表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第二章【自由の象徴】──第二部【北の花園】
60/66

29. 名残雪

 バチバチと爆ぜる焚き火は周囲を積雪で覆われたリヴァチェスターの樹林帯において、生命線とも言うべき暖の源である。

 かじかんだ指をかざせば瞬く間に肌色を取り戻し、湿気にやられた衣服だって不快感を感じさせない程に乾燥させる。

 特に寒冷地で依頼を行う冒険者にとっては必要不可欠な代物である。

 そう例えば、夜通し見張りのために警戒する場合とかね。


「へぇ~、直感ねぇ」


「ほんとですよ? こう、ビビッてくるんです」


「すごいわねぇ~。あたしの故郷でもできる人はいないんだからぁ」


「そ、そうですか…………? でも、ちょっと早く見つけられるだけで……」


「ちょっとどころじゃないわよぉ~。それに、危険を回避するのは大事なことなのよ~? もっと自信もっていいの」


 談笑の声色はまるで小鳥のさえずりのように耳心地のいい音色だ。

 オスマンとビザンツの抜け毛を加工して作成した毛布を、テリアとアヤメの二人は肩を寄せ合って被っている。

 その両の手にはホットミルクの注がれたカップがあり、時折砂糖菓子を食み笑い合う様子はどこからどう見ても友人同士。

 因みに、砂糖を煮詰めて小さく固形にした──まあ、所謂琥珀糖というやつだ──あれはボクの口には合わなかった。

 如何せん、甘すぎる。

 アナスタシアとホロウの二人には好評が故に、余計にボクの疎外感が際立ってしまう。


 それとして、だ。

 漆黒の戸張の降りたリヴァチェスターの樹林帯は、やはりというべきか肌寒い。

 エディンまでの道すがらは経験しているはずなのに、彩りのない木々に囲まれては僅かながら寂寞感が去来する。


「あれぇ? ロムルスくん? どうしたのぉ?」


「大したことじゃないよ。ただね、時間は早いな……なんて」


「なぁに~? おセンチじゃな~い?」


「感傷に浸るのは悪くはない。ただ、縋りつかないように気を付けないと」


「まじめねぇ~。そうだ、聞いてよ~、アヤメちゃ~ん」


「ぇ、ぁ、はい……!」


 それにしても、楽しそうだな。

 くすくすと奥ゆかしく笑うアヤメの様子は、繫華街ですれ違う少女のそれだ。

 日中に見せた超人的な索敵能力や、獣相手に臆さない態度をおくびにも出さない。

 いや、違うな。

 アヤメ本来の人柄は冒険者の気質に合わない。

 新緑の双剣と行動を共にしていた間に垣間見た怯懦は、きっと彼女生来の優しさや恐怖に由来するのだろう。

 だから、彼女は危難に遭遇しても嵐が過ぎ去るまで身を縮ませるしかない。


 ボク一人では彼女の根源的な気質について見抜けなかった…………【運命識士(リードスペクター)】を閲覧し情報として理解する他にない。

 だから、この場にテリアがいてくれて心底安堵している。

 テリアの纏う雰囲気や、まるで自然に凝り固まった空気を溶解させるような声色は誰であっても毒気を抜く。

 まあ、故にこそ殺意の混在した時の彼女は空怖ろしい。

 柔和で温厚なテリアを怒らせる、その事実だけで戦慄ものだ。


「ねえ、アヤメちゃん。大事な話をしてもいいかなぁ~?」


「……? は、はい……っ!」


 矢庭に剣吞になる空気を感じて、アヤメもまた背筋が伸びる思いだろう。

 事実、彼女の表情は引き締められている。


「この依頼が終わったら~、あたしたちと一緒にこない?」


「……っ!? ぇ、でも……それは、あの、テリアさんたちの迷惑に──」


()()()()わよ。もしかして、アヤメちゃん……あたしが同情だけで誘ってるなんて思っていないわよねぇ?」


 俯き加減であったアヤメの顔を再び上げる力が、テリアの言葉にはあった。

 緩急のある彼女の口調は、聞き取りやすい言葉尻も相俟って聞く者全ての意識を集中させる。

 アナスタシアのようなカリスマ性や、ホロウのような厳俊さでもない、彼女だけの魅力だ。

 ……ボク? ボクは当たり障りのない屁理屈ばかりを捏ねるだけさ。

 まあ、詐欺師だよ。

 だから不信感を与えてしまうのだ。


 そう、ボクとは比べ物にならない説得力というものが、彼女にはある。

 だから、相手が如何に強情な相手であろうと耳を傾けてしまう。

 “オドラの邑”でもテリアは邑長たるオン相手に舌戦を繰り広げていた。


「ゃ、だって…………此方(こなた)は、何もできないし……」


 ()()()、か。

 いつだったか、カレンと言葉を交わした時もそうだった。

 身に覚えのない理不尽を受けようとも、性根の優しい者は耐え凌いでしまう。


 まるで己に非があると言わんばかりに。


「アヤメちゃん、あたしは“龍人”なの。だから、人間よりも身体機能は優れてるのよ。でも、アヤメちゃんはあたしよりもずっと凄い力をもってる」


 これは驚いた。

