
「あ……おはよう!」
奇跡的なタイミングであった。
自分がドアを開けて出たところ、ちょうど芦原大和も外に出ていたのである。
「もう目が覚めたのか……やっぱり昨日のゲーム漬けで、神経が高ぶってたのか? 『極東』は、こう、脳に焼き付くからなあ……」
「……うん」
ヒュヘルムネーは素直に頷いた。
今目が覚めたのはたまたまだったが、確かにあのゲーム体験(未プレイ)は脳に焼き付いていた。
音楽が、画面が、生と死が。
そしてプレイしているクロリスのテンション具合が。
鮮烈に脳に焼き付いていた。
クロリスに言わせれば、それこそ音楽のパワーなのだろう。
ヒュヘルムネーは今まで全然聞いてこなかった音楽と、想像したこともないデジタル画面によって、無駄に焼き付いてしまっていた。
「なんなんだろう、あの、曲……聞いたことない曲ばっかりだったよ」
「アレはマニア向けの音楽だからな。もちろんその道では『神』なんだけど、俺もそんなには好きじゃないし、おススメもしない。だけどクロリスがアレを好きってのは、納得だけどな」
「な、納得しちゃうの?」
「俺が好きじゃないだけで、物凄くいい曲だっていうのはわかるからな。だけど、とにかく、こう、あれだ。あの画面がまだ脳と目に焼き付いているから、外に行って海でもボケっと眺めてないか?」
「うん……う、うん……うん!」
ごく自然な流れで、大和とヒュヘルムネーはフェリーの甲板、乗客が外を眺められる場所へ歩いていった。
大和に誘ってもらえたということで、彼女のテンションは大いに上がっていた。
(これこれ! 大和君はこういうところがイケメン、スパダリ! 誰にでも優しくしてくれるし、人付き合いがいいよね! 最高!)
二人は揺れる船内を歩いていき、階段を登って表に出た。
空は青く晴れ渡り、白い雲は流れ、水平線の彼方まで海が続いている。
そのロケーションで、二人はベンチに並んで座り、互いの顔を見ずに遠くを眺めた。
冬の海である。厚着をしていても少し肌寒いが、晴れているためか凍えることは無かった。
(これって、あのゲームのシチュエーションに似てる……! アレは悲恋エンドだったけど、私は、そうはならない……ゲームになぞらえつつ、話題を続けなきゃ)
互いの顔を見ないまま、拳二つ分の距離を取りつつ、ヒュヘルムネーは隣に座る気になる男子へ声をかけた。
「なんかさ、あのゲームの、イベントを思い出すよね」
「ああ。俺もそれを思い出していたよ。ちょうど、音楽も思い出せる」
「うん!」
脳内でBGMが流れていた。
きっと大和もそうなのだろう。
(これが、音楽の、パワー! 共感してる……同じ音楽が流れていると確信できるよ! これは、気持ちいいなあ……!)
「あのゲームを選んだクロリスはいいセンスをしていたよ。ヒュヘルムネーにも安心して見せられたからな」
「うん。極東は安心できなかった。私たちが個室に戻った後、クロリスは極東シリーズをクリアしたのかな?」
「どうだろうな……普通なら無理だろうけど、あの集中具合だとなんとかしそうでもあった。大昔の、純粋に日本人向けのゲームだからなあ。ナパイアイならクリアできるのかもしれない。少なくとも彼女の故郷の音楽家の多くは、あのゲームをクリアしているらしい。必修科目の一つだそうだ」
「アレをクリアするのが、音楽家の必修科目ってなんだろうね……」
「他にも超巨大ニトログリセリン七号艦っていう4クールアニメを見ることも必修だとさ。それはもう履修済みらしい」
「すごいタイトルだけど、どんなアニメ?」
「BGMがないことで有名なんだよ。それにアニメ史に残る濃い主人公が出ることでも有名でねえ」
二人はとりとめのない話をしていた。
だがやがて、自然と静かになる。
焦りのない、静かな、短い時間だった。
(いい雰囲気だなあ……)
ヒュヘルムネーは想像する。
この時、大和が自分に手を伸ばして来たらどうしよう。
自分の手を取るとか、肩に手をかけるとか、頭に手を回して引っ張ってくれるとか。
そんな少女漫画のような状況を想像する。
悪くない。
では実際に大和がそうして濃厚接触してきたら? 密な関係を求めてきたら?
それはちょっと早い気がする。
妄想するのは楽しいが、実際にやられたらちょっと嫌だと思ってしまう。
彼女は夢見がちであるが、現実と妄想の区別ができる少女であった。
(今は、これぐらいでちょうどいいよね……よね? というか、これ以上はムリ。いろんな意味で無理)
ほどなくして、甲板にはほかの乗客も上がってくる。
日が高くなり、開放感を求める人々が来ているのだろう。
わずかな喧騒も、悪い気はしなかった。
(素敵な旅だ……素敵な旅の始まりだよ。だから、帰りの船では……もうちょっと、もうちょっとだけ、距離を詰められるよね)
気分が盛り上がっていた時である。
甲板の空気が少し変わっていた。
海風の中で、数名のナパイアイの少女が楽器を取り出し、穏やかなBGMを奏で始めたのである。
ヒュヘルムネーも知っている、『二進数携行女神』の一曲。
主人公が街の中を歩いている時に流れる音楽であった。
「……おいおい」
(え?)
大和の呆れた声が聞こえた。
ヒュヘルムネーが彼を見ると、それこそオルプネやアトランティエ、エコーを見る目をしていた。
つまり本当に呆れていて、イヤそうな顔をしていたのだ。
「何がまずいの?」
「ここは普通に演奏禁止なんだよ……」
彼女らの演奏は見事であった。
だがほどなくして警備員が現れる。
彼女らの演奏を取りやめさせ、甲板から降りるように指示していた。
「ここは演奏禁止です! 注意書きにもそのように書いているでしょう」
「演奏なさりたいのであれば、多目的室をご利用ください」
「その多目的室がもう予約されていて、使用されているのよ!」
「では諦めてください」
彼女らの演奏は見事だが、彼女らを許してしまうと、他のナパイアイたちも同じように演奏を始めてしまうだろう。
そうなったら収拾がつかなくなる。
この制止は必要なものであった。
だがナパイアイの少女たちは抵抗し続けている。そうやすやすと引き下がりはしないだろう。
その気持ちはわかる。
彼女らもきっと、昨晩、『二進数携行女神』をプレイしていたのだろう。
その感動を、この青く晴れ渡った空の下、開放的に表現したいのだろう。
己の小宇宙の中の爆発を、広い世界に解き放ちたいのだろう。
だけど迷惑なので止めるしかないのだった。
「……ねえ、もしかしてなんだけどさ。クロリスが多目的室を利用して、占拠しているんじゃないかな?」
「れ、レンタルしているだけだから、占拠とは言わないんじゃないかなあ……」
もしもボタンを掛け違えていたら、クロリスがこの場でマナー違反の演奏をしていたに違いない。
そう思うと……今注意されている彼女らには申し訳ないが、よかったなあと思わずにいられない二人であった。
なお、クロリスは本当に多目的室をレンタルし、演奏をしていた模様。




