9.2:前夜に占う新旧国王決闘の結末2
その場の空気が変わった。
俺やティラミスだけではなく、訓練に集中していたバルバドスも、それを見守っていたエカエリーナまでが、フィナンシェお嬢様の顔を見た。
最初は俺の聞き違えかとも思ったのだけれど、場の凍ったような空気からそうではないと悟って、けれども俺は、再び確認せざるをえなかった。
「フィナンシェお嬢様は、バルバドスが負けるって言うんですか?」
と。
彼女はそして、首肯する。
「ええ。間違いなく明日の決闘はベルゼブブが勝利するわ。これは比喩表現でもなんでもなく、まっすぐな意味で」
持っていたグラスをフワっと、宙へ放った時、それは霧のように溶けて闇に消えた。
「バルバドスとベルゼブブの戦いはベルゼブブが勝利する。改めてここに、私は断言するわ」
俺は目眩がした。
フィナンシェお嬢様の言っている内容、その意味はわかるけれど、その意味が理解できなかった。
「恐れながら、フィナンシェ様に申し上げますベイベー」
言いながら、ペタペタと歩いてやってきたのはバルバドスだった。
彼はフィナンシェお嬢様の前まで来ると、臣下の礼をとって片膝を折るように、後ろ足を曲げてひざまずく。
「確かに、このバルバドスとベルゼブブ様――いえ、ベルゼブブとの間に、決定的なレベルの差が存在することは事実ですベイベー。しかしバルバドスは、明日の決闘、毛頭負けるつもりはありませんベイベー」
そのギョロ目が、しっかりとお嬢様を直視する。
「いまやこの命は、バルバドスのものだけではありませんベイベー。バルバドスの家族と、そしてここ、ネクロポリスに暮らす全国民のものでもありますベイベー。だから、バルバドスは絶対に負けるわけにはいかないのですベイベー」
最後の言葉は、とりわけ力強く言った。
フィナンシェお嬢様は、彼の視線を受けて妖しく目を細める。
「この決闘を企画した私が、貴方は確実に敗北すると言っている。バルバドス。そのことを貴方は責めないの? どうしてそのような予想をするのならば、ろくな準備時間も与えぬまま、こんな決闘を用意したのだと。そのことは責めないの? 遠慮無く本心を言ってみて。無礼は問わないわ」
血色の髪を流してから、小首を傾げて問うた。
「それも毛頭ありませんベイベー」
バルバドスはキッパリと言った。
「ベンダシタイナー城をこうして落とした以上、どのみちベルゼブブとの戦いは避けられなかったと思いますベイベー。そしてもしも戦いがこの決闘形式ではなく、戦争形式だったならば、多くの国民を巻き添えにするようなことになったと思いますベイベー。だからバルバドスは、フィナンシェ様には感謝しても、責める気など毛頭ありませんベイベー」
「では、ろくな検討もなく城を落としたことについては? 貴方がベルゼブブと良い勝負が出来るようになるまで力をつける。それまでは臥薪嘗胆に耐える。そういう策だってあったのだけれど?」
バルバドスは首を左右に振った。
「一日も早く家族と、そして国民をベルゼブブの支配から解放できた、それに勝るものはありませんベイベー」
後ろでエカエリーナが、うるうると来ている。
「それでは最後に、バルバドス。私に助力は乞わないの?」
フィナンシェお嬢様は腕を組んだ。
「この問いには極めて慎重に答えなさい。国民と家族の命にかけてね」
ごくん、という緊張を飲み下す音が、バルバドスの大きな喉から聞こえてきた。
「もしも今この場で、貴方が私の助けを乞うのならば、明日の決闘は勝利を確約してあげるわ」
お嬢様は腕を解いた。そしてすぅっと、そのパーティーグローブに飾られた手に青い炎が絡みつく。
「決闘が始まった瞬間、あのハエを『蒸発』させてあげる。跡形もなく、残香さえなくね。つまりは家族も国民も貴方も安泰。そして今日の街の様子を見る限り、国民は私の決闘介入に対して誰も不平を言わないでしょう。そんな瑣末に拘って、再びベルゼブブを王に頂く危険をおかしたいだなんて、彼ら国民が考えているとは思えないわ。……さてそのうえで、王として貴方に問うわ」
フィナンシェお嬢様は、青の炎を弄びながら再度言う。
