第12話 リリア姫、はじめてのお名前呼び! パパもママも大感激!?
第十二話 リリア姫、はじめてのお名前呼び! パパもママも大感激!?
「ぱぱ! まま! リリアのおしゃべり大作戦!」
王宮に、明るい朝がやってきた。
第一夫人エレナの部屋では、リリアが大きなクッションの上にちょこんと座っていた。
目の前には、ふわふわのぬいぐるみ。
その隣には、ポポとピピ。
そして、リリアの手には、朝食のあとにもらった小さな果物のおもちゃが握られていた。
「うー! あうあう!」
リリアは果物のおもちゃを高く掲げ、得意そうに笑った。
「リリちゃん、今日も元気いっぱいなのだ!」
ポポが胸を張る。
「昨日はお昼寝の途中で、ポポのお腹を枕にしていたけどねぇ」
ピピがくすくす笑った。
「ポポ、ふわふわぁ!」
リリアがポポのお腹をぽんぽんと叩く。
「そうなのだ! ポポのお腹は最高の枕なのだ!」
「でも、昨日クッキーを食べすぎて、お腹がぽんぽんだったよねぇ?」
「そ、それは秘密なのだーっ!」
「きゃはははっ!」
リリアは大喜びで笑った。
そのとき、部屋の扉が開いた。
「リリア、いい子にしていたかしら?」
入ってきたのは、母のエレナだった。
リリアは顔を輝かせ、両手を伸ばした。
「まま!」
「まあ!」
エレナは思わず足を止めた。
今のは、いつもの「あー」「うー」とは違う。
はっきりと、自分を呼んだのだ。
「リリア、今、お母様を呼んでくれたの?」
「まま! ままぁ!」
リリアは嬉しそうに何度も繰り返した。
エレナの目に、じわりと涙が浮かんだ。
「まあ……! リリアが……私を……!」
すぐにリリアを抱き上げ、頬ずりする。
「ありがとう、リリア! お母様、とってもうれしいわ!」
「まま、えへへぇ!」
リリアも、母が喜んでいるのを見てにこにこ笑った。
(まま、にこにこぉ! リリ、うれちぃ!)
ポポとピピは顔を見合わせた。
「ついに来たのだ……!」
「リリちゃんのおしゃべりが、どんどん上手になってるよぉ!」
「これはパパにも知らせるのだ!」
ポポが勢いよく立ち上がった。
ところが――。
ぽすんっ!
クッションに足を取られ、転んでしまった。
「ポポ、何をしているのよぉ!」
「い、今のは作戦なのだ!」
「どんな作戦なの!?」
リリアは二匹を見て、また笑った。
「あははぁ!」
* * *
その日の昼前。
皇帝アレクは、執務室で書類を確認していた。
毒入りミルクの事件については、まだ調査が続いている。
追放された侍女が安全確認を怠ったことは判明したものの、毒を混入させた人物は見つかっていなかった。
アレクは書類を閉じ、深いため息をついた。
「……リリアが無事だったことだけが救いだな」
そこへ、侍従がやってきた。
「陛下。エレナ妃殿下がお見えです」
「エレナが? 通してくれ」
扉が開き、エレナがリリアを抱いて入ってきた。
「あなた、少しよろしいかしら?」
「もちろんだ。どうした?」
エレナは、嬉しそうにリリアの顔を見つめた。
「実はね、今朝、リリアが初めて私を『まま』と呼んでくれたの!」
「何だと!?」
アレクは椅子から立ち上がった。
「本当か!?」
「ええ! 何度も呼んでくれたのよ!」
アレクはリリアの前に膝をついた。
「リリア! パパだぞ!」
「うー?」
「ほら、パパだ。パ・パ!」
アレクは、いつになく真剣な顔で発音を教えた。
エレナはその様子を見て、思わず笑ってしまう。
「あなた、そんなに力を入れなくても……」
「いや、これは大切なことだ!」
アレクは真剣だった。
何しろ、愛する娘が初めて言葉を覚えようとしているのだ。
皇帝として国を治めることよりも、今はずっと大事な気がした。
「リリア、パパ!」
「ぱ……」
アレクの目が輝く。
「そうだ! パパだ!」
「ぱぱ!」
「…………!」
アレクが固まった。
「今……パパと……?」
「ええ! あなたを呼んだわ!」
エレナも感激して、リリアを抱きしめた。
アレクは片手で口元を覆った。
「リリア……! よく言えたな……!」
その目には、うっすら涙が浮かんでいた。
普段は威厳に満ちた皇帝も、娘の前ではすっかり親ばかである。
「ぱぱ! まま!」
リリアは二人の顔を交互に見て、嬉しそうに手を叩いた。
「そうだ! パパだぞ!」
「お母様もここにいるわよ」
「ぱぱぁ! ままぁ!」
アレクはとうとう、リリアを抱き上げた。
「今日は祝いだ! リリアが初めて言葉を話した記念に、宮廷料理人に特別な菓子を用意させよう!」
