86. 似たり寄ったり
頑健で強固、何より合理的な造りだ。
耐熱に優れた素材の石と、対角線上に窓を設置することで湿気や熱気を逃す構造になっている。
ボクの座る椅子は木製であるが、まるで綿のように柔らかだ。
これも、魔法によるものか。
応接間における家具は少なかろうと、机やソファといった家財の全てに魔法の痕跡が見て取れる。
集村の形式を採用しているのか、隣の民家との間隔は比較的近しい。
アウグリュニーやエディンといった西側領土の大都市や、郊外に散見される小都市では円村が主流なため新鮮さを感じられる。
その上、それぞれの家には配当された農地があるのか、農耕地も目立つ。
些か香る煙の匂いから焼畑でもしているのだろうか。
秩序と文化、歴史に基づいた生活様式。
成程、トラスクが隠里と明言するだけはある。
幾千年の長きにわたって人目を忍び、生存にだけ特化した歴史。
魔族の末裔を護るために並々ならぬ労力を費やしてきた事実がありありと伝わる。
「……いい村だね。アヤメ、キミにとっては同胞の棲み処だ。思うところもあるだろう」
ボクの言葉に、彼女は沈黙を守っている。
バツが悪そうに俯きながら、瞠目を続ける様子は不貞腐れた子どものようだ。
無論、へそを曲げた悪ガキならば手の付けようもある。
しかして、彼女は現存する魔法使いでは最強との呼び声の高い──ボクと【運命識士】の間で──歴記とした大人だ。
抑えようのない怒りに任せて力を振るわない性格だと知っていても、彼女の行動や言動には注意を払ってしまう。
「いい加減機嫌を直したまえ。皆怖がっていたじゃないか」
ドミア山脈の山中で、ボクとアヤメは行き違いの果てに小さくない衝突を繰り返した。
…………わかってる。ボクの態度が原因で彼女の堪忍袋の緒をぶった切ったんだ。訂正感謝するよ、運命識士。
おかげで彼女のボクに対する信頼だとか敬意だとかは塵に消えたが。
収穫はあった。
魔族の末裔を秘匿するために隠里にかけられていた十重二十重の防護魔法を、アヤメはものの数秒で解いてしまった。
緊急事態とばかりに敵愾心を露にしたエルシニア人の防人たちは、しかして、すぐさま平服した。
アヤメが、魔族の末裔だと瞬時に理解して。
それからは早かった。
まるで御神体か、現人神のように厳重に警護されたアヤメ(ついでにボクもね)は見るからに豪奢な邸宅へ招かれて。
今に至る。
「キミの憤りは尤もだ。けれど、いつまでも怒りを蓄えるのは悪手だと思うよ」
「………………ロムルスさんは嫌いです。話したくありません」
そっぽを向かれたボクに、二の言を紡ぐ勇気はない。
全身から拒絶のオーラを醸し出されてしまっては躊躇せざるを得ない。
とはいえ、引き下がる訳にもいかない。
ボクの好感度はこの際どうなってもいいが、彼女の態度は問題だ。
数多の“未来”では、村の代表とアヤメは会談を行う。
無論、現状の調子だと難航するのは目に見えている。
不機嫌、不寛容を表した今のアヤメと対話したいと思える人間はそういない。
「キミだって理解しているだろう? 焦燥が仇となり、キミを蝕んでいた。故に、キミは瞬時に考察すべき事実を見逃した」
「…………蒸し返さなくてもいいじゃないですか」
「恥じているのかい? 己の責可だと認めているのかい?」
「……っ! そうですよっ! 此方が見落としていたんです……満足ですか?」
殺気さえ入り混じった眼光には思わずたじろいでしまいそうだ。
漏れ出した魔力は明確な形を作らずに、彼女の本心を映し出す鏡のように揺らいでいる。
あてもなく彷徨い、刺々しく当たり散らすように。
理性での抑圧も効かず、本能のままに憤怒を発散する。
やはり、子どもだ。
激動への対処を知らず、睨み、威嚇することでしか鬱憤を抑えられない。
苛立ちが呼び水となり際限なく赫怒が湧き上がる。
そんなアヤメの様子を見て、ボクは感慨なく事を動かす。
的確に、駒を配置するように。
「いいや、まだまだ満足とは程遠い。けれど、これだけは……はっきりさせよう。キミの背負う責任について」
酷い男だと思う。
生傷に塩を塗り込み、あまつさえ抉っているのだから。
詐欺師のような微笑みを浮かべて、扇動するかのように言葉を重ねる。
そして、愉悦に浸る表情をこれ見よがしに晒す。
「キミは向き合うと決めた。その時点で、逃れようのない呪縛に囚われたといってもいい」
「……? どういう意味ですか」
「キミの双肩には魔族の命運と、彼ら彼女らを慕う者の命が圧し掛かる。それは重圧となってキミを容赦なく責め立て、あらん限りの期待を寄せる」
「………………、脅しですか?」
「いいや、覚悟だよ。先のように、思い通りにならない現実に腹を立てているようじゃあ、キミは早晩破滅する。数百の命を道連れに」
ボクの言わんとしている事実に合点がいったのだろう。
空気の抜けた風船のように、胎動していた怒りの渦は収束した。
ファルガー領の一件の後、彼女はトラスクとは異なる手段をもって魔族やエルシニア人の復興を成し遂げると誓った。
武力や権威に依らない共存。
時には目に見える成果もなく袋小路に追いつめられたような感覚に陥ってしまうだろう。
だが、彼女の立場は停滞し、留まり続けることを良しとしない。
如何に傷つこうと、どれだけ八つ裂きにされようと、歩み続けることを強要する。
勿論、ボクたちだって最大限の助力はする……いや、ボクもだけれど、アナスタシアたちがね。主にはね?