「私の力は必要?」
と。
国の命運を左右する、重い決断だった。
静かな空気が、ぎゅっと緊張に張り詰める。
沈黙を破っているのは、焚き火のパチパチと爆ぜる音だけ。
バルバドスは、音もなく揺らめく青の炎を見ながら、こう言った。
「恐れながら、フィナンシェ様にはただご高覧のみ頂きたくございますベイベー」
手出しも助力も無用。
バルバドスはそう言ったのだ。
そしてその答えを聞くや、もうチャンスはないと言わんばかりに、お嬢様の手からフっと青の炎が消えた。
「その心は?」
歌うような問いかけ。彼は頷く。
「昨日の決闘予告は、フィナンシェ様がスポンサーとなったニュースで全国放送されていますベイベー」
バルバドスは夜空を見上げた。月は心なしか、不安そうな笑みを浮かべている。
「一国の覇権をかけた、新旧国王同士の決闘。その結末には、多くの関心と注目が集まっていますベイベー。もしその決闘に勝利したとしても、フィナンシェ様の介入があったと広まれば、たとえネクロポリスの国民がそれで納得しても、他の野心的な国に弱みを見せることになりますベイベー。あそこの国王は脆弱だと。そしてそうした国々に攻め入られるたびに、フィナンシェ様といった他の力に頼るようでは、このバルバドス、国王失格ですベイベー」
バルバドスが、目線を再びお嬢様に向ける。
「だから明日の決闘は、正々堂々とした勝負で、バルバドスはベルゼブブに勝たなくてはならないのですベイベー。そして」
水かきでパチンと、バルバドスは自らの胸を叩いた。
「勝ってご覧に入れますベイベー!」
これまでで一番力強く、バルバドスは言った。
それは、
一日で城を落とした熱と、
一日で家族を取り戻した熱と、
一日で国王になった熱。
そんなものを一挙に浴びたせいで、もしかしたら気が大きくなっているのかもしれない。
けれども、
その熱を差し引いたとしても、バルバドスにはどこか勝算があるように思われた。大きな口の端が少しだけ、上にあがっているのだ。
「ウチもバルバドスはんと同じ意見や」
ティラミスが静かに言った。
視線が彼女に集まる。
「明日の決闘は、バルバドスはんが勝つ。絶対に」
静かだが、彼女の声も力強かった。
「本気になった時のバルバドスはんの強さを、ウチは知ってる。だから言えるんや」
そしてフィナンシェお嬢様に向ける目線は、どこか挑戦的でさえある。
「ベルゼブブなんかに、バルバドスはんは負けへん。絶対や」
キっとした目付きのまま、そう言い切った。
まるで敵でも睨めつけるかのように。
お嬢様はそれに対し、特に何も表情を返さぬまま、背を向けて。
「そう」
バラバラバラと上半身から数十羽のコウモリに別れていき
「では精々、私のこの外れ知らずの予想を裏切ってちょうだいね」
それだけを残し、姿を消した。
後には重苦しい沈黙が残された。
そのあと俺は、フィナンシェお嬢様の姿を探してネクロポリスを徘徊した。
居住区、城跡。国境の森と奔走。
暗い場所は、近くでさまよっているジャック・オ・ランタンが気を利かし、ランプで行く道を照らしてくれた(優しいよね。城もやしたけど)。
散々歩いて、走って。
そして最後に見つけた場所は、一周戻ってベンダシタイナー城。
堀と城門の間に渡された、ハネ橋の縁に腰を下ろして、彼女は足をブラブラさせながら夜空を見上げていた。
月明かりに濡れた血色の髪は、幻想的なパープル色に輝いている。
妖艶の一言。
中天の月でさえ、フィナンシェお嬢様に見つめられると頬を染めていた。
――さすがお嬢様。
思いつつ歩み寄った。
俺に気づくと、彼女はルビー色の目を流して歌うようにいった。
「私の添い寝がほしいのね私のステビ――」
「違います」
俺は勧められるまま、お嬢様の隣りにフワリと腰を下ろした。
そして彼女の方を向いて言う。
「お嬢様、どうしてあんなことをバルバドスに仰っ――」
「やだ教えない」
行間なし即答。
見れば口がプーっと尖っている。
どうやらさっきの行間なし即答に、ちょっと機嫌を損ねているらしい。おこちゃまだ。
「あの、お嬢」
「やだ」
なんてめんどうくさいんだ!
