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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第二章【自由の象徴】──第一部【比翼連理】
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15. 次なる一手

 申し分程度の窓から照りつける陽光、小鳥の囀、徐々に膨れ上がる街の喧騒、鼻孔をくすぐる朝食の香り。

 上機嫌のあまり懐かしき故郷の歌でも口ずさんでしまう。

 素晴らしきかな世界。

 断言しよう、現状、ボクはこの世界で最も幸福な人間だ。

 何故って? ああ、いいだろう、ボクの気が済むまで延々と説明してあげよう。

 昨晩のことだ。

 あの時のボクはどうかしていたよ。

 まさか、あのアナスタシアが、利害計算だけでボクを捨てるなんて…………そんな馬鹿な話があるわけないじゃないか。

 それどころか、なんと彼女はボクが必要だと、だからこそ改めて協力してほしいと律儀にも誓いを立てたのだ。

 力を貸させてほしいと、そう願うのはボクの役目だというのに。

 まったく、生きていて良かったと己を褒め称えたい。

 ボクという存在は、アナスタシアにとって代替不可能な唯一無二のパーツであると、他でもない当人から伝えられた。


 言葉を紡ぐ彼女の姿……月光に照らされて、星々を背にした比類なき艶美。

 極寒の氷山でさえ瞬時に溶かすであろう春光が如き微笑、『女神』なんて霞んでみえる黄金の艶麗。

 脳裏に焼き付けるだけでは物足りない。

運命識士(リードスペクター)】に複写して永久保存すべき愛らしさには、二の言を告げられなかった。

 かつての世界にも美を象徴する神は何柱か存在したし、心を震わせる程に感涙する事象に対して尽くすべき言葉は数多あったさ。

 然れども、それでは不十分なのだ。

 画竜点睛を欠くなどというけれど、そんな小さな描画一つの話をしている訳ではない。

 詰まる所、存在しないのだ。

 アナスタシアという女性を、その存在を賞賛して当てはめるべき枠は。

 凡そ人間の想像力や表現力では形容できない、動と静を内包した一種の背徳感すら感じさせるアナスタシアの絶佳は、ボクが語るには力不足だし烏滸がましい。

 是非とも、彼女に会って、言葉を交わして欲しいものだ。

 一日でいい、それで彼女の魅力は十分に伝わるだろう。

 永劫の時があろうが語り尽くすことのできない色香を、豊艶さを理解できるから。

 更に、恐ろしいことに……高潔な精神は理解力を焼き切る(ショート)させる無類の信念を表しているのだ。

 わかるかい? ただでさえ美しさという一点では右に出る者のいない中、廉直な信念と不撓不屈の信条すら人を惹きつける。

 完璧、完全、無欠、無敵。

 世界の十全を表す言葉は全て、彼女に用意されているのでないか? と疑うことなく理解できる。

 そう、これがアナスタシアという女性で、ボクは彼女に必要であると──


「いや、これ以上はやめておこう。共依存なんて目も当てられない」


 昂った本能を鎮静しよう。

 アナスタシアとボクはパートナー。

 だが、そこに理想の実現以外の不純物は望み得ない。

 確かに、アナスタシアはこの世に二人と存在しない完成された人間だが…………だからといって、ボクまでもが同じ視座にいるわけではない。

 依然として、ボクは汚泥を啜るケダモノだ。

 “私”を殺し、己さえ勘定から度外視する。

 ヒトとしては欠陥で、獣としては不備がある。

 そんな存在が、まさかアナスタシアと同等なはずがない。


