新世界
体に温もりを感じる。全体が包まれていて、足の先から体の芯まで優しい温度で包まれている。目が覚めたとき、僕は布団の中にいた。右には、同じように布団に入っているあの少女の寝顔がある。すうすうと寝息をたてている。
ベッドの間に置いてある机の上にネシプレが置いてあった。置き手紙と共に。紙を見てみると、文字が読める。これは、女神のおかげだろうか。
『起きたら、一階に来てください』
美しい筆記体で書かれた文章を見て、少しドキッとする。気づけば無音の世界にいて、気分が委縮している。こういう風に呼ばれるときは、だいたい怒られるときだと相場は決まっている。
ネシプレを持って、静かに歩く。腰の痛みは綺麗さっぱり無くなっていた。木でできた扉をゆっくり開けると、狭い廊下に出た。この部屋以外の扉はなく、右のほうに階段がある。一階から、微かに光が見える。階段を降りると、不思議な部屋に出た。
広めの部屋に、ベンチのような椅子が六つあり、正面にとれる場所には大層な台が置かれている。その台には女性の絵が飾られている。いわずもがな、教会のようだった。でも、パイプオルガンのような楽器は置かれていない。本当に、音楽がないのだろうか。
「あ、起きましたか?」
長い金髪の女性。あれ、女神みたいだな。雰囲気も、声の感じ、立ち振る舞いは、ほとんどあの女神とかなり似ていた。同一人物ではない。
なぜなら、台に飾られている絵が、女神まんまだったからだ。
「あの、腰は大丈夫ですか? 私、治癒なんて久しぶりにしたので成功したのか不安なのですが……」
腰の痛みは、どうやらこの女性が治してくれたらしい。にしては即効性の強すぎる治療な気がして、あとあと体に響くのではと不安になる。
「ああ、大丈夫です……ありがとうございます……」
どう接するのが正解なのか分からずに、とにかく丁寧に接する。
「あの、もしかしてあの子、ジェンガがあなたの腰をやってしまったのでしょうか?」
あの少女はジェンガというらしい。
「いえ、なんというか、あのちょっと説明しずらいんですけど、そのあの子にやられてはないんで、はい」
そう言うと「よかった……」と女性は胸をなでおろした。
「ジェンガは、王都の部隊に憧れてまして、怪しい人物を見つけると攻撃してしまうことがあるんです……私の跡を継いでほしいのですが、言うことを聞かなくて……」
あの短剣を持っている少女が、目の前の女性のように穏やかな雰囲気を持つのは考えにくかった。というより、ここはどこだ。
「はぁ、跡継ぎですか、シスターの跡継ぎですか?」
「いえ、予言者です」
「よ、予言者?」
女性はまた台の方へ歩いていく。台の上には分厚い本が置かれており、その本には見覚えがあった。あの女神と同じような気がする。
「予言者、もうあなたの世代では知らないかもしれませんね……今では占い師のほうが主流ですし」
申し訳ない気持ちになる。予言者だって占い師だって知らない。知らないというか、知ってはいるけれど、知らない。
「予言が、できるんですか」
「ええ。女神様からの言葉を授かるんです。信じてもらえないでしょうけど、女神様の言葉通りに、世界は動くんですよ」
女性は「ジェンガは信じてくれませんけどね」と自嘲する。
女神はどうやらわざとここに僕を落としたんだなと思った。ほとんど直接女神からの言葉を伝えられるこの場所を。だったら、少し確かめてみてもいいかもしれない。
「空から、救世主が降ってくるみたいな予言とか、あったりします?」
「……⁉」
女性はあからさまに驚いた。女神はたしか救世主がどうこうみたいなことを、世界に投げたとか言っていたから、これが本当なら、ここで女神と会話ができる。
「え、ええ来ました。そうです。空から。ええ。でも、なんで……」
女性は本をペラペラめくっている。僕は迷った。その空から降って来た救世主が僕ですよだと言うのは、かなり恥ずかしい。いや名乗ったほうがいいのはそうなのだが、僕は言うことができなかった。結局、
「そういう予言よくありますんで」
と適当に誤魔化した。
「空から……男性……救世主……まさか……」
女性はそんな誤魔化しに耳を傾けず、本を血眼で見ている。
「あの!」
突然大声をあげてこちらを見てくる。
「あなた、たしか不思議な代物を持っていましたね?」