「あなた、まだ赤ちゃんだから、リリアは食べられないものもあるわよ?」
「そ、そうだった……!」
エレナの指摘に、アレクは慌てた。
その様子を見ていたポポが、ぴょこんと飛び出した。
「お菓子と聞いて、ポポ参上なのだ!」
「ポポ、あなたは関係ないでしょう?」
ピピがため息をつく。
「大いに関係あるのだ! リリアのお祝いは、ポポのお祝いでもあるのだ!」
「どういう理屈なのよぉ!」
「ぽぽ、おかちぃ?」
リリアが首をかしげた。
「そうなのだ! お菓子なのだ!」
「ぽぽ、たべしゅぎ、めぇ!」
「な、なぜリリアまでそんなことを言うのだーっ!?」
執務室に笑い声が広がった。
アレクはリリアを抱いたまま、幸せそうに微笑んだ。
「リリア。これからも、ゆっくり大きくなってくれ」
その声は、皇帝の命令ではなく、一人の父親の願いだった。
リリアは父の頬に小さな手を当てた。
「ぱぱ、すきぃ!」
アレクは再び固まった。
「……エレナ」
「ええ、わかっているわ」
二人は顔を見合わせた。
「今日は、何があっても仕事にならないな」
「ふふっ。私も同じよ」
こうして、王宮の午前中は、リリアの初めてのお名前呼びで大騒ぎとなった。
ただし、リリア本人は、なぜパパとママがあんなに喜んでいるのか、まだよくわかっていない。
(ぱぱ、まま、にこにこぉ! もっと、よぶぅ!)
リリアは、もう一度元気よく叫んだ。
「ぱぱ! まま!」
その声に、王宮中が幸せな笑顔に包まれた。
「お名前を呼んで! 王宮中が大騒ぎ!」
リリアが初めて「ぱぱ」「まま」と呼んだという知らせは、あっという間に王宮中へ広まった。
皇帝アレクは、執務室で仕事をしていたはずなのに、すっかりリリアに夢中になっていた。
「リリア、もう一度パパと呼んでくれないか?」
「うー?」
「パ・パ!」
「ぱぱ!」
「おおおおっ!」
アレクは両手を握りしめ、感激のあまり天井を見上げた。
「聞いたか!? 今、確かにパパと呼んだぞ!」
そばに控えていた侍従たちは、笑顔で頭を下げた。
「おめでとうございます、陛下!」
「リリア姫様は、たいへんお健やかに成長されておりますね」
「うむ! 実に素晴らしい!」
アレクは何度もうなずいた。
その隣では、エレナも嬉しそうに微笑んでいる。
「あなた、そんなに喜んでいたら、リリアが驚いてしまうわ」
「そ、そうだな……。リリア、怖くないぞ。パパは嬉しいだけだからな」
アレクは急に声を優しくした。
リリアは父の顔をじっと見つめると、にっこり笑った。
「ぱぱぁ!」
「うおおおおっ! もう一度呼んでくれた!」
「あなた、声が大きいわ!」
エレナが慌てて注意する。
「す、すまない!」
アレクは小声になった。
「ぱぱ……」
「そうだ。パパだぞ……!」
今度はささやくように答える。
その様子を見ていたポポは、呆れた顔をした。
「皇帝陛下が、すっかりリリアに夢中なのだ」
「いつもの威厳はどこへ行ったんだろうねぇ?」
ピピも首をかしげた。
「ぽぽ、ぱぱ?」
リリアがポポを見上げる。
「違うのだ! ポポはポポなのだ!」
「ぽぽぉ!」
「そうなのだ! ポポと呼んでくれたのだ!」
ポポは感激して胸を張った。
ピピはすぐさま突っ込んだ。
「今のは、いつもの名前を呼んだだけでしょ!」
「それでも嬉しいのだ!」
「ぽぽ、うれちぃ?」
「もちろん嬉しいのだ!」
「えへへぇ!」
リリアは、みんなが笑っているのを見て、楽しそうに手を叩いた。
* * *
その日の午後。
エレナはリリアを連れて、皇太后セラの宮殿を訪れていた。
セラは、孫娘が来ると聞いて、楽しみに待っていた。
「まあ、リリア! よく来てくれましたね」
セラは優しく両手を広げた。
「おばあ様ですよ。さあ、こちらへいらっしゃい」
リリアはエレナに抱かれたまま、セラをじっと見つめた。
「うー?」
「ふふっ。まだ、おばあ様とは言えませんね」
セラが笑うと、エレナも微笑んだ。
「今朝は、アレクを『ぱぱ』と呼んだのですよ」
「まあ! 本当ですか?」
セラの顔がぱっと明るくなった。
「それは素晴らしいわ。私も呼んでもらいたいものですね」
セラはリリアの前にしゃがみ込んだ。
「リリア。おばあ様ですよ。お・ば・あ・さ・ま」
「おば……?」
セラは期待に胸を膨らませた。
「そうそう! 上手ですよ」
「おば……ばぁ!」
「まあああっ!」
セラは両手で頬を押さえた。
