第11話 第二夫人の涙と追放された侍女! リリア姫、ママを守る! 「知らなかったの……! 第二夫人の嘘泣き大作戦!」
第十一話 第二夫人の涙と追放された侍女! リリア姫、ママを守る!
「知らなかったの……! 第二夫人の嘘泣き大作戦!」
王宮に、朝の光が差し込んでいた。
第一夫人エレナの部屋では、リリアがふかふかのクッションに座り、ポポとピピと一緒に遊んでいた。
「うー! あうあう!」
リリアは、積み木を一つ、また一つと積み上げていく。
ところが、最後の一つを乗せようとした瞬間――。
ぽてんっ!
積み木の塔が崩れてしまった。
「あーっ!」
「リリちゃん、もう一度なのだ!」
ポポが張り切って積み木を拾う。
「今度こそ、立派なお城を作るのだ!」
ピピも手伝い、二匹は一生懸命に積み木を積み上げた。
しかし、ポポが一番上に大きな積み木を置いた途端、またもや崩れてしまった。
ぽてぽてぽてっ!
「な、なぜなのだーっ!?」
「ポポが大きすぎる積み木を乗せたからよ!」
リリアは二匹のやり取りを見て、きゃっきゃっと笑った。
「あはっ! ぽぽ、どーん!」
「リリちゃんまで!?」
部屋の中に、楽しそうな笑い声が響く。
その様子を見守っていたエレナも、優しく微笑んでいた。
だが、彼女の心には、昨日の出来事がまだ残っていた。
リリアが危険を知らせてくれたミルク。
宮廷医師の検査によって、乳幼児に深刻な健康被害をもたらすおそれのある成分が含まれていたことが判明した。
幸い、リリアは一口も飲んでいない。
しかし、もしあの小さな子が嫌がらずに飲んでいたらと思うと、エレナは今でも胸が苦しくなるのだった。
「リリア……」
エレナがそっと娘を抱き上げる。
「あなたが教えてくれたおかげね」
「まま?」
「ううん。なんでもないわ。大好きよ、リリア」
「まま、しゅきぃ!」
リリアは母の頬に、ぺたっと手を当てた。
エレナは思わず笑みをこぼす。
そのとき、侍女が部屋に入ってきた。
「妃殿下。第二夫人ヴィクトリア様がお越しです」
「ヴィクトリア様が?」
エレナは少し驚いた。
「ええ。大切なお話があるとのことです」
「わかったわ。こちらへお通ししてちょうだい」
侍女が一礼して部屋を出ていく。
エレナはリリアを抱き直し、身なりを整えた。
やがて扉が開き、ヴィクトリアが姿を現した。
彼女はいつもの美しいドレスをまとっていたが、その顔には、今にも泣き出しそうな表情が浮かんでいた。
「エレナ様……!」
ヴィクトリアは部屋に入るなり、エレナの前で立ち止まった。
「ヴィクトリア様、どうなさったの?」
エレナが尋ねると、ヴィクトリアは震える声で答えた。
「ミルクのことを……お聞きしました」
エレナの表情が曇る。
「ええ。宮廷医師が調べてくれたの。残念ながら、危険な成分が入っていたそうよ」
「そんな……!」
ヴィクトリアは両手で口元を覆った。
「まさか、あのミルクにそんなものが入っていたなんて……!」
その声は、悲しみに震えているように聞こえた。
しかし、その心の奥では、別の思いが渦巻いていた。
(落ち着くのよ……。ここで疑われてはいけないわ)
ヴィクトリアは、ゆっくりとエレナの前に進み出た。
そして突然、床にひざまずいた。
「ヴィクトリア様!?」
エレナが驚いて声を上げる。
ヴィクトリアは、両手を胸の前で握りしめた。
「申し訳ございません……! 私が贈ったミルクに、まさか毒が入っていたなんて……!」
彼女の目から、涙がこぼれ落ちた。
「私は、本当に知りませんでした……! リリア姫の健康を願って、少しでもよいものをと思っただけなのです……!」
ヴィクトリアは肩を震わせ、何度も頭を下げた。
「知らなかったとはいえ、こんな危険なものをお贈りしてしまって……。エレナ様にも、リリア姫にも、なんとお詫びすればよいのか……!」
その涙は、すべて演技だった。
ヴィクトリアは、ミルクの件について知らなかったふりをしていた。
自分が心配しているのは、エレナとリリアのことだけ。
そう思わせるために、悲しそうな顔を作り、声を震わせていたのだ。
エレナは、そんなヴィクトリアを見て、すぐに彼女のそばへ歩み寄った。
