16. 乾坤一擲
街の喧騒が頂点に達する時間だ。
執務室から見下ろすとそこかしこで取引が行われている。
愛しの……とまではいかない。
良くも悪くもフォルド領の街々は実力主義だ。
競争に敗北すれば転落一筋の末路が待っている。
日々変動する潮流を見誤れば玄人だろうが大損害を被るし、商人になって数日の新人があれよあれよという間に億万長者にすらなりえる。
それが、フォルド領。
お父様は賢者が得をして愚者が損をする仕組みを誇っていた。
わたしだって、一概に否定する気はない。
努力家が成功を掴む構図には諸手を挙げて賛同しよう。
だけど、それではチャンスすら得られない人々は、そもそも救済の糸を掴めないじゃないか。
「お嬢様、ご到着されました」
「…………シャルロッタ、あなたはどう思いますの?」
問うのは数日前にギルドマスターから通達された“銅”級冒険者について。
門衛所にてロンディーン領から突如として表れ、その実情を湯けむりが如く欠片も見せない四人組。
長らく領主であるわたしの権限をもってしても検挙には至らなかった奴隷商らを、さも簡単に引き渡した存在。
わたしの理想に使えるのではないか? と思って招集を命じたが…………さて、英断であったか、はたまた愚行か。
「噤ませて頂きます」
返答はせずに恭しく礼をするシャルロッタ。
断言はしない、例え主にそう命じられても曲げない彼女の信条だ。
メイドとしては美徳だと思う。
けれど、友だちとしては? 家族としては? わたしは全ての決断を私一人でしなくてはならない。
常に心細さが付きまとう。
それでも、わたしは領主だから。
フォルド領で生活する人々の命を背負っているのだから。
燻る期待に胸を躍らせて。
されど表情には一切出さずに、笑顔の鉄仮面を被りなおす。
多々疑念を感じる点はあるけれど、その功績は無視できるものじゃない。
もう、目の前だ。
この扉を開けた先に、この応接間の中に、停滞していた歴史を変える者がいるのだ。
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既に応接間に案内されてから十分が経過していた。
二十畳はあるであろう室内を見渡すと一目で高価だとわかる骨董品の数々が視界に入る。
赤いカーペットに、調度品であろうシックな木製の机。
沈み込でしまいそうなソファーは四人で座っても尚広い。
視線を右隣にずらすと凛とした表情で微動だにしないアナスタシアの姿が。
左隣にはホロウが腕を組んで瞠目し、更に奥にはテリアが物珍しそうに忙しなく視線を行き来させている。
三者三様。
ただ眺めているだけで実に面白い反応を見ていられる。
とはいえ、いつまでもお気楽気分ではいられない。
ここは相手の土俵だ。
あえて焦らされているのだとは分かっている。
だからこそ、アナスタシアは感情の一切を表に出していない。
「……アナスタシア、君は──」
「そのまま口は閉ざしていてください」
アナスタシアは視線を片時もボクに合わせることなくぴしゃりと言い放つ。
場違いな発言であったとは思うが、辛辣に過ぎるのではないかと思う。
もう少し、優しくしてくれてもいいじゃないか…………いや、テリアからの視線が痛い。
どうやら一文の得にすらならない無駄口だったらしい。
それにしても、遅い。
沈黙の時間を享受する身にとっては我慢の限界が近い。
テリアがね、断じてボクではないよ?
