最果てのヴェローニャ④
立ち上がる時に少しふらっとしたけど、他は問題なさそうだった。第一、例え腕だの鼻だのの骨が折れていても、神官のクレオールなら自力で治せる。
あまり不躾にならない程度に部屋の中を改めて見回す。いかにも男が2、3人過ごしていそうな混沌とした部屋だ。2段ベットが2つ並んでいて、クレオールは下の段に寝かされていた。
もう1つのベットの下の段はミスティ以外の誰かが使っているようで、手摺りに薄汚れた手拭いが引っかけてあった。枕元には、何冊かの本と、良く分からない道具が置かれている。それから、寝巻のような服が脱いだまま適当に丸められていた。
部屋の奥には4段ある箪笥がやっぱり2つ置かれていて、8段中3段は中途半端に半分空いたままになっている。荷物を詰め過ぎて閉まらないのか、雑なのかは判断に迷うところだ。
ミスティが居るのに変だな。あぁ、でもクレオールが寝かされてたってことは、ミスティはこの部屋使ってないのか。あの魔法使いっぽい女の子と2人で別の部屋を使ってるんだろう。あれ、でもミスティの鎧、ここに置かれてるな。
「んん……?」
何だか良く分からなくなってくる。後で聞けばいいか。いや、後って何だ。別にミスティ達と長く過ごすわけじゃないし。
拾われて、そうだ、勝手に連れて来られたんだった。むしろ今だ。今、勝手に出て行くべきだろ俺。
唐突に気付いて、クレオールは自分の荷物を探す。あった。入り口の鞄掛けに、誰かの荷物と一緒に並べられている。金目のものは持っていかれただろうけど、あるのと無いのじゃ全然違う。あの雨のせいでどうなったかは分からないけど、少しの着替えや小物は残されている筈だ。
焦げ茶色の鞄を肩に背負う。勢いよく振り回し過ぎて、近くの机にぶつかった。木製の花瓶が倒れて、造花が零れる。あーあ、と思って立て直した。ミスティと同じ事を。
小さな書き物机には、ミスティ達のギルドの帳簿が開きっぱなしになっていた。不用心に思えるが、どちらかというと目を覆いたくなるような惨状だったから、防犯用にわざと偽帳簿を置いているのかもしれない。うん、そうだと良いな。
それでもそっと帳簿を閉じて、クレオールは額に中指の第二関節を当てて祈る。クレオールの祈りは何処にも届きそうにないけど、そうせずにはいられない真っ赤な帳簿だった。彼等に幸あれ。
さて出て行くか、と思って扉に手を掛けると、逆に外から引っ張られた。
「わ、わっ!」
「おっ?」
外から扉を引いたらしき人物は、軽い足取りで下がる。クレオールは思ったより足に力が入らなかった。何かを掴もうとしたけど上手く行かず、そのまますっ転んでしまう。ミスティではない女の子が短く悲鳴を上げた。
「ちょっとリーダー、何で避けるのよ! あなた、大丈夫?」
「あ、ありがと……」
何だかな。女の子の手を借りて立ち上がる。いつかの夕方のように魔法使いの杖は持っていないけれど、首元や耳元には色鮮やかな鉱石飾りが揺れていた。明るい所で見ると、ますます可愛らしい少女だ。
クレオールが立ち上がるのを助けようと、伸ばして来てくれた腕はずいぶんと華奢だった。猫の様にぱっちりとした、淡い色の青い瞳が真っ直ぐにクレオールを見つめて来る。長い銀髪は本物の銀を融かして梳いたように煌めいていた。握った手は封印者らしく、苦労していそうではあったけど。
「丸2日も寝込んでたのよ。急に歩き回ろうとしちゃ、駄目じゃない」
「2日」
驚いて、クレオールは目を瞬かせた。そんなに寝てたなんて。
「そうよ。よっぽど疲れてたのね……ところで」
クレオールが少女から手を放そうとすると、逆に強く掴まれた。にっこり。いや、にぃっごり笑って彼女は告げる。
「まさか、出て行こうなんて思ってないわよね。まさかまさか、無一文だからって、治療費払わないで逃げようとなんてしてないわよね?」
ぎりぎりと爪がクレオールの甲に食い込んでくる。苦労してるんだろうなぁ。恐怖よりも、あの帳簿を見た後だと憐れみを感じる。
「いや、あの……」
困って辺りを見回す。ミスティは遠慮なく声を上げて笑っていた。リーダーらしき青年は苦笑。