「ヴィクトリア様、どうかお顔を上げてください」
「ですが……!」
「あなたが悪いのではないわ」
エレナは、ひざまずくヴィクトリアの手を取った。
「あなたも、危険なものだとは知らなかったのでしょう?」
「エレナ様……」
「贈り物に問題があったからといって、あなたまで責めるつもりはありません。誰が、どこで、何を混入させたのか。それは、きちんと調べてもらいましょう」
エレナの声には、疑いも怒りもなかった。
ただ、相手を思いやる優しさがあった。
「それに、リリアは無事よ。あの子がミルクを嫌がったおかげで、飲まずにすんだの」
エレナは、腕の中のリリアに微笑みかけた。
「ねえ、リリア?」
「まま!」
リリアは母に抱きつき、それからヴィクトリアをじっと見つめた。
小さな瞳が、じーっとヴィクトリアの顔を見ている。
ヴィクトリアは一瞬だけ、背筋が冷たくなるのを感じた。
(な、何なの……この子……)
けれど、リリアはまだ何も言わなかった。
ただ、母の服をぎゅっと握っていた。
エレナはヴィクトリアの手を優しく握り直した。
「どうか、そんなにご自分を責めないで。あなたもつらかったでしょう?」
「エレナ様……ありがとうございます……」
ヴィクトリアは涙を拭きながら、深く頭を下げた。
そして、心の中でそっと息を吐いた。
(よかった……。エレナは、私を疑っていない)
エレナは本当に優しい人だった。
人を疑うよりも、信じることを選ぶ。
相手の悪意を考えるよりも、相手にも事情があったのではないかと考える。
だからこそ、ヴィクトリアの涙を見ても、裏に隠された企みを疑おうとはしなかった。
「ヴィクトリア様。どうか、もう泣かないでくださいね」
「はい……。ありがとうございます……」
ヴィクトリアは、ようやく立ち上がった。
その顔には、申し訳なさそうな表情が浮かんでいた。
けれど、部屋を出る直前、ほんの一瞬だけ。
その瞳から、涙の色が消えた。
* * *
ヴィクトリアが退出すると、エレナはリリアを抱きしめた。
「リリア。みんな、あなたのことを心配しているのよ」
「うー?」
「でも、もう大丈夫。お医者様が調べてくださったからね」
リリアは、母の顔をじっと見上げた。
そして、たどたどしい言葉で尋ねた。
「まま……だいじょぶ?」
「ええ。大丈夫よ」
「みりゅく……わるい?」
エレナは一瞬驚いたあと、優しくうなずいた。
「そうね。あのミルクには、体に悪いものが入っていたの」
「だめぇ!」
リリアは小さな手で、大きくバツを作った。
「わるい、みりゅく! のんだら、だめぇ!」
「そうね。もう飲まないわ」
エレナは、リリアの額にそっと口づけをした。
「教えてくれてありがとう。あなたは本当に賢い子ね」
「えへへ……!」
リリアは嬉しそうに笑った。
そのとき、ポポが二人の間に割り込んできた。
「リリちゃんはすごいのだ! ポポも危険なものを見抜けるのだ!」
「本当?」
ピピが首をかしげる。
「もちろん! ポポは、おいしいものと、おいしくないものを見分けられるのだ!」
「それ、危険を見抜くのとは違うでしょ!」
「おいしくないものも危険なのだ!」
「勝手に決めないの!」
リリアは二匹のやり取りに、また声を上げて笑った。
「あはっ! ぽぽ、ぴぴ!」
エレナも笑った。
娘が無事であること。
それだけで、今は十分だった。
しかし、王宮では、もう一つの動きが始まっていた。
危険なミルクがどのようにして贈り物に混入したのか。
その責任を誰が負うのか。
そして、その調査の結果が、ある侍女の運命を大きく変えることになるのだった。
***
翌朝。
皇帝アレクの執務室には、毒入りミルクの調査報告書が届けられていた。
アレクは報告書に目を通し、険しい表情を浮かべた。
「……リリアの口に入るはずだったものに、これほど危険な成分が含まれていたとはな」
机の上には、宮廷医師による検査結果と、贈り物が皇宮へ届けられた際の記録が並べられている。
ミルクには、乳幼児の健康に深刻な被害を及ぼすおそれのある有害物質が混入していた。
幸い、リリアは飲むことを拒み、一滴も口にしていなかった。
