愛の言の葉⑧
んふー、とご満悦顔で鼻から息を吐き、マルガリータはギムレットを見上げる。
「どうかしら、リーダー!!」
心から慕う人に褒めて欲しくてたまらない、小さな子供みたいな顔だった。声を掛けられたギムレットも抵抗無さそうに笑顔で応じる。
「よーし、偉いぞー、凄いぞー!」
「何か、適当!!」
マルガリータは不満そうに頬っぺたを膨らませて、ぷいっと横を向いてしまった。ギムレットは微笑ましそうにマルガリータを見つめている。
クレオールも、マルガリータみたいに真っ直ぐと甘えることが出来たら、たぶんこんな事にはなっていなかった。臆する事無く、両親に『自分も愛して欲しい』と手を伸ばすことが出来たら、きっと何かが違っただろう。
だけど、昔の事だ。もう、どうにもならないことだ。知ってる。だから、クレオールは今、出来ることをするしかない。
遠慮してる場合じゃない。それは誰のことも救わなかった。誰のことも幸せにしなかった。
「……クレア!」
正しくなくて良い。マルガリータみたいに、誰かに褒めて貰えなくていい。笑われたって、罵られたって、もうどうでも良い。
クレアの為に厚くなった聖書を掲げた。
――ただ、もうこうしないと、クレオール達は終われない。
クレアは呼び出した同胞を瞬く間に喪い、青褪めた顔を更に青くして地面に座り込んでいた。もうどうにもならないと分かっているだろうに、瞳だけは小賢しげに輝いている。口先だけで人を呪えると信じている顔だ。
実際、その予想は間違っていない。両親を好きなように操り、クレオールを呪い続けたクレアだ。実績は十分だ。
「お兄、さま……」
クレアが何事かを囁く。だけどもう良い。そういうのはもう飽きた。掲げた聖書を更に振りかぶって走る。ここなら、もう、届く!
「いい加減に、しろー!!」
クレオールが生まれて初めて人に向かってぶん投げた聖書は、奇跡のように綺麗にクレアの顔面にめり込んだ。
実体のない筈の亡霊が、仰け反って倒れる。
「うはははは! やりやがった!」
ダイキリが歓声を上げる。
「もげげげげ!」
笑うミスティも、割と満足そうだ。
「ちょっと何やってんのー!?」
マルガリータが唯一まともな悲鳴を上げる。
「うむ。良いスイングだ」
スティンガーにまともなコメントは期待してない。だいたい、スイングって間違ってないか?
「そーだなー」
誰に同意したのか分からない、ぼんやりした声をギムレットが上げる。おっさん、また眠くなってないか。もういいけど。
仲間の声を聞いて、彼らの存在を意識しながらもクレオールは止めなかった。
これが、最初の、本当に、本当の、クレオールの言葉だ。のろのろと身を起こすクレアの肩を掴む。掴めないかもな、と不安に思う事も無かった。クレオールはクレアだ。クレアはクレオールだ。手が届かない、筈がない。
「お前が俺のことを嫌いなくらい、俺だってお前のことが嫌いだった!」
クレアが何かを言い掛けて、やめる。クレオールと同じ色の瞳が、じっとクレオールを見つめて来る。
「お前が何も無いくらい、俺にも何にも無かった! お前に誰もいないくらい、俺にも誰もいなかった! 友達もいないしな! お前が何にもなれないくらい、俺だって、俺だって神官以外の何物にもなれなかった!」
クレオールとよく似た顔が、不意に歪む。笑おうとして、失敗した時の無様な顔。
「……知って、おりますわ。お兄さまは私ですもの。私は、お兄さまですもの。私達は、双子、ですもの」
クレオールとクレアは、やっと分かり合えた。
愛し合えないという一点で、やっと同意した。
お互いを見ているだけで辛いという点は、同じだったのだ。
「……お兄さま、私は、何処へ行けば幸せになれるのでしょう……?」
クレアはやっとその言葉を口にする。寒い迷宮の中で、心細そうに辺りを見回した。
「ずっと、ここにいなくてはならないのでしょうか……? お兄さまに対して、恨みを抱いて死んだから?」
「最期まで俺を呪うなって。お前の兄が何だと思っているんだ」
「嘘吐き……だって、はじめのはじめから、私は気付いていましたのよ。私を助けられるはずが無いって思っていらっしゃることを」
「ぐぅ」
「その上で、両親に大嘘を吐いた親不孝者。お母さまに恨まれて当然ですわ」
「ぐぅぅ」
「お父さまにもお母さまにも好かれていない、私を助けられなかったお兄さま!」
「ぐぅぅぅ……やっぱ帰ろうか。このままヴェローニャに帰ろうか」
「バカなこと言わないの、クレオール」
胸を押さえて呻いたクレオールに、マルガリータが聖書を差し出して来る。クレオールが放り投げたのを、拾ってくれたらしい。
受け取ろうとすると、マルガリータの指先で小さな桜色の光が弾けた。
クレオールも、マルガリータも目を瞬かせる。先に微笑んだのは、マルガリータだった。
「ほら、天上の御方も、これが正解だって仰っているわ」
「みたいだね」
そっとクレオールの肩に手を置いてから、マルガリータは数歩下がる。
クレアは、渋々と言った風情で最後に付け加えるように言った。
「……それから、神官にしかなれなかった、お兄さま」
「そうだよ――クレア。大丈夫だ。これからクレアは俺のいない所に行くんだ。きっと幸せになれるさ」
「……そう、ですわね……」
クレアがそっと目を伏せる。慣れた声で、誰かが囁く。亡霊であるクレアの隣に立って、亡霊よりも亡霊らしい、昏い瞳で囁く。
『クレアが成仏できると思うか。こんなに世に、俺に、恨みを抱いているのに?』
出来るよ。
声に出さずに、そいつに――クレオールを呪うクレオール自身に言い返す。
黙ったまま、聖書に魔力を流した。探さなくても、必要な頁は開かれる。これは奇跡だろうか。天上の御方は、見守っていてくれて、クレオールとクレアを許してくれているのか――そうだと、良いな。
「第99節――あなたが何処へ行くのか、あなたはその道を知っている」
ぽわっ……と見たこともないちいさな白い花が、クレアの足元に咲いた。白い花は迷宮のあちこちに広がって行く。闇を侵食するように、凄まじい勢いで花は増え続けた。輝きの中心にいるのは、クレオールとクレアの2人だ。
クレアは目が眩むような光に包まれながら、少しずつ現世から姿を失っていく。砂像が崩れるように、恨みが解けて行くように。光の中に消えて行く前に、本当に、本当の最期に、クレオールに手を伸ばして囁いた。
「……私はいきます。お兄さまも、私のいない所で、きっと幸せになってくださいませ」
ほら、言っただろう。
出来るさ。
クレアは。
「……きっと約束するよ」
クレオールも手を伸ばす。触れた、と思ったか思わないかで、クレアの姿が完全に迷宮から消える。
「約束する」
もう、クレアには、2度と会えないだろう。
――いいえ、いつかはまた。でも、うんと遅くにいらしてくださいね。
遠くでクレアが囁いたような、気がした。