招集の件を会議した日から三日あまり。
ボクたちはできる限りの準備を整えた。
アナスタシアの商会立ち上げに際する諸々の手続き──例えば、現時点で想定している交易ルートであったり商品の内容、規模の大小等を必要以上に根掘り葉掘り聞かれて、ようやく許諾が下りた──や、テリアの装備を一通り揃えた。
勿論、これから会談をする相手の情報もかき集めた。
さて、ボクが手持ち無沙汰のあまり指折り念入りな準備の数々を列挙する前に、控え目ながらもよく響くノックの音が耳朶を打った。
瞳を閉じていたホロウの眼光も油断なく見開かれているあたり、ここからが正念場といったところだろう。
「失礼致します、アナスタシア様御一行。領主様の入室です」
重厚な扉を開いて応接間に足を踏み入れた女性は、一言で表すなら良家の令嬢だ。
鈍色の金髪を腰までストレートに流し、蒼色のドレスはふわりと唐傘のように膨れている。
自信に満ちた笑みを携えてはいるが、粗野な感想を見る者に抱かせない気品を感じる。
この世界の基準は知らないが、百人中百人が美形と答える容貌は正面から視界に収めると、より際立つ。
彼女こそ、フォルド領領主──ライン=フォン=フィリアだ。
帝国建国当時から西側領土、特にここフォルド領を統括してきた“フィリア家”の当代当主。
多数の有力貴族が虎視眈々と領主の座を狙っているマルド・プール領とは異なり、フォルド領では“フィリア家”の世襲制だ。
なるべくしてなった為政者であるラインだが、果たして彼女はボクたちの利となるのか否か。
この会談で見極める必要がある。
「お初にお目にかかりますわ、冒険者様。わたくはライン=フォン=フィリア、フォルド領の領主をしております」
ドレスの端をちょんと摘まみ、恭しく一礼をして座すまでの一連の動作は酷く流麗に練り上げられていて、彼女が礼節を細胞の一つ一つに染みこませているのが分かる。
根っからのお嬢様に仕立て上げられたのだろう。
背筋は定規を当てたように直線で、さりげなく置かれたティーカップに手を伸ばして喉を潤す姿など絵画のモデルにピッタリだ。
……それはそれとして、まだボクたちの自己紹介が終わっていないのに紅茶を飲むとは如何に? 既知だから別に聞かなくても問題ないですわとか思っているのだろうか?
どうにも舐められているように感じるが、もしやこの世界の貴族では常識…………ではないようだ。
ボクには分かる。
ピクリとも動いてはないが、『女神』の微笑を、慈愛を感じさせる裏でキレている。
どうやら、互いの紹介が終わる前のお口直しは問題大有りらしい。
とはいえ、侮蔑を受けて欠片も表情に出さないなんて、やはりアナスタシアは一段上手だ。
「こちらこそ、貴重なお時間を頂きまして感謝しています。改めまして、わたくしはアナスタシア=メアリと申します」
かちゃりとも音を立てずにカップを置いたラインの行動を認知したから、矢庭に立ち上がったアナスタシアは僅かに膝を曲げて左腕を曲げ、右手でスカートの端と摘まむような動作をした。
これが、貴族の作法らしい。
ボクとて由緒正しき空間に放り込まれる覚悟はある。
アナスタシアにマナーを叩き込んでもらった。
顔合わせの際には、招いた側が応仰に、招かれた側が真摯に。
名を名乗ると同時にお互いの立場を弁えているのだと暗黙のうちに承知するのだ。
故に、ラインがこちらの名乗りを待たずに座って、あまつさえティータイムに移った時は衝撃だったが。
「そして、こちらがわたくしの仲間でございます。右から順に、ロムルス、ホロウ、テリアと申します」
従者は口を挟まない。
これもまた、この世界の礼節だ。
主導権を握るのは代表ただ一人。
だからこそ、冒険者に限らず、商会同士の会合であっても言葉を交わすのは代表のみ。
如何に有能な部下を従えていたとて、代表が無能であればいとも容易く淘汰される。
無論、代表一人が有能であれ、追随する者がいなくては早々に潰れるらしい。
……故に、スウィツァー商会はアナスタシアとハギンズの二人でバランスが成り立っていた。
話にきくハギンズの能力に、はてさてボクは並び立てるか。
彼女を支えるに足る補佐ができるだろうか。
長らく抑圧してきた不安が首をもたげる気分だ。
「よろしくお願い致しますわ。本題に入る前に、あなた方の功績を称えましょう。シャルロッタ」
いつの間にやら、紺色メイド服を着た橙色のメイドさんが重厚な箱をどかりと置いた。
そして、何の衒いもなく開けると、目の眩むような金貨がぎっしりと詰め込まれているではないか。
ホロウなんて目を見開いてその金額に愕然としている。
見たところによると全て金エールだ。
ざっと、三百金エール…………三千万エールだって? アウグリュニーの豪邸を購入して余りある金額じゃないか。
「光栄でございます。ですが、功績とは一体何を指し示しているのでしょう?」
「決まっていますわ。奴隷商エルガス一派の捕縛。わたしを筆頭に、フォルド領の衛兵は彼らに不信感を抱いていましたの」
「左様ですか。では、四割程を謹んで受け取りたいと思います。六割はカレンたち……基い、奴隷にならざるをえなかった彼らにお渡しください」
「……そう、あなたがそう言うのなら、仕方ないですわね。シャルロッタ、分けてくれるかしら」
アナスタシアの言葉は本心だろう。
カレンたちがこの先の人生で金に困ることのないように。
幾分か構いすぎな気もするが…………彼女たちは相応の扱いを受けてきた。
多少の贔屓は許されるだろう。
それにしても、流石の一言に尽きるな。
あの金額に目も暮れず、ラインの好意を無碍にせずに要望を通した。
ボクなんて衝撃に固まってしまったのに。
やはり、交渉の場は彼女の独壇場だろう。
【運命識士】があるボクが交渉を担当しないことに疑問を抱いたかい?
