鼓動のビート
台の上に置かれた分厚い本は、いわゆる聖書のようなものだった。
「この本には昔からの女神様のご教示が、現在まで更新されているのですよ。全ての人間に忘れられた文言は自動で消えてしまうのです。私は、もったいないので別でとってありますが」
エナの声が至近距離で聞こえる。なんだか左腕に柔らかい感触を感じるが、目で確認することはしなかった。「見るな」というジェンガからの視線を感じるからだ。教会のベンチに座る姿勢とは思えない足の組み方をしている。
「神器はここですね。これが救世主様の神器だと思われます」
ページの左上に書かれている挿絵は、黒い四角い物体だった。どっからどうみてもネシプレと判断するのは難しかったが、エナの説明を聞いて理解できた。
「この世を覆す音の響きあいを生み出す神器。この神器は、世界を救う手立てとなり、メリディアの人間に秘められた本能が目覚めさせられるだろう。と書いてありますね」
その下には、二つの四角い絵。ネシプレが二つに分裂した物にしか見えない。右上には、ギターとしか思えないシルエットが描かれている。そして右下。お目当ての物は、そこにあった。二本の紐のようなもの。イヤホンだ。
「神器は、救世主様の神器で最後の更新となりました。もしかしたら、残り三種の神器は、すでに誰かが持っているのでしょうかね。私、てっきり神器が現存するだなんて思ってもいませんでした……」
女神から、計四人が世界を救うようなことは言われなかった。あくまで僕一人で救ってくれと言っているような。ということは、残り三つはもうないか、それとも渡ってはいけないところに渡ってしまったのか。嫌な予感がした。
「それよりさ」
ジェンガが口を開く。
「あの、頭に直接ぶち込んでくる、あれは何?」
「たしかに、不思議です……あの時、頭の中で空間が広がった気がします。こう、なんかなんていうんでしょう。言葉にできません……」
ネシプレを取り出す。ジェンガがガタっと身構える。
「大丈夫。危険はない、はず」
「はず?」
音楽は、危険ではない。ただ、僕は音楽で危険なところまで行ったこともある。
トラックに轢かれたとき、僕は音楽に心酔にしていた。結局、音楽に囚われ、支配された結果、轢かれた。それの、どこか安全だったのだろう。
僕は、この音楽を流せる力を、どこまで抑えられるのだろうか。いつか、後悔しそうな気がして不安が僕を襲う。いつか、音楽に魅せられた人間が自我を失うその時を。
「これは、音楽っていうんだ」
エナとジェンガは「オンガク?」とハモる。オンガクという概念を教えるのは、少し気が引ける。
「なんて言えば良いのか分からないけど、エマさんの言っていたように、僕の能力みたいなものだと思って欲しい」
エナは手をパンと叩いて何か閃いた。
「この本にも、メリディアの人間の本能を目覚めさせるとありましたし、それが能力みたいなものですね! しかし目覚めさせるとはどうなんでしょうか」
「さっき流れた時、体全体がぶわってなったのはなったけど」
ジェンガがそう言いながら足を組み替える。
「試しにさ、もう一回流してみてよ」
ネシプレを取り出して、新世界の再生ボタンを押す。
何度も聞いたイントロ。僕だってぞくっとする。エナは耳を澄ませている。ジェンガは、目をつむった。
イントロから派生するように、盛り上がりを見せていく。メインの旋律は、北欧の民族的な音楽とクラシックを見事に融合させたものとして有名。重い音で殴り掛かるのではなく、押し出されて、圧倒される。まさに圧倒的。
新世界がやってくる。エナは静かに聞いているが、どうやらジェンガは様子が違った。先ほどとは違って目が開いている。姿勢は足を組んで、腕を組んだままだが、瞳孔が開いている。小さな体に、まるで隙を与えないオーラを纏っている。
「エナさん」
そう問いかけると、エナは目を開く。
「ジェンガさんのあれは?」
ジェンガは、ガタガタと震えているような気がした。劇画となる体の輪郭線が、鉛筆であたりをつけたように何本にもなっている。
「あんなの知りません……! ちょ、ちょっと止めていただけませんか」
ネシプレを止める。ジェンガは、ハァハァとここまで聞こえるぐらい息を荒くしている。
「ジェ、ジェンガ……」
エナが歩いていきジェンガの顔を見つめる。ジェンガは、表情が開いていた。
「お母さん、私、あれ好きかも」
「あ、あれって、オ、オンガク?」
「うん。なんか、あれ聞くと体が、こう、奮いたつ」
ジェンガは、何かに気づいた。「そうだ!」と言って僕を見た。
「ちょっと、着いてきて!」
ジェンガが走って教会の扉を押す。