とはいえ、矢面に立つのは常にアヤメだ。
逆風に挑み続ける場所を、彼女は選択した。
「さてどうだろう。決意は変わらないかな?」
「……ロムルスさん、他にやり方はなかったんですか?」
「あったさ。けれど、これが最も効果的だと思ったまでさ」
「………………性格悪いですね。とっても」
怒りと引き換えに、呆れと失望が浮かんだ。
どうやら彼女はボクに幻想を抱いていたらしい。
ボクだって、幻想のままにいられたら…………ああ、どんなに嬉しいことか。
救世主でいられたら、英雄に相応しかったら。
だが、生憎と。
ボクはボクを勘定に入れるつもりはない。
それは迷いになり、切っ先を鈍らせるだけの鈍麻済になる。
自己満足では終わらせない。
彼女には自覚してもらえた。
魔族の末裔として先陣を切って声を張り上げる責任と結果に。
ならば、一体何の問題がある。
運命識士よ、同意見さ。
皆は駒じゃない。自由意志のある人間だ。ボクの勝手に動かしていい存在じゃない。
けれど、理想を実現させるには駒が必要だ。
そう、“未来”を閲覧し、悪評を甘受できるペテン師のような。
きっと、あの人が見ていると真っ先にボクを責めるだろう。
彼女は“愛”を重んじているから。
けれどボクは。
彼女を崇拝していた頃の私とは違う。
❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐
素っ頓狂にも呆けた表情を晒しているアヤメに忠告の一つでもしようかと思ったが。
老婆心からチクチクと警告の限りを伝えた手前、再び口を開くには一考の余地がある。
眼前に座る男性。
民族衣装なのか、それとも正装なのか、堅牢な鎧に身を包む彼の様相は立派な戦士のように思える。
白髪を長髪にして後ろ手に括って、腰に到達するまでに伸ばしているようだ。
にこやかに微笑むことも、しかめっ面で威嚇することも、口火を切ろうともしない。
突然入室してきたかと思うと、徐に座り、それっきり何の行動も起こそうとしない。
不自然極まる青年の登場に、アヤメは虚を突かれたようだ。
「ぁ……あの。あなたは…………?」
辛うじて言葉を紡げたとして、力の抜けた問いを返すので精一杯。
出会った当初と比較すると肝が据わってきたかと思うけれど、やはり、臨機応変性に欠ける。
しかし、柔軟な対応には相応の経験値が必要だ。
誰もが最初からアナスタシアのように言葉巧みに承諾を引き出せたりはしない。
これも経験、投資、土台の一つ。
遠い“未来”でアヤメがテーブルを交えて舌戦を繰り広げる時に糧となるはずだ。
故に、ボクは口出しをしない。
全てをアヤメに任せる。
面倒だからじゃないよ? 断じてね。
「…………小生、フヒトと申す者。同胞の顔を一目見たく、馳せ参じ候」
「はぇ? 同胞…………?」
「然り。小生と同じ血を引く者、魔族の誇りを一身に受ける者の存在を。小生は確かめたく」
ひゅっと、息を呑む音が聞こえた。
そして、まるで気を引き締めるように彼女の表情が硬く変容した。
心情を体現するかの如く、アヤメの纏う魔力は微かに揺らぎ、そして堅固に再構築される。
交渉で表情が弱点となり得ると同じく、魔力や霊力の未熟もまた脆弱な側面になってしまう。
アヤメは歴代でも類を見ない魔法の達人だ。魔法のみの戦闘ならば、ボクに勝ち目は万に一つもないと希望を打ち砕かれる程度には。
『轟魔』エドアや、『魔帝将軍』ラトリア=グラーリヒにすら比肩し得るだろう。
しかして、魔力に関して、丁寧で効率的な操作や支配には隙が大きすぎる。
【楽園】鍛錬の弊害とも言えようか。
彼女の才覚と努力によって、一足跳びに超位的な魔法を扱えるようにはなったが、基礎をあまりにも疎かにし過ぎた。
天才であるが故に、天性の能力があるが故に、理論を飛ばして感覚で手足のように操作できる。
本来ならば、緻密な魔力操作が必要にも関わらず。
おかげで、彼女の動揺や内心は魔力を通して皆に伝わってしまう。
事実、フヒトと名乗った彼は眉をひそめて、アヤメの緊張に影響を受けてしまっている。
「フヒトさん。此方は、魔族について大切なお話をするために来ました」
