18. 切っても切り離せない関係……やましいとこはないよ?
嫌な予感はしていた。
お嬢様が得意げに、さも当然のように「呼ぶわ!」と大声をあげた時から……僕は気が気でなかった。
ラインお嬢様の評判は耳に入ってきている。
聞くに堪えない罵詈雑言から、囃し立てるような吟遊詩人の戯言まで。
奇特、世間知らず、高飛車娘等々。
一から十まで反論したいのは山々だけど、どれも彼女を正確に表現しているから返す言葉もない。
ラインお嬢様が奴隷身分の人々に心を痛め始めたのは、僕がフフェス人の混血だと暴露した時だった。
齢八つで次代の領主としてどこに出しても恥ずかしくない淑女に育てられたラインお嬢様が……帝国の基盤を揺るがすような思想に傾倒した。
そう、僕のせいだ。
感情は二の次で利益のみを追及する商人が跋扈する街を支配するべく、利害計算を至上と教育された彼女の価値観を僕は砕いたのだ。
ほんの出来事ですらなかった。
あの頃は、両親が立て続けに病死して心身共に弱ってた時期だったから。
代々フィリア家に仕えてきた僕の一族は、恵まれていた方だろう。
けど、どうしても切り離せなかった。
ラインお嬢様は仕えるべき主人で、気の知れた友だちや、まして自分の子などと思ってはならなかったのに。
「分かりましたわ、シャルロッタ。わたしに任せておきなさい」
同世代の他の子とは異なり発達の遅れていたお嬢様は、年不相応にたどたどしい言葉で、小さな胸を張って満面の笑みを浮かべていた。
その言葉の意味を、二年前のあの日に知るなんて。
お嬢様は利口で賢い。
発音こそ適正期を過ぎていたが、知能は優秀な御父上に肉薄する程に遺伝した。
だから、彼女は奴隷解放なんて領主になる前には一言たりとも口にしなかった。
「ずっと疑問でしたの。どうして、種族だけで差別される運命にあるのかと」
その通りだ。
僕だって苦境に吞まれる同族がいると、僕の境遇は幸運だと聞かされて育った。
でも、声にはできない。
それは偏に体制批判に値する。
危険思想の一つとして弾圧されるか、はたまた、人知れず口封じされるかだ。
ただの臣民や奴隷階級の者ですら、そうなのだから。
領主であるラインお嬢様が公的に宣言するだけで生じる波紋は計り知れない。
彼女は手始めにフォルド領における奴隷売買を全面禁止にした。
無論、当初は阿鼻叫喚非難批判の嵐であったが、商人の大半はあくまでもフォルド領は奴隷売買の中継地点であり、さしたる損害には及ばないと気が付いたためにすぐに落ち着いた。
ラインお嬢様は自前の経営手腕によるものだと鼻息を荒くしていたけれど、僕は事実を伝える気にはなれなかった。
売買禁止の令だって、せめて西側領土全域で禁止にしないと実益はない。
既に階級社会の基礎が成立している東側領土では新たな奴隷など無産市民しか源泉がないにも関わらず、西側領土は問答無用で奴隷に堕とされる種族が隠れて生活している。
奴隷市場は西側領土が専ら最前線になる、というかなっている。
けれど、ラインお嬢様は潮流の変化に気が付いていない。
同時に、それが彼女の限界だ。
フォルド領の運営に手一杯で、理想に手を伸ばすことすらままならない。
本当に奴隷制度を撤廃させたいのならば、西側領土との連携を密にして、決して気取られぬように水面下で進行させる必要がある。
でも、僕はそれでよかった。
領地運営に拘泥している内は、ラインお嬢様に積極的な行動はとれないし……その分、彼女が危険に晒される可能性は限りなく低くなる。
いつまでも、この中途半端な状況が続けばよかったのに。
「ライン、ボクは世界を変える」
誰の言葉だって? あのいけ好かない青年によるものだ。
事の発端はエルガス一派とかいう奴隷商人及び、三級傭兵の一団を捕縛した冒険者がいるという情報からだ。
きな臭さを感じた僕は辟易したけど……案の定、ラインお嬢様は躍起になって冒険者を招集した。
ヘルメス──情報を挙げた衛兵だが──を小一時間ねちねち説教したい程度には、鬱憤が溜まっていた。
ラインお嬢様の身の安全を守るのがメイドたる僕の役目だからと建前を拵えて、例の冒険者を覗き見してみた。
はしたない行動だとは分かっている。
けれど、もし彼女を本気にさせるような集団ならば……と気が気でなかった。
【監眼察目】第一段階“人行監視”。
三人までと制限はあるが、どれだけ距離があろうと現時点での行動を監視できる。
…………正直、舐めていた。
所詮は“銅”級が偶然エルガス一派に搦め手で勝利しただけだと。
