愛の言の葉⑥
そこまでクレオールが一息に話した時、耐え難い位の寒気に気付いてクレオールは辺りを見回した。
マルガリータもダイキリも、らしくもなく神妙な顔をしてそちらを見た。
「……ひ……どい……わ……」
まさに地獄の底から響いてくるような。陰鬱な声で、それは呻いた。
「ほんとに出るとか堪んないもげー」
ミスティが軽く言って立ち上がる。ほ、ほんとに……クレオールも半信半疑で、それを見つめる。
クレオールと同じ、特徴のない赤毛。病的に線の細い少女が、そこにいた。
記憶の中と同じように、赤毛を長く伸ばしていた。座っている地面に、髪で不吉な赤い模様が描かれている。着ている服は、寒い迷宮には不釣り合いの薄い絹の寝間着。それなりに年頃の娘の筈なのに、痛々しいほど痩せていて、胸元はぞっとするくらい平坦だ。
生まれてから1度も外を歩いた事の無いはずの肌は、呪いのように青白い。俯いているクレアの表情は分からない。地面に座り込んで、赤ん坊が這うように、両手を付いてこちらへ近づいて来る。
「く……クレア……?」
「ひ……どい……わ……。お兄、さま……返して、ください……私の……持って、いらっしゃるんでしょう……?」
「持ってるって、な、何を……?」
思わず半歩踏み出しかけたクレオールの首根っこを、ミスティが引っ掴んで下がらせた。
「しばらくは話なんて出来ないじぇ! ダイキリ! メグ!」
「おうよ!」
「……!!」
ダイキリは楽しげに応じて、小さな瓶を振りかぶった。呪文の詠唱の途中らしいマルガリータは、何も言わずに、力強く頷く。小瓶を、ダイキリが投げる。
「これでマジで最後だ!」
「ウィル・ト・オ・バム・ダ・ケラ・セラ!」
マルガリータが、小瓶を爆発させた。破片を避けるために、顔を庇いながら2人は下がる。クレオールが、どの文節を選べばいいのか分からないまま、聖書に魔力を流す。マルガリータ達の治療の準備か、クレアの祝福か――悩んでいると、ひょいっと、後ろから誰かに聖書を取り上げられた。
迷宮の怪物? いや、そんな馬鹿な。振り返る。スティンガーだった。
「えーと、いきなり存在をアピールされても……もとい、返していただけると……」
「……素直か」
「は?」
「いや、何でもない。リーダー!」
クレオールをからかう様に、スティンガーは聖書を放り投げた。
「おー」
呑気な声を上げてギムレットが受け取る。罰当たりだなあんた等。
「え、いやちょっと、何なんですか!?」
「聖書、はー」
ミスティが、普段のもげっとした、まったりとして頭の痛くなる変な声で、言った。
「あくまで、指標。愚かな人の、指針。つまりは守るのが好ましい、何かしらでしかないもげ。今なら聖水を浴びて、すこし話が出来るはず。あのねぇ、クレオール。妹と本気で語り合いたいなら、聖書の言葉じゃなくて、家族の、兄の言葉で話すべきだと、ミスティは思うの。ミスティ正しいと思う人は、挙手―」
腕は、5本上がった。
「ほら、行け! 神官! つーか、クレオール!!」
ダイキリに背中を押される。割れた聖水の小瓶の欠片を踏んだら、シャリシャリと涼やかな音がした。
「話す、って、何を……」
「そのために、こんなとこまで来たんでしょ!!」
マルガリータにも、腕を掴んで引っ張られる。クレアは俯いている。クレア。可哀想なクレア。俺を憎み続けたクレア。どうして。どうして俺が。どうして俺だけを。
「……クレア?」
「お兄さま……」
ゆらりっ。と長い髪を揺らして、クレアが顔を上げる。
