14. 月と星々、所により情熱
目まぐるしい半日だった。
まったく予想だにしていない経過を辿ったものの、収まった。
ホロウと連れ立ってギルドへ赴いていた頃の己にいくつか助言したい程には、頭を抱えてたくなるものだが。
帝都守護の襲来。
ただでさえ身構えてしまう字面だが、ボクたちにとってはより厄介だ。
元“黒鉄”級を殺害したであろう者を特定し、抹殺するなんて目的を引っ提げて、飄々と現れたのだから。
正直に、今回ばかいりは、生きた心地がしなかった。
シロイがロバート殺しの主犯をアナスタシアに協力したボク、ではなく、ただの冒険者であるボクだと勘違いしたままなのは唯一の救いだ。
加えて、彼が『武将』の名に恥じない武人でとっても助かった。
【楽園】で習得した技術の集大成を見せてしまったことは、頂けないが。
けれど、情報を代償とした見返りは十分だった。
宣言通り、シロイはフォルド領から去った。
いやにあっさりと、やけに素直に。
あの調子ならば、きっとボクの存在についても口外はしないだろう。
希望的観測に基づく楽観だとは、重々承知だ。
命運を人間性に捧げるなんて危険そのものだ。
しかし、現状、最善の結果に着地したと言える。
疑いの目を向けるのはシロイただ一人で、その彼が口を噤んでくれるのだ。
まだまだ基盤の固まっていないボクたちにとって、敵対勢力は少なければ少ない程にいい。
「…………それは災難でしたね」
「降って湧く不幸が何よりも苦痛さ。回避も対応もできやしない。今回は……運が良かっただけさ」
夜風に揺れるアナスタシアの金色の髪は、月明かりを反射して輝いている。
鼻孔をくすぐる甘い香りに、鈴の鳴るような凛とした声色、華奢な身体を包む純白のドレス。
そのどれもがアナスタシアという女性を色濃く主張し、万人の目を奪う有無を言わせない言外の気迫がある。
他愛ない話、あくまでも経過報告。
昨晩の約束通り、ボクとアナスタシアは宿屋の裏手にある小さな丘で、大木に寄りかかって雑談に興じていた。
如何なる話が繰り出されるのか、気が気ではなかったボクとは対照的に彼女はまるで平然と微笑を携えて言葉を紡いでいる。
「そうかしら? 上手く運べたかと思いますが」
確かに彼女がそう捉えるにも頷ける。
カルメルは帝都守護の命令に従ってボクたちを嵌めた負い目と、同時に『武将』に匹敵する武力をもつ相手であるとして完全に萎縮してしまっていた。
おかげで、交渉はスムーズに運び何かあれば力になるとも言ってくれた。
中途で混乱こそあったものの、万々歳だと……思わなくもない。
「ああ、名目上はね。もう少し、穏便に済ませられたら良かったのだけれど」
「…………あの音には驚きました」
ツウ──と視線を逸らす様子には、艶美な佇まいからは想像できない子どもらしさが滲んでいた。
まるでいたずらを咎められたような、隠し事を言い当てられたような。
決して計算している訳ではあるまい。
自然と、彼女は人を虜にする仕草を、雰囲気を醸し出すのだ。
「ホロウにも聞きましたが……本当に貴方は強くなったのですね」
ポツリと零したアナスタシアの視線はボクではなく、丘から見下ろす巨大な谷に向けられていた。
そう、ボクがシロイを本気で殺そうとして振るった一撃が刻んだ何よりの証明。
全力、全霊、持ちうる技術の全てを注ぎ込んだ斬撃。
フォルド領の郊外での死闘だったことが幸いして、人的被害は皆無だ。
それと引き換えに、フォルド領均衡の小高い丘が三つほどが消失して、小さな谷が渓谷へと進化した。
『天神将軍』の神話級たる一撃には遠く及ばないが、人類で再現可能な程度の一撃だとは【運命識士】が保証してくれた。
おかげで、シロイは帰ってくれた。
まあ、また別の疑念を生む結果になってしまったがね。
「散々な過程だったけど、重畳な報酬は得られたよ。開業資金としては、十分なはずだ」
「…………ええ、本当に感謝しています」
「感謝だって? それは筋違いだよ。ボクはボクがしたいように行動したんだ。君が感謝を口にする理由はない」
「だとしても、ですよ」
それっきり、彼女は口を閉ざしてしまった。
ただ沈黙のみが支配する時間は、思いの外、居心地が悪い。
やはり意図を計り損ねる。
どうしてアナスタシアはボクを誘ったのだろう。
それも夜更けの近い時間に、人通りの少ない場所へ。
視線の先には何も変わらない横顔があった。