いや、もう、ほんと。
訳わかんないって。
帝都守護『武将』シロイの栄光は帝都から遠く離れたこの地にも伝播している。
武術に秀でた帝国二番手の強者。
“黒鉄”級冒険者を凌駕すると言われるシロイを、あしらって、撃退するなんて。
夢物語にだって、あんな馬鹿げた話はないよ。
挙句の果てに地形まで変えられて…………あれでは迂回路を整備する必要性すらある。
兎にも角にも、僕の警戒心は一挙に上昇した。
思想犯じゃなくて、ただの危険人物だったのだから。
何度だって、手法を変えてラインお嬢様には忠告したけれど、聞き入れてもらえるわけもなく。
僕だって、もしもの時は命にかけてお嬢様を正道に戻そうと覚悟を決める他なかった。
交渉は難航すると拙いながらも、僕の経験則ははじき出した。
実際に、アナスタシアと名乗った女性の口八丁手八丁は感嘆に値するものだった。
メアリは騙りだと決めつけていたが、あながちメアリ家の出自は真実なのかもしれない。
あの美貌に、間隙を縫うような交渉術は今までに見てきた如何なる商人と比較にならない技法だ。
それだけではない。
ホロウとかいう少女の殺気は異次元だ。
ラインお嬢様だって恵まれた【権能】を磨くために数多の実力者と手合わせしてきたが、彼女ほど濃密で記憶に残る殺意は感じたことがない。
それに、退屈そうで上の空のテリアとかいう少女だって油断ならない。
ラインお嬢様の殺意と少女の殺意に混じって、機敏に反応していた。
メアリ家の女性に、怪物少女二人。
その中にあっても、白髪の青年は存在感を損なっていなかった。
だらりと垂れた薄っぺらい左腕に潰れた右眼、全身を白で包んでいる背格好。
何をとっても違和感を感じなかった。
それが、却って彼を異様だと際立たせている。
僕の警戒をよそに、彼は言い放った。
凡そ、最善と呼べる一言を。
あの瞬間、僕の懸念は現実のものとなった。
武力だけではない。
あの男は言葉をもってしても、人を圧倒できるのだと。
従者が介入するなんて禁忌を犯しても、納得させられるだけの気迫。
まるで当たり前のように、彼の言葉を受け入れてしまう。
きっと、僕には止められない。
気心の知れたお嬢様一人、足踏みさせられない僕では。
この先の流れを、せき止めるなんてできない。
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居心地の良い空間というものに、生まれてこの方ボクは無縁だった。
親族一同目の敵にされていた姉を慕うボクもまた、家族からも奇怪な存在を見るような目で蔑まれれて生きてきた。
だからなのだろう……アナスタシアと、ホロウ、テリアの三人で食卓を囲み、他愛のない話に饗する瞬間が何物にも代えがたい宝物だと思えた。
瞳には侮蔑や恐怖が混在することがなく、ほかの誰でもないボク個人を尊重してくれる。
一言交わすだけで張り裂けんばかりに鼓動は、命を巡らせる。
さて、そろそろ現実に目を向けなければならないかな?
「改めまして、アナスタシア様。概要をあなたの口で、直接伝えてくださる?」
「ええ、承知しました。まずは、こちらの略図をご覧ください」
商談。
一時はハラハラと交渉の途上を憂慮したが、フォルド領領主であるラインを懐柔することには成功した。
詳細についてはまた後日──とはいかず、早速口火を切ったラインがラヴェンナ商会の概略について問いただしたのだ。
彼女も彼女で随分と傍若無人だが、アナスタシアもまた補足資料を持ち込んでいるのだから抜け目ない。
とはいえ、アナスタシアの専門領域となれば……ボクの出る幕はない。
そして、契約相手を早々に暗殺しようなんて思考にも至らないのだから、ホロウやテリアもまた手持ち無沙汰だろう。
常時警戒していたホロウはまだしも、テリアは半ば眠る程に退屈だっただろう。
ちらと垣間見ると、数日前に確認したものと何ら変わらない概略図だった。
ラヴェンナ商会の経営方針は──清廉潔白をモットーに、顧客満足度万年一位を目指そう!──なんて
漠然としたものだ。
アナスタシアにとっては一世一代の大勝負で、そんな曖昧な方針で大丈夫かって? ああ、問題ないのさ。
何故なら、この世界では決してお目にかかれないであろう商品を扱うのだから…………既存の経営目標や戦略に囚われる必要がないのだ。
ああ、卑怯だと、無秩序だと誹りは受けよう。
だけど、背に腹は代えられないんだ。
アナスタシアには今まで苦労してきた、その分だけ幸福を味わってほしい。