 ボクは変わらず彼女の力となれるように細心の注意を払っておけばいいのだ。


「それはとそれとして、嬉しいものは嬉しいね」


「…………貴様の感情などどうでもいいが、その胃液が逆流しそうになる笑顔はやめてくれ」


「おや、それは失敬」


 寝起きだというのに緩みを感じさせないホロウの言葉は刺さる。

 彼女が起床したのならば、残りの二人もそろそろ目の覚める頃合いだろう。

 彼女の言葉通りならば、ボクは昨晩の記憶に浸って気分を害する面持ちをしていたはず。

 うん、起き抜けには最悪だ。

 平静を取り繕おうじゃないか。


 得意だろう? 仮面を被るのは。


「ホロウ、あと十分程待っていてくれ。朝食の準備をしよう」


「大それたものか。卵と肉を焼く程度だろう」


 それだけ吐き捨てるとホロウはすぐに自室へと引きこもるために、階段を登って行ってしまった。

 ボクたちの借りた宿屋は近代日本でいうところの一棟借りのようなものだ。

 木造の三階建て。

 一階にはドヴァーラヴァティと荷台を置くスペース、玄関があり、二階にはリビングにあたる共有部──ボクが作業しているキッチンもある──三階には各々の個室が。

 アウグリュニー入領初日の宿屋では手狭な上に、表参道に近すぎた。

 一日中テリアが酷く苦しむために多少の出費には目を瞑り貸借したのだ。

 幸い、資金に不安はなかった。

 おかげで、テリアの顔色は元に戻り、完全回復したのだろう。

 つくづく彼女が“龍人”であることを痛感した。


「さて、こんなものか」


 目算ではあるがボクだって経験を積んだ。

 四つの目玉焼きと薄くスライスされたハムの焼き加減を見誤るなんてドジは踏まない。

 昨日、ギルドからの帰り道に購入しておいたブレッドと共に盛り付ければ、立派な朝食だ。

 アナスタシアへの賛美を紡いでいた間にも準備を進めていたのだから、既に慣れた作業だと言えるだろう。


 さて、()()()を如何に切り出すか…………憂鬱だ。







 ❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐❏❐







 ごとりと石臼のようなカップが木製の机に置かれた。

 隠す気のない驚愕が滲み出ている気がしてならないが、彼女には嚥下してもらう他ない。

 時刻は昼時前。

 一家団欒なんて様相ではないが、それでも一冒険者パーティーにはない和気藹々とした朝食だったと思う。

 問題はその後だ。

 優雅で楽しいはずのティータイムが、衝撃と目を疑う事実の前に吹き飛んだのだ。


「いま、何て言ったのかしらね~? ロムルスくぅ~ん、もういちど最初っから言ってみて~」


 “龍気”が漏れ出ている。

 テリアの琥珀色の瞳はボクに釘付けだ。

 無論、悪い意味で。

 “オドラの邑”から持参した数少ない私物──白い石臼を彷彿とさせるやや不格好なコップ──を八つ当たり気味にたたきつけた所からも、彼女の困惑は十分に伝わっている。

 ウェーブのかかった薄桃色の髪を揺らし、白色のショートブーツを履いた足をプラプラと規則的に揺らしている。

 すらりとした健康的な脚を惜しみなく晒し、白のショートパンツ、髪色と同じ薄桃色のチュニックブラウスと大人びた色香の中に子どもらしさを感じさせる絶妙なファッションだ。


 テリアだけではなく、アナスタシアもまた目を丸くして身を固めている。

 ストレートヒールに、ワンピースタイプの純白のドレス──スリットが入っているため艶やかな脚線美を誇らしげに晒している──雪色のショールと簡素ながらも単一性を我が物としている。

