第5話 合流
「また薬が増えたや」
談話室に設置されたソファの上で佐水清がぼやきながら錠剤を掌に転がした。手の上で散らばった色とりどりのカプセルや丸薬をぐっと口の中に呑み込み、ペットボトルの水で嚥下する。机を挟んで前の席ではやや隈の入った眼を伏せるようにして、馬飼首が紙パックの栄養ドリンクを、無言のままストローで吸い上げ、またその横では北海道チーム『熊嵐』のリーダー合佐毘羆がソファの上に胡坐をかいて座っている。
「馬飼さん、何種類くらいすか」
「んあ」
馬飼がぼんやりした顔でストローから口を離し、佐水の顔を見返す。佐水清。佐清のあだ名のついた悪童隊員の顔には本部防衛戦で負った火傷の、外科手術痕が残っていた。開戦時、共に見張りについていた2年の一番合戦とともに、アンタイ・エデンの奇襲を受けて負ったものだ。復帰可能な離脱はまだましな方で、1年の柤岡兎をはじめ、悪童隊からは多くの死者が出ていた。
「精神剤の話ですよ。何種類くらい出されてんのかって」
「あー……、俺は2種類くらいだな。眠剤と50㎎の安定剤……。まあ皆量は増えてるっよな。……羆のおっさんは狂花帯の定着剤だけか?」
がたいの良い大男がずんぐりとした顎を動かして首肯する。上京し正式に伏魔殿入りをして強化手術を受けたばかりの男だ。
「血腥い戦闘を経験したなら仕方なかろう。先の本部防衛戦……、無法地帯の北国と違い、東京のお前さん方には初めての殺し合いだったろうしの」
本格的な戦闘行為の後、敵味方多くの死を経験した10代・20代の隊員たちに対し、本部の葎はPTSDの治療プログラムと向精神薬の処方を施していた。精神訓練を受けていない非戦闘員のオペレーターたちを始め、戦闘に巻き込まれた部隊の半数程度が治療を必要としていた。精神系能力者の煙草森も駆り出され、特に症状の酷い者に対しては直接的な処置がとられることもしばしば、ただでさえ人手を失った現在、これ以上の離脱者を出さないために上層部としても対処せざるを得なかった。
手首に巻いた時計がぶるりと振動した。馬飼が時間を確認する。「そろそろか。行こうぜ」
各部隊長がホールに招集されていた。
「副局長直々に発表ってなんだろうな」
暗い校庭を見下ろす廊下を渡りながら馬飼が言う。
「わざわざ部隊長を招集するくらいっすから、大規模な作戦でもあるんじゃないすか?」
「いよいよエデンに反撃か。この3か月防戦一方だった。攻勢に転じなきゃ仕方ねえ」
拳を掌に叩きつける。戦いに気が進まないのは確かだが、死んでいった仲間の弔いが必要なこともまた事実だ。何よりこれ以上の被害を出さないためには、いずれエデンを打倒せねばならない。
馬飼が決意を固めると、曲がり角から声が飛び込む。
「いっけなーい! 遅刻遅刻う!!」
気付いた時には遅く、思いのほか速くて重い人影が出合い頭に馬飼を押し倒した。馬飼と人影は相互に悲鳴を上げて倒れ込む。
「痛ってえ……。なんだよ……?」
頭をさすりながら起き上がった馬飼は自分の上にのしかかった人影を見てぎょっとした。
「ちょっとぉ、気をつけなさいよね」
同じように額を押さえながら身を起こした相手は野太い声で悪態をついた。体格は馬飼より一回り大きく、筋骨は流々、頭をいかつく刈り上げた犯罪者あがりのような大男がこちらを見降ろしている。馬飼は思わずファイティングポーズをとった。「なっ……、やんのか、てめえ」
「なによ、そっちがぶつかってきたんでしょぉ?」
男はむっと顔をしかめて反論する。大丈夫かと歩み寄ってきた佐清の後ろで羆がおうと声を上げる。
「『アングリー・ペンギンズ』の蝦夷森十三じゃねえか。お前もこっちに来てたのか」
メンチを切るように羆を見上げた蝦夷森は何かに気付いたように己の顔を触った。「あら、やだ」
それからすっと何事もなかったかのように立ち上がるとどすの利いた声音で「久しぶりだな、羆」と告げた。
「ホールはそう遠くない。そう急がずとも間に合うぞ」
