(294) レミというアイドル
◇◇◇ アーツファクトリ ◇◇◇
時刻は15時
「こんにちは」
オレは、アーツの事務所へとやって来た。
もちろん、身体は田中に入れ替わっている。
♪コンコン
ノックして、社長室へ足を踏み入れる。
「失礼します」
「やぁ、田中君」
「社長、最後なので挨拶に伺いました」
この事務所は嫌いではないが接点がなくなる。
二度と訪れることはないだろう。
「残念ですなぁ。
優秀な人材が抜けられるのは」
バカ言え。
芸能関連でオレの顔が広く、
利用できなくなるから残念なのだろ。
まぁ、ここでの仕事は気分転換になってた
から嫌いではなかったけどね。
「私も残念です。
この事務所には魅力的なグループが
あるので、他も担当してみたかったですねぇ」
「今からでも遅くないよ。
残ってもらって全然かまわない」
社交辞令です。
「残念ですが、次の仕事がありまして」
「それは残念ですなぁ」
数分懐かしい話をして、社長室を後にする。
そして、3人しかいないスタッフへも最後の挨拶。
「本日付けで退社となります。
皆さんには大変お世話になりました」
「お疲れ様でした。
やっと親しくなれたのにとても残念です」
「私もです」
挨拶しか交わしたことありませんけど。
「またどこかで、
ご一緒にお仕事出来たらいいですね」
「是非是非。私も楽しみにしております」
一緒に仕事したことありませんよね?
「次のお仕事でも
ご活躍されることをお祈りしてます」
「ありがとうございます。
私もアーツが大きくなるよう願ってます」
親し気に会話しているものの、
彼らとは事務所で挨拶する程度。
まともに会話するのは初めて。
これは、最後の儀式みたいなものだ。
「次はどの事務所に行かれるのですか?」
「芸能関係はしばらくお休みするつもりです」
「そうでしたか」
そんな時、1人のアイドルが事務所に入って来た。
彼女は肩で息をし、走ってきたようだ。
「大変です。レッスン中にレミが倒れました」
地下のダンススタジオで彼女らが
ダンスレッスンをしてたようで
レミという子が倒れたのだという。
「意識はあるのか?」
オレが訪ねる。
「受け答えはするのですが、ボーっとしてて
まともに会話できないです」
「救急車を呼びます」
スタッフの1人が立ちあがると。
「ちょっと待ってください」
オレがそれを止める。
「救急車が来るのに時間が掛かります。
近くに知り合いの病院があるから
そこに連れていこう。
レッスン場まで案内して、私が運びます」
オレは、携帯で車を正面入り口に着くよう
指示をだす。
エレベータでスタッフと共に地下へと降り
レッスン室に入ると、アイドル達が固まっていた。
その中心に倒れている子が伺える。
その子を見て驚く。
黒髪のアイドル、大食いの子であった。
オレらが彼女の元へ来た時には、
意識が戻っていたようだ。
スタッフの1人が声を掛ける。
「レミちゃん、どうしたの?」
「ただの貧血です。
少し横になってればよくなります」
「ちゃんと水分取ってた?」
それは不毛のやりとりだ。
「念のため病院で診てもらいましょう」
頭をぶつけたり、けいれんが
あるように見えない。
意識もあるし運んで問題なさそうだ。
お姫様抱っこで持ち上げると
「ダ、ダ、大丈夫です。
自分で立てます」
遠慮する彼女を振り切る。
「ちょっと待って。
凄く恥ずかしいです」
この光景を見て周囲のアイドル達はニヤつく。
「いいから大人しくしてなさい」
そう言ってエレベータで1階へ上がり、
待機してたPMC車の後部座席へ寝かせる。
オレは助手席に乗り込む。
そして窓を開けスタッフに挨拶。
「病院の場所と診察結果は追って連絡します」
スタッフも付いて行きたいところだが、
これ以上乗車できない。
「すみません。
後で担当者を向かわせます。
レミのこと宜しくお願いします」
そんなやりとりをして車は走り出す。
◇◇◇ 病院 ◇◇◇
時刻は16時半。
ここは診察室の隣の処置室。
一通りの検査が終わり、
レミは横になって点滴を受けている。
オレはパイプ椅子に腰かけ、レミを見守る。
医師は隣で別の患者と会話中の様子。
ここにはオレとレミしかいない。
「ご迷惑をお掛けしました」
「それはいいから。
倒れることなんて誰にだってある」
大分回復したようだ。
受け答えも出来てる。
素人判断だが心配なさそう。
「よろしいですか?」
医師が現れた。
その医師は移動式の小さな椅子に座り
レミに話しかける。
「上田羚海さん、気分はどうですか?」
「すっかり良くなりました」
この子、上田っていう名なんだ。
医師は手にしてる検査結果を確認する。
「起立性低血圧ですね。
一時的に血圧が下がって失神したのでしょう。
最近ちゃんと食べてますか?」
「いえ。
ここ2日は水しか飲んでませんでした」
そうなの?
医師はオレに目を合わせる。
「田中さん、タレントにこんな
無茶させてはダメですよ」
オレのせいなの?
関係ないんだけど。
「撮影かなにかは知りませんが、
無理しないよう管理してください」
「すみません」
オレは謝罪し頭を下げる。
ダイエットしてるの?
グラビアの仕事とかか?
「田中さんは関係ありません。
私が悪いんです」
それ、言わせてる感満載です。
もう、100%オレの責任になったよ。
最悪。
医師によると、今日は安静にして
ちゃんと栄養を取るようにとのこと。
特に問題はないようで、
点滴が終わったら帰宅していいそうだ。
重い病気でなくてよかった。
それを伝えると、
医師は診察室へと戻ったのである。
「とりあえず事務所に状況を伝えとく」
電話しに立ち上がろうとしたところ
「すみません。
私が食事を取ってないこと
内緒にして欲しいです」
どうして?
隠すことではないだろう。
理不尽にオレが怒られたんだ。
事務所の連中にガツンと
言ってやらないと気が治まらない。
事情があるのかな?
面倒臭いが聞いてやるか。
場合によっては、社長に怒鳴り込みだ。
「どうして無茶なダイエットをしたんだ?」
「ダイエットではありません」
えっ!
マネージャーに『食べるな』と強要されたのか?
大問題だぞ。
「お金がなくて、食べられなかったんです」
はい?
ど、ど、どういうこと?