陶器のような肌に艶のある金髪、性別を選ばずに虜にできる美貌。
憂いを帯びた瞳には物言わぬ誘因力があって、思わず抱きしめたくなる庇護欲をかきたてる。
ホロウとはまた異なる理由で頭を撫でたくなるが、じっと我慢しよう。
彼女が改まって話があるなんて言うのだから、ボクは待てばいい。
アナスタシアに委ねよう、ただボクは答えればいいのだ。
彼女の望む答えではなく、ボクの言葉で。
「………………本当に、わたくしは感謝しているのですよ」
先の言葉とは違う。
重く脳髄に染み渡るような声調は、ボクに正しく意味を理解させることを拒む。
反証も、反芻も、反駁だって許さない。
異議を挟まずに聞かなければならないと──彼女はそうさせる。
「初めて会った時、わたくしはとっても驚きました。わたくしが夢を語ると、理想を口にすると…………大半の人は笑い飛ばします。お前みたいな小娘に何ができるんだって」
乾いた微笑みが酷く耳に残る。
否と返したいのに、頑としてボクの口は開いてくれない。
ただ耳を傾けて、視線を逸らすことさえできない。
「けど、貴方は違った。わたくしに力を貸すと…………もちろん、それさえわたくしは疑っていましたが」
ふっと──まるで重力を感じさせない程に鮮やかに彼女は立ち上がった。
一歩一歩、月下のランウェイを自分のために用意されたステージのように歩む姿は神話の一節にも思えた。
美麗、艶麗、絶佳、優艶、その他一切の賛美を表す言葉が、彼女の存在を強調するためだけに存在しているのではないかと思わせる。
「ロムルス、わたくしは貴方に感謝しています。何も返すことのできないわたくしに、力を貸してくれて……ここまで、連れてきてくれて」
くすりと笑みを浮かべると花々が舞うような可憐さを生み出す。
ボクとの出会いは閑散とした独房で、互いに猜疑心に凝り固まった所からスタートした。
紆余曲折、右に左に曲がりくねって、時には脱線してフォルド領まで辿り着いた。
その間、僅かに一月余り。
濃密で、一日一日の記憶が薄れることのない日々。
当初の目的はアナスタシアがスウィツァー商会を凌駕し、彼女の父親が運営するグラード商会を吸収して…………帝国の価値観を一変させること。
まだまだ遠い道のりに変わりはない。
ようやく、彼女はスタートラインに立ったのだ。
資金は潤沢になり、心強い仲間もいる。
経験はアナスタシアが積んできた。
再起する準備は整っている。
奮起する覚悟は充分にある。
懸念も、不安もあるだろうが、今のアナスタシアならば乗り越えられるだろう。
彼女はボクに感謝を口にした。
その真意を探る必要は、ボクにはない。
きっと、アナスタシアは言葉を尽くしてくれるから。
「ありがとうございます、ロムルス。こんなわたくしを、信じてくれて」
こんな……か。
どうして、彼女は自分を卑下できるのだろうか。
半生をかけた努力の賜物を簒奪されて、一時は逃亡犯に身をやつしても立ち上がろうとする不屈の人。
ボクには、アナスタシアを信じるには充分な理由だと思うが。
「ねえ、ロムルス。改めて、ここでお願いを一つしてもいいでしょうか?」
「………………否とは言わないよ」
じくりと胸の裡が鈍痛を主張する。
ボクの抱えていたたった一つの恐怖。
ドルからアウグリュニーまでの道すがらで、懸命にボクの有用性を強調してきた意味。
けれども、昨晩、彼女が意を決して密談を申し出た瞬間に可能性に気が付いた。
身の安全は保証されて、理想への足掛かりはつかめた。
ならば、『武将』に目を付けられるような厄介者は、早々に切り捨てた方がいい。
ああ、覚悟はしているさ。
ここで絶縁を切り出されても、ボクは受け入れよう。
彼女たちの目の前からは姿を消して、二度と視界に入らないように努めよう。
けれど、尽力はやめない。
陰ながらにでもアナスタシアの理想を手助けしよう。
さあ、“未来”よ。
ボクは逃げも隠れもしないさ。
【運命識士】は使わない。
この世界に生きる時間軸において、発せられる最後通牒を受け入れる。
…………ああ、だとしても。
一抹の寂寞は拭えない。
もう二度と、眼前の『女神』と言葉を交わせないと、琥珀色の瞳をした少女と、誰よりも親友思いの少女と話せないなど。
そうか。
ボクは思い違いをしていたようだ。
心の支柱にしている存在は姉だけだと思っていた。
けれど、今では──皆、ボクの行動原理だったんだ。
