13. 人外な双頭
遠い。
踏み込めない。
近付いたと思ったら、すぐに彼は離れて行ってしまう。
より強く、より頂上に。
帝都守護『武将』シロイ。
聞きしに勝る怪物中の怪物だった。
どうして帝都で皇帝の守護職に就く男が西側領土の、それもわざわざ吾たちの行く先にいるのか。
呪いたくなる偶然だ。
原因が吾たちのドルでも行動にあるのだとしても、こうも綺麗に偶然とは重なるのか。
彼はロバートを殺した相手を探して、息の根を止めるといった。
つまりは、危険分子の芽を、混乱を生み出すであろう存在を抹殺すると。
正直に、吾は楽観していたのかもしれない。
冷水を頭からかけられた気分だ。
まさか帝都守護たるシロイが、直々に赴くだなんて。
皇帝の命令ではないだけ首の皮一枚繋がってはいる。
独断専行という、彼の自己申告を信じるのであればだが。
しかし、現状、直面している危機は死を連想させるに難くない。
ロムルスにはカルメルと、彼のメイドを守れと言われたけど。
到底、吾には過ぎた役割だ。
辛うじて、二人の攻防は目で追えた。
シロイがエモノを振るう動作も、それに対応して鉈を振りかざす思惑も。
殺意と“霊力”をふんだんに混ぜた斬撃を前にしても、“龍気”と“霊力”でやり過ごす胆力には、思わず固唾を吞んで見守ってしまった。
……ああ、そうだ。
吾は見守ったんだ。
特にロムルスが──“白金”級冒険者であれば卒倒させられたであろう──強烈な拳をシロイの頭部に直撃させた時など、固く拳を握って歓喜したものだ。
あのロムルスが、出会った当初なんてボロボロになって息も絶え絶えだった彼が、武の頂きと称されるシロイ相手に善戦しているのだから。
だが、ロムルスの優勢を望む傍ら、吾は吾自身が如何に矮小で取るに足らない存在であるか分からされている気分になる。
所詮、吾は頂点にはたどり着けない。
二人の攻守は繊細で、幾重にも張り巡らせた予感と修羅場を潜って身につけた天性の直感によってなし得る芸術だ。
……吾では、不可能な領域だ。
シロイの極限まで練り上げられた殺意を前にして冷静に対処することも。
息つく暇のない暴風のような斬撃を受け流して反撃することも。
相手の全力を引き出させることさえ、吾には到底真似できない。
だから、ロムルスが初めて眉根を寄せて、張り付けた軽薄な笑みを取り去った表情に…………その怜悧な横顔を見ても、超えてはならない一線を踏み越えようとしても。
吾には止められない。
「……おい、ロムルス。何を、するつもりだ…………?」
気付けば口に出していた。
ロムルスの秘密主義に今更驚きはしない。
口うるさく追求するつもりも、毛頭ない。
偏に、【楽園】で習得したであろう実力は多岐にわたるから。
一つ一つ問い質すには、ロムルスの経験は吾の想像するところを容易に飛び越えてしまっている。
だから、今も。
吾には突飛のない何かを露見させるのだろうと思った。
すらりと抜き放たれた双剣は一目で名刀だと分かる業物で、それを握り構えるロムルスの姿は様になっていた。
刃の厚さや剣それ自体の様相から、凡そ片手剣とは思えない。
しかし、拵えは顕著に片手で扱うように想定されていて、ロムルスもまた片手で扱うつもりでいる。
疑問には思わないか? 彼は隻腕だというのに、双剣を構えているのだ。
だらりと重力に引っ張られて揺れるだけであった袖には、確かに腕のように思える膨らみが戻っていて。
だが、柄を握る左手は金色の微粒子が凝固したかのように、人間味を感じさせていない。
「…………“霊力”?」
ポツリと零したのはカルメルを庇うように前に出ているメイドだ。
彼を守るつもりで短刀を握りしめているつもりだろうが、震える膝のせいで怖気づいているように感じられる。
鋭い視点だとは思うが、知見不足だ。
“霊力”は御伽噺のように万能な力ではない。
あくまでも、『天神将軍』ら英傑が頭一つ抜き出ている使い手だっただけだ。
…………まあ、ロムルスはやもするとシャープールを凌駕するかもしれないが。
けれども、あれは違う。
ならば、“龍気”ならば?
