73. 降り積もる恨みは累々と
コルバリウスはシーバスとナーサリーを洗脳して政権を一元化しようとしている。
それが、アヤメとロムルスの結論だった。
そんなバカなと思う気持ちもある。けど、他でもないロムルスが断言したから、間違いではない。
到底信じたくもない悪徳の所為だ。
人が良さそうな仮面の裏にどんな本性が隠れているのか、邪推しなかった訳ではない。
けれど、まさか。
こうも人道に反する行為なのかと、戦慄した。
政治の道具として使い潰すのではなく、正真正銘、道具として駒にするなんて。
もし、私が二人と同じ立場なら。
「……、やめておこう」
想像すらしたくない。
私は本当に恵まれていたんだと、改めて理解した。
ブルースは私に愛情を注いでくれた。
痛々しい最期は克明に刻まれているけれど、それでも、脳裏をよぎるのは不器用な笑顔で優しく撫でてくれた記憶だ。
マルタはお父さんにいい思い出はないと言っていた。
けど、彼女は母親との記憶がある。
「ネリア、私……許せそうにない」
誰がとは口にしなかった。
気難しい表情のまま直立不動で私を守ってくれる彼女には、これで十分だから。
「ヨーク…………気持ちはわかる。だが、一線だけは超えるないでくれ。ブルース様と、ゼータに顔向けができない」
「ん。気を付ける」
何をとも、言葉にはしなかった。
既に三回目の訪問ですっかり慣れてしまった応接間に、私とネリアの声は寂しく反響するだけ。
息苦しい閑静の中で、この屋敷の主を待っている。
「ふん。杞憂だな。その役は吾にこそ相応しい」
「……ホロウ殿。貴女にも不相応だと思います」
「知った風な口を聞くなよ。吾の手は貴様の十倍は血に塗れている。今更何人増えようと変わらない」
「だとしてもです。貴女はまだ幼い。未来を安易に決めてはなりません」
「ロムルスみたいなことを言うな、貴様は。吾にはこれしかない。理由など…………その程度だ」
ホロウとネリアが口を閉ざせば、またぞろ静謐が襲い来る。
ロムルスとホロウの仲はとても不思議だ。
彼女が一方的に嫌っているかと思えば、今みたいに……棘の感じられない時もある。
「素直じゃないだけだよ」と彼は言うけれど。
あまりにも疑問で一度だけアナスタシアとテリアに聞いたことがある。
すると二人は口をそろえて似た者同士だと評した。
言い当て妙だと思う反面、納得できない自分もいた。
だって、似た者同士だというなら。
アナスタシアとテリアもまた、二人とそっくりだから。
仲間想いで、思慮深くて、理想のために進み続けている姿が特に。
私も追いついたいと思うけど。
叶うことのない夢だと、半ば諦めてる。
潜りぬけてきた死線の数や、無類の信頼関係とも違う。
「ねえ、ホロウ。どうしたら私は強くなれる?」
「……何をもって強さをする」
「わかんない。けど、今のままじゃダメだって思った」
「それが分かっているだけで貴様は強い」
投げやりな返答だった。
ホロウらしい、きっぱりとした断定口調で。
だから、私は無性に憧れてしまう。
そういえば……マルタも同じようなことを言っていた気がする。
「無駄話は終わりだ。来るぞ」
ぴりりと空気が変わった。
私の緊張か、ネリアの警戒か。
どちらにせよ、始まるのだと私は覚悟を決める。
最初はラクノアと対決した時よりもずっと楽だと思ってた。
多分、私の趨勢が決まる訳でもなかったから。
対岸の火事程度にしか認識できていなかった。
だけど、ナーサリーがずっとずっと黒くて、悍ましい環境にあるとわかって。
助けられるのが私たちだけだと知って。
ようやく、決意の意味を理解した。
責任と、重圧。
誰かの願いを、命を、背負う真意を痛感したんだ。
「申し訳ない。またお待たせしてしまったようです」
「問題ない。時間はたっぷりある」
「……それは僥倖ですね」
シーバスを引き連れて私の前に有り余る自信を滾らせるコルバリウス。
印象の二転三転する相手だった。
胡散臭い貴族から、領民を慮る領主、そして、野望のために息子を殺した殺人鬼と。
そして、私と対面している裏でナーサリーをも手駒にしようと計画を進めている策略家。
昨晩のロムルスの警告が正しければ──
「さて、本日はどこまで話を進めましょうか」
「今日はもっと踏み込んだ話をしたい」
「と、いいますと?」
「私個人に収まらない。マルド・プール領領主としての話を」