ネシプレのことだろうか。ポケットから取り出すと、画面に停止中の『新世界』のという文字だけが書かれている。再生途中で、どうやら誰かが止めているらしい。誰が止めたのだろう。
「これですよね」
「そう、それです」
女性は台から降りて、僕の手の上のネシプレをまじまじと見つめる。
「これが、神器ですか……本物は始めて見ました……」
嘗め回すような視線が、手の中のネシプレに注がれて、思わず緊張する。
「あの、持って見てもいいんですよ?」
女性は「え!」と言ってネシプレを恐る恐る手に取る。汚い物を持つみたいに指の先で持ち上げる。
「こ、こんなもの……」
とすぐに僕の手に戻す。
「私如きが触っていい代物ではありません……!」
と、謎に赤面している。このネシプレは、どうやら価値のある物として知られているようだった。そんなものを持っていたら、何かしらに狙われそうで怖い。
「あの、僕あんまりよく分かんないんですけど、これ、そんなすごいんですか」
女性は「はい」と、顔を手で支えている。ネシプレに恋をしているかのような仕草で、なんだか見惚れてしまう。
「メリディアの神器は四つあると言われています。神器は女神さまが選んだ者にのみ与えられ、その者にしか扱えず、その者が世界の救世主だと言われています。私が習った神器とは、はるかに見た目も何もかも違いますが、予言と照らしわせると、そんな気がします」
女性によると、神器は古くから言い伝えられてきた代物だったのだが、現物はもう既にどこかへ消えてしまったらしい。少し前から、予言の内容が変わって新たな神器が生まれたそうだ。その一つがこのネシプレかもしれないと言う。
というのも、男性で、空から降ってきて、謎の代物を持っており、名をコウジという者が救世主であるという予言があったらしい。
そのまますぎてもはや予言のロマンを失っている気がする。
「ということは、あなたが救世主……⁉ そんな、こんな素晴らしいこと……」
女性はあたふたとし始めた。
「あの、ご無礼をお許しください……こんな、片田舎の予言者が、救世主様のことを、こんな迎え方をしてしまって、あの、なんてお詫びすればいいか……」
床に土下座をし始めた女性のことを見てられず立たせる。僕も反応に困ってしまう。救世主という自覚があれば、それか何か音楽が流れていれば、自信満々に受け答えできたのだろうけど、僕にはできない。
「やめてください、あの、僕は、その救世主かもしれないけど、そういう風に扱われると肩身が狭いというか……」
女性は潤んだ目で「うう」とうなだれている。すると、階段の方から足音が聞こえる。
「なにやって……」
階段から顔を覗かしたのはジェンガだった。
「おま……」
まさか僕がこの人を泣かしたなんて勘違いするんじゃないだろうなと思っていると、ジェンガは血相を変えて飛びかかって来た。
「最低だ! 母さんが予言者だからってそうやってまた泣かせるんだ!」
殴り掛かってくるかと思いきや、ジェンガは涙を流しながら僕の腰をゆさゆさと揺らす。小さな体で精いっぱいしがみついてくる。
「ちょ、まって、え、」
何も、どうすることもできずに僕は揺らされる。
「母さんを泣かせる奴は私が許さない!」
ジェンガはそう言ってまた短剣を取り出す。
「ジェンガ! ダメ!」
短剣にビビった僕はネシプレを床に落としてしまった。そして、それを取ろうとしたところで、誤ってボタンを押してしまった。無論、再生ボタンだった。
空気が、止まった。オーケストラが、音合わせを終わらしたあの瞬間のような。
「こ、これは……」
曲は最初から再生され始めた。重厚なイントロ、揺さぶられる音。
「ダメ! 聴いちゃダメ!」
ジェンガは女性に覆いかぶさって守っている。曲の音が大きなっていき、音が鋭くなって、あの旋律がやってくる。教会で流すには、少しミスマッチすぎる世界の旋律だ。
『ドヴォルザーク:新世界より第四楽章』。
お馴染みの旋律が流れ始めると、教会の中が神聖な場所から、突然新世界に変わってしまう。窓から見える青い空も、教会の装飾も、全てが劇画のような存在感を出す。悪魔でも降りてきてもおかしくない気がする。
僕はネシプレを止めることはしたくなかったが、あんまりジェンガの泣き声が大きかったので、音量を小さくしていった。すすり泣く声だけが教会に残っていた。ほんの一瞬だけしか流れなかったが、その一瞬だけで何もかもが変わった。
「これが、神器……」
