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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第二章【自由の象徴】──第五部【東の焔友】
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87. 作戦開始

 あっという間だった。

 時間にして僅か数秒。アナスタシアさんの号令によってみんなが自分の役割を果たそうと定位置に着いた刹那。

 肌を突き刺すような、うねるような霊力の蠢動を感じて思わず背筋が伸びた。

 加速度的に膨れがある常識外の力の激動は、目に見える形で露呈した。

 即ち、突入目標である廃城をすっぽり覆ってしまったのだ。

 縦尺も横幅もアナスタシア邸の数倍はあろうかという巨大な要塞を、何の気なしに征服して、あまつさえ対象を選んで別地点に移動できるなんて。

 力の差に愕然としてしまう。

 普段は憮然とした可愛らしい少女にしか思えない彼女が、ほんの表象の実力を見せると異次元の結果を生み出すのだから。

 噂に聞く帝都守護であろうと、こうも常識を逸した荒業を披露することは難しかろうと……自分のことでもないのに、とても誇らしげに感じる。


「よぉ~し、あたしたちも向かいましょ~」


 羨望も、憧憬も、嫉妬も。

 嚙みしめるだけの時間はない。

 テリアさんの底抜けに明るい声に引っ張られて、わたしたちは茂みから一挙に敵地へと突入する。

 本来ならば厳重に警備されているはずの正門には人っ子一人足りとも存在せず、テリアさんが軽く小突いただけで裂けるように粉砕された。

 残骸から推測するに、三メートルはあろうかという厚さの城門が、いとも容易く壊れてしまった。


 迅速性が命である今回の作戦において、ホロウちゃんの奇襲とテリアさんの突貫性は相性が良い。

 ものの数秒で無力化と突入が完了してしまうのだ。

 有能さを示すように、“渓谷からの呼び声(メルアト)”の構成員で溢れ返っているはずの大広間は、違和感を覚える程に閑散としている。

 人の温もりの消えた石造りの廃城内部は、物悲しい寂寞感に包まれているようだ。


「≪問題なく侵入できたようね≫」


 戦慄するのも束の間、伽藍洞の城内に到達したわたしたちの脳内に直接言葉が反響する。

 ヨークちゃんは目を丸くして驚いて、ナーサリーちゃんはキャッキャッと楽しんでいる。

 まるで対照的な二人は、ファルガー領の帰路で無二の親友かのように仲を深めたらしく、見ているこちらが微笑ましく感じてしまう。


「≪テリアは東棟に、四人は西棟に向かって頂戴。最優先は奴隷の解放よ。わたくしの方で既に暗示はかけているから、牢を解放するだけで大丈夫よ≫」


 アナスタシアさんは遥か後方にいる。

 目下、最大の敵勢力である元帝都騎士団副団長のコバルトによる襲撃を警戒して、廃城を中間地点に、移動用の馬車とは正反対の場所に一人で陣取っている。

 とはいえ、十分に距離も離れた地点にいながら、何百人もの人間に暗示をかけた上でわたしたちに指示を送る。

 強力無比な【権能】と、並外れた練度だ。


「じゃあ、こっちは任せてぇ~。みんなは西棟をお願いねぇ~」


 命がけの作戦中とは思えない程に明るく穏やかなテリアさんは、ハイキングに来たような軽い足取りで東棟へと去っていく。

 その後ろ姿は頼りがいがあり、大きく見えた。


「マルタ、私たちも行く?」


「そうね、早く向かいましょう!」


「そ、そうだね……けど、焦らず、確実にね」


「承知しました、マルタさん。私が先導します。付いてきてください」


 正直、荷が重い。

 今も緊張を不安で心臓が早鐘を打っているのが分かる。

 せり上がってくる胃液を必死に戻しながら、わたしはマリアちゃんの背中を負う。


 ──西棟の指揮はマルタにお願いするわ


 半ば予想できた話だ。

 けれど、アナスタシアさんから直接言われると、どこか異国の言葉のようで現実味がなかった。

 単純な実力ならわたしはナーサリーちゃんに勝てない。

【権能】の有用性はヨークちゃんの方が遥かに高い。

 今回の作戦で要となる速度を死守するのには、マリアちゃんの方が適任だ。


 それでも、アナスタシアさんはわたしをリーダーに指名した。


 身に余る光栄だと、大袈裟に思ってしまう自分がいる。

