第4話 致血
小綺麗に整頓された年相応の男子の部屋で、モニターに映った古い画質の映画が大音量で流れている。夕方の南極行きの準備を終えた雪が流しのカウンター越しに見を見る。反射する画面の光を顔に浴びながら、鴛原見はぼんやりとした表情で映像を見るともなしに見ている。
「I am your father.」
「Nooooo!!!!!」
雪は流しからとってきた乾いたカップに珈琲を注ぎながらそれを眺めた。
「『ジェダイの帰還』?」
「『帝国の逆襲』」
一番有名なシーンだよ? と見がぼやく。
「その映画、昔見たっきりであんまり覚えてないんですよね。めちゃめちゃシリーズ長いし」
「今、エピソード52まである」
長すぎるだろ、と思いながら雪は見の隣に座る。見の分のカップを渡すと彼はお礼を言って啜る。ヂッ‼と聞きなれない叫び声を上げて唇を離す。
「熱いから気をつけないと」
「油断したっ。はぁ、布巾取ってくる」
机の上に零した黒い液体を拭きとるため、見が立ち上がる。らしくないミスだ。このところ見はぼんやりしていて、何か他のことに気をとられているようだった。
見が真剣に悩むようなことと言えば葎先生のことくらいだが、かといって二人の間に大きな変化は見られない。強いて言うと本部防衛戦の直前は少し気まずい空気が見て取れたが、今は以前の仲に戻っている。
「何かありました?」
水で絞った布巾を片手に戻ってきた見に、雪は何気ない口調で聞いてみた。
「え。あー」
見は机の上を往復させる手を緩めて、少し考えて呟いた。
「……雪くんにこんなこと聞くのも、あれかもしれないけどさー……。もし、自分の父親が犯罪者だったら、どうする?」
「犯罪者?」
思わぬ角度からの質問に、雪はカップを傾けた。熱い液体が流れ込んでくるが、見と違って頑丈な皮膚を持つ雪の口内はそれを受け入れた。
カップを机に置く。クローン人間である雪に父親はいない。母親については紫がその役を担っていたが、父親となるとそれらしい人物は研究所にもいなかった。遺伝的にそれに近いのは、オリジナルである五号の真白雪ということになるが……。
V。真白雪。彼がどんな人間だったかということは、あまり考えたことがなかった。既にこの時代には居ないし、遺伝的以上の繋がりも今は無い。しかし、考えてみれば彼には彼の人生があり、この世界で雪と違う道を辿っていたわけだ。
とはいえ、仮に彼を前にしたとしても、あまり父親という印象は抱かないだろうな、と雪は思った。年齢的にも父と言うよりか兄に近い年頃だ。となると想像の父親になるが……。
「まあ、居ないよりはましじゃないですかね」
雪は迷った末に当たり障りのない答えを提示した。見が気を遣うような目でこちらを向くが、気にせず淡々と続きを伝えた。「悪人だとしても、血のつながった家族じゃないですか。そこに居ないよりは、ずっと良い」
布巾が液体を吸って重くなっていた。「……そうか」見は短く答えて立ち上がった。
「ま、家族は大事だよね。家族思いの雪くんが言うんだから間違いない」
「皮肉ってます?」
「まさか。染のことだよ。……時に、最近あいつ見ないけど、どうしてるの?」
水洗いした布巾を流しにかけた。
「たしかに、あまり基地内で見かけませんね。今はオペレーターの外出は慎重にと言われてるんですが……。今度注意してやらないと」
兄貴らしく文句を垂れる雪の表情に、見は口元を緩めた。
「懐かしいね。君らが一緒に住んできた時もそうやって、染を叱ってたっけ」
袈裟丸は伏魔殿に引き取られて間もなく、雪の潜入捜査に妹の役で同行し瀬戸内で2年近く暮らしていた。それ以前の袈裟丸はエデンの人体実験施設に囚われていたと聞くが、隊員でもない保護対象の袈裟丸を雪の任務に同行させたのは、共に親族のない二人に紛いなりにも家族の生活を味わわせるためだったのかもしれない。
見が袈裟丸と面識を持ったのは、雪たちが共に暮らし始めて半年ほど経った頃だった。涼しい夏の頃で、瀬戸内の方は窓を開けているだけで過ごせるほどにからりとした日々だったと聞く。雪から相談を受けて東京の本部にいた見は映像通話を繋いだ。
「袈裟丸がオペレーターになりたいと言うんです」
「袈裟丸?」
「今僕の妹役で帯同している子です。隊員ではないので特に何もさせてはいなかったんですけど、だんだん僕の仕事に興味を持ち始めて」
「ふーん。でも雪君の妹役ってことは中学生か小学生だろ? 正規職員としては使ってもらえないと思うけど」
「ええ、なので候補生とか見習いという形で見先輩に指導してもらえれば……。真似事のレベルでかまいませんので。上層部には話を通してあります」
「ま、注連野局長が良いっていうなら良いけどさ。で、どんな子なの?」
