愛の言の葉⑦
「私が、何に……」
クレアはそう呻いて、黙り込む。
どうなんだろう。
って言うか、今ここにいるのは本当にクレオールの妹なのか。十把一絡げの迷宮の怪物とは違うのか。ここにいるクレアが、本当にクレアの亡霊であると、誰が保証出来るのか。
クレオールの疑念に気付いたように、くくっ……とクレアが笑った。
「私が、何になれると、思ってらっしゃいますの……!?」
「いったん撤退ー!!」
マルガリータが悲鳴のような声で叫んだ。ダイキリは既に「うぉわぁぁぁっ!」と悲鳴を上げて逃げ出している。
クレオールの襟首も、再び引かれる。人間の腕に、じゃない。狼の顎に、だった。
「う、わわわっ!?」
いつ脱いだんですかとか無粋な事を考えるのはやめておく。狼の背中におぶってもらうような形で、首に腕を回す。今にも振り落とされそうだ。凄まじい勢いで、スティンガーはクレアから離れるように駆けて行く。
「酷いわ……酷いわひどいわ助けて私の同胞たちっ!! 地の底からいらして――!!」
今のクレアの同胞――すなわち亡霊が、悪鬼が、迷宮の地面から這い上がって来る。スティンガーの足元からも、幽鬼が手を伸ばしてきてクレオールの腕を掴む。掴まれた、と思った時には、スティンガーの背中から振り落とされて、天も地も分からなくなるような勢いで地面を転がる。
天井からも、白い指が見えたと思ったら、掌が、腕が、肘が――そうして亡霊が顔を出した。無邪気に笑う子供の亡霊が、クレオールの首に手を伸ばしてくる。かつての母のように。
「う、わぁああああああああっ!?」
喚いて振り払おうとするけど、相手は実体のない亡霊だ。こちらが腕を掴み返そうとしても、霞を掴んだように何の感触も無い。だというのに、相手は確かな力でクレオールの首を締めあげて来る。何て理不尽。何て非常識。これが怪物。これが迷宮!
「ウィル・ト・オ・エスク・ケラ・セラ!」
マルガリータが熱風の魔法を使った。生者の熱に怯えるように、子供の亡霊がクレオールの腹の上から逃げて行く。うん。俺の顔もかっぴかぴになってひり付いてるけど、助けてくれてありがとうメグ。瞬きをすると、何とか目が潤った。辺りの光景が見えるようになる。
スティンガーが、悪鬼の足を噛み千切った。ダイキリが悪鬼に向けて銃を構えかけて、逆さ向きの女の亡霊に武器を取り上げられる。マルガリータが新しい呪文を唱えかけて、子供の亡霊に首を絞められる。
ミスティが珍しく必死な顔で、祝福された盾でマルガリータの首を絞める亡霊を殴りつけた。効いてる。良かった。
違う、そうじゃなくて。俺の聖書は?
「ほれ、少年」
この期に及んで呑気な声で、ギムレットはクレオールに聖書を差し出して来た。
「……余裕ですね」
受け取りながら、思わず愚痴るように零してしまった。ギムレットは穏やかに微笑む。
「そりゃなぁ。鬼は斬れば良い。ダイキリとスティンガーも何匹かは始末してくれるだろうさ。亡霊は、少年とミスティとマルガリータがどうにかするだろう?」
「はぁ……そういう、問題でしたっけ……」
「なぁに、そういう問題を解決した後、残った問題を考えれば良いのさ」
よっこいせ、と年寄り臭い声を上げて、ギムレットが剣を抜いた。
宣言通り、手近にいた悪鬼の首を斬る。
斬って斬って斬り捨てていく。野菜か、初心者が訓練に使う藁人形でも斬る様な気軽さだった。
神官は護身術や、神殿を荒らす野生の動物を相手にする捕縛術を習う。現代では形式じみているが、それでも多少の心得としてクレオールもある程度の戦い方は身に着けている。ギムレットのそれは、クレオールの知っている戦い方と全く違った。
防御とか、回避といった観念を知らないようだった。繰り出される攻撃は全て必殺の意図しかない。振るう剣戟はどれもこれも大振りだ。自分の安全など一切考えていない。怪物を殺すことしか考えていない。
真面目に見ていると胃が痛くなりそうな、大胆過ぎるギムレットの補助の為にミスティやスティンガーが走り回っている。そういう感じだ。クレオールも、ほんの少ししか役に立たないだろうけど、攻撃遮断の法術をギムレットに投げかける。
「第40節――草は枯れ、花はしぼむ。しかし、その言葉は永遠となる!」
光輝く壁が、ギムレットの背後に向けて振り下ろされた悪鬼の斧を弾く。法術の光に照らされたギムレットの横顔は、悪鬼よりも悪鬼じみていた。ギムレットは振り返り様に、長剣を一閃させた。悪鬼の首が空中を舞って、床に転がる。
おーう、すまんなぁ、とか呑気な声を投げられるかと思ったけど、ギムレットは何も言わない。ただ、怪物を斬って、斬って、斬り殺していく。