迷った挙句、俺は嘆息。
そして
「失礼します」
そう断ってから、その頬にそっと口付けした。
フィナンシェお嬢様が妖しく流し目。
「これは野良セ○クスの予感?」
「調子に乗らないでください」
お嬢様は、ちょっと赤面している俺の顔色には気づかず、「そう。また時間軸を間違えたのかしらね」と言ってから、最初の問いにこう答えた。
「バルバドスには必要なことだからよ、私のステビア」
と。
「必要なこと? ですか」
オウム返しに聞く。
「ええ。必要なこと。これからのバルバドスになくてはならないこと。だから私は言ったのよ。ベルゼブブが勝つと」
「なくてはならないこと……」
改めて、噛んで含むように復唱。
そして思い至る。
もしかするとお嬢様は、バルバドスに必要なことを言っただけであり、別に明日の結果のことを予言したのではない。そういうことではないのかと。
例えば、今日の祭りの熱に浮かれ、バルバドスが油断しないように厳しいことを言って、彼の気を引き締めていたとか。
もしもそう考えるのならば、なんとなくさっきの状況と辻褄が合う気がする。
振り返ってみれば、お嬢様のあの言葉のあと、場の空気は確かに重くなったが、しかしティラミスもバルバドスも、表情は凛々しく、雄々しくなっていたのだから。
するとあれは、
やっぱり?
まるで俺の推測を見透かしたかのように、お嬢様は微笑んだ。
「さて、そろそろ寝所に向かいましょうか。明日は早いわよ?」
言って、お嬢様が俺の頭をなでる。
「今夜も一緒に湯浴みをして、一緒のベッドで眠りましょう」
「最初に言っておきますけどお嬢様」
「なにかしら私のステビア」
小首をかしげる彼女に、一度深呼吸して言う。
「……俺、今晩は自分で。その、下を洗いますからね?」
言って顔から火が出そうになった。夜で良かった。見えないもの。
「遠慮しなくていいわ私のステビア。貴方の可愛い指では奥の方までクチュクチュと」
「あそこはそんなしつく洗う必要ないとこだと思います!」
言って先に立ち上がり、真っ赤な顔を見られぬようズカズカと城を後にする。
途中で立ち止まり、振り返る。
お嬢様はまだ座って、こちらに微笑んでいた。
ん~。
よし。
最後にもう一度、問いかけることにした。
バルバドスもティラミスもいない、この場所で。
俺はフワリとドレスの裾が翻るぐらい早く振り向き
「フィナンシェお嬢様」
かしこまるように手を体の前に揃え、
「明日の決闘、どちらが勝つと思いますか?」
真剣に問いかけた。
フィナンシェお嬢様が、静かに頷いた。
「ベルゼブブね」
と。
俺はいよいよ不安になってきた。
そして彼女は強調する。
「絶対によ」
その目はいつも通り、自信ではなく確信に満ちていた。
果たして今晩、俺は眠れるのだろうか。
「あと下がダメなら上を洗うわ」
本当に。
「もみもみしたりあむあむしたりくりくりしたり」
本当に!