いいや、“龍気”をもってしても欠損部位をどうにかできる代物ではない。
あくまでも“龍気”は身体能力を飛躍的に向上させるだけで、“霊力”と似通った性質をもつ。
だから、吾も【権能】に上乗せできるし、ロムルスだって“霊力”と混在させられる。
ならば、残る選択肢は──
「──“魔法”か」
【楽園】で幾人もの魔族の英雄を相手にしてきたロムルスならば、魔族の用いる“魔法”を使用できてもおかしくはない。
だが、本当に…………?
「さあ、シロイ君。二分だ。君の命の、時間制限はね」
その言葉を最後に、吾には視認すらできない域外へと足を踏み入れた怪物の死闘が始まった。
フッ──と二人の姿が消失したかと思えば、次の瞬間には執務室の壁が衝撃波共に崩壊した。
路地の喧騒と、唐突に訪れた破壊に狼狽する声が執務室にも届く。
ぽっかりと空いた穴からは陽光と同時に奇異の視線を感じる。
「おい、避難するぞ。天井と壁が崩落したんだ、いつ部屋の形をなくすか分かったものじゃない」
「え、ええ。モイラ、もう大丈夫だ」
カルメルはそう言ってメイド──モイラといったか──に短刀を仕舞うように指示をした。
だが──
「問題ないかは、まだ分からんがな」
「……まさか、」
「ああ、あいつらは戦場を変えただけだ。あのバケモノたちには窮屈だったんだろうな」
「…………悪い夢をみている気分です」
ちらと垣間見るとカルメルの額からは留めなく脂汗が滲んでいて、モイラが母親のように彼の肩を掴んで支えている。
常人にとっては、あの二人の纏う殺意と暴威の圧を間に受けるだけで失神ものだ。
いいや、吾だって…………魂の奥底から震えが止まらない。
なまじ命のやり取りに耐性がある分、二人よりも受けた衝撃は大きいだろう。
追いつけない。
追い縋ることさえ、吾には、できない。
底を知らない溝が、横たわっているから。
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悪くない。
【楽園】で試験運用をしただけで、実戦に利用できるかは賭けだった。
だが、どうやら問題ないらしい。
うん、馴染む。
まるで生まれた時から半生を共にしてきたような安心感だ。
左肘先から指先まで。
それが、ボクの代償とした部位だ。
失って後悔はしていないけれど、不便には感じるね…………例えば、右腕だけじゃあ、収まらないような怪物を相手にする時とかね。
定められた形はなく、変幻自在。
それが、ボクの剣術を言い表す最善の表現だろう。
ジャスティ・レイヴ流、シネン・ジゲン流、ラ・カール・レイヴ流。
三大流派には属さない……否、三大流派を統合させた在りし日の剣術。
双剣に併せて多少アレンジを加えたけれど、十分に通用するようだ。
執務室の小さな空間では羽目を外すのに適さない。
二本の剣をバツの字に合わせて音速を軽く超えた踏み込みと共に、フォルド領郊外の丘陵まで吹き飛ばしてみたが。
漆黒の軍服は汚れ、金色に光るモールは破けている。
しかし、彼を象徴する真っ白な髪には塵一つも付着していなかった。
……やはり、あの様子では大したダメージにもなっていないようだ。
ボクが勢いそのままに突撃した時には、彼の身にまとう“霊力”は格段に上昇していたから……うん、あれが全力という訳でもないんだろう。
「……ヒハッ、ハ。いいなァ、てめえ」
「何が面白いのか分からないが、タフだね」
「ハハッ、ああ。そうだろうさ。てめえの面ァ、つまらそうだしなァ」
