第3話 消沈
「……だからってー、気軽に掛けて良い相手じゃないんですけど」
宙に浮かんだ複数のディスプレイに向かって頬を膨らませながら、鹿室喪刈は不平を呟いた。遥か南の地、南極大陸。雪と氷に閉ざされた無人の都市に、一際大きく造られた洋城のようなアジト。暖炉の火が爆ぜるその一室に、喪刈とその城主・御黒闇彦が佇んでいる。白のストライプのあしらわれた黒のスラックスと、同じく暗色のワイシャツに身を包んだ御黒は長椅子に横たわり、シャンデリアの浮かぶ高い天井に向かって退屈そうにゴムボールを放っては、落ちてきたボールをキャッチしている。
近頃、ずっとこの調子である。キラウェア火山での3・4号との対戦後……、いや、正確には1号の真実を知ってからというもの、御黒の様子はまるっきり違っている。覇気を無くし無気力に沈み込んだかと思えば、唐突に明るく振舞って見せたりする。ガレージに籠って食事も摂らず機械いじりに明け暮れていたかと思えば、氷の上に寝そべって一日中空を眺めたりもする。まるで自覚のない抜け殻のように……、ぽっかりと空いた胸の穴の淵をぐるぐると巡り続けている。
気の抜けたように無表情にボールを浮かべている御黒を横目に眺め、喪刈はディスプレイに向き直った。画面の向こうには頭髪と眉のない不気味に目を光らせた伏魔殿副局長の姿がある。木葉下とかいうその男は気さくに見せるつもりかうさんくさい笑顔を向けて訛りのある日本語で繰り返した。「つれないこと言わんといてーな。同じエデンを敵に持つ者どうし、仲良ぉしましょ」
「対等に思われては困るんですが。……そもそも、あの局長さんはどうしたんです? ここの連絡先を知ってるのはあの人のはずでしょう」
「まぁーこっちにもいろいろありましてね。注連野局長はクビになったんですわ。ボクで我慢していただきたい……、と言いたいところですが、ここはおたくの御黒クンに用のある本人に交渉してもらいますか。ボクが話すより信用がおけるでしょ」
うさんくさいのは自覚していたのか。妙な確認をしつつ喪刈の前に真白雪が現れた。
「鹿室喪刈さん。初めまして、僕は真白雪」
モニター越しに観測したことのある顔。Q。12号の悪魔。この南極で御黒闇彦を初めて追い詰めた少年……。
「君がまた首をつっこむとはね。御黒君に何の用かな?」
喪刈の問いに、雪は思い詰めたような表情をした。
「『寿』の力……、この12号の狂花帯を使いこなしたい。今の僕にはまだ制御も解放もままならない状態だ。御黒闇彦のあの境地……、一朝一夕には到達しえなかったはずだ。彼がどうやって力をものにしたのか、身を以て知りたい」
「……つまり、端的に言うと……」
喪刈は視線を上に向けて続けた。「修行をつけてもらいたい? 御黒君に?」
少年がぎゅっと