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第50話 とある不幸な男

 彼が少年を発見したのはごくたまたまだった。とある機関にいわゆる「おつかい」を指令されたのが事の発端で、薬物により朦朧とした彼の脳は少しだけ前に指令された事をうっすらと覚えていてソレを再度実行に移したのだ。


 以前に受けた指令の内容は「黒髪の少年、13号を捜索し、コレを確保。生死は問わずに回収せよ」こんな内容だ。


 彼は元々では農業に従事しているただの農夫だった、それがある年に凶作に見舞われる。更に不幸は重なった、野盗の襲来だ。わずかしかない作物を言葉通り文字通り根こそぎ攫うように全てを彼は失ったのだ、それこそ今まで生活してきた村ごと。不幸中の幸いなのか彼の家内と1人娘の命だけは何とか助かった。が、食べ物が無ければ飢えて死ぬしか無くなるのがこの世界の理、挙句は魔物や動物の排泄物となり果てる運命。


 学の無い農夫だった彼はそれこそ必死に知恵を絞ったのだ「どうしたら助かる?家族3人の中の誰か1人でも……」と。


 そしてそれは幸運だったのか不幸だったのかはわからないが「命だけは何とか助かる」道が閃いたのだ。……それは最後の望みを天に委ねるかのような確率の薄い賭けではあったがソレしか思い浮かばず、そしてそれしか無かった。


 年端もいかない娘を奴隷として売る。その結果、得た金銭を妻にほぼ全て渡し、自らは野盗として堕ち、この最悪の局面を乗り切ろうと言うモノだった。


 その策は結果として上手くいった方なのだろう、妻は金銭を得て当面を凌ぎつつ何とか大きな街の食堂で給仕として雇われた。しかし娘の行方はもう分からない。夫であった彼は魔物の跋扈する外の世界で息を殺し早々に1件の盗みを成功させたのだった。


 初めて行う悪事のストレスでキリキリと痛む胃を抑えながら、金属製の農具を数点盗むことに成功。極度の罪悪感は「生きていくため」と言う免罪符により緩和されてはいたのだがこの感覚と得られるモノを天秤に掛けると割に合わない、そんな思いで満たされていた。盗んだ農具は別の村で物々交換のタネとして少ない金銭とわずかな食糧へと変換され、一時的に飢えは凌げた。だがそれも長くは続かない。


 お粗末な盗みの手口、杜撰な計画だ、当然捕まってしまう。


 今度は彼が売られる番になった、その金額を彼が聞いたらどんな表情になっていただろう?笑っただろうか、それとも腹を立てただろうか?そのぐらい僅かな金額だ。


 彼は捕まった時も後も大人しかった、が、機能障害が残らない程度には殴られ、蹴られ、罵倒された。その責めを大人しく受けたのは罪悪感故。祈る神の名前すら分からないままに繋がれ、指折り数える間もなくまた彼にひもじさが襲い掛かる日が来る。


 どれぐらいかの日が経ったとき、彼を購入する人物が現れた。その人物の目は鋭く、冷ややかだったが身なりの良い女性で、それを見た彼は「この女性なら無意味に殺されるようなことも無いだろう」とタカを括る。


 ……行きつくところ、魂とは人間の記憶の事である。そしてその言葉に従うならば「彼」は生きながらにして死んだのだろう。もう妻の事も娘の事も自分の事すら思い出せないまま数年を過ごしてしまったのだから。




 ターフに大粒の雨だれが落ちてきて、たわんだ音が一行の耳に入ってゆく。めいめい、ボンヤリと雨音を聞きながら大きな木の根に座り込み雨が上がるのはいつだろうかと時を待つ。苔の匂い、森の匂い、雨に濡れた土の匂い。その中でシオンは自分の両手を眺めていた。


 黒い粒子がシオンの両手から放たれている、ゆっくりとそれは両腕に纏わりつきながら外殻を形どった。黒の地に黄色のラインが浮かび上がり、警戒色や虎の毛皮を想起させる。思った以上に簡単に一部分の変身が出来たのは今まで2度の変身を経由したからであろうか。


 「案外何とか出来るんだな、と自分で自分に驚いています」


 シオンの黒く染まった腕をヒョイと手に取り感触をニーアが確かめた。硬い、でも柔らかさも同時にある、本当に大型の虫の外側のようだとの感想を抱いている。やがてバシバシと叩いて痛覚の是非を問い、触覚の質問も同時に行った。


 「不思議なんですが、触られている感触はあります。でも叩かれても痛くないんですよ」


 「んー、じゃあ握りこむ力はどんな物かな?この石ころで試してみてね」


 ニーアがそこらへんに落ちている小石の1つをシオンに手渡し、性能実験を試みた。シオンの方は「自然石が割れたりする事はないだろう……」と思ったがいざ握りこむとベギリと音を立てて半分ほどが砂のようになり指の間から零れ落ちる。それを見たシオンが一番ギョッとした表情になり「ニーアさんが触っている時に下手に動かさなくて良かった」と一息安堵する。


 「凄いのだわ、わらわも小石を握りつぶすなんてマネは出来ないかしら。ニーアは?」


 「獣成の状態だったら同じことが出来るね、でもシオンみたいに空は飛んだり出来ないかな。シオン、全身の変身は出来るかな?」


 「……ん、何だろう?何かがまだ足りない感じがしてます。変身出来ない」


 体操するかのように身をよじり、首をかしげながら変身不可能だと伝える。しかしそれに対し全員焦りの気持ちはみじんも無かった、結局は変身しようがしまいがシオンはシオンなのだ、それで良いとの思いがそこにある。


 「シオン様、サンプルとシテ皮膚の一部分を切り取ってもヨロシイでしょうか」

 

 「そう言うのはちょっと遠慮したいです」


 微妙に残念そうな雰囲気を醸し出すイリス。ホムンクルスともなればその思考回路は常人のソレとは一味も二味も違うのだろう。


 シオンは「ふう」と一息ついて変身を解除。やはり両腕を眺めて手を握ったり開いたり動かしてみる。そしてカンと言うか結論として「内臓じゃないな、脳がどうにかなっている……?」と考えた。しかし詳しくはどうなっているのか見当もつかず、一端その思考を沈めこんだ。


 「ところでさ……おーい、そこに誰かいるんじゃないかな?雨が降っててもニオイでバレてるよー?」


 ニーアの鼻は雨の中でも良く機能していた、そしてその言葉を聞いて何の雰囲気の変化も見せずにボロのマントを頭からかぶった男が身を表す。


 その姿をシオンは記憶していて、冒険者組合の帰り道でこっちを見ていた人だと小声を発した。雨は遠慮もなく降り注ぎ、薄暗くなった森の中、チリチリした気配が充満する。

 

この世界には盗賊の類は少数ながら存在します。しかも腕に覚えがないと生きていく事さえ出来ません。

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