72. 泥濘と清廉
草木が微睡始める宵闇の時間。
夕餉も終わり、騎士やエンリは職務に戻った。
テーブルに座し続けるのはホロウや、ヨーク、アヤメ、ネリーアルスといった実働を行う者たち。
一堂に集った面々は各々に不信感や猜疑心を携えて、今宵の主催者を睨んでいる。
その者は皆の視線の意味を理解していないのか、悠々とカップに手を伸ばしてハーブティーで唇を濡らしている。
これがアナスタシアのような絶世の麗人なれば感嘆の溜息も聞こえただろう。
けれど生憎とボクだ。ホロウからは「なんのつもりだ?」と言わんばかりの批判を甘受してしまう。
…………おふざけはやめだ。
「さて、集まってくれてありがとう。会議を始めよう」
「アナスタシアの空真似か? 似ていないし不愉快だからやめろ」
「はい」
「ロムルスらしい。けど、今のはいらっとした」
非難轟々。ネリーアルスなんてごみを蔑む目をしている。
まあ、ボクが悪いんだけどね。
「ボクのことはいい。置いておこう。明日の作戦を練ろうじゃないか」
「ああ、皆そのつもりだ。貴様だけだぞ。情けない」
「ホロウ殿、もう更生は不可能なんじゃないか?」
「吾も同感だ。だが、放置もできんだろう。羽虫は際限がないが、こいつは一人だ。面倒なら縊り殺せばいい」
「…………仲間に殺害予告されるのってどうかと思う」
ボクも衝撃だし、今にも実行されそうで恐ろしい。
ホロウが本気ならばボクに回避は夢物語だ。
【運命識士】は実力の拮抗している者の“未来”は視えない上に、近しい者は曖昧な記述となる。
彼女についての情報は全て霞がまとわりつくように見通しにくい。
夜襲なんてされた暁にはぽっくり逝きかねない。
…………今晩は【護国神卿】と寝よう。
「明日はお見合い…………ですよね」
「そう、その通りだともアヤメ」
「あの唐変木か」
「ほ、ホロウ殿……仮にも他領の次期領主様なのですから、その呼び名はちょっと…………」
「何が悪い。あれはロムルスを希釈しただけの枝木だ」
「ネリア、ホロウ。脱線してる」
人数が集まれば集まるほどに会議とは進行の難しくなるものだ。
統制を図るためにも議長が定められるのだが、普段はアナスタシアという誰もが認める代表者がいる。
加えて、マルタが適宜補足をするため遅滞なく進む。
けれど、現状、皆の手綱を握る者がいない。
特にホロウは呻吟することなく発言を口にする。それが長所でもあり短所にすらなる。
彼女が反発なく頷くのはアナスタシアとテリアだけで、ボクも含め有象無象の意見は素直に聞かない。
膠着を極める状況で、まともな進行も望めない。
昨日までは。
「皆さん、少し静かにしてくれませんか」
ドクンッ──! と、魔力が胎動した。
思わずといった風に立ち上がったのは、眉根を吊り上げ、湧き上がる怒りを隠さない少女。
凛とした声音には僅かに怒気が含まれていて。
シャンと、空気を震わせる鈴の音がアヤメの揺れ動く本心を表しているようで。
積極的な性格ではない彼女の発言に、大なり小なりの衝動はある。
加えて、未だかつてない憤怒を見せるアヤメの様子に、皆は自然と閉口せざるを得ない。
「ロムルスさん、作戦は決まっていますか?」
「ああ、勿論。キミの要望通りの内容だと思うよ」
「…………わかりました。ロムルスさんが外道なのは今に始まったことではありません」
一瞬、瞳を伏せたアヤメ。
けれど、すぐに実直さを感じさせる眼光に戻り、皆を睥睨する。
この時ばかりは、誰も口を挟まなかった。
耳の痛い沈黙と静謐だけが、支配者を気取っている。
「ロムルスさん。作戦の説明は此方がしてもいいですか」
「構わないけれど、キミは──」
「ロムルスさんの作戦を此方の考えは一緒だと思います。いまだけは……確信がもてますから」
「そうか……ならば一任しよう」
ありがとうございますと、小さく微笑を浮かべる表情は柔和で、温和なアヤメの様子が垣間見える。
しかし、思い出したかのように憤慨へと回帰した。
此度の一件を納得のいくまで片付けない限り、彼女は常に怒りを纏うことだろう。
そして、アヤメの身に余る怒りは原動力として彼女もまた未知の実力を引き出す。
「明日のお見合いは、マルド・プール領と一緒です。二つのグループに分かれて行動します」
「ほう? 何をもって二分する」