「まぁ、とりあえず落ち着け、マルガリータ。少年も困ってるだろ」
「逃げないわよねぇぇ……」
恨めしげに告げて、それでも少女――マルガリータはクレオールから手を放した。愉快そうに笑いながら、ミスティもマルガリータを宥めるように言う。
「っていうか、逃げる当てもなさそうにょん。ミルタから1人で来た神官にょん」
「ミルタ? 赤毛なのに?」
マルガリータはぎょっとしたようにクレオールの顔を見た。外国人であった母親譲りの赤い髪は、ミルタ人らしく見えない自覚はある。
「えーと、俺、ミルタ人とロザンニ人の混血で……」
まぁまぁ、とリーダーの青年がマルガリータとクレオールの間に手を差し込む。
「まぁ、立ち話も何だしな。少年が起き上がれる程度に元気なら、食堂行くか。少年も何か口に入れた方が良いだろうしなぁ」
「俺、クレオールといいます」
少年、少年と呼ばれるのも変な気分だったのでクレオールが言うと、青年は穏やかに微笑んだ。目の下の隈は相変わらず酷くて、無駄に悪人面に見えたけど。
「そうか。おれはギムレット……最近の若い子は、礼儀正しいなぁ」
「……はぁ」
ギムレットもそれなりに若そうなのに、年寄りくさい事を呟いて食堂に歩いて行く。マルガリータは、逃がすもんか、みたいな顔をしながらクレオールの横を、ミスティはぶらぶらした足取りでクレオール達の後ろを歩く。じゃっかん、市場まで連れていかれる動物の気分を味わえた。
「ここって、君たちのギルドハウス?」
「そうよ」
人類気分を取り戻そうとマルガリータに話しかけると、意外と柔らかい声が返ってきた。
「せっまくて古いけど。なのに今月の月賦、どうやって払えば良いか分からないけど。うふふ……あの腐れ神官がぁぁ……」
どうも地雷だったらしい。ギムレットは慣れたものなのか、振り返りもせずにのんびりと言う。
「まぁ、新しい神官も拾った事だし、迷宮に行ってな、ぱぱっと稼げば今月分は何とかなるだろー」
「ぱぱっと稼げたことなんてないじゃないの!」
マルガリータはギムレットの腕を掴んで喚く。
「今日まで1回でもぱぱっと! 稼げたことがあったわけ!?」
「いやー……まぁ、1回くらいはあっただろ」
「いつよ! 何年何月何日何回目の探索よ!」
「あー……どうだったかなー、ほら、あの時のアレでそのなー」
ギムレットの回答はひたすらに曖昧だ。いつの間にかクレオールの横を歩いていたミスティに小声で尋ねる。
「封印者って、そんなに儲かんないの?」
「ギルドによりけりぐしゃー」
「え、今ので何ですり潰し……」
じゃっかん引いた。ミスティはけろりとしている。
「何となくにょん。人数集めて、迷宮の安全圏ギリギリの中層で怪物ザックザック狩っていれば結構儲かるよ」
「なのに、ミスティ達はそうしてない?」
「ミスティ達はフロンティアだから」
「フロンティア?」
「食堂で座ってリーダーに聞くといいぴょん」
「あ、うん」
「にゅすー」
笑われた、んだろう。たぶん。あんまり不愉快に感じないのは、ミスティが変人っぽいからだろうか。でももちろん、楽しいわけでもない。
「……何か楽しいの?」
「ボンボンが、こんな所に来ているからおかしいじぇ」
納得いくような、いかないような事を言ってミスティは食堂に入らないで廊下を真っすぐ歩いて行ってしまう。
「え、ミスティ?」
「ミスティは食後だからいいにゃ」
「おーい、少年、もといクレオールー? どうしたんだ?」
ミスティの背中と、呼んでくるギムレットを見比べる。ミスティは振り返る様子も無い。
「ちょっと、どうしたの?」
食堂から出てきたマルガリータが袖を引っぱって来る。
「いや、あの、ミスティ出てっちゃっけど」
「ふぅん?」
マルガリータは2、3回瞬きをしてから、ミスティの背中――ではなく、クレオールをじっと見つめて来る。透き通るような淡い色の青い瞳がきらきらしていた。女子的な可愛らしさって言うか、魔法使いの神秘的な何かで見透かされるような気分になる。クレオールが半歩引くと、あっさりとマルガリータは言った。
「クレオールが気にする事でもないわよ。ミスティ、ちょっと良く分かんないところあるし。ほら、いいから入って」