怪物を斬り捨てる表情は、ただただ愉快そうだ。剣の一振りで、確実に悪鬼や亡者を屠って行くギムレットを、クレオールは少しだけ哀れに思う。この人も怪物だ。守ってもらいながら、ここまで連れて来て貰いながら、最低な考えだと思う。だけど、ギムレットを人とは思えない。怪物だ。だって、あぁ。
盾でギムレットを庇ったミスティが、防ぎ損ねた。顔、に見えたけど、首をやられたらしい。酷い出血だ。悲鳴すら上げられずにその場に頽れる。だけど、ギムレットは一顧だにせずまた別の悪鬼に斬りかかる。
「ミスティ!」
ミスティの傍に膝を突く。スティンガーが、獣の様な咆哮を上げてクレオールを狙った亡霊を追い払った。ミスティは、あ、はっ、は、は、はふっ、と笑っているような浅い呼吸を繰り返している。必要な頁を探さなくても、聖書が開かれる。
「第32節――幸いなるかな、傷つきし者。その人は癒されん!」
「……かふっ!」
塊のような血を吐いて、ミスティが四つん這いになる。すぐに立ち上がろうとして、失敗してこけた。
「ミスティ! そんな急に動いたら……」
「いいから、治療、を、続けろにょん、クレオール」
白い貌と三つ編みを血で汚しながらミスティは呻く。
「リーダー、守らないと。ミスティは、聖騎士なのだから。転がっている、場合じゃ」
「……」
答えずに、治療を続ける。ミスティの瞳には、執念じみた光があった。
「リーダー、大人だけど、ギルマスだけど、色々、足りない人だから。だから、ミスティ達が、いるのだにゃん」
分かるよ。
簡単に言ってはいけないのだろうけど、分かった。
迷宮でしか生きられないと、1人では生きられないと、言ったギムレット。彼がリークスに語ったのは理想でも謙遜でも何でも無い。この人は1人では生きられない。
哀れで、頼もしい、悲しい大人だ。
だけど、クレオール達の庇護者で、自由の担い手でもある。だからミスティもマルガリータもダイキリも、離れられないのだろう。
ミスティ達がいなくなったら、きっとギムレットは怪物を斬って、斬って、幸せそうな顔のままころりと迷宮で死んでしまうだろう。そうしてミスティ達は、何者にもなれなくなってしまう。そんな、気がした。
「ウィル・ト・オ・バム・ダ・ケラ・セラ!」
マルガリータの高い声が響く。ギムレットに近付こうとした亡霊が、炎精霊が引き起こした爆発で身体を薄れさせる。
「……あぁ、もう! キリがないったら!」
苛立たしげにマルガリータが両手で髪を掻き回す。ダイキリが悪鬼の頭を撃ち抜いて叫んだ。
「ヒスってんじゃねぇ! 小姑!」
「うっさい! もぅ、もう! 亡霊とかしつこいし腹立つ! ほんとにもうっ! 数っ、多すぎるのよっ!」
確かに多い。ギムレットが斬っても斬っても、迷宮の床や壁から湧きだすように悪鬼は現れる。何かの悪い夢のような光景。
だけど、迷宮内に飛び散る鮮血と、床に積み重なっていく魑魅魍魎の肉片は本物だ。転がる死体は、どういう理屈なのか途端に腐り始めた。今や迷宮の床を埋め尽くすような死体達は、酷い臭いを放っている。
「……う……ぇっ、け、ふっ……!」
あまりの腐臭に、とうとうマルガリータが詠唱を中断してえずく。クレオールだって、集中して詠唱するなんて出来そうにない。集中力を途切れ欠けさせたクレオールを叱る様に、ミスティが立ち上がって剣を掲げた。
「第43節――恐れるな! 貴き御方は我らと共に在られる!」
解毒――いや、浄化の法術だったはず。聖騎士は治療に関する法術は使えないけど、他者を守るための法術の扱いは神官より秀でている。
空気の動きなどほとんどない筈の迷宮で、強い風が吹いて腐臭が押し流される。浄化の風は淡く金色に輝いているように見えた。
神官の癖に法術に懐疑的で、迷宮まで来たくせに臆病で、妹の前に立ってまで踏ん切りがつかなくて――自分自身が何もかも中途半端だから、他人の素晴らしいことを頭から信じられないクレオールでさえ、奇跡と言うものを信じたくなるような光景だった。
金色の風に銀色の長い髪を靡かせて、マルガリータが杖を掲げる。マルガリータの青い瞳が、耳元の鉱石が、魔力を帯びて輝く。白い肌すら煌めかせて、魔法使いは高らかに唱えた。
「ウィル・ト・オ・ノーラ・オーラ・アム・ラ・ダ・イルム・クリャ・ア・ラ・ゼクト・マーウ!」
魔法使いの歌の様な、祈りの様な声に惹かれた精霊達が、暗い迷宮内で踊る。マルガリータが、魔法使いの杖で地面を突く。
「マルガリータ・ララ・ケラ・セラ!」
クレオールに、マルガリータ達魔法使いの扱う呪文の意味は分からない。だけど確かにその声に請われて、精霊達が愛しい魔法使いの為に亡霊を蹂躙し、悪鬼の死骸を灰と化し、あらゆる悪なるものを薙ぎ払った!