 衝撃から立ち直れずに若干、間の抜けた表情を晒す彼女にも隠しきれていない美しさがある。


 とはいえ、いつまでも見惚れている訳にはいかない。


「ああ、順を追って説明しよう。先ずは、シロイと契約を締結した後から──」


 ボクの全霊と引き換えにシロイは二言を告げることもなくフォルド領から去った。

 だが、問題が全て片付いたとは、到底言えなかった。

 シロイの登場は良くも悪くも異例(イレギュラー)なのだ。

 環境破壊そのものを行って小山を消滅させたボクは、カルメルとの交渉を完結させるべくギルドへと戻った。

 帝都守護に脅されてボクたちを誘き出すしかなかったからこそ、彼はあれ程に挙動不審だったのだと。

 そう、ボクは勝手に結論付けていた。

 誤りではなかったさ。

 ギルドに戻り、落ち着いて話ができると彼は息を吐いていたからね。

 けれども、正しくもなかった。

 彼の懸念材料はまだあったのだ。


 それが──


「それが、()()()()()()()()()()()なのですか……っ?」


 半ば絶叫に近しいアナスタシアの(可愛らしい)悲鳴に、ボクは神妙な面持ちで相槌を打つ。

 カルメルは帝都守護とフォルド領領主との間で板挟みにあって、右往左往していただけなのだ。

 ただでさえ、“銅”級冒険者が“魔獣”の素材を持ち込むとかいう前代未聞の状況にも関わらず。

 哀れ、カルメル。

 頑張れ、カルメル。

 きっと、今頃は肩の荷が下りたと安堵していることだろう。

 ことの顛末を伝え終えた時の表情など、時効スレスレの重大事件を自供した容疑者のような開放感すら感じられた。

 まあ、ボクらに重荷を押し付けただけなのだが。


「ロムルスくぅ~ん? また何かやらかしたなんじゃな~い?」


「待ってくれ、テリア。今回ばかりは、ロムルスに非はない」


 何気によく似合うジト目で問い詰めるテリアを止めたのは、あろうことかホロウだった。

 まさか、彼女に援護してもらえる日がくるなんて…………感動だね。

 ブラウンのショートブーツに、脚全体をタイツで覆い、漆黒のショートパンツ、黒のノースリーブのシャツに紺色のジャケットを羽織っている。

 いついかなる時も全身を影に潜められるように寒色で統一している姿には、彼女の暗殺者としての矜持を感じられる。


「こいつが『武将』の戦闘中に謝られたんだ。つい数日前に冒険者ギルドを訪れるであろう“銅”級冒険者を招待しろと命令を受けたらしい…………恐らく、吾たちがフォルド領の関所で止められたことと、関係があるかもしれない」