しかし、もしエレナが娘の嫌がる理由を聞かず、無理に飲ませていたら……。
アレクは報告書を握りしめた。
「皇女の命に関わる問題だ。決して曖昧にはできぬ」
「陛下。贈り物を皇宮へ運んだ侍女について、確認不足があったことが判明いたしました」
騎士団長が報告する。
「詳しく申せ」
「侍女は、届けられた贈り物を受け取り、そのままリリア姫のお部屋へ運んでおりました。しかし、受け渡しの記録に不備があり、品物の安全性についても確認しておりませんでした」
「その侍女が毒を入れたという証拠はあるのか?」
「いいえ。現時点では、侍女が毒を混入させた証拠も、毒の混入を知っていた証拠もございません」
アレクは黙って考え込んだ。
犯人がわからない以上、無実の者を犯人と決めつけるわけにはいかない。
だが、皇女のために届けられた品物を扱う者には、それ相応の責任がある。
「その侍女を呼べ」
「かしこまりました」
* * *
しばらくして、一人の侍女が執務室へ連れてこられた。
侍女は皇帝の前で深く頭を下げた。
「陛下、お呼びでしょうか」
アレクは、静かに問いかけた。
「リリアに贈られたミルクを運んだのは、お前だな?」
「は、はい。贈り物をお預かりし、リリア姫のお部屋へお届けいたしました」
「運ぶ前に、中身や受け渡しの記録を確認したか?」
侍女は言葉に詰まった。
「……いいえ。贈り物として届けられたものでしたので、そのままお持ちいたしました」
「皇女が口にするものだとわかっていながら、何の確認もせずに運んだというのか?」
「も、申し訳ございません! まさか毒が入っているとは思わず……!」
侍女は慌てて弁解した。
「私は本当に、何も知りませんでした! 毒を入れたのは私ではございません!」
「お前が毒を入れたと決めつけているわけではない」
アレクは厳しい声で告げた。
「だが、皇女のための贈り物を取り扱う者には、安全を確かめ、決められた手続きを守る責任がある。お前はその責任を果たさなかった」
「陛下……!」
「今回のミルクには、赤子の命を危険にさらすほどの有害物質が含まれていた。もしリリアが飲んでいたら、取り返しのつかない事態になっていたかもしれぬ」
アレクの声には、父親としての怒りがにじんでいた。
「皇女の身を守るべき立場にありながら、確認を怠った。その重大な職務上の過失を、見過ごすことはできぬ」
侍女は青ざめ、床にひざまずいた。
「申し訳ございません……! どうか、もう一度だけ機会をお与えくださいませ!」
しかし、アレクの決意は変わらなかった。
「お前を皇宮での職務から解き、皇宮より追放する」
「そ、そんな……!」
「これは、毒を入れた犯人だと断定したうえでの処分ではない。皇女に届ける品物の管理を怠り、その安全を守る責任を果たさなかったことへの処分だ」
アレクは、はっきりと言い切った。
「今後、皇女に関わる品物については、受け渡しと安全確認を徹底させる。二度とこのようなことを起こしてはならぬ」
「……かしこまりました」
侍女は涙を流しながら頭を下げた。
こうして彼女は、皇女に届ける品物の管理を怠った責任を問われ、皇宮を追放されることになった。
ただし、毒を混入させた真犯人が誰なのかは、依然としてわかっていなかった。
アレクは騎士団長に命じた。
「侍女への処分と、毒の混入事件の調査は別だ。贈り物がどこで作られ、誰の手を経て皇宮へ届いたのか、引き続き調べよ。証拠が見つかるまでは、誰も犯人と断定してはならぬ」
「はっ! 必ず調査を続けます!」
騎士団長が退室すると、アレクは窓の外を見つめた。
「リリア……。お前に何かあったら、私は……」
その先の言葉は、口にできなかった。
愛する娘が無事だったことに、アレクは心から安堵していた。
だからこそ、二度と同じ危険にさらすわけにはいかなかった。
* * *
その日の午後。
侍女が皇宮を追放されたという知らせは、宮廷内に広がっていた。
第二夫人ヴィクトリアも、その報告を受けた。
「……そう。侍女が追放されたのね」
彼女は悲しげに目を伏せた。
「お気の毒に……。けれど、リリア姫に何事もなくて、本当によかったわ」