「それはまた…………性急ですな」
眉根がぴくりと動いている。
変化としてはそれだけ。
あまりに微小で注意深く観察していなければ見逃していたであろう違和感。
ほんの些細な変化だからこそ、コルバリウスという人物が如何に海千山千の傑物であるかがわかる。
老獪な相手を篭絡する必要がある商人は、そうアナスタシアならば幾度となく舌戦の経験がある。
けれど、彼は積極的な外相の経験が乏しく、それでも手練れであるアナスタシアやマルタを一度は追い返しているときた。
潜在能力は一流で、まだまだ伸びしろがある。
これも、皇帝から認められた“ランゴバルド家”の所以だろう。
でも、だからこそ付け入る隙があるとロムルスは言った。
コルバリウスは自分の実力に自信がない。
何故なら場数を踏むことなく立場と責任だけが膨れ上がったいるため、失敗を極度に恐れているからだと。
成功体験の微量。
ロムルスはそう推測した。
「拙速だとは思わない。二回も言葉を交わしてお互いを知り合えた」
「二回きりで、ですかな?」
「二回も、だから。私たちの立場を考えるなら破格」
「一理ありますな」
「準備はできた。決断するだめの時間もあった。迷う必要はどこにもない」
私の言葉を合図に、ネリアが懐から一枚の紙を提示する。
内容はありふれた婚姻届のようなものだ。
コルバリウスが見慣れないはずもない。傀儡政権とするためにリヴァチェスターへと花嫁を差し出そうと画策した前科がある。
どこにでもある政略結婚だと思っていたけど、意識のないナーサリーをまさしく道具として政治に利用する行為には恐怖を感じる。
「…………少しお時間を頂けませんか?」
「構わない」
「ありがとうございます」
慇懃無礼に一礼したコルバリウスは、入室してから一言も発していないシーバスを連れて退室した。
布石は打った。
撒き餌は十分。
コルバリウスにとって私の申し出は渡りに船だろう。
何せ既成事実が向こうから舞い込んできあのだから。
きっと、今頃。彼は予定を早めると相談しているはずだ。
──コルバリウスは私を洗脳しようとしている。
だからロムルスは私がこのテーブルにつくことに最後まで反対していた。
アヤメだって苦悩した末に選んだ策だ。
危険極まりない役目を押し付けることに罪悪感を覚えてもいた。
けど、私は誰にも譲る気はない。
ナーサリーは強制的に魔法をかけられている。引き換え、私にはアヤメのくれた対抗策もあるし気構えだってできる。
それに、一番成功率の高い作戦でもある。
「計画通り。こっちは任せて」
ちくりと恐怖が首をもたげた。
精神を支配される悍ましさはどうしても拭いきれない。
規則的で無機質な足音が聞こえる。
数秒後にはコルバリウスとシーバスが戻ってくる。
いつにもなく緊張しているのが、自分でもわかる。
けれど、悟らせてはだめだ。
彼らの知っているヨーク=コンコートを演じなければならない。
扉の開く音と共に現れた彼の薄ら笑いを最後に、私の意識は次第に薄れていった。
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轟々と風の吹き抜けるオトが煩わしい。
地下水脈だろうか、せせらぎのように流れる水のオトが此方の思考を遮って鬱陶しく感じる。
舗装された階段や、地層の剥き出しの壁。気持ち半分程度の松明。
カツンカツンと一段降りる度に静寂を突き破るような波紋が生じる。
篝火が照らす階段の先は粘着質な闇が広がっていて、見通すことなど不可能に思える。
オトを拾おうとして耳を立てるも、空間の輪郭すら掴めない。
魔法による隠蔽だと、気づくまで時間はかからなかった。
空間一体を秘匿領域として封じ込めると、第三者には何もないように映る。
野営地や作戦本部などの重要拠点を隠匿するには適した魔法だ。
しかし、指定した魔法領域は空気の流れや太陽の光、その他一切の自然事項すら遮ってそこに鎮座しているため、敏感な者ほど気づかれやすいという欠点も抱えている。
此方も、オトの聴こえない範囲だけが特異点となって却って知覚できる。
ついでに。
「【神聖なる匣庭】か。これまた見事な精度だね」
此方の隣を悠々自適に、まるでピクニックにでも来ているかのような雰囲気で歩く彼。
こればかりは顔も知らぬ素性も知らない術者に同情する。