 他でもないアナスタシアさんに認めてもらえた。

 それに、ずっとみんなの足を引っ張ってきたわたしが、ようやく汚名を返上できる役割を与えられたのだと。


 けれど、みんなの命を預かる役目は…………わたしが想像していた重圧は、現実となって遥かに重いものだと気がついた。


「この階段を降りた先です……!」


 予想される敵の主力は最大で元帝都騎士団の副団長。最低でも“白金”級冒険者。

 対するわたしたちは実戦経験に乏しい上に、連携だってまともに取れるか分からない。

 心許ない弱音を吐露すると、わたしに帝都騎士団副団長を相手取れる未来は見えない。

 たった一つの采配ミスで四人の内、誰かが死ぬ可能性だってある。

 自分が傷つくだけならいい。今までだって、何度も苦痛を耐え忍んできたから。

 足搔いて、藻掻いて、それでも八方塞がりで活路はないのだと確信してしまったあの夜に比べたら。

 寒さと痛み、絶望で全身がバラバラになりそうだった月夜と比較してしまったら。

 何だって耐えられる気がする。

 だって、必ず()が助けてくれるから。わたしは、幾年、幾光年も待てる気がする。


 けど、いま、彼はここにいない。

 不測の事態を予見して、布石を打ってくれる飄々とした青年の姿はここにない。


 その純粋な恐怖は呪いとなって、わたしの心と魂を徐々に蝕んで。


 自分でも駄目だと思ってしまうくらいに……憔悴している。


「ん、多い……一つ一つ壊すには時間がかかる」


 気付けば、わたしは地下牢に辿り着いていた。

 道中の記憶は曖昧だ。

 途方もない螺旋階段をひたすら降りたのか、それとも一直線の下り道を一足跳びに駆けたのか。


 どちらにせよ、うじうじと悩んで、泣き言を言い募るのは止めだ。


 これからは最大限の警戒と、隙の無い指揮を取らねばならないから。


「よし、ここはわたしに任せて。ナーサリーとヨークは上で警戒。マリアは解放したみんなの警護に回って」


 返答を聞くまでもなく、わたしは霊力を練る。

 毎晩連日の練習の成果はほんの小さな自信をくれる。


 二人が階段を駆け上がって離脱したのを尻目に、奇妙な程の静けさを保つ牢へと目を向けた。

 一つの牢に数十人。それが計九つ。西棟は収容人数が少ないのか。それが幸か不幸か、凶と出るか吉と出るか。“未来”の視えないわたしには判断できかねる。

 けれど、だからこそ目の前のことに全力を尽くせる。


散花響細(ブルーム・エメ)】第二段階“香風乱花”──霊力から花びらを生成する。

 作り出された花びらたちは、わたしの意のままに操ることができる。

 そう、例えば、鋭利に変化した色彩豊かな花々が、吹き荒れる疾風に乗ってどこまでも運ばれるように。


「わぁ……! きれいです…………!」


 ありがとう、マリア。

 最初は何度も失敗したけど、ようやく形になってきたんだ。

 汎用性の高い【権能】は頼れる武器となり、相棒となり、今のわたしを支えてくれる。

 彼女の讃美はわたしと、【散花響細(ブルーム・エメ)】の努力を称えてくれているようで。

 弱気なわたしの寄る辺となる。


「さて、重畳かな。後は二人と合流して馬車まで送り届けたら、任務完了だね」


 速度と先鋭に恵まれた花びらが、鈍い音と共に牢の錠を破壊していく。

 すると、まるで予め決められていたかのように、捕まっていた人たちが階上目指して一斉に歩み始めた。

 混乱もパニックも起こらずに、息を揃えて歩くさまは圧巻で。

 如何にアナスタシアさんの【権能】が強大なのかを教えてくれる。


 殿を務めるように、わたしとマリアちゃんが最後尾を歩く。


「……すごいです」


 ぽつりと呟いたマリアちゃんの独白は、雪がそっと解けるようにわたしの胸へと沁み込んだ。


「ね。流石はアナスタシアさんだよ。ロムルスくんが自慢する気持ちも少しはわかるなあ」


「いえ、あの…………すごいのは、マルタさんもです」


「えっ!? わたし?」


 驚いて見返すと、マリアちゃんの碧眼とぶつかる。

 彼女の瞳に嘘も誇張も、愛想の色もなかった。

 ただ真実を、胸の丈を語ったかのようだ。


「私は……マルタさんみたいになりたいです……っ!」


 本心から語られる言葉と、憧憬の眼差しを一手に受けて。

 何と返せばいいのかわからなくなって、曖昧にはにかむことしかできない。

 もしかして、アナスタシアさんが感じてたのは()()()()()なのかな?