「そうか。ならば共に向かおう」
連れ立って歩いていく羆と蝦夷森の背中を見ながら、馬飼を助け起こした佐清が尋ねた。「蝦夷森って北海道のもう一チームのリーダーでしょ。意外と茶目っ気のある奴なんすかね」
「いや、俺も初めて会ったから分かんねえよ」
馬飼もイメージとのギャップに首を捻る。かつて『アングリー・ペンギンズ』の勧誘に向かったのは青墓と青羽根たちだ。戦死した仲間のことを思い出して馬飼は唇を噛んだ。
ホールに集まると既に大半の部隊長たちが集合していた。部隊長だけでなく枢要な人物は呼び寄せられているようだった。近くに見知った顔があったので声を掛ける。
「染ちゃん」
雪の妹だ。何度かオペレーションしてもらったことがある。こちらに気付いて袈裟丸が顔を上げる。「馬飼さん」
「オペレーターも参加してんのな」
「はい。私はなんで呼ばれたか分かんないですけど……」
馬飼の後から部隊長たちが2、3入ってきて全員揃ったようだった。相棒の五頭も既に到着していて、こちらが片手を挙げると、見と煙草森の横から目で応じた。
「揃たようやね」
皆の前に進み出て木葉下が言う。
「部隊長たち全員集めるなんて、何の作戦すか」
皆を代表して馬飼が問うと、木葉下は気味の悪い角度に首を曲げにたりと微笑んだ。
「今回は作戦ちゃう。挨拶や」
「挨拶?」
「局長の紫はんが退任されたんは知っとるやろ? っちゅーことは、後任の新局長が選ばれるんは至極当然や」
「後任……。あなたが次の局長ということか?」五頭が腕を組んで続きを促す。「ちゃう」ちっちっと指を振って木葉下がウィンクする。
「その方は既に呼んどる。ほな挨拶してもらいましょか。新局長さん!」
木葉下の拍手に迎え入れられて、ボディガードらしい女を二人連れた一人の男が壇上に躍り出た。意図して柔和な顔を作った、見るからに切れ者の初老の男だ。もちろん馬飼に見覚えはない。が、隣で驚いたように袈裟丸が声を漏らした。「公安部長……⁉」
公安のトップ、紫たちの直属の上司である彼が、静かに口を開いた。
「治安維持局の皆さん、新局長の幣原です」
〇
戦闘機の車窓の中で、日本列島がぐんぐん遠ざかっていく。
雲を切って進むステルス機『フォークナー』が既定のルートに入ったことを確認して、雪は操縦席を離れた。自動運転のプログラムに従って操縦棹が静かに前後する。
御黒闇彦に提示されたコード。既に軍などで導入されている、指定された数値を入力することで、座標を示さないまま目的地へと誘導するシステムだ。落ち合う地点の情報を伏魔殿側に漏らしたくないのだろう。南極基地には既に一度赴いているが、もしかすると複数の拠点が点在しているのかもしれない。南極大陸は途方もなく広いのだ。
扉を開け客室に入る。シートベルトを締めたのまえが横向きの椅子に座っていた。
「もう日本の領空を出た。20分後には着くよ」
「わあ。速いね」
「最新の戦闘機ならこんなもんだよ。地球の裏側まで1時間かからない」
雪はのまえの横に座った。のまえは腕時計型のタブレットで何かを呼んでいる。何を見ているのかと聞くと、局長代理の新情報だとのまえは答えた。
のまえを連れていくべきかどうかはあの後も議論されたが、結局、その後やって来た新局長の鶴の一声で帯同を許可された。幣原篤人公安部長。公安警察の長が直々に局長代理を務めることになるとは思いもよらなかった。だが彼は公安内でもトップシークレットである治安維持局の全容を知る数少ない人物。計画そのものの責任者だ。新局長を務めるには相応しい人物と言えるだろう。
それにしても、忙しい身である公安部長が局長を兼任し、直接指揮を執るとは。部長の忠臣である木葉下が下支えするとは言え、かなり思い切った采配だ。よほどの気合の入れようと見える。それほどまでに今の伏魔殿は逼迫しているとも言えるが……、それ以上に、近いのだろう、エデンとの最終決戦が。だからこそ幣原は雪が本部を離れるというリスクを受け入れ、紫に枢機卿探索を命じたのだ。