簡単さ、ボクでは相手の神経を逆撫でしてしまうのが目に見えているからさ。
“未来視”とは便利なようで、使いどころを選ぶ。
なにせ、確定した“未来”を基盤として話を展開すれば、相手は掌で踊らされる感覚…………つまりは不快感を覚える。
相手を服従、支配したい時は有効だが。
今回のように対等で清廉潔白な協力関係を築きたい場合は、逆効果だ。
こと此度は、アナスタシアに一任する他ない。
「情報に違わぬ人物ですわね、アナスタシア様。ギルドマスターの言説には些か疑念がありましたが、先程の決断、御見それ致しましたわ」
「過分な評価、身に余る光栄です」
どうやら、カルメルは噓偽りなく領主様の伝令を果たしただけのようだ。
つまり、これはれっきとした貴族との会談で、商会の後ろ盾となってもらうための戦場だ。
アナスタシアも同様に肌で感じたらしく、身を引き締めている……はずだ。
なにせ自然な笑みを装う姿は、あまりにも素面に偽装させ過ぎて判断がつかない。
ボクは彼女の自然体を知っているから、隣で穏やかな雰囲気を醸し出す姿が造り物だとわかる。
しかして、彼女をよく知らない人物なら、見誤るのもおかしくない。
やはり、経験値の差だろうか。
十数年に渡って商界で海千山千の猛者と利権を巡って闘ったアナスタシアは、そこらの商人とは比べ物にならない程の気迫を感じる。
……ちょっと、いいや大分、怖い。
能ある鷹は爪を隠す、真の実力者は表舞台で姿を表さない。
暗躍するからこそ、その脅威には目を見張るものがある。
アナスタシアを悪役だと言うつもりはない。
彼女はただ経験則に基づいて、合理的にことを進めようとしているだけだ。
恐るべきは、それを感情と切り離せる点だろう。
直情的な激情に呑まれることなく、淡々と利権を獲得するだけに特化する。
ただ合理に偏ることもなく、信念や理想を芯に据えている。
彼女ほど交渉のテーブルで膝を交えたくない人物はいないだろうさ。
「さて、アナスタシア様。そろそろ本題に入りましょう」
果たして、ラインはアナスタシアの潜めた刃に気が付くだろうか。
いいや、いけない。
ボクはアナスタシアに全幅の信頼を置いている。
だが、過度な期待は時に観察眼や正常な判断能力を曇らせる。
ライン=フォン=フィリアとて、領主であり相当の修羅場を潜っているはずだ。
相手の実力を過小評価して望む結果を得たためしは、歴史上においても稀有だ。
見定めなければ、ラインという女性を正確に把握しなければならない。
「わたしは、あなた方をフォルド領の専属冒険者として雇用致しますわ」
微かに息を吞む音がした。
音源はボクの左隣。
ホロウがわなわなと震駭していた。
専属冒険者か。
聞きなれない単語だが、ラインが俎上に載せて提示する価値はある。
ボクたちはまだまだ無名の“銅”級冒険者で、しかして目の上のたん瘤を除去するだけの実力がある。
取り込むのであれば早い方がいい。
そう判断したのだろう。
さあ、アナスタシア。
君はどう答えるんだ。
区切りを意識するとやや短くなってなってしまいました。
次話も同様の分量かと思います。