魔法の熟練者でもなく、魔族の血も混じっていない彼に易々と看破されるなんて。
【神聖なる匣庭】はあまりの完成度に違和感を抱いてようやく存在が露呈する代物。
けれど、隣で鼻歌すら歌いながら前髪を気にしているロムルスさんには通じなかった。
魔法の全盛期、“三命の戦い”以前では感覚の鋭い獣を飼育して割り出すといった手法が王道であった。
それでも、優秀な術者の施した【神聖なる匣庭】は発見に困難を極め、幾度となく見過ごされたという逸話を残す……って大婆様が言ってた。
だから、此方のようにオトでもなく、テリアさんのように“龍気”を使った知覚でもない、正面から【神聖なる匣庭】という魔法を感知する所業が如何に常識離れしているのか。
此方は戦慄するしかない。
【権能】も一級で、“龍気”だって使えて、挙句の果てに魔法すら意のままに操る。
謀略も暴力も誰だって敵わない。
虚をつくなんて夢のまた夢。それでいて、力をひけらかすことなく、それどこから自分を過小評価しているきらいがある。
今回の一件で、此方は改めてロムルスさんの実力に圧倒された。
「上はどんな感じかな? うまくいっているといいのだけれど」
ホロウがついているし大丈夫か、と自己解決したロムルスさんはまたうざったら……いや、味のある鼻歌を歌いだした。
作戦を立てた時にロムルスさんはこう言った。
「ホロウに任せておけば問題ないさ」と。
確かにホロウさんは強いと思うし、頭だっていい。
年上のマルタさんやヨークさんが無条件に知恵を求めるくらいに頼りがいのある人だ。
とても静かで凪のようなオト。常に冷静で取り乱す姿は想像できない。
「それでアヤメ。どういう手筈なんだい?」
「……? わからないんですか?」
「え、怒ってる?」
「怒ってません。すこぶる機嫌が悪いだけです」
はらはらと此方の様子を窺うロムルスさんは、人智を超えた力を持ちながらとても人間らしい。
だから余計に近寄りがたい。
人間味あふれる彼の背後に、どうしても圧倒的な力が透けてしまうから。
「相手は凄腕の魔法使いだ。キミと同じく混血の。キミが魔法を学び始めて一年にも満たない」
ロムルスさんの指摘は尤もだ。
毎日欠かさず【楽園】で練習はしている。
最近だと【楽園】の効力が上がって時間の差異も大きくなったらしいから、より長く経験を積んでいるはずだ。
「それでも、此方が決着をつけたいんです」
「わかってる。止めようとは思わない。勝算もあるのだろう。だが、その過程で──」
「大丈夫です。信頼してください。ホロウさんと同じように」
それっきり、ロムルスさんからの追及はなかった。
卑怯な言い方だ。
ロムルスさんは此方を心配してくれているだけなのに。
誰にだって優先順位があるように、ロムルスさんにも信頼する人のランクがある。
アナスタシアさんやホロウさん、テリアさんとは端倪すべからざる道程の末、強く硬い信頼関係がある。
けれど、それ以外の此方たちにはいつだって不安と心配が付き纏っている。
認めたくはないけれど、どう足搔いたってアナスタシアさんたちには勝てない。
でも、だからって。
いつまでも臆病で、うじうじしているだけの此方じゃない。
庇護下にある小娘じゃなくて、隣で戦える仲間だって叫びたい。
「……そろそろですね」
ロムルスさんとの会話のおかげで気は紛れた。
此方の目の前には空間の中でぽっかりと空いた伽藍洞が口を開けている。
「ああ。中にはキミの敵と、ナーサリーがいる」
「はい。十中八九、ナーサリーさんを人質にするでしょう」
「もしくは、彼女に戦わせるか」
「お願いしてもいいですか?」
「愚問だね。何のためにボクを連れてきたんだい?」
ぱちりと、一つしかない左目を瞑って同意を求めてくる。
ウィンクのつもりだろうけど、似合わない。
隻眼隻腕姿が物々しくて、かっこいいだとか感想は浮かんでこない。
きっとカレンさんなら快哉を叫んでいたことだろう。
ともすればにやけてしまう頬を必死に戻して、気持ちを整える。
ここから始まるのは正真正銘の戦いだ。
ずっと此方が眺め続けてきた、戦場だ。
縁のない世界だと思っていたけど、此方はそこに立てるだけの力を得た。
自信も、確信もない。
此方は此方だから。
自分の限界はよく知っている。
それでも。
いまだけは、逃げてはならないんだ。