「ふぅ~ん。まっ、ホロウちゃんがそう言うなら~、お咎めなしで納得してあげる~」


「ありがたき幸せだよ、テリア」


「ホロウちゃんに免じてよ~。それと、ロムルスくんはもぉ~っと言い訳しなきゃダメよぉ~」


「はは、肝に銘じておくよ」


 ふっと空気が軽くなった気がする。

 テリアが“龍気”を収めたのだろうが、話をしている最中は気が気でなかった。

 正真正銘、“龍人”である彼女の“龍気”はボクのような“霊力”との混ざりものではない真正ものだ。

 常に喉元にナイフを突きつけられているような、少しでも口を滑らせれば搔っ切るぞと脅されているような。

 とにかく、納得してもらえてよかったよ。


「アナスタシア、どう思う?」


「漠然としているわね…………ホロウ、カルメルは他に何か言っていたかしら?」


「いや、奴も要件までは知らないらしい」


「胡散くさぁいってもどかしいのねぇ~」


 考え込むアナスタシアの思考は光の如く加速していることだろう。

 ホロウはカルメルとの会話を思い出すのに必死で、テリアは思考をアナスタシアへと一任している様子だ。

 沈黙の支配する中、微かな街の喧騒だけがいやに耳に響く。


 どの程度経っただろうか。

 ふとアナスタシアが口を開いた。


「ホロウ、面会の日程はいつかしら」


「三日後の昼時だ」


「アナスタシアちゃん、カルメルとかいう人を信じるの~?」


「信じるも信じないもないわ。真実なら無視できるものではないし、虚偽であっても()()はたてられる」


 波風だって? 疑問符を浮かべるホロウやテリアと同様に彼女の言わんとしている所が不透明だ。

 少し、状況を整理する必要があるようだ。


 現状、カルメルが噓を吐くメリットはない。

 だが、テリアが彼を疑うには十分な理由がある。

 一領地の領主が名前を使って人を招待するにあたって、書状の一つも用意しないはずがないためだ。

 カルメルは口伝で命令が下ったというが、その信憑性すら疑わしい。

 彼がボクたちを嵌めるために領主の命令とでっち上げたという方が…………多少は吞み込みやすい。

 もし、本当に領主ともあろう者が書状を準備せずに、口命令一つで何者かを誘致できる思っているなら。

 その領主は余程の世間知らずか、常識知らず、はたまた傲岸不遜な居丈高(いたけだか)な人物だろう。

 つまり、カルメルの謀略である可能性が高く、何をしかけてくるか不明だが罠である…………まさか?


「まさか、アナスタシア……」


「ええ、ロムルス。貴方の思っている通りですよ」


「……ははっ、本領発揮だね。こんな、論理(ロジック)は思いつかないよ」


「……っ、持ち上げすぎです」


 頬を朱に染めてそっぽを向くアナスタシアの照れる姿は、悪辣非道の政治家でさえ真っ青な策謀を思い至った者には到底見えない。


「おい、ロムルス。お前たちは何をしようと……?」


 思わずといった形でホロウが問いかける。

 テリアも同様に口元を尖らせて説明を求めている。


「簡単だよ。カルメルが真実を口にしているなら、それでいい。要件は何であれ、ボクたちの商会を立ち上げる目的に、領主を巻き込む端緒を得られるのだから」


「もし噓であった場合でも、問題ないのよ。カルメルは帝都守護を退ける武力を誇るロムルスという兵器を目の当たりにしている…………なら、正面から力任せの脅迫をするはずがない」


「だとすれば、彼が講じられる手段は一つだけなんだ」


「冒険者としてのわたくしたちを潰す……彼の立場なら造作もないでしょうね」


「確かに、ボクたちは最低階級で“魔獣”を討伐して、素材を持ち込んだ。不正を疑うのは必然で、彼が付け込めるのはここだけだ」


「けれど無駄なのよ。ホロウ、テリア、思い出してほしいのだけれど、わたくしたちの身の潔白を証明する人たちが、このフォルド領にはいるでしょう?」


 合点がいったと首肯する二人の脳裏にはカレンたちの姿があることだろう。


「「つまり、嵌められたなら…………それを逆手にとって領主共々、責任問題を追及すればいい(のよ……ッ!)」」


 詰まる所、カルメルにボクたちを罠に嵌めるメリットはない。

 ならば、取れるべき手段も必然、少なくなる。

 何をしでかそうとも、ボクたちは領主を話の土俵に上げさえすればいい。

 後は心象を操作して目立たせればいい。


 なんてってたって、ボクたちの目的は()()()()()()()なのだから。


 知名度こそ経済においては必須。

 禁じ手とされる炎上商法を、かのアナスタシアは選択したのだ。

 きっと、彼女のことだ。

 ギルドマスターに嵌められた被害者としての噂を広めることだろう。

 直接、取引に関係しないのならば、知名価値(ネームバリュー)は決定的な武器になる。


「流石はアナスタシアだ。下劣で卑怯だけれど、合理的だ」


「どこかの『悪人』さんに感化された影響ですね。人の感情は二の次だって言ってくれた彼に感謝しないといけませんね」


 はははは、うふふふふふ、と。

 互いに乾いた笑いをもって立案を祝福する。


「……類は友を呼ぶ、か。お前たちは性格が悪すぎる」


「どうかぁ~ん。どっちもどっちよぉ~」


 二人が何やら言っているが、失敬な。

 作戦を立案したのはアナスタシアで、確かにボクも思い至ったが…………始めたのはアナスタシアだ。

 まあ、きっと彼女も同じことを思っているのだろう。


 …………形容が、できない。

 何か暖かいものが、ボクの胸を占めた。


 ああ、これは忘れてはならないものだ。

 直感でしかない。

 それでも、貴重なものだ。


 だって、()()は……………………(あの人)といた時に、味わったものであるから。

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