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「じゃあ、行ってくるよ。テリアにも、何か食べられるものを──」
突発的で感情的、直情的な行動はしてはならない。
それが、商会代表として権謀術数を巡らせる者としての最低限の礼節だ。
行動の全ては計算されたものでなくてはならない。
まして、思わず遠くなる彼の背中を追って追随を申し出るなど、以ての外だ。
「明日、わたくしと貴方にとって重要な話をしたいと、思います」
かねてからフォルド領に辿り着いたら、もう一度、彼と真剣に言葉を交わしたいと思っていた。
今までだって、“オドラの邑”で、リヴァチェスター領の森で、すれ違ってばかりのわたくしたちは対話を重ねてきた。
お互いに不出来なところが似通っていて、その度にホロウとテリアに手を貸してもらった。
「それにしても、アナスタシア。どうして口調を戻したんだい?」
何が「ただの気分です」だ。
明確な理由なんて分かっていないくせに。
何度だって口調を戻そうとした。
ホロウに話しかけるように、テリアと談笑するように。
けど、どうしても畏まった語調から抜け出せない。
一時は気さくに、親しみを込めて話していたというのに、だ。
自分のことを欠片も制御できていない。
未熟で、青二才。
これで帝国最大と名高き商会を潰そうと画策しているのだから、相当なお笑いものだ。
ねえ、ロムルス。
貴方は出会った時からずっと、わたくしを一角の人物だと、高い理想を掲げる強い人だと思っているでしょう?
わたくしは、一度たりともそう思ったことはないというのに。
他に道がなかっただけだ、オラウダ姉様の希望を形にするなんて都合のいい目的を作り上げて、何者でもない自分が嫌で嫌で仕方がなくて。
卑しい生まれの弱者というレッテルから逃げたくて。
ただがむしゃらに走ってきただけで。
気が付いたら、わたくしは転落していて…………そして、首の皮一枚、貴方に救ってもらえた。
貴方は感謝なんて必要ないと言うけれど。
何度伝えようと足りないくらいには、わたくしは貴方に助けてもらっている。
それだけじゃ、ない。
貴方はいつだって、わたくしに追うべき背中を見せ続けてくれた。
【楽園】なんて規格外な方法が手元にあっても、きっとわたくしはあの立方体に足を踏み入れることを躊躇していた。
死をもって強さを得る…………言葉にすれば存外大したことのないように感じられるけど。
一歩を踏み出す勇気は生半可なものではない。
それを、彼はわたくしの力になるためだとカラッと笑って説明してくれた。
彼はなき姉の姿をわたくしに重ねている、とも話してくれた。
正直にいい気はしない。
それでも、幾億幾兆の死を経験してまでもわたくしのために力を欲したのは事実だ。
それに、ロムルスはわたくしを視てくれていると、わかるから。
「ありがとうございます、ロムルス。こんなわたくしを、信じてくれて」
言葉にすると気恥ずかしくなってしまう。
同時に、微かな劣等感が胸を締める。
彼は、ロムルスは成長している。
わたくしだって、負けじと精進している自負はある。
スウィツァー商会を立ち上げた、あの頃よりも遥かに。
しかし、彼には劣る。
武力は勿論のこと──まさか帝都守護の『武将』を退けるのみならず、地形を変えてしまうなんて思わなかったが──精神的にも。
彼の瞳には詮索するような、見透かすような素振りがない。
かつては先回りして意見を通すような彼が、わたくしの言葉を待っているのだ。
…………そんな彼に羨望の眼差しを向けられる価値が、わたくしにあるのだろうか。
詰まる所、アウグリュニーに到着してから、わたくしが考え続けていたことだ。
悩んで、悩んで、結局答えなんて出ていやしない。
きっかけはなかった。
きっと、屁理屈に似通った論理なのだろう。
それでも、わたくしは答えに相応しいと思えた。
わたくしは、彼の……ロムルスの信じるわたくしになる。
きっと、それがわたくしの、アナスタシア=メアリの願いだろうから。
「────これからも、わたくしに力を貸してくれませんか……?」
忘れない。
わたくしは、忘れることはない。
この時の、刹那のロムルスの表情を、返答を。
見たことのない、まるでお手本のような茫然自失の表情。
呆気にとられたような彼の間の抜けた顔から、ふっと息を吐いて清々しい微笑へと変わった。
そして──
──わたくしは、心の底から歓喜した。