その後ののまえと違い、危険な組織の内部に関わらせるという選択を雪がとったのは、多分まだそれ以外の生きる術を知らなかったからだ。もし袈裟丸と雪が出会っていたのが数年先であれば、雪はもっと別の生き方を袈裟丸に提示していただろう。ともあれそれが見と袈裟丸の邂逅であった。画面越しに初めて会った袈裟丸は引っ込み思案な様子で大人しく壁を感じたが、オペレーションの手ほどきを重ねていくうちに次第に打ち解けていった。雪と暮らし始めた当初はもっと無機質で感情の起伏がない人物だったと聞くが、雪と同じように袈裟丸も少しずつ人間性を取り戻していっていたようだった。その後、雪の東京への短期出張などで袈裟丸と見は直接顔を合わせる機会を持ったが、歳の割に呑み込みの早い性質で、袈裟丸は瞬く間に非正規のオペレーターとして伏魔殿に所属することになった。
今こうして本物の家族のような関係を築くようになった雪たちを見ると、見は何とも言えない思いがこみ上げてくる。
見がポッドを傾ける。数滴の雫を吐き出すだけだった。水を汲みなおし、ケトルのスイッチを入れる。
「ところでボリューム小さくないですか? テレビ。やけに」
雪がリモコンを片手に尋ねる。映画の音量を表すメモリがかなり左の方に寄っていた。強化手術を受けている雪の耳にも小さいと感じられるくらいには、ボリュームは抑えられていた。
ケトルからは沸騰する水が、か細い音を立て始めていた。見は顔を顰めた。細い悲鳴のような音が蒸気口から漏れ出して、耳の穴から鼓膜を揺さぶった。思わず耳を塞ぐ。しかしその音は見の頭蓋の中で何倍にも反響して、やがて女の叫び声のように脳内を劈いた。
どさっと大きな音がキッチンの方から聞こえた。雪は振り返り、それから倒れている見の方に駆け寄った。
保健室のベッドに横たわった見は、やがて静かな寝息を立て始めた。葎の投与した鎮静剤が効いてきたのか、初めのうち浮かんでいた苦しそうな表情がいくらか緩んだように見えた。
雪はベッドのそばの壁際に立ち、説明を求めるように葎に目を移した。見の細い腕に指を当てていた葎は、手を離しその腕をベッドの中に戻した。「脈拍も落ち着いてきたわ」
「見先輩は病気か何かですか。それとも疲労とか」
大抵の大事にはけろりと動じないように見える見だが、近頃はどこか上の空で体調も優れないようだった。葎の表情も曇ったままで、心配そうな眼差しをじっと見に落としていた。雪の問いかけにも答えない。雪はもう一度葎に呼びかけた。
葎はやっと気付いた様子で雪の声に反応した。いつも落ち着いている葎にしては珍しかった。
葎はいつもの理知的な顔つきに戻った。
「あなたには、教えておいても良いかもね」
再び憂うような顔になる。「見君にね、狂花帯が発現したの」
「……? 見先輩が贋作手術を……?」
「いいえ、彼の場合は天然の遺伝よ」葎は雪の眼を見返して告げた。「彼は八号の息子なの」
「⁉」
雪は己の理解を疑った。「八号……、左衛門三郎捌光の……、ですか?」
葎が肯く。
「彼も知ったのは最近よ。〈12人〉のいずれかの血を引いていることは知らされていたようだけど、その内誰が父親なのかは私たちも教えていなかった」
「教えていなかったって……、葎先生たちは知っていたんですか?」
「ええ。もともと見君は、〈12人〉の素性を調査していく過程で見つかった捌光の隠し子なの。狂花帯の遺伝する可能性は、我々にとってもエデンにとっても重要な知見だった。エデンが見君の存在を知れば、いずれ魔の手が及ぶ可能性がある。私たちはそう判断し、見君を保護した。ちょうどのまえちゃんの時のようにね」
「見先輩が伏魔殿入りしたのって、そういう経緯だったんですか……」
雪は驚いたように目をしばたたかせた。
「彼のお母様は保護に同意してくれたけど、父親の正体は伏せておいてほしいと私たちに依頼したわ。見君も知ろうとはしなかった。狂花帯も長らく発現する様子がなかったけど、この間の防衛戦で生命の危機に曝されたためか、捌光に接触したためか、急速に成長しだした。見君は肉体強化も受けていないし……、突然の目覚めに体が追い付いてない。能力も制御できていないし、過敏になりすぎた聴覚に振り回されているのよ」
今日の気絶もそのためか。雪は得心して肯いた。
「でも、今の話……、僕に教えても良かったんですか」
「誰かを巻き込むことがあれば、説明してかまわないと、言っていたわ」葎は見の寝顔に視線を落とす。「見君のこと、気にかけてあげてね。あなたたちは良い友達だから」
葎の見を見つめる目に慈みのようなものを感じて、雪は意外な光景を見た気持ちになった。かつて葎がそのような目線を向けたことは無かった。
「葎先生。見先輩はちょっと前に誕生日を迎えました」
「? そうね、知ってるわよ」
「見先輩は良い奴です。おだてられやすい所はあるけれど、情に厚く筋の通った人間で、葎先生に対する気持ちも、真摯なものだと思います」
「……何が言いたいの?」
葎はこちらを見て眉を下げた。
「僕が言いたいのはこういうことなんです。見先輩はもう18歳で、誰憚る必要ない青年だってことです」
雪の熱弁に、葎はちょっと圧倒されたように目をしばたたかせたが、すぐに困ったような表情を浮かべて顔を背けた。「それも知っているわ」