もはや迷宮の怪物となり果てた妹がどんな顔をしているのか、不安で無かったと言ったら嘘になる。だけど、幸か不幸か、クレアの顔は生前とほとんど変わっていなかった。と思う。生前のクレアの顔を、これほどまじまじと見つめる事は無かった。いつだって、その瞳に耐え切れずに床に視線を移してしまっていたから。
「クレア……」
あぁ、何て不様な鏡だろう。
そこに、クレオールがいた。
自分の運命の何もかもが気に入らなくて、不機嫌そうな表情を浮かべている。誰を恨めばいいのか分からないから、近くにいる誰かを呪うことにした、その顔。
クレアはほんの少し微笑んで、呪文のように一気に唱える。
「――ねぇお兄さま、私は不幸なのよ可哀想でしょう苦しいのよ外を歩いたことなんて無いのよ辛いのよ」
そう呟いてクレアを呪ったのはクレア自身だ。
クレオールを呪うのがクレオールでしかなかったように。
「――お兄さまはずるいわ健康で立派な神官でみんなに褒められて。私はこんなに不幸なのに酷いわ、優秀なのを見せつけるなんてひどいわ。私を治すだなんてひどいわ、そんなことは思ってもいないくせに!」
ずっと昔から気付いていたのだと、言わんばかりに。
クレオールに叩き付けるように、クレアは叫んだ。
「お兄さまの、『嘘吐き』……!!」
クレアはすすり泣く。怨みが迷宮を凍りつかせていく。
「――ひどいわずるいわ。私に友達を見せつけるなんて。私には誰もいないのに。私には何にもないのにお兄さまはいつもそうだわ、ひどいわ……!!」
何て、不様で惨めで――それでも手を伸ばさずにはいられないのか。
それはクレアがクレオールだからだ。同じ呪いを自分に掛けてしまったからだ。そして――呪いの解き方を、クレオールはギルド『奈落』に教えて貰ったから。
「――クレア。そういうのは、もうやめよう」
クレアがゆっくりと顔を上げる。恨みと哀しみで曇った瞳をじっとクレオールに向けてくる。
笑ってしまうくらい、見慣れた瞳だった。クレオールの瞳とそっくりだ。そうか、僕達はこれほどまでに似ていたのかと、こんな時なのに感心してしまう。
もっと早く、気付ければ良かったのに。
そうしたらクレオールとクレアは、お互いに呆れることが出来ただろう。こいつは駄目だと呆れて、軽んじて――少なくともこんな風に憎み合う必要が無いことに気付けた筈だ。こいつは羨むほどではないと、見限ることが出来た筈だ。
随分遅くなった。でも、クレアはここに居る。そうしたら、手を伸ばして教えてやらないと。
「クレア、僕だって、僕だってクレアの事が羨ましかった。クレアはいつだって父上と母上の一番だった。誰もいないなんて、何にもないなんて、言うなよ」
ふるふる、とクレアの亡霊が首を振る。クレアの周りの地面が、少しずつ凍り付いて行く。振り撒かれた聖水が、氷の粒に変わって行く。
「……お兄さま。では、では、そうだとしたら、私は誰を、何を、恨めばいいのですか……?」
「クレア。お前も僕も、こんなところまで来て、会ったんだ。迷宮だ。奈落の、底だよクレア。ここが一番下だ――クレア、恨むのはもうやめよう。そんな風に不幸で、周りを呪って恨んで蹲っていたって、仕方ないじゃないか。お前は、病気と良く戦ったよ。それは、本当に思う。だから、僕はクレアの為に出来ることをする。僕が持っているものなら、何でも渡す。クレア――なぁ、たぶん僕達は、幸せになっていいんだ。誰を恨めばいいかじゃなくて、クレアが何になりたいかを教えて欲しい。僕はクレアの為に、出来る限りのことをするよ」
クレアはじっと黙ってクレオールの言葉を聞いていた。クレアの何処か拗ねた様な目が、ほんの少し笑む。誰かが嘲るように、クレオールの耳元で囁く。
『なぁ、それは本当にお前の本心か?』




