ギルド『奈落』の今昔物語①
目を開けると、中途半端に曲げられた自分の指と手のひらが見えた。この形が一番楽なんですよね、と脱力し切った指は控えめに主張してくる。
指だけじゃない。横向きになって、軽く丸まった背中と足も、この体勢が一番楽なんですよね、と主張してくる。この体勢でずっと居たいんですけど、どうにかなりませんかね、と。
どうだろうな。俺もこうしていたいのは山々だけど。だけどちょっと考えてみてくれ。ここは寝心地が悪すぎるだろう。何か固いし埃っぽいし寒いし。だから、もうちょっと協力してみるのはどうだろう。
空しい独り芝居を脳内で繰り広げて、身体を宥める様にしながら起き上がる。動く度に、クレオールの身体の上に積もった小石がカラカラと音を立てて落ちる。地面に打ったのか、何かがぶつかったのか、左肩がひどく痛んだ。
「何なんだ、もー……」
呻くと、埃っぽい空気を吸ってしまって噎せる。クレオールの咳の音は、静かな迷宮に響いて、消えた。
静かだ。
さっきまで追い掛けて来ていた、緑豚族の足音も装備の音も聞こえない。ダイキリの喚き声も、ミスティの変な声も、マルガリータの金切り声も。
……どういう状況?
辺りを見回す。瓦礫の山の上に、クレオールは座っている。天井――というか、上階の床が抜けている。その上がどうなってるのかは、暗くて良く見えない。これは幸福な事だけど、緑豚族の死体も、ギルド『奈落』の面々の死体も見当たらない。
おそらくダイキリが何かをして、天井を落とした。緑豚族と、クレオール達を分断する為だろう。かなり荒っぽいやり方だったが、それを今言っても仕方がない。
おそらくそれなりに上手くいって、緑豚族は引いたか、別の場所に移動するかしたんだろう。で、何でクレオールは1人で倒れてたんだ?
……置いて行かれた?
それならそれで問題ないけど。いや、悲しいけど。でもとにかくリーダーだかスティンガーだかミスティ辺りの判断ならそれで良い。ただ生憎、神官のクレオールを置いて行くメリットが思い付かない。
クレオールが勝手にはぐれて、マルガリータ辺りが怪我をしていたら。そうしたら、少し、困る。どーにもこーにも変なリーダーとメンバーだが、彼等は倒れていたクレオールを拾って治療する程度には善人だ。何かしら恩返しが出来たら良いなとは思う。
もしくは――彼等の為、とか分かりやすい理由をくっつけないと、歩き出せないのかもしれない。迷宮は寒い。足先の方は既に感覚が無くなってきている。歩かなくては。何処かへ行かなくては。でも、何処へ?
前も後ろも何の変哲もない通路が続いているだけだ。どっちへ行けばいいのか。どっちでも良いのか。
「何か、書き置きでも残していこうかな……?」
先が尖った瓦礫の欠片を拾って、壁を引っ掻く。黒っぽいけれど、奥の方からうっすらと光っているような不思議な壁に白い文字が残せる。矢印と、『こちらに向かいます・クレオール』と書く。気付いてくれるか――そして、気付いてもクレオールを探してくれるかは、分からないけど。
指先を温める様に、手を揉みながら歩き出す。何だかな。諦めるならすっぱり諦めて、ここで凍死するなり、怪物に見つかって殺されるなりすれば楽だろうに、出来ない。
だけど、昨日今日に会ったばかりのギムレット達が必ず探しに来てくれると期待しきることも出来ない。つくづく中途半端なのだ。クレオールは。
もっと酷い目に遭えば、こう、自暴自棄になることも出来たかもしれない。でも、まだそんなに大したことなんてクレオールの人生には起きてないような気もする。
ほんの少し良い事もあったし――例えばマルガリータの作った料理が美味しかったとか、そういうことだ――これからもあるかもしれない、なんてふんわりした期待がある。
いや、無いよ。この先お前には幸せな事なんて1つも起こらないよ、と誰かに言われたら――まぁ、その時考えよう。
とぼとぼと歩き出す。クレオールの足音がやけに響く。壁に音が反響しているせいか、2、3人分の足音のように聞こえる。誰かと寄り添い合って歩いているような気分になる。
『迷宮の深部まで行って。』
誰かがクレオールの耳元で囁く。
『本当にやり直せると思ってるのか。』
精一杯賢しげな顔をしてそいつは囁く。
『そもそも、やり直したからって、また始まるのはお前のクソみたいな人生なんじゃないか。』
「……その可能性は否めない」
クレオールは足を止めて、心底うんざりしながら頷く。だけど、どうしろって言うんだ。首でも吊れと言い出す気かこいつは。もうクレオールは歩いていないのに、足音は止まらない。こつりこつりと、静かな迷宮に単調な音が響く。冷気に足首を掴まれた様な気がした。
……本当に、誰か、いる?