「幣原さんと……、護衛の人も一緒に来るって。井伏さんと……、『みくるべ』さん? って読むみたい」
「みくるべ? 三廻部隊長のことか?」
雪は驚いた様子で資料を覗き込んだ。一般警察から引っ張って来られたという二十歳そこらの若い女と、もう一人スーツに身を包んだ、氷のような冷たさを纏った美人が写っている。知ってるの? とのまえが聞く。
「三廻部游……。伏魔殿の初期のメンバーで、数少ない実働隊員の一人、というか隊長をやってた人だ」
雪は説明する。「体術、捜査術共に優秀な人で、生身で強化人間並みの動きができた戦闘の達人だ。僕の格闘技術の師匠みたいな存在だよ。引退したのかと思ってたけど、幣原部長のとこにいたのか……」
ここへ来てあの三廻部を戦線に復帰させるということは、やはりエデンとの全面対決に本腰を入れるつもりだろう。
恐らく公安部長の中では枢機卿の目途がついている。決着の時は近い。それまでにこの力を物にしなければ。
南半球に突入し、ほどなくして吹雪に覆われた銀白の大地が広がってきた。予定された地点に要塞のような建物がある。屋上に配置されたヘリポートの周りがライトで照らされており、ちょうど花のように緑とピンクに彩られた髪の女がこちらを見上げていた。フォークナーを降下させ雪たちはコンクリートの上に降り立つ。
「喪刈さんですか。ご協力に感謝します」
「フンだ。受け入れたのは御黒くんだもんね」
喪刈は唇を尖らせそっぽを向いた。それから雪の後に続いてステップを下りたのまえに温かな笑みを向けた。「のまえちゃんはよく来たねえ。遠かったでしょ。中に入ろうね」
何なのだこの扱いの差は、と思いつつ雪は御黒はいないのかと尋ねた。
「そこに居るよ。出迎えって柄じゃないけどね」
喪刈が指さした方向に向かうと、御黒闇彦が遠くに建物の外を見渡すように立っていた。雪が近づくと、足音もしないうちにちらりとこちらを見た。顔は動かさず目線だけをこちらに寄越す。「……来たか」
「ああ」
雪もその隣に並び立つ。吹雪で見通せないが、ずっと遠くに点々と光が見えた。
「今回の協力、感謝する。……少し意外だった。ある程度対価が必要かと」
「欲しいものは何でも手に入る。お前らに用意してもらう必要はねえ」
御黒はぶっきらぼうに答える。「……」雪はその顔を見上げて問う。
「一つ聞いておきたい。3ヶ月前の伏魔殿防衛戦……。エデン軍の司令部として来ていた3・4号(海土路兄弟)が途中で姿を晦ました。侵攻中の本部を差し置いてだ。それは彼らの戦力が必要になるレベルのより優先度の高い事案が発生したということ……。おかげでこちらは全滅を免れたが……、あれはあんたか?」
「そうだ」
御黒は再び短く答えた。
「勘違いするな。お前らを助けてやったわけじゃない。たまたま俺の作戦とエデンの襲撃が、同じタイミングだっただけだ」
「……そうか」雪は察した素振りを見せず淡白に反応した。「だが一応礼は言っておく。伏魔殿の一員として」
目礼とともに感謝の言葉を告げると、御黒はふんと鼻を鳴らして答えた。眼を開けて雪はまた明かりの方に目を凝らす。
「……以前とは違うアジトのようだな。あの灯りはさらに別の施設か? 南極が特定の国有地でないにしても、ずいぶん基地を持ってるな」
「南極?」御黒がにやりと口角を上げる。「……ここが南極に見えるか? よく目を凝らすんだな」
言うと同時に強烈な熱風が辺りを襲う。
舞い散っていた粉雪を水滴に変え地面を覆っていた氷が瞬時に溶けていく。雲は晴れ、見渡す限りの雪原が茶褐色の地肌を見せ、たまらない湿気が充満しそれすらもすぐに乾いた。
雪は目を見張った。それまで南極の氷面だと思っていた景色が一変、赤い岩肌の乾いた大地が延々と続いていた。御黒が手すりに手を付く。
「ちょっとした歓迎の余興だ。ここは南極ではない。その一歩手前、オセアニア大陸。地球の中心だ」