「今、おばあ様と呼んでくれたのかしら!?」
エレナは笑いながら答えた。
「ふふっ。少し違うかもしれませんけれど、きっと呼ぼうとしてくれたのですね」
「それでも嬉しいわ!」
セラはリリアを抱き上げ、頬に優しく口づけした。
「ありがとう、リリア。おばあ様は、とっても幸せですよ」
「おばぁ、にこにこぉ!」
「ええ、にこにこですよ!」
そこへ、ポポとピピもやってきた。
二匹は、こっそり持ち込んだ小さな袋を開けた。
中には、リリアのお祝い用に用意された柔らかい果物と、ポポ用のお菓子が入っていた。
「リリアのおしゃべり記念なのだ! お祝いをするのだ!」
「ポポ、それはリリアのお祝いでしょう? どうして自分のお菓子まで用意してるの?」
「お祝いには、お菓子が必要なのだ!」
「その理屈、絶対におかしいよぉ!」
二匹が言い争っている間に、ポポの袋が傾いた。
ころころころっ。
お菓子が床に転がり出す。
「あああっ! ポポのお菓子がーっ!」
「ぽぽ、ころころぉ!」
リリアは大喜びで手を叩いた。
セラもエレナも、思わず笑ってしまった。
「本当に賑やかな子たちですね」
セラが笑顔で言った。
「ええ。でも、リリアは二匹が大好きなのです」
エレナが答える。
リリアは二匹を交互に見て、元気よく声を上げた。
「ぽぽ! ぴぴ!」
「はいなのだ!」
「ピピもいるよぉ!」
二匹は嬉しそうにリリアのそばへ駆け寄った。
そのとき、リリアはセラの顔を見上げた。
「おばぁ!」
「はい、ここにいますよ」
セラは優しくリリアを抱きしめた。
「いつか、もっと上手にお話しできるようになるのが楽しみですね」
エレナも、幸せそうにうなずいた。
* * *
一方、王宮の別の場所では、第二夫人ヴィクトリアが侍女から報告を受けていた。
「リリア姫が、初めて陛下を『ぱぱ』と呼ばれたそうです」
「……そう」
ヴィクトリアは微笑んだ。
「陛下も妃殿下も、とてもお喜びだったとか」
「そうでしょうね。大切な娘なのですもの」
ヴィクトリアは、穏やかな声で答えた。
しかし、侍女が部屋を出ていくと、その笑顔は消えた。
(あの子は、ますます皇帝陛下に愛されていく……)
リリアは皇帝の一人娘であり、将来の王位継承者でもある。
アレクとエレナに愛され、セラにも大切にされ、王宮の人々からも可愛がられている。
その小さな存在が、ヴィクトリアの野望にとって大きな障害となっていた。
(今はまだ、何もできない赤ん坊に見えるけれど……)
ヴィクトリアは窓の外を見つめた。
(あの子が成長するほど、私の望みは遠のいていく)
それでも、彼女は焦りを表には出さなかった。
今はまだ、自分が疑われないことが何より重要だった。
毒入りミルクの事件も、侍女の追放によって宮廷内では一応の処分が下された。
しかし、毒を入れた者は判明していない。
そして、ヴィクトリアが事件に関わったことを知る者もいなかった。
彼女は再び優しい笑顔を作り、窓辺から離れた。
「……今は、様子を見ることにしましょう」
その声は、誰にも聞かれなかった。
* * *
夕方。
リリアはエレナの部屋で、父と母に挟まれて座っていた。
アレクは、まだ娘の「ぱぱ」という声が忘れられないらしい。
「リリア。もう一度、パパと呼んでくれないか?」
「あなた、今日は何回目かしら?」
エレナが笑う。
「……十回くらいだろうか」
「もっとよ」
「そ、そうか……」
アレクは少し恥ずかしそうに咳払いをした。
だが、リリアが父の顔を見上げると、すぐに笑顔になった。
「ぱぱ!」
「うむ!」
「まま!」
「はい、ここにいるわよ」
「ぱぱ、まま! だいしゅきぃ!」
アレクとエレナは、同時にリリアを抱きしめた。
「私も大好きだよ、リリア」
「お母様も、リリアが大好きよ」
リリアは二人の腕の中で、幸せそうに笑った。
(ぱぱ、まま、だいすきぃ! ずーっと、いっしょぉ!)
その小さな願いは、まだ誰にも知られていなかった。
リリアはいつか、自分が神界へ帰らなければならない運命と向き合うことになる。
けれど、今はまだ、その未来を知る必要はなかった。
今はただ、大好きな家族と一緒に笑っていたかった。
「えへへぇ!」
ポポとピピも、二人のそばで笑っていた。
「リリア、明日もいっぱい遊ぶのだ!」
「ピピもいっしょにやる〜!」
「うー! あしょぶぅ!」
王宮に、温かな笑い声が響いた。
小さな皇女の初めてのおしゃべりは、家族にとって忘れられない一日になったのだった。