「え、え?」
エナがあたふたとしているのを横目に僕も走る。
「すぐ戻るから!」
そういうジェンガと共に外に出る。
「ねぇ、さっきのオンガク、結構すごいかも」
そういうジェンガは、純粋な子供のような口調に戻っていた。そういえばエナが言っていたっけ。ジェンガは王都の部隊に憧れていると。時々口調が強くなったり、剣を振り回したりしているのは、その憧れによるものなのだろうか。
「もし、ホントにメリディアの人間の本能を目覚めさせるのがアレなら、ホントにホントだよ。とにかく試してみよ」
僕の言葉を待たずにジェンガは進んでいく。新世界を聴いてジェンガを目覚めさせてしまったのだろうか。それが良い方向に進めば嬉しいが、そうはならない気がした。
それは、今は無音だからなのだろうか。僕には分からなかった。ただ一つ、心臓の鼓動が鳴っていることだけを感じられた。ドラムのように鳴っている。
「名前は?」
ジェンガがそう言いながら、バサッと大きな布のような物を取り出す。それを、マントのように羽織る。
「一応、コウジだけど……」
「空から降って来たよね」
「え? ああ、まぁ」
「メリディアのことはどこまで知ってるの?」
「詰んでるとしか聞いてないけど……」
「ふーん。まぁいい、私はジェンガ。救世主とかさ、女神とか、正直クソだと思ってる。コウジのことも正直魔王の手先に見える」
マントのように羽織ったコート(?)には紋章が描かれている。鷲のような鳥の体に、剣が三本刺さっている紋章。見たことはない。
「今、メリディアは魔王の脅威に怯えてる。私、それに立ち向かいたい」
ジェンガは短剣を取り出して指でなでる。手作りのような短剣だと思っていたが、それは勘違いで、その短剣はその分振ってきたのだということを見せしめている。
「王都に、警護隊があるの。魔王からの脅威に立ち向かう戦闘のスペシャリスト。そこに私は入って、メリディアを救いたい。コウジも同じなら分かるでしょ」
短剣を空に掲げて言うジェンガを、僕は少し本気で受け止めることはできなかった。立派な夢だが、ジェンガの体は小さく、恐らく王都でどうこうするのは早いんじゃないかとも思う。
「お父さんがね、警備隊の隊長なの。もう何年も会ってないんだけどね。滅茶苦茶強いんだよ。憧れでさ、だから、ちょっと手伝ってよ」
嫌だ。と心の中で言いかけた。複雑だ。王都のお偉いさんが父親で、神に心酔しているのが母親? そこに救世主だと呼ばれる僕に、警備隊を目指す娘? おいおい冗談じゃない。僕はカウンセラーじゃないぞ。
「さっきのオンガクで、私たぶん強くなれる気がする。頭が冴えて、なんかすべてが分かる感じ。ね? これで強くなったら、魔王にも立ち向かえるし。私、信じてあげる」
上から目線なのはどうにかならないもんかと思うが、自分よりはるかに立派な考えを持つジェンガには素直に尊敬した。強い子だ。心が。
「私は、まだ本能は覚醒してない。お父さんはね、旋風っていう能力を三歳には覚醒させたんだって。お母さんも、私ぐらいの時には治癒ができてたらしいし。私も、早く能力見つけなきゃね」
短剣をぶんぶん振って、歩き続けるジェンガの背中は少し、悲しそうだった。
「能力っていうのはどういうのがあるんだ?」
「正式な名前はないよ。人それぞれすぎて、だいたいのジャンルしか分からない。お父さんの旋風は、風とか、自然の能力。お母さんは、治癒なのかな、うーん」
ジェンガはふと見上げた。
「あはは、私、全然お母さんたちのこと知らないんだ」
鷲のような絵の紋章に刺さっている三本の剣が、ひらりと揺らいだ。鷲と目が合う。
「我はメリディア警護隊! ジェンガ!」
突然そう叫ぶジェンガは、活き活きとしていた。森の中で声が木霊する。
「国の安寧と平和を纏いしこの短剣で、魔王デュベルトの手先を殲滅する使命を、このメリディアの紋章と共に背負う!」
にっと笑みを浮かべたジェンガが、振り返ってくる。
「似合ってる?」
僕の耳には、風が通っていく音しか聞こえなかった。無音に近かった世界の様子が、少しずつ騒がしくなってゆく。それは、嫌な予感と共に。
「ブゥゥゥゥゥガァァァァァー!」
ジェンガの前に大きな影が現れる。
「コウジ、試すよ」
その自信満々のジェンガの顔を見て、さっきの大きな声はわざと出したのだと気づく。大きな影は、ジェンガの何倍の大きな、壁のようだった。
「その世界を救う力ってやつを……」
よく見えていた。ジェンガの持つ短剣が震えていること。ジェンガの後ろ姿が、奮いたっていたこと。ジェンガの心臓の鼓動が、ここまで聞こえてくるようだった。