女性は悟ったような、少し虚ろな目をしていた。
「お、お母さん、大丈夫?」
「す、すごい、救世主が、ホントにやってきたんだわ……」
女性はボロボロと涙を流し始めてしまった。ジェンガがなだめている様子を、僕は眺めることしかできなかった。
「ジェンガ。お願い。これだけは信じて。あの方は救世主なの、これだけはホントなの」
「ねぇ、もう予言はやだよ。目、覚ましてよ……。私、前の生活に戻りたい。予言者なんてやめてさ、お父さんのとこに戻ろ?」
なんだか複雑な家庭環境に身を置いてしまっている気がして、静かにあとずさる。このまま何事もなかったかのように教会を出ていきたかった。
「救世主様!」
遠ざかる僕を女性は呼び止める。ジェンガは、自分の言葉に耳を傾けない母の様子にショックを受けているようだった。可哀そうだと思ってしまった。女性は歩いてきて、あの時の女神と同じように手を握ってくる。不思議なことに、ジェンガに感情移入してしまって照れることはなかった。
「救世主様、今のが、救世主様の力なのですよね。私、救世主様のお役に立ちたいです」
後ろで静かに泣いているジェンガを見て、僕の心は揺らいだ。いつしか、自分にもこんなことがあったなと思い出す。自分の本当の想いが届かない、聞いてもらえない、本当に想っているのに、どこかへ行ってしまう。その悲しさと恐怖。
僕は女性の手を握り返した。今思えば、この女性の名前も聞いてなかった。
「ジェンガさんの、願いを叶えてあげてください」
頭の中に、新世界が流れていた。力強い旋律が、背中を押す。
「じゃあ、役に立ちたいなら救世主として言葉を授けます。ジェンガさんのことも考えてあげてください。夢を応援してあげてください。どこに行くのかさえ教えていただければ、そこで落ち合うとしましょう」
女性は何も言わなかった。ジェンガだけでなく、救世主だと思っている人間にすらそう言われてしまう気持ちは底知れなかった。でも、失望はしてなさそうだった。
「そ、そうですか、救世主様も、そう思われるなら、私、分かりました……」
女性はジェンガの方へ歩いていく。ジェンガと女性が顔を合わせる。二人は自然と両手を広げていた。すると、ジェンガが思いっきり女性を抱きしめた。ここは邪魔しちゃまずいと、そそくさと教会を出ようと思うと
「カザンカです!」
と女性は叫ぶ。
「カザンカという町で、会いましょう。私の名は、エナです」
そのエナの腕の中には、何かが切れたように泣き続けているジェンガが、体を抱き返していた。これでよかったのかと不安が残った。
教会の扉を開けると、自然豊かな森が見える。少し重い扉を閉めて、静かな空気と澄んだ空気を吸い込む。扉を隔てた後ろでは、まだ泣き声が微かに聞こえる。
世界の救世主である前に、この世界の住人にならなければ、わからないことが多すぎるなと思った。あの家族と一緒に町まで行くのが安全策だが、その気にはなれなかった。
ジェンガからの信用を得るのは大変そうだったからだ。教会から出るあの時、鋭い目をしたジェンガがこちらを見ていた。憎しみか、怒りか、なんだろうか。女性の腕の中から見えていた。あんな目をされたまま行動するのは、僕にとっては苦しかった。母親がアレなんだ。少し感覚が鈍っていたけど、よくよく考えたらカルトみたいなもんだ。
ネシプレを取り出して、曲のリストを見ていく。今後の安寧を願って音楽でも聴きたいなと思った。しかし、音楽を流すと周囲にも流れてしまう。
そこで、ある考察が浮かび上がった。
「四種の神器に、イヤホンねぇかな」
僕の足は、自然と教会に帰り始めていた。少しだけ確認したかった。扉を開ける。数秒ぶりの再会だ。二人の空気が、僕によって壊された気がした。
「ど、どうされましたか、忘れものですか……?」
「もういいよ、お母さん。あいつの勝手にさせよ」
「あいつだなんて、救世主様よ?」
「はぁ……なに、なんで戻ってきてんの」
ジェンガが立ち上がってまた睨んでくる。しかし、どこか認められたような、根っからの殺気はどこか無くなっているような気がした。
「神器について、聞きたくて」
「はぁ、なんでそんなこと……」
ジェンガの呆れ声を遮ってエナは立ち上がる。
「お役に立てるならなんでも!」
キラキラとした目が、涙の潤いなのか希望に満ち溢れたものなのか分からない。そのエナの姿を見て、ジェンガはまたため息をついていた。