「敵が二人いるからです」
「……ふん。敵か」
ホロウは自覚していまい。
不敵に笑っている彼女自身の闘争心を。
臆病にびくびくと隠れてばかりであったアヤメが、己と正面から言葉をぶつけられることに。
彼女の成長を己がことのように喜べるのはホロウが仲間想いである証左でもある。
素直じゃないのが玉に瑕。
「もしかして、シーバス?」
「違います。あの人は…………敵でも味方でもありません」
「……? どういうことだ? 中立とでも言うのか」
ホロウの疑問は尤もだ。
先日の顔合わせにてヨークとシーバスの会話を傍で聞いていた彼女ならば致し方のない誤認だろう。
シーバスは敵ではない。
そう断言するアヤメには視えていて、二人には影も形も把握できない光景。
今回の騒動の背景で蠢く思惑には、アヤメだからこそ気が付けた。
「倒すべき敵の一人は、コルバリウス=フォン=ランゴバルド。そうだね、アヤメ」
「はい。その通りです」
「……っ!? アヤメ殿、その男の世迷言を肯定するのですかっ!?」
「ネリアさん、順を追って説明します。だから、落ち着いてください」
誰よりも激情に翻弄されているアヤメだが、平静を失っている訳ではない。
ネリーアルスの反論を封殺した彼女は息を吐いて思考を巡らせている。
複雑怪奇な事情を紐解くには誤解のないように伝える必要がある。
人前に立ってことを成す経験の少ないアヤメだからこそ、今の状態は緊張を孕むだろう。
「ホロウさん。昨日、ナーサリーさんの様子は覚えてますか?」
「ああ。二重人格を疑う小娘だったな」
キミも十分少女と言える年齢だろう? と軽口を叩ける雰囲気でもない。
心の内に留めておくべきだ。
「単刀直入に言います。ナーサリーさんは洗脳されていました」
「なに……? それは確かか?」
「はい。昨日、魔法を使って調べました。【遥かなる地からの呼笛】という……自我を奪って使用者の操り人形にする魔法がかけられていました」
「ちょっとまって。どういうこと? じゃあ、ナーサリーは…………」
“三命の戦い”で猛威を振るった魔法。
精神感応系統の魔法の中には、【遥かなる地からの呼笛】のように洗脳状態に陥らせる魔法がある。
幇助魔法、扇動魔法、そして洗脳魔法。
【遥かなる地からの呼笛】は数多ある洗脳魔法の中でも頂点に君臨する程に強力な魔法だ。
その真価は人格の破壊にある。
有り体に言えば廃人にさせるのだ。人間は人格と感情で成り立っている。
感情を発露させる機能諸共に人格を崩壊させてしまえば、残るのは空っぽの器のみ。
後は命令を遵守させる魔法をかけてしまえばお手軽操り人形の完成だ。
「活発で快活なナーサリーさんが本当の彼女で、招待された時のナーサリーさんは洗脳状態にありました」
「成程な……」
重苦しい沈黙だけが暗雲となって立ち込めてた。
ヨークとネリーアルスにはナーサリーの異常性について話してはいた。
だが、まさか魔法をもって人格から上書きされているとは想像もつかなかっただろう。
さしものホロウまでもが苦々しい表情のまま固まっている。
「アヤメ。【遥かなる地からの呼笛】はコルバリウスによって使用されていた…………けれど話はここで終わらない。そうだろう?」
「…………はい。コルバリウスはナーサリーさんと、シーバスさんを傀儡にしようとしました」
「……っ、シーバスも?」
「彼もというのは適切ではないよ。既にシーバスの人格は完全に瓦解している。もはや、あれはシーバスではなくコルバリウスの複製だ」
「ナーサリーさんはまだ掌握しきれていません。ですが、シーバスさんは……もう…………」
「うそ……」
ヨークの顔から色が失われた。
腹の探り合いをしていたとはいえ、ヨークは彼を一人の人間として捉えていたのだ。
それが、既にシーバスという人格が砕かれ、コルバリウスの思考が反映されただけの人形だと知らされたのだ。
「つまり、だ。元凶は己が子を駒にしたコルバリウスとかいう鬼畜。その認識でいいのか」
「いいえ、ホロウさん。それでは不十分です」
「なんだと?」
「コルバリウスは度し難い所業を行った。実の息子を体のいい操り人形にするにとどまらず、義理の娘までも同じ末路へと誘っている。けれど、言っただろう? 敵は二人いると」
気分の悪くなる程に下劣な邪悪、その本性が露になった。