「クレオール?」
身体を固くしたクレオールに掛けられた声は、存外柔らかかった。多少、怪訝そうでもあった。
「なぁに、独り言? っていうか、何で勝手に1人で移動しようとしてるのよー」
最終的にはちょっと不機嫌そうに、マルガリータは言う。ぷくっと頬を膨らませて近付いて来た。
「……え、メグ?」
目を擦る。本物っぽい。多少、埃で薄汚れている以外には怪我もしていなさそうだ。薄い胸を張って、誇らしげに答えて来る。
「そうよ」
「何で?」
「何でって?」
マルガリータは目を瞬かせた。本気で不思議そうだ。クレオールは後方の瓦礫の山を指す。
「……俺、さっき瓦礫の上で目が覚めて、1人かと思ってた」
「やだ。あたしが残したメモに気が付かなかったの? 壁に書いておいたじゃない。『目が覚めてもそこで待ってて』って。だいたい、あたしの荷物もあそこに置きっぱなしなのに」
「ごめん、全然気付かなかった……」
「もー、仕方ないわねー。とりあえず、戻るわよ」
マルガリータにぐいぐい背中を押されて引き返す。
「まぁ、あたしもクレオールの目が覚めるまでは近くで待ってれば良かったわね」
「向こうに何か用事があったの?」
「何かって用事って言うか……」
マルガリータはちょっと言いよどむ。もにゃもにゃと、「お花を……」とか言いかけて、クレオールの背中をぶっ叩いて来る。
「やっぱ何でもいいっ! 目が覚めて良かったわ、クレオール。あなた、叩いても揺すっても起きないから、どうしようかと思ってたの」
天井が落ちた場所まで2人で戻る。マルガリータが言った通り、彼女の荷物が通路の端に置かれていた。
クレオールが書き置きを残したのとは反対側の壁に、マルガリータの字も彫られている。「ほらね?」と言うマルガリータに苦笑して頷くしか出来ない。クレオールは落ち着いている振りをしてるだけだった。こんな事にも気付かないなんて。
マルガリータが地面にふわふわした毛織物を敷く。薄暗いからはっきりとは見えないけど、マルガリータが着ている服と同じような幾何学模様が織られていた。ほんとは1人用なんだろうけど、「ほらほら」と隣を勧めてくれるからありがたく毛織物の上に腰を下ろす。
マルガリータがぴったりと腕にくっつくようにして座って来る。じゃっかん照れるけど、温かいし、クレオールが逃げるのも何か違うかと思うと動けない。
「……ちょっと、休憩」
ふぅっ、とマルガリータが息を吐いた。ほんの少し、吐いた息が白く浮かぶ。
「他の、みんなは?」
「分からないわ。あたしが気付いた時には、あたしとクレオールだけが倒れてたから」
「そっか……それは、困るね」
「うん。でもまぁ、リーダーもダイキリも馬鹿だから無事でしょうし、ミスティもスティンガー上手くやるだろうから無事に決まってるし、そしたら、あたしたちは待ってれば大丈夫よ」