 身震いするくらいに嬉しくて、恥ずかしい姿を見せないようにと自戒する。

 誰かが背中を追ってくれる、だから模範になるような絶対を見せる。


 ほんとに…………気が引き締まりすぎて擦り切れてしまいそうだ。


 ありがと、マリアちゃん。そう、感謝を口にしたかった。

 けど、わたしの本能が警鐘を鳴らしていた。


「マルタさん……?」


 丁度、階段を上りきったところだろうか。

 テリアさんの破壊した正門の残骸が転がる大広間へと繋がる廊下。

 意に介さず進む女性や小さな子どもたちに違和感を覚えてしまいそうな圧迫感。

 わたしが突然止まったことに疑問を覚えたのだろう。

 訝しげに首を傾げるマリアちゃんに、返答する余裕はわたしになかった。


 あわよくば。


 このままアナスタシアさんと合流して防衛戦に参加できたらと思っていた。

 一度馬車まで下がると、“ゾディアック星団”の援軍や、それこそアナスタシアさんに力を貸してもらえるから。


 そんな甘く、現実逃避ですらある自分をわたしは恥じた。


「……っ! マルタ、マリアっ! 帰ってきたわねっ!」


「よかった。これで戦える」


 如実に表情の明るくなったヨークちゃんとナーサリーちゃんは既に臨戦態勢だ。

 片や背丈ほどはあろうかと思われる戦斧を構え、片や霊力を巡らせている。

 規則正しい足音が次第に遠ざかり、辛うじて気配を辿れるまでに消えて。


 ようやく、事態が大きく動いた。


「これで全員か」


「商品に逃げられる訳にはいかねえからな。とっとと片すぞ」


 荒事に慣れていると、裏の稼業に精通していると一目でわかった。

 そして、武装している男性二人の実力も。

 両手剣を抜き放つ青髪の男と、ナイフを両手に構え粘着質な笑みを浮かべる男。

 作戦中に会敵する相手の情報は事前に教えてもらっている。

 元帝都騎士団副団長コバルトを除いて、ホロウちゃんの【権能】に抵抗できる木端ではない強者。


「カイフ=サザンタールとサン=バドルフだね」


「正体は露見している、と。これは中々。厄介な相手だ」


「こりゃ……俺も気合入れなきゃなあ」


 元“白金”級冒険者と二級傭兵団団長。


 殺意と威圧を振りまく二人の実力は本物だと理解させられる。

 今すぐにでも逃げてしまいたい。

 優先任務の奴隷解放は滞りなく完了した。

 ここで無理に戦闘を行うべきではない。

 …………なんて。そんな甘い考えを眼前の二人は許してくれそうにない。

 今にも飛び掛からんと、血に飢えた猛獣のような形相をしている。

 うん。それは言い過ぎた。


「ふぅ……よし。ヨーク、皆に強化を。マリア、ヨークを護って。ナーサリーはわたしと一緒に二人を潰すよ」


「理解したわっ! 背中はあたくしに任せなさいっ!」


 元気よく返事をするナーサリーちゃんには救われる。

 全身の血流に染みこむような暖かさはヨークちゃんの【権能】だろう。

 マリアちゃんが双剣を抜き放った音が耳朶を打つ。


 初めての連携で、初めての死地。

 右も左もわからない戦場で、けれどみんな全霊を尽くそうとしている。


「さあ、始めようか。戦いを」


 握り締めた細剣(レイピア)の感触は、わたしに勇気をくれる。

 普段と変わらない。

 いつも通りの日常だ。


 ただ、死の危険性を孕んだだけ。


 合図はない。

楽園(エデン)】でもそうだ。

 いつだって。

 闘いの火蓋は。


 自然と切られるものだから。

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