ガラガラと、それはもう見事なクレーターからのっそりと立ち上がったシロイは獰猛で、血に飢えた魔獣を彷彿とさせる笑みを浮かべて肩を回し始めた。
『武将』と名高い彼は呼び名に相応しく、古今東西の武術に精通している。
それは、ボクが身をもって体感した。
三大流派も、廃れる寸前の体術も、今は無き技術も。
加えて、尋常ならざる“霊力”に集中力、他を寄せ付けない戦闘センス。
そして、何より戦闘を心から狂喜できる精神性。
まるで理解できないけれど、道楽をもって剣を振るう道は、彼の強さに他ならない。
「それにしてもよ、その左腕。【権能】か?」
「……? ああ、隠し立てするつもりはないさ」
【運命識士】──第二段階“我域顕現”。
【楽園】は【運命識士】で投影した代物を領域内に自在に顕現できる。
そう、例えば、極小の【楽園】を義手のように加工して、疑似的な腕を生やすことも。
おかげで、双剣を本来の用途で振るえるのだから、とても助かるよね。
「……いい手を残してやがったな、てめえ」
「左手だけにかい?」
「……? ハハッ! てめえ、茶目っ気があるじゃねえか。ミッドアイに見習わせてぇな…………おい、てめえ、帝都守護になる気はねえか?」
「悪いけれど、遠慮させてもらうよ」
「あぁ? 勿体ねえな。座は埋まってやがるが、てめえならミッドアイぐらいサクッと殺せるんじゃねえか?」
ミッドアイか。
『権将』ミッドアイ=トラウザーラ、帝国のナンバー三だったか。
目の前の男が二番手だとしても、ミッドアイがまさかシロイ同様に武術に特化している訳ではないだろう。
疑似義手──まあ“金色の義手”とでも名付けようか──の弱点は、顕現中に【楽園】を使用できない点にある。
シロイ相手ならば【楽園】がなくともボクの武術で押さえつけられるが。
もし、ミッドアイとやらが武術でどうにかできない相手ならば……さて、ボクに勝算があるかな。
とはいえ、まずはシロイをどうにかする必要があるのだけれど。
このまま彼を叩きのめすだけでは……生憎と円満な解決とはいかない。
「…………取引をしよう、シロイ君」
「あ? んだ、藪から棒に」
「君を気持ちのいい武人だと見込んで頼みがあるんだよ。ボクは一身上の都合で大きな騒ぎを起こすつもりはないんだ。帝都守護を殺すなんて大ニュース、以ての外だ」
「……………………へえ、俺を殺すかい」
「ああ、簡単とまではいかないけれどね。そこで、だ。君は変わらずボクを殺す気できても構わない。けれど、ボクは君を殺さずに戦闘不能にしよう」
「合点がいった。つまりはこうだな。俺とてめえの差を見せつけて、手を引かせようって?」
「ああ、理解が早くて助かるよ」
正直に八方塞がりだったのだ。
シロイがボクの残り香を嗅ぎ付けた時点で。
遅かれ早かれシロイは特有の嗅覚をもってボクらの前に立ちはだかっただろう。
ならば、現状の来訪は好都合だ。
……来襲かな? いや、置いてこう。
ボクの手も隙いているし、あの場にしてもカルメルやメイドもホロウに任せられた。
こうして、街中ではなく郊外まで引っ張ってこれた。
穏便に済ませられるに越したことはない。
ボクの目的はアナスタシアの商会を手助けすることだ。
悪目立ちをして立ち上げ前に悪影響を及ぼすなんて事態には陥りたくはない。
それに、シロイはボクの誘いに必ず乗ってくる。
何故って? 簡単さ。
なにせ、ボクの誘い文句は甘美だろうから。
何のためにボクが無駄に煽り口調で挑発したと。
彼は一見、吟味している素振りを見せている。
二つ返事で嚙みつきたいであろう条件にも関わらず、だ。
「なあ、条件を変えてもいいか?」