近くにいた侍女たちは、ヴィクトリアの言葉に感心したようにうなずいた。
「第二夫人様は、本当にお優しいのですね」
「当然ですわ。リリア姫も、この宮廷に暮らす大切な子なのですから」
ヴィクトリアは、穏やかな微笑みを浮かべた。
しかし、周囲に誰もいなくなると、その表情はすっと消えた。
(これで、ひとまず騒ぎは収まるかしら……)
彼女は、エレナが自分を疑っていないことを知っていた。
先日、涙を流して謝罪した際も、エレナは優しく手を取ってくれた。
『あなたが悪いのではないわ』
その言葉を思い出し、ヴィクトリアは心の中で冷たく笑った。
(本当に、あなたはお人よしね。まさか私が関わっているなんて、少しも疑っていないのだから)
だが、安心ばかりもしていられなかった。
リリアが、なぜミルクを拒んだのか。
なぜ、危険を察知したかのように強く嫌がったのか。
その理由は、まだわからない。
(あの小さな姫……。ただの赤子ではないのかもしれないわね)
ヴィクトリアは窓の外を眺め、指先をそっと握りしめた。
(今はまだ、焦るときではないわ……)
彼女は再び、いつもの優しい笑顔を作った。
誰も、その胸の内に潜む企みを知らなかった。
* * *
一方、エレナの部屋では。
リリアが、母の膝の上でぬいぐるみを抱いていた。
「まま、あうぅ!」
「どうしたの、リリア?」
「まま、かなちぃ?」
エレナは少し驚いたあと、娘の頭を優しくなでた。
「大丈夫よ。お母様は悲しくないわ」
「ほんとぉ?」
「ええ。リリアが元気でいてくれることが、何よりもうれしいの」
「まま、ぎゅー!」
リリアは小さな腕を伸ばし、エレナにぎゅっと抱きついた。
「ふふっ。甘えん坊さんね」
エレナも娘を抱きしめ返した。
リリアは母の胸に顔をうずめながら、心の中でつぶやいた。
(まま、だいすきぃ……。リリ、まま、まもるぅ!)
ポポとピピは、二人のそばで顔を見合わせた。
「リリアは、ママのことが大好きなのだな」
「うん。リリアはちっちゃいけど、家族を守りたいんだよねぇ」
「ならば、ポポもリリアを守るのだ!」
ポポは胸を張った。
「ポポにおまかせなのだ!」
「でも、ポポはこの前、クッキーを食べすぎて動けなくなったよねぇ?」
「そ、それは別の話なのだ!」
「ぽぽぉ、おなか、ぽんぽん?」
リリアがポポのお腹をつんつんする。
「ち、違うのだ! もう大丈夫なのだ!」
ピピがくすくす笑い、リリアも声を上げて笑った。
「あははぁ!」
部屋の中に、明るい笑い声が広がった。
その様子を、神界の四柱の神々も水晶を通して見守っていた。
「侍女は追放されたが、毒を入れた者はまだわからぬか」
ゼノが腕を組む。
アテナは調査記録を確認しながら答えた。
「はい。侍女の責任は明らかになりましたが、毒を混入させた人物を示す証拠はありません。事件そのものは、まだ解決していません」
「リリアちゃんが危険を察知したことも、気になるわね」
フィオナは、リリアがエレナに甘えている姿を見て微笑んだ。
「でも、今はお母様もリリアちゃんも無事。それが何よりよ」
オルフェは静かにうなずいた。
「この先も、リリアの周囲ではさまざまな出来事が起こるだろう。だが、あの子が家族を思う気持ちは、きっと大きな力になる」
ゼノは深いため息をついた。
「……願わくば、その力を使って神界まで大騒ぎにするのだけは控えてほしいものだ」
その瞬間、水晶の向こうでリリアがポポの頭にぬいぐるみを乗せた。
「ぽぽぉ、うさしゃん!」
「な、なぜポポの頭に乗せるのだーっ!?」
「きゃはははっ!」
ゼノは額を押さえた。
「……やはり、あの子に平穏を期待するのは無理なのかもしれぬ」
神界に、神々の笑い声が響いた。
そして人間界では、毒入りミルクの事件が未解決のまま、静かに時を刻み続けていた。
リリアはまだ知らない。
これから先も、大好きな家族を守るために、たくさんの困難に立ち向かうことになるのを。
それでも今は、母の腕の中で笑っていた。
「まま、だいしゅきぃ!」
「私も大好きよ、リリア」
小さな皇女の笑顔が、穏やかな午後の光に包まれていた。