 あのテリアが己の出自を躊躇いもなく明かすとは。

 必要であるとわかっていても、はぐらかすだろうと思っていたが……それ程にアヤメが気掛かりなのか。


「それにね、アヤメちゃん。あたしは、アヤメちゃんが好きなの。だから、一緒にいたいって思うのよねぇ」


「……っ! テリアさん…………」


 にへらと相貌を崩したテリアの微笑は例え同性であっても惚れてしまう魅惑があった。

 “オドラの邑”でも、彼女はそうだったな。

 不確かな基盤で揺れていたホロウを繋ぎ止めて、路を示した。

 教導する立場としてではなく、隣を歩く友として。

 …………ボクには到底真似できない芸当だな。

 いや、やめよう。


 背中を押すのではなく、手を取り合って並走する強さ。

 それが、テリアの魂が成せる力なのだろう。

 だから、ボクにできなくて当然だ。


「…………時間を、ください」


「わかったわぁ~。どっちにしても~、あたしはアヤメちゃんの決断を尊重するわぁ」


「はい……っ! ありがとうございます……っ!」


 それっきり、二人は何事もなかったかのように談笑へと戻った。

 瞳を輝かせて、笑窪を浮かべて、ただこの一時を大切にしている。

 温和で、朗らかな雰囲気には覚えがある。

 成程、あれが友情。


 ボクの望み得ない関係性か。

 羨ましいと思う資格なんてない。

 この世界で、ボクは生きる道を定めた。

 アナスタシアの理想のために。

 そして、ボクは彼女と戦友ではなく協力者の立場(スタンス)で接触した。

 無論、互いの関係を見直す機会があったにも関わらず、ボクは必ず一歩退いていた。

 ホロウやテリアのように、ボクは踏み込めなかった。


 肩を寄せ合って言葉を交わす二人の様子は、ボクに一抹の不安をもたらすには十分だった。







 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐







 コトンとテーブルにグラスを置く音が異常に反響している。

 口元を拭い目線を合わせる仕草の一つ一つが異性のみならず、同性すらも虜にする蠱惑的な所作に変貌する。

 先の交渉決裂からわたくしは【悪因叛逆(マリス・リフレクター)】を活用してエディン中から情報を収集した。

 おかげで、今朝の気分は最悪だった。

 平静を取り繕ってはいるが今だって喉元まで吐瀉物がせりあがっている。

 視界は二転三転するし、吐き気は収まらず幾度も戻したし、まともに立ち歩くことさえ不可能。

 けれども、手に入った情報に見合った労力なため後悔はしていない。

 …………その分、わたくしが如何に緊張で手元が疎かになっていたのか痛感したが。

 ロムルスの冷笑を誘うには十分すぎる程に。


 さて、フェイラーだが、昨日の談合での印象通り到底領地を運営できる器ではなかった。

 経済はもとより、人心掌握から外交に至るまで無能の極みと評するのが正確だ。

 加えて、領主補佐を行うはずのバルムスがあの体たらくでは余計に望み薄と。

 では、フェイラーが即位してから途轍もない奇跡が続いていると解するのが正当かといえば…………そうでもない。

 フェイラーでも、バルムスでも、ましてやコルセロでもない。

 眼前の女性──といってもわたくしと同年か──と、その母親が辣腕の限りを尽くしているためである。


 ──マルタ=ノヴゴロド

 母親であるレイラ=ノヴゴロドが十七年間培った基盤を、三年前に彼女が死去してから引き継いで維持してきた女傑。

 咲き誇る花々のように可憐でありながら、悪手ばかりを叩き出す父親の暴走を止めていると。

 その上で、マルタの打ち出す政策の数々は正鵠を得ており、図らずもフェイラーの無能を露呈させている。


「アナスタシア様の提案書、拝見致しました」


 張り詰めた空気を和ませるかのように、柔らかい声色でマルタは口を開く。

 まるで華麗に咲き誇る花々を彷彿とさせる口調には、凡百の人間では成し得ない天性のものだ。

 無意識にも肩に入っていた力が抜ける気がする。

 ダメだな、わたくしは。

 事ここに至ってまで、まだプレッシャーと重圧に負けそうになっているなんて。

 正念場なんだ。

 気を引き締めなければ。


「お気に召したようで何よりですわ」


 経験と知識を総動員させて、わたくしは必死に紡ぐべき言葉を絞り出す。


 目線は合わせて、しかして高飛車にならないように。

 相手の言葉を引き出すように、先ずは後手に回れ。

 だが、主導権を握らせるな。

 いつだって、わたくしに有利な戦場を、わたくしが構築するんだ。


「ラヴェンナ商会ではマルタ様のご要望にお応えできるかと思いますわ」


「それは心強いですわ、アナスタシア様。けれど、十分に私は驚かされました。画期的な技術革新に加えて、利潤の割り当て、工場主への報酬まで…………本来ならば私たちの業務である範囲まで網羅しているのです。これで面食らわない方がどうかしてます」


