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ジェンガ、覚醒

 ジェンガが短剣を化け物に向ける。影は、イノシシのような骨格をしているが、鼻の先っちょが不思議な形をしていた。

(トランペットみたいだな……)

 伸びた先は鼻が開くようになっており、いわゆる穴は一つしかない。取ってつけたような鼻だ。それを器用に動かして、地面をバンバンと叩いている。

「あいつはトラリコ。一瞬も見逃したら、胸が破裂するほどの勢いで飛んでくる」

 耳を疑った。

「さぁ、あれを!」

 ネシプレを取り出して『ドヴォルザーク:新世界より第四楽章』にカーソルを合わせる。そして、再生ボタンを押す。こんなにたくさん一つの曲を聴くのは、ホントに好きなものを見つけたときだけだ。ジェンガは今、そういう状態なのかもしれない。

 ジェンガは、鋭い眼光を利かせている。トラリコも、しわだらけの目で見つめる。曲が始まる。重い、地の底に引っ張られるようなイントロが、一度なる。

「さぁ来い!」

 カチャと剣が鳴る。二度目のイントロで、トラリコは体の軸を変える。

「ふぅー……」

 そのイントロは間髪をも受けずに何度も何度も鳴り続ける。音が上がり始める。心臓の位置が上がっていく感じがする。それと同時に、ジェンガとトラリコは足を踏み出す。

 新世界の扉が開かれるような旋律の一音が、トラリコの鼻からなる伸びる重低音と、ジェンガの剣とぶつかる。火花が散る。刃こぼれしていたはずの短剣からキィンと金属音が聞こえる。決して折れたりはしなかった。

 まだ、まだ、世界の創造は止まることを知らない。何度も、何度も見せつけてくるような圧巻の音圧が、どこか目の前の少女と、化け物の対峙を劇化させる。

「トラリコに召された国民の仇、知るが良い……!」

 その瞬間だけは、警護隊に憧れる少女ではなく、まさしく憧れそのものだった。国の使命を背負い、魂を乗せた剣を振り下ろし、背中に掲げる旗文様に捧げる。

 剣はしばらく力を留めたまま、訪れるのは力強いパートからは一変した北欧の旋律。どこかリズミカルで流れるようで、その中に含まれる力強さは血のようにドロドロしている。ジェンガが切り落としたトラリコの血のように。トラリコは苦しそうな声を上げて地面に倒れる。地鳴りが響く。倒れたトラリコも、壁のように大きいことが、土埃の向こうにそびえたつ陰で分かる。

 新世界の余韻がまだ伸びそうなところで、音量ボタンを少しずつ下げてゆく。いきなり停止ボタンを押すのは、音楽に対する冒涜に近い。土埃が、フェードアウトしていく。

 トラリコは既に動かなくなっていた。ジェンガは剣に付いた血を地面に勢いよく散らす。

「できた……いつも、血すら出せないのに……」

 燃え尽きないジェンガがあることは、目の奥からひしひしと伝わってきた。

「あ!」

 死んだと思ったトラリコは、どうやら致命傷を避けたようだった。そのまま立って走り去っていってしまった。

「んー、まだまだだなぁ。でも、私でもできるんだね。コウジ、すごいな! そのオンガクというやつは!」

 ジェンガは剣を勢いよく納めた。『新世界より』によってジェンガが張り切るのは良いが、俺は知っている。どんな曲であろうと。どんなに心を打ち抜かれようとも、いつか、人は曲に飽きてしまうことを。現に、何度もこの短時間で有名な旋律だけを聴き続けた僕は若干飽きていた。