そのためならば、卑怯者と、外道と甘んじて評されよう。
この世界には多分に、生活を営む上での難点が幾つか存在する。
そう、例えば、未だ松明や蠟燭に頼っていたり。
排泄処理には労力を有し、有益な香辛料だって効果的に使えず蔵の肥やしにしかなっていない。
つまり、何が言いたいかというと。
現代日本の知見や技術を持ち込もうと思い至ったのだ。
推測を交える必要すらなく、禁忌だろう。
本来ならば数百年、数千年かけて累積すべきはずの文化、その集合体を一足跳びに再現するのだから。
例えるなら、途中式を飛ばして答えだけ教えるようなものだ。
教導する者がいなくては、その先に技術の革新はなく、袋小路で停滞するのが関の山。
この地に生きる人間の全てが理解できる地盤を構築してから、徐々に慣らすように浸透させなければならない。
交易ルートやそれに準ずる商品展開はアナスタシアの手腕に一任できる。
領主という後ろ盾があれば万一の時も安全であるし、資金面で四苦八苦する必要もないだろう。
後は、現代日本の技術が歓迎されるかだが…………。
「……、素晴らしいですわ。どれもこれも、百年は先の技術に近しい………………アナスタシア様が、立案したんですの?」
「ああ、そうさ。彼女の柔軟な発想力には──っ」
「堂々と噓を吐かないでくださいっ! もう猫を被る必要はないのですよ……っ!」
「いやいやいや、そういうつもりじゃなくてでね?」
「人の手柄を自分のものだと誇張する人は好きません」
「どうだろう、ライン。あくまでもそこに記載したのは一例だ。ボクの脳内にはまだまだ良案が眠っているんだよ」
「……………………恥ずかしくないんですの?」
恥ずかしくないわけ、ないじゃないか。
良かれと思って発案者の栄光を譲ってはみたものの、お気に召さなかったらしい。
根っからの商人たるアナスタシアにとっての手柄とは、きっと己の手で成し遂げたものに限定されるのだろう。
見るからに不機嫌になった彼女は、ラインの前だというのに取り繕ってはいない。
さて、これもまた戦略なのか。
敢えて脆弱で、取っ付きやすい一面を見せることで親密に…………いや、ないな。
つんとした雰囲気からは彼女が本気で手柄を欲していないと見える。
ラインのボクを見る視線には、幾分の軽蔑も含意しているが。
格好良く彼女を魅せようとして、無様に失敗に終わる胡散臭い詐欺師。
成程、酷い絵面だ。
「さて、アナスタシア様。概要はよく理解できましたわ。商品一つとっても向こう千年は暮らしていける利益を生み出せるでしょう。加えて、このとっきょけんなる制度は、なんというか頭が上がりませんわ」
「それも全て、彼の発案です。わたくしは所詮、計画立案にしか手をだせていません」
「だとしても、ですわね。そこの従者一人では実現のできなかった商売を……土地をもてはやしていたところに、さしずめ、あなたが骨格を造ったのでしょう。そして、わたしが装飾を担当する。理想の関係だとは思いませんこと?」
「ははは、言い当て妙だね。存外、君は詩人気質なのかな?」
「あら、分も弁えず厚顔無恥な方ですわね。身の丈に合わない賞賛がちっぽけな自尊心に火をつけましたか?」
「そんなもの二束三文で売却したさ。でないと、ボクの言葉に信用はなくなるからね。もし、まだボクがそれを持ち得るのだとしたら、ボクの言葉にのせられた君はとんでもない愚か者になるね」
売り言葉に買い言葉。
本来ならば不敬も甚だしい物言いだが、ことこの場においては最適解だろう。
口を閉ざしたラインの様子を鑑みるに、敢えてボクに喋らせたと見える。
彼女にとって商売相手はアナスタシアだが、賛同者はボクだ。
志を同じくするから文句なしにすぐさま味方……とはいかない。
背中を預けるにたる存在なのか、ラインは選別しているのだ。
「いいでしょう、ロムルスといいましたわね? 前衛的な発案に相応しい、斬新で突拍子のない方ですのね」
「その方が君も血肉湧き踊るだろう? 沸々と薪をくべて育ててきた火種を燃え上がらせるための発火材としては、ね」
「…………俄然、興味が湧きましたわ。ロムルス様」
「身に余る光栄だね、ライン。ボクも君と出会えてよかったと思うよ」
互いに笑顔を交わす。
交差するのはただの友好に収まらない。
盛衰を共にする相手として、彼女はボクを妥当な相手だと認めたのだ。
アナスタシアの理想とボクの野望。
決して手放すことのできない願望を胸に、ボクたちはようやく一歩を刻めたのだ。




