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人獣見聞録 猿の転生Ⅸ Side-B:ルシファー・イン・ザ・ブラッディナイフ  作者: 蓑谷 春泥
第1章 血染めのルシファー
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第6話 業

 悪魔の翼を生やした雪が、咆哮で大地を震わせる。熱線が下から上に通り過ぎ、〈寿〉のつま先と肩から下を落とす。

「!!」

「未来予知がお粗末になってるぞ」

 御黒がバーナーで焼き切った御黒が告げる。肉が盛り上がり悪魔の腕が再生する。雷と振動を纏い御黒の背後へ瞬時に回り込む。予期したように御黒の足蹴が悪魔をのけ反らせ、踏ん張った〈寿(ことぶき)〉が再び御黒に覆いかぶさった。御黒の手に灼熱の弾が浮かび、〈寿〉もまた氷の息吹を吐きかける……。


 轟音がオレンジの岩々を震わせてから数十分後、基地に帰り着くと、のまえが振り返って駆け寄ってきた。怪我はないかと聞くのまえに雪は「満身創痍(まんしんそうい)」と答えた。隣の御黒へ苦々し気に呟く。

「3回闘って、一本も獲れなかった」

「手の内は知れてるからな。〈寿(おまえ)〉の力は確かに強力だが、今はただいたずらに力を振りまいているだけだ。二度、三度と戦えば、理性のあるこちらが確実に有利になっていく。とりわけ、本能的な暴走状態の動きは、慣れれば読みやすい」

 逆に言えば、力を飼いならせば比類ない能力になる。励ます調子でもなく淡々と御黒は述べた。

「ああ、強いて言えばあれは厄介だったぞ。催眠能力。野性の危険感知が無かったらだいぶ手こずってた」

「煙草森のだな。能力の性質上、こっちの理性が無いと十分に効果が出せない。これも使いこなせば武器になる能力だな……」

 御黒が片手に持っていた自身の腕を振るった。喪刈が持ってきたエメラルドグリーンの溶液が注がれた水槽のような容器に右腕が重たい音を立てて投げ込まれる。肘から先が無くなった御黒の腕を見てのまえが小さく息を呑む。

「大丈夫なのか? それ」

 雪が遠慮がちに尋ねると御黒は片手でコートを脱ぎながらだるそうに答えた。

「問題ない。すぐに付く」

 御黒に従って廊下を進むと、二重扉の奥にスチーム室のような部屋があった。木の板が張り付けられた室内で、二段に分かれた座席の上に水色の蒸気が満ち満ちている。

「これはこれは細胞培養室だ。クローン技術を応用して作った人体修復機。細胞を活性化させ傷の治りを速める」

「シベリヤで開発されてたって噂のやつか。聞いたことはあったけど、実用段階に入っていたのか?」

「いいや。だがうちで特許を買い取って俺仕様に完成させた。その辺の人間には大して効果ないが、俺の肉体にはうまく作用する」

 御黒は脱いだシャツを籠の中に入れながら答える。「俺は体内で半無尽蔵のエネルギーを精製している。そのエネルギーを細胞修復に向くように仕向ければ、失われた部位を取り戻すことも可能だ。さすがに欠損部位が複雑すぎれば再生しきれないが、もげた腕があればそれを繋げなおすくらいできる」

 腰にタオルを巻いたところで、こんこんと扉がノックされた。喪刈が手だけを出して御黒の腕を差し出す。御黒が腕をとって解凍した傷口にあてがうと、その繋目を黒いテープのようなもので包帯を巻くようにして縛った。靴と籠を部屋の戸棚のような部分に仕舞う。それから別の籠を取り出して雪の前に置いた。

「お前も座れ」

「僕もか?」

「再生済みとは言え完全には修復しきれていない箇所があるだろ。それに最後の一撃のダメージは残ってるはずだ。俺ほどではないが、12号の『増殖器官』を持つお前にもこの装置は効果がある」

 ふむと言って雪は大人しく従った。ごゆっくりと言い残して喪刈が扉を閉め、雪は腰布を巻いて段に座る。思いもよらぬ裸の付き合いだ。

「使う機会は少ないが、この設備は良い。こうしているとペテルブルグの蒸し風呂(バーニャ)を思い出す」

「向こうの出身なのか?」

「ルーツはこの国だが、露州の奥地で育った。凍土の分厚い平地で、物心つく頃にはウラル山脈の深くに移り住んだ。両親が早世だったものでな」

 御黒が己の過去を話すとは思っていなかったので、雪は蒸気の中で目を見張った。


 御黒闇彦の祖父は狩人だった。

 早くに両親を亡くし、身寄りのなくなった闇彦を引き取り育てたのは彼だった。祖父は闇彦に独力で生きていく術を教えた。闇彦はそんな祖父に育てられ、生物としての強さを身に着けた。鹿狩りの最中に遭遇した野生の熊を猟銃で負傷させ、罠に追い込んで仕留めたのは闇彦がまだ7歳の時だった。