 僕は、無意識に次の曲を見据えていた。

『スメタナ:我が祖国』

 これを流すときは、よほどの時だ。

「ジェンガ、こういうのが好きなのか?」

 ジェンガはしばらく考えていた。

「分からん!」

 笑顔で答えるジェンガに、若干顔が引きつった。その理由は明白だ。あまりにも普通に、当たり前のように、ジェンガは武器を振ることができるからだった。

「コウジ、疑ってごめん……」

 自分よりも何倍も大きな化け物を血祭りにした少女とは思えない。

「救世主っていうのは、信じないけど、とにかくすごいっていうのは認める」

 ジェンガがもじもじしている。血まみれの顔で。

「だから、さ」

 ジェンガが上目遣いで見てくる。

「一緒に、メリディアを救おう?」

 良くない。非常に良くない感情がふつふつと湧いてくる。よくよく見ると、このジェンガ、顔立ちは整っている。

「え、あ、う、うん。もちろん。僕はそのために来たし……」

 そう言うとジェンガは微笑んで教会へと走っていく。一人になって、また無音がやってくる。

 ふと空を見た。女神は、今のこの状況を見ているのだろうか。というか、女神は普段どのような生活をしているのだろうか。

「おーい女神、バディは少女以外が良かったぞ」

 そう呟いても、何も起きない。何も聞こえない。音楽を聴きたかった。イヤホンが欲しかった。今すぐに、イヤホンの持ち主を探さねば。音楽を聴きたい……!


 僕は頭が破裂しそうだった。ここで流しても二次災害を起こしかねない。音楽が聴きたい。ネシプレを使いたい。音楽、音楽、音楽、音楽……!

「コウジー?」

 ジェンガのその声で、ふと我に返る。歩いて追いかけると、ジェンガはまた走る。教会の扉を開けながら、ジェンガは「お母さん!」と中へ入る。

「私、できた! オンガクがあればできるよ! 覚醒したよ!」

 血まみれのジェンガを見て、卒倒しかけるエナが見える。平和だなと思った。しかし、イヤホンを早く見つけなければ不味いとも思った。

 どこか、暴れてしまうか、壊れてしまうか。音楽に囚われたからこその副作用が、だんだん恐ろしいものに感じてきた。それは、自分に向けた恐怖だった。

「救世主様、こ、この血はなななななんですか……」

「ジェンガさんは、オンガクで強くなれました」

「お母さん、トラリコを追い払えたんだ。コウジがいれば、警護隊だって夢止まりじゃないよ!」

「救世主様の能力はホントだったのですね……!」

 僕は説明だとか、二人の感動だとか、正直どうでもよかった。

「あの、早急に神器の持ち主を探したいんですが、誰が持っているんですか」

 急かすように切り出すと、エナは本を開いて何かを確認する。

「もう既にメリディアにいることは確実ですが、名前までは分かりませんね……」

 なんて無能な女神なんだと思った。頭の中で浮かんだ女神は、てへぺろと言っている気がしてムカついてきた。

「神器は、救世主様しか扱えませんし、他三人もどこかにいるはずです。私はこんなとこで過ごしているので、情報も全く入ってなくて。それこそカザンカに行けば、何か分かるかもしれません。救世主様だと言えば、皆さん味方になってくれるはずです」

 エナのその最後の味方になってくれるという過信が、僕を不安にさせた。そういう時は、たいてい迎えられない。エナが特殊なだけで、基本的にはジェンガのように信じていない人が多いはずだ。ジェンガが救世主に頼らず、警護隊を目指していたのも、この世界に警護隊が存在するのもそういうことだろう。

 誰も、救世主なんて存在信じてはいないんだ。

「カザンカには、行かないです」

 エナは困惑の表情をする。ジェンガだけは、僕の心を読んだのか、納得しているようだった。

「エナさん、救世主がやってきた。みたいなことは他言無用でお願いします」

「え……?」

 説明をしなきゃと覚悟をすると、ジェンガが救済の手を差し伸べた。

「コウジ安心して。言いたいことは分かるから私がなんとかお母さんを止めておくよ」

 女神の何倍も有能じゃないか……!

「あ、ありがとう」

「カザンカで会おうね」

 なんだか口調が警護隊を夢見る少女に戻っている気がする。エナが二人だけしか分からない会話に戸惑っていると、ジェンガが締める。

「さ、お母さんカザンカへ行こう。コウジはきっとコウジの考えがあるんだよ」

「そ、そっか……では、また会いましょう」

 僕は少しだけ寂しい気持ちになった。まったく知らない世界で、今からは一人だ。その心をも読んでしまったのか、ジェンガは励ますように

「コウジならやれるよ、ほら、さっさと行きな」

 と言って見送ってくれた。教会の扉を閉める。すぅーっと息を吸い込む。

 僕は走る。森の中の草木をかき分けて走る。どこかにあるはずだ。どこかに。どこかにネシプレを流せる場所が。洞穴でもいい。どこか。音楽を聴かせてくれ。

 音楽を聴かせてくれ!


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