「……、ああ。構わないよ」
これは予想外だ。
急迫な表情で、先までの笑みをひっこめたシロイ。
さて、一体どんな無理難題を吹っかけてくるだろうか。
「一撃でいい」
「……? その心は?」
「てめえの全力を、渾身の一撃をくれ。それで十分だ。俺を殺そうが、生かそうがどうでもいい。その一撃が見られたら、俺は手を引こう」
「…………それではあまりにボクに有利じゃないかい?」
「ああ、そうだろうな。俺は別に利害だけで言ってる訳じゃねえよ」
首をすくめて笑い飛ばす姿は軽快で、どこにでもいる好青年のように思える。
しかして、ぐにゃりと飴細工が変化するように殺気の混じった笑みが浮かぶと……途端に帝都守護『武将』に変貌する。
「俺が、てめえの本気を知りてえからだ。そっちの方が、面白れぇはずだからなァ…………ッ!」
呆れなどボクにはない。
そこにはただ好奇心に身を震わせた子どもがいただけだ。
彼は見かけによらず利発だ。
だが、こと武の側面においては誰よりも素直で、無尽蔵の興味をもつ。
「いいだろう、断る理由もないしね」
「……感謝する」
かちゃりと、二人の手元から三つの小気味いい音が響いた。
同時、“霊力”と殺意の膨れ上がる音がした。
眼前には白髪を靡かせて、期待一色に表情を歪ませるシロイの姿があった。
全力か。
いいだろう。
本来ならば隠匿すべきであろう情報の塊なのだが。
シロイを見ていると、小細工がちっぽけに感じられる。
初めて、生身の人間相手に全霊を見舞う緊張感からか、何だか落ち着かない。
さあ、シロイ君。
受け止められるものならば、やってみたまえ。
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『天神将軍』シャープール。
彼はかつての人類に【権能】の使い方と、剣術の偉大さについて教授した。
剣術の体系を懇切丁寧に教え、“霊力”の操作すらも請われると惜しみもなく与えた。
けれども、何故、彼、『天神将軍』は余すところなく教え導いたのか。
例えば、『海神』
彼は生物を意のままに操る御業を誇っていたが、終ぞ人間に教導することはなかった。
例えば、『地神』
彼は如何なる衝撃や呪いにも耐えられる武具を錬成する技術を、終ぞ人間を育成することはなかった。
例えば、『雷神』
彼は天候を掌握し支配する術を心得ていたが、終ぞ人間に示唆することはなかった。
三柱が狭量という訳ではない。
『天神将軍』が例外なだけだ。
さて、何をもって彼が人間へ万象を教授したのか。
問いに対する答えは、存外、難しいものではない。
幾ら技術を伝承しようが、後世に語り継がれようが意に介す必要がなかったのだ。
『天神将軍』は唯一無二であるから。
曰く、“天神之技”。
現存する三大流派や“霊力”の応用は須く『天神将軍』シャープールの下位互換、ただの劣化なのだ。
人間が如何に鍛錬を繰り返そうが、口伝しようが、意味はない。
人間一人に定められた時間はあまりにも短く、『天神将軍』に匹敵する者など現れようはずもないから。
けれども、もし。
万に一つの可能性で、理論上、無限に等しい時間を得る人間がいるとすれば。
億に一つの可能性で、貪欲に万象の強者を吞み込まんとする人間がいるとすれば。
それは、『天神将軍』の後継として…………いいや、彼を軽く凌駕する者の生誕なのではないか。
人間種の『始祖』である『天神将軍』シャープールが基盤をなした技術を、応用的に発展させる者。
その者は、近い将来、世界に存在を知らしめることとなるだろう。