 キラキラと輝く瞳、上擦った言葉尻、紅潮した頬。

 興奮を隠そうともしない様子に、毒気を抜かれた気分だ。

 肩肘張って、変に気負っていたわたくしがバカみたいだ。

 まるで、生娘。

 交渉の場に相応しくない純朴さは、畑を異にしているどこぞの暗殺者を想起させる。

 …………ぇ、いま、一瞬影が蠢い……気のせいだわ、うん。

 まさか、影を媒介にして思考が読めるなんて、【権能】とはいえ規格外ですもの。


「概要は記載した通りですわ。リヴァチェスターの蒸気機関技術を発展させる代わりに、フォルド領との交易、その門戸を開いていただけませんか。勿論、斡旋はラヴェンナ商会にお任せください」


「無欲なのですね、アナスタシア様。仲介料でけで満足だなんて。それに、革命級の技術者を擁していて、取るに足らない報酬で惜しみなく提供する度量にも、好感が持てます」


「革命級というと…………?」


「贔屓の工場主に図面を見せたところ、現在の技術とは飛躍しすぎていて理解できないと言われました。そして、是非とも直接会って話したいとも」


 テーブルに着席させるために技術革新の証拠を誇示する必要があったとはいえ…………ロムルス、貴方は何者なのですか?

 蒸気機関に造形の深い工場主相手に産業革命を発言させるなんて。

 あまつさえ、二つ返事で対話を渇望される。

 つくづく、味方でよかったと思うわ。


「勿論です、マルタ様。ですが……技術は無形の財産とも言いますわ」


「その言葉、貴女の技術者の言葉ですか?」


「ええ、そうなのです。妙に理論主義で、何事も理路整然としていないと気が済まない気質で」


「直情的で、下劣な輩より幾千倍もマシですわよ」


 辟易とした様子で溜息を吐くマルタ。

 その仕草ですら艶やかなのだから、もし故意ならば恐れ入る。

 それに、彼女の揶揄はフェイラーたちを指しているのだろう。

 リヴァチェスター領内で身内、それも領主と領主補佐をこけ下せるのは彼女のみだろう。


「アナスタシア様、謝罪が遅くなってごめんなさい。昨日は父と兄がご無礼を働いてしまいました」


 ふっと、マルタの様子が変わった。

 それも、微々たる変化だ。

 感情が、喜怒哀楽が大きく激情に傾く顕著なものではないけれど。

 数多の腹芸を見聞きし、看破し続けてきたからこそ、違和感を察知できた。


 とはいえ、問い質す訳にもいかない。

 当人ですら自覚のない仕草を指摘すると大抵は気分を害するものだ。

 比較的良好な関係を築けそうな彼女に、何も藪蛇を突く必要もない。


「いえ、慣れっこですわ。商界は女というだけで侮られるものです」


「ありがとうございます、アナスタシア様。そう言って頂けると幸いです。お詫びなんて形になってしまいそうで、危惧していました」


 お詫びだって…………? そういえば、彼女が個室に入室してから一度たりとも、交渉の場にはあって然るべき眼差しを感じなかった。

 値踏みするような、契約相手たる資格を有しているのか判断する視線だ。

 マルタと言葉を交わす時だって、まるで友人と他愛のない話をするような気軽さしか感じなかった。

 そもそも、眼中になければこの場に足を運んだりはしないだろう。


「……、マルタ様。まさか…………」


 気が付けば言葉が口を突いて現れていた。

 鼓動が五月蠅い、体温が急激に上がっているのが手に取るように分かる。

 わたくしの動揺に、影に潜むホロウもまた何事かと驚いているようだ。

 けれど、仕方ないじゃないか。

 そんなバカなと、そんな単純な話じゃないだろうと。

 わたくしの自制心が舞い踊りたくなる本能を叱咤している。


 しかし、けれど…………まさか。


「ええ、アナスタシア様。私、マルタ=ノヴゴロドの名において、ラヴェンナ商会との契約を正式に締結致します」


 くすりと微笑んで右腕を差し出すマルタ。

 それと同時にテーブルに提示される一枚の紙。


 間違いない。

 あれは、昨日フェイラーに渡した契約書だ。

 既にマルタの名前とリヴァチェスター領領主の判は押印されている。

 この際、如何にしてフェイラーを納得させたのかは置いておこう。

 当事者はラヴェンナ商会とリヴァチェスター領領主ではあるが、実情はラインとマルタの契約となるから。

 だが、前哨戦にして本戦であるここ一番の分水嶺が刹那で決着した形なのだ。

 困惑して当然だろう。


 まさか、何者かの【権能】で幻覚を見せられているのでは? と妄想に耽ってしまう程には、現実感がない。

 それとも、ロムルスの手の込んだ嫌がらせかと。


 けれど、わたくしは。

 ともすれば涙で滲んでしまいそうになりながらも、確かに、マルタの手を握る。


 彼女の体温を感じて、ようやく、これが現実であると確信できた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