 だが祖父は闇彦にサバイバルだけを教えたのではなかった。僻地(へきち)でありながら最新の教授法を身に着けて指導し、夏や秋の長い休みには町に下りて教育をつけさせた。祖父が老衰で死亡し、闇彦が14歳で寄宿制の大学に進学するまでその生活は続いた。

 闇彦が13の時だった。

 雪深い山中で赤い「繭」を見つけた。

 獣が掘り起こしでもしたのか雪に埋もれたその「繭」は、天然物とは思えないほど大きく人一人収まるほどの大きさで木々に繋がれていた。いや、事実その「繭」には人一人包まれていたのだ。それが鹿室(かむろ)喪刈との出会いだった。

 「繭」を解いた闇彦はその中に一人の少女の眠っているのを発見した。自分よりも少し幼く、神秘的な輝きを纏った肌。初めは遺棄され隠匿された死体かと思ったが、少女には呼吸があり、氷点下二十度の厳寒の中でも、不思議と体は温かみを帯びていた。闇彦は眉を再び隙間なく包み、祖父の待つ山小屋へと持って帰った。

「何かの実験体かな」

 暖炉の火の影が濃い小屋の中で、闇彦は「繭」の中を覗き込んだ。

「人里離れた山奥は極秘の施設を造るには持ってこいだが……。このあたりでそういった工事や人の立ち入りは見た覚えがねえ」

 老人は節くれだった指を己の顎に添えて答えた。「とはいえたしかにこりゃ不思議だな……。この繭みたいなやつも何でできてるか分からん。あの雪の中で温度を保ち続けるたぁ自然物とは思えねえが、何かの機械って風にも見えん。……こりゃ案外神様(ボーフ)の子どもかもしれねえぞ」

「今時流行らねえよ、そんな信仰(もん)」

 闇彦は眉を顰めたが彼自身当惑していたのも確かだった。いっそ本人から話を聞ければいいが、そう思いつつ少女の頬に手を触れた。微かな温度があり、彼の生気にあてられたように、それまでぴくりとも反応しなかった少女がゆっくりと目を開けた。


「……それが喪刈さんとの出会い? まるで『桃太郎』か『かぐや姫』だな。……結局彼女は何者だったんだ?」

「日本の民話か。まあ似たようなものかもしれねえな。今でもあいつの素性は分からない。謎のままだ。目を覚ました喪刈は記憶もなく、それどころか言葉すら持たなかった。俺と同じ小屋に住まわせてるうちに、すぐに覚えたがな」

 柄にもなく昔話をしちまったな。御黒は天井を見上げて呟く。湿気でも曇る様子のないレンズだったが眼鏡を外して脇に置いた。「寿。お前は5号のクローンだったな。お前に家族はいるか?」

「今自分で、クローンって言ったばかりだろ」

「血の繋がりばかりが家族じゃねえ。月並みな台詞を吐かせるな」

 闇彦に促され、雪は目を瞑った。

「いるよ。母と妹が一人。どちらも守るべき存在だ」

「注連(しめ)野(の)紫(むらさき)か。そういえばそういう関係だったな。義妹(いもうと)の方は知らん。伏魔殿に居るのか?」

「ああ」雪は目の汗を拭いながら答えた。「最近は本部で会わないけど。どこで何をしてるんだか……」


〇


 路地。

 赤黒い緋(ひ)の液体が、心臓の拍動に押し出されゆっくりとアスファルトを滑っていく。やがてその鼓動も弱まっていき、ナイフからしたたり落ちる血の音だけが静寂にこだました。

 静けさを切り裂くようにため息が漏れる。目を剥いて白くなった死体の背中から立ち上がり、染袈裟丸はナイフについた血を下で舐めとった。

「不味い」

 やっぱりお兄ちゃんが一番か。独り言を残しつつ迷路のような路地を抜ける。

 雑踏に溶け込み、血を拭ったナイフをしまう。返り血は無い。長年の経験がその殺人(技術)を容易にしていた。

 不意に目の前の人影とぶつかる。周囲に気を払っていなかったわけではないが、それは急に目の前に現れ立ち止まった。

「あ、ごめんなさい……」

平時のように平然と言葉を吐き、袈裟丸は立ち去ろうとする。バットケースがすっと伸びてその進路を塞ぐ。

「挨拶も無しなんて酷いじゃあないですか、袈裟丸さん」

 見上げた先、青年が静かな笑いとともに眼帯から殺意を向ける。伏魔殿第4部隊、『十三蝦夷(とさえみし)』リーダー・眼目(さかん)伊達政(だてまさ)。

「新参ですが覚えてもらいましょうか。……『堕天使』さん」


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