「心得ている。小生ら末裔にしかできぬこともある。そう、トラスク殿も仰っていた」
「トラスクさんをご存知なんですね」
「無論。彼の来訪により、小生は他に血を引く者の存在を既知とした」
トラスクの語るには、隠里で厳重に守られている魔族の末裔は幼いと言っていたが。
身長は優に二メートルに近しく、体格も戦士と遜色なく、極めつけは修羅の如き形相。
つくづく魔族、延いては長命種の容姿には疑問が残る。
人間基準で図るのならばアヤメは十代の少女であり、フヒトは歴戦の勇士だ。
けれどその実、アヤメは五十年余りを一人で生き抜き、フヒトは警護対象として常に安全な立場で十数年しか生きていない。
トラスクは順当に歳を重ねていたように感じるが……彼の口調や名前からしても、敢えて迎合していたようにも思える。
人間という種を撃滅するために、魔族を捨てる。
彼の歩んできた覇道に相応しい決断だ。
「では、フヒトさんはトラスクさんに賛同すると」
アヤメの鋭い口調によって、思索に耽っていたボクの意識は現実へと引き戻された。
「誤謬がある。小生はただ、手段として必要であり合理的だと考えたまで」
「では他に方法があればどうですか」
「………協和か」
「はい。武力や暴力では“三命の戦い”の二の舞です。風前の灯火である魔族の血だって、二度の奇跡は起きないでしょう」
一層表情を険しく変化させたフヒトに、アヤメは微動だにせず受容している。
糾弾するような彼の魔力には不信感と諦観が渦巻いている。
“三命の戦い”を引き合いに出したアヤメに対して、彼は現状を憂いてしまった。
「アヤメ殿。小生は貴女に会い、確信をした」
「………何をですか」
「貴女あらば世を取れる、と」
冗談でも、軽口でもない。
彼は本心からアヤメであれば世界に戦争をしかけて勝利を収められると断言した。
そして、見事にも彼の確信は正しい。
トラスクの慧眼というべきか、それとも魔族特有の勘なのか。
どちらにせよ、アヤメには長命という利点がある。
帝都守護や帝都騎士団といった敵が老いと闘い、衰える中であっても、アヤメだけは力をつけられる。
むしろ晩年にこそ全盛期を迎えられるだろう。
「貴女の背を預ける者は、そこな不埒者ではなく小生が相応しい」
ようやくボクを視たね、フヒト君。
不届き者と愚弄されるのには慣れている。一々目くじらを立ててはキリがない。
多めに見ようとも。
殺気を浴びせられようとも、魔力の大渦を見せつけられようとも。
ボクは構わない。
何故なら。
キミが熱烈に口説いている彼女の決意を、ボクの方が熟知しているから。
「フヒトさん。褒め称えてくれるのは嬉しいです。トラスクさんにも、同じことを言われました」
「ならば問題などあるまい」
「はい、ありません。ですが、フヒトさんと一緒には行けません」
まるでそよ風のように。
特段語気を強めた訳でもなく、アヤメは気持ちのいい笑顔で拒絶を示した。
それが当然だと、日が昇り沈むと同じだと。
却って彼女の根底にある熱意と覚悟を感じられるようだ。
「ロムルスさんは…………お世辞にもいい人だとは言えませんし、思えません」
「……それでも、アヤメ殿は──」
「はい。此方はロムルスさんを信じません。ですが、ロムルスさんの理想だけは信じます」
光のようだ。
斜光や、炎。
どこにでもある光を集めて、されど彼女の魂にあるのは唯一無二の光だ。
アヤメは未熟で、まだまだ子どもである。
だからこそ、誰よりも純粋に信じられるのだ。
己の縁を信頼して、全幅の信用を捧げられる。
例え、相手が如何に悪辣で外道だとしても。
その根底にある理想が、桃源郷のように輝かしいものであれば。
己の信条すらかけられる。
これは……随分と重い物を背負わされた気がする。
失敗できない理由が。
妥協してはならない事情が。
堤防のように累積して、ボクの甘さや弱さを堰き止めている。
決して漏れ出ないように、決壊しないように。
分かっているさ。
既に戻る道はない。
気を引き締めてもらえた気分だよ。
【運命識士】。
“未来”を視せてもらってもいいかな?
きっと、最善の結果が記されているはずだろうから。
仲間に信じてもらえない主人公って一体……?