コルバリウスはシーバスの人間性を剝奪して付和雷同どころか己の思うがままに動く傀儡とした。
長い人類史の中で倫理観に悖る巨悪は星の数ほどいるだろうが、彼の醜悪さは一際嫌悪を催す。
そして、息子にとどまらず、ナーサリーまでも壊そうと躍起になっているときた。
けれど、諸悪の根源はコルバリウスだけではない。
魔法とは魔族の得意とする技だ。
ボクのように気の遠くなる時間を捧げて“霊力”と“魔力”の境界を把握し、魔法を使うことも理論上可能だろう。
けれど、コルバリウスは違う。
彼は魔法を使えない。空気の流れを制御する【権能】を保有するのみだ。
となると。
【遥かなる地からの呼笛】を使用していた者は──
「トラスク。【遥かなる地からの呼笛】を使って、コルバリウスに手を貸した……此方と同じ魔族の末裔です」
悲哀が感じられた。
アヤメの感情は暴風のように不安定なまま渦巻き、まるで正常性を欠いている。
だが、彼女の本心は容易に想像できる。
コルバリウスのような絵に描いたような粗忽者に協力していた者が、まさか同族だったとは。
受け入れたくない現実にも関わらず、それでも彼女は目を背けずに向き合っている。
「コルバリウスとトラスク。どちらか一方ではなく両方打倒する必要がある。だからこその分断作戦か」
「はい。ナーサリーさんの完全支配まで猶予はありません。恐らく、此方たちに探られたこともあって、一気に支配するでしょう」
アヤメの目算は正しい。
【運命識士】曰く、明日中には大規模な儀式をもってナーサリーの人格は木端微塵に破壊される。
「詳しい作戦内容を聞かせてくれ。吾も腹に据えかねる。加減はしない」
アヤメの怒気に充てられたのか、ホロウもまた殺意を隠すことなく漏らしている。
あまりにも濃密で密度のある殺気だったために慌てたようにオスマンとビザンツが飛び込んできた。
だが、当の本人は気付かずに、ネリーアルスがグルグルと威嚇する二頭を宥めている。
少しだけ和んだ。
「コルバリウスとトラスクは明日、別の場所にいます。コルバリウスはシーバスと一緒にヨークさんと会うために応接間に。トラスクはナーサリーさんの支配のためにお屋敷地下に」
「なに? 地下だと?」
「はい。何重にも魔法で隠蔽してありました。此方の違和感もそれだったみたいです」
「魔法か……厄介だな」
苦虫を嚙み潰したような渋面を作るホロウだが、己を責める必要はない。
地下室の存在はボクも【運命識士】を閲覧するまで気づけなかった。
アヤメですら違和感で終わったのだ。
魔法に造詣の浅いホロウに看破は不可能だろう。
「此方とロムルスさんでトラスクを確実に捕えます。ヨークさんとホロウさん、ネリアさんの三人でコルバリウスをお願いします」
徐々に具体的な形を帯びるにつれて、皆の気が引き締まるのが如実にわかる。
蜷局を巻く殺意を放つホロウに至っては、珍しくも私情を大きく交えた戦いとなるために一層力むのだろう。
同情の余地のない相手ではあるが、同時に確実に仕留めなければならない相手でもある。
コルバリウスの狡猾さは群を抜いている。
トラスクの技術はこの機を逃してしまえば再び補足するには困難を極める。
一度きりの好機。
失敗すればナーサリーは廃人と化し、コルバリウスの思う壺だ。
「少しいいかな」
「水を差すなよ、ロムルス。吾の機嫌は頗る悪い」
「わかっているさ。アヤメの作戦に補足するだけだよ」
「補足ですか……?」
「ああ。仔細な話だけれどね、伝えておくべき事柄があるんだ」
アヤメの成長は目覚ましい。
魔法の腕のみならず、トラスクという同族の悪行を現実、そしてナーサリーの哀れな末路を前にして積極性を会得した。
観察眼も、決断力も。彼女は一回りも二回りも大きく前進した。
だから、これは“未来”を把握する【運命識士】を保有するボクだからこその選択肢だ。
「ヨーク、特にキミに関わることなんだけれどね…………」
ぐにゃりと飴細工のように不快に表情を歪めるヨーク。
嫌悪感を隠そうともしないホロウ。
手に負えない怒りを覚えたようなネリーアルス。
キュッと口元を引き締め決意を新たにするアヤメ。
ボクたちが正義の味方だとは言わない。
けれど、討ち果たすべき敵は存在している。
だから、ボクは禁を破ろうと思う。




