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ツァラトゥストラはもはや語らない  作者: 伝説のPー
第二章【自由の象徴】──第五部【東の焔友】
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84. 芸術の域

 ガタガタと揺れるば馬車の動きが心地いい。

 車窓から覗く緑と斜陽の景色は幻想的で、思わず息を吐いてしまいそうになる。

 長らく旅路を共にしてきた荷台だが、ここ数週間は手元を離れていた。

 久しく味わう感覚は忘れ難く、郷愁に胸の空く思いだ。

 優秀で秀逸な魔法使い(アヤメ)の手により一層快適に設えられた空間は、まるで他人の馬車のようで。

 というか……これは馬車なのかしら? と首を捻りたくなって。

 空間拡張情景付与魔法。ファルガー領から帰還した内装を初めて見た時は悔しくも腰を抜かしそうだった。

 四人も乗ると手狭に感じた荷台は、まるでわたくしの部屋と同等の広さを誇っている。

 絨毯の質感やソファ、果てはベッドまで完備されている上に、積載量は元の荷台と変わらないと。

 つくづく魔法とは便利なもので、それを呼吸のように扱うアヤメの技量には感服してしまう。


「ひゃぁ……すごいですね、アナスタシアさん。お屋敷の台所と何も変わりませんでしたよ」


「ありがとう、ラミ。お礼はアヤメに言わなくてはね」


 鼻孔をくすぐるハーブティーの香りは、わたくしに一時の静寂を与えてくれる。

 けれど、間髪入れずに黒く濁った妬心が溢れるのが分かる。

 わたくしが無様にも敗走し、屋敷で待機していった間にも、アヤメは自分の限界を軽く超えたのだ。


「気分は大丈夫? アナスタシアさん」


 どうやら気を遣わせてしまったらしい。

 桃色の髪を揺らしたマルタは、白のショートブーツに韓紅色のパンツ、白のニットに桃色のジャケットと、平素と何ら変わらない装いだ。

 足を揃えて、優雅な仕草でカップをソーサーに置く動きは洗練されている。

 いつもと変わらない午後のひと時。


 しかし、立てかけられた細剣(レイピア)が現実の異質さを教えてくれる。


「問題ないわ。貴女こそ、緊張しているんじゃない?」


「んん~……そうかも。練習は沢山したけど、やっぱり実戦は勝手が違うからね」


 苦笑した彼女の様子は緊張からはかけ離れているように見える。

 だが、マルタと行動を共にする機会が増え、虚勢を張る時の癖が目に留まるようになってきた。

 気丈に()()()()ながら、右目を閉じる。

 やもすると首をもたげてしまう懸念や不安と戦っているのだ。


 マルタだけではない。

 追従する馬車に乗っているヨークやナーサリー、マリアたちもまた、()()を知らない。

 特に、マルタとヨークは【楽園(エデン)】を用いた調ky……違った。訓練を十分に積んでいる。

 見違えるほどに力をつけた二人だが、とはいえ実際に戦地へ赴いた経験は皆無だ。

 重圧と高揚感、身を焦がす程の特異だけが篝火のようにじりじりと全身を蝕んでいく。

 交渉とはまた別の緊張感。

 言葉を弄するだけでは開かれない道。

 気を抜けば刹那で命の灯が消えうせる恐怖。


 怖くない訳がない。


 生物であれば皆、敬服し、首を垂れる。

 それが死であり、これからわたくしたちが抗う敵だ。

 当然の反応であり、拒絶。

 愉しみで仕方ないと言われた方が恐ろしい。


「肩の力を抜きなさい。今から消耗するだけ無駄よ」


「取り越し苦労ってやつ?」


「そうね。()()()()なんて可能性の一つに過ぎないわ。何が起こるか分からない以上、“未来”なんて当てにならないものよ」


「……頭からっぽにした方がいいかな?」


「その逆よ。考えて、捻って、錯誤して。最期まで考え尽くしなさい」


「なるほど。流石はアナスタシアさんだね……!」


 充分に伝えられたかしら? 自分の心を言語化するのは……ほんのちょっぴり苦手だ。

 素直に打ち明けられる性分ではないし、気軽に相談できる相手もいなかった。

 そもそも経験がなければ。心の裡を外界へ発信する術なんて知らない。

 けれど、一欠片だけでも本心が伝われば。

 共感は不可能でも、理解はできるはずだ。


 幾許か雰囲気の緩くなったマルタの様子から、わたくしの目論見は成功したようで。

 広々とした空間に伝播する空気にも幾許かの余裕が感じられるようになった。


 ヨークたちにはテリアが付いてくれている。

 彼女なら、わたくしより適切に、より的確に心配を取り除けるだろう。


 不甲斐ない自分を呪いたくなる。

 テリアなら心を絆して緊張の糸を弛めるだろう。ロムルスなら得意の口先で気力を滾らせる。

 わたくしにできるのは、かつて自分もできたのだから貴女もできると、そう思わせるだけの力技。

 信頼に足るのだと錯覚させるだけ。

 寄り添うことも、無を有に変えることもできない。

 扇動よりも卑劣で、傲然としている。


「浮かない顔だな、アナスタシア」


「……っ!? ぐぁっ!?」


「わぁぉっ! ホロウちゃん…………いつの間に」


 気配はなかった。

 まるで最初からいたように。

 影を自在に操り、気息を完全に制御できる彼女は。

 琥珀色の瞳を困惑に染めて座っていた。

 あまりにも気配がないものだから、ラミなんて「あし……うった…………」とか言って脛を抑えている。

 ……回復には時間がかかりそうね。


「どうせ杞憂だ。不要な考え事は捨ててしまえ」


「ひどい…………ばっさりしてるね」


「無論だ。奴の言葉じゃないが完璧超人なんざこの世にいない。いるとしたら()()()けだ」


「だから、無用だと言いたいのかしら?」


「ああ、そうだ。答えの出ない問いで悩む余裕があるなら、吾の話を聞け。それが最も有意義だ」


 胸を張って堂々と断言するホロウの様相が、今ここにはいない彼と重なって。

 思わず笑みがこぼれそうになる。

 彼女はロムルスを毛嫌いしているけれど、段々と彼の癖や仕草が染みついてしまっている。

 本人にありのままを伝えるとへそを曲げるから、これはわたくしたちだけの秘密だ。


「先方との協議の結果、援軍を送ってくれると確約してもらった。だが……各地に派遣した人員の方が多いらしく」


 歯切れの悪いホロウは視線を逸らして留意点を口にした。

 今回の作戦はわたくしたちだけの戦いではない。

 奴隷解放を信条として掲げる“ゾディアック星団”もまた、無視はできない。

 幸いにも、団長であるアリーとは共同戦線を張った直後の出来事だった。

 おかげで、彼女の助力も得ることができた。

 こちらで立案した作戦をホロウが伝え、星団は必要な人材と物資を提供してくれる。


「作戦決行の今晩に間に合うのは馬車が六台と、護衛が百数名。それと、二級傭兵が一人」


「わぁ……とっても助かるね」


「星団の拠点までの護衛といったところかしら」


「ああ。本当はもっと多くの同志を送りたかったとか何とか喚いていたが。そもそも吾だけで十分なんだ」


「それは…………うん。そうかもね……」


「何だ、妖精。貴様は吾を疑うのか?」


「うわぇっ!? ちょっと最近独裁者になってない?」


 ホロウがマルタへ難癖をつけるのを横目に、わたくしは改めて作戦を見直す。


 既視感はあるが、作戦の中枢は奴隷の救出にある。

 アリーとホロウの偵察で得た情報、そしてマリアの予測によると奴隷は女性や子どもの割合が極めて高い。そして、総勢三百数名に上るという。

 対して、こちらの用意できた馬車は十二台とアリーの救援による六台のみ。

 一台につき十六人程度を乗せて、ロンディーン領の山中にある星団の本拠地まで移動する。

 二級傭兵の支援と、カレンとラミ、オスマンとビザンツたちが合同で護衛する形となる。

 警戒すべきは追手ではなく、道中の獣や盗賊団のため二頭がいれば安心だ。


 問題は襲撃班にある。

 フォルラルシアは最大勢力を誇る組織であり、如何に全土に散らばっているとはいえ保有戦力は比べ物にならない。

 マリアの話では少なくとも、“白金”級冒険者と二級傭兵団長が常在していると。

 厄介な相手に対処しながら奴隷を逃がす。同時に、負傷者を出す訳にもいかない。

 あまりにも高難易度の作戦だ。


「アナスタシア、作戦に変更はないか?」


「今更変更できると思っているの?」


「だが……あまりにも無謀だぞ」


 鋭い眼光は鳴りを潜め、まるで雨に濡れた子犬のような悲愴を感じさせるホロウ。

 彼女の言わんとするところは理解できる。

 他でもないわたくしが、未だに自問自答を繰り返し、不安に苛まれているのだから。


 警戒すべきは腕利きの冒険者や、統率の取れる傭兵団団長ではない。

 相手の方が数で上回ろうとも、所詮は百余名。許容範囲ではある。

 けれど。懸念がないと言えば……それは嘘になる。


 フォルラルシアの中継地点としている場所はかつて、『轟魔』エドアが一時期身を潜めていた廃城だ。

 歴史から推定される構造と、ホロウの偵察、マリアの経験からある程度の状況は把握できている。

 商品として売られる奴隷たちは西棟と東棟に集められ、監視の下にある。

 捕虜を逃がさないように建造された廃城の構造上、秘密裏に解放することは不可能に近い。

 それぞれ大広間を通らねば脱出できないために。

 故に、正面突破しかない。

 数に圧殺されてはならないので、ホロウが影を利用して雑兵を別地点に移動させて処理。

 彼女程の強者を戦線離脱させてしまうのは痛手だが、他に多人数を一度に対処できる手段は持ち合わせていない。

 苦汁の決断だ。

 けれど、無駄ではない。

 確実に隙は作れる。


 しかし、大規模な【権能】操作なため、十中八九、実力者は残ってしまう。


 そう、確実に残ってしまうのだ。


「まさか、元副団長がいるなんてね…………」


 苦虫を嚙み潰したような表情で呟くマルタ。

 表には出さないものの、わたくしもまた憂慮している。


 フォルラルシアの代表であり敵の首魁。

 コバルト=フォン=マックファードは、元帝都騎士団副団長であり、次期帝都守護とまで目された相手なのだ。


「彼は迷わず、指揮官を潰しに来る……いいえ、そう仕向ける」


 西棟と東棟へは、テリア、マルタ、ヨーク、ナーサリー、マリアの五人で着手してもらう。

 わたくしは【権能】で指示を出すために後方支援を行う手筈になっている。

 つまるところ、余剰などない。

 皆、自分の役割だけで精一杯。


 しかし、どこかで、コバルトの相手が必要なのだ。


 “黒鉄”級冒険者に引けを取らない相手のできる者。


 真っ先にホロウの名が挙がるが、彼女は戦場とは離れすぎている。

 ならば、他に。

 わたくししかいないのだ。


「わたしは心配だよ。アナスタシアさんがどれだけ強いかは知ってるけど…………」


「彼我の戦力差を見誤るほど愚かではないつもりよ」


「だとしても、だ。貴様は救出した連中にも絶えず暗示をかけるつもりなのだろう?」


「そうね。混乱を防ぐには必要だもの。パニックで避難が遅れました、その間に死傷者がでました。なんてお笑い種でしょう?」


 性悪なのは分かっている。

 二人はわたくしを責められない。

 押し付けるのではなく、自ら買ってでたのだ。

 不安や憂慮を感じさせてはならない。

 マルタもホロウも心根は優しい。優しすぎる。

 無理矢理にでも作戦の練り直しを行うだろう。

 そして、テリアたちも必ず同意する。


 作戦決行まで猶予はない。


 この機を逃せば、夜明け前には半数の奴隷たちが各地へ散ってしまう。


 危ない橋を渡ることになる。

 そもそも、碌な対策や準備すらも不十分な時点で危険ですらある。


 だからこそ、わたくしが背負う必要があるのだ。


「問題ないわ。わたくしは、アナスタシア=メアリよ。成し遂げみせるわ」


 根拠のない自信と思われるかもしれない。

 けれど、自負はある。

 皆の命を預けてもらえて、全霊を尽くすと。


 きっと、彼がいれば違ったのかもしれない。

 “未来”の可能性を計算して、最も安全で効率的な作戦を立案しただろう。


 だから、わたくしは。

 彼に頼らずに成し遂げなければならない。


 彼が帰還した時に。

 わたくしは頑張ったのだと、言えるように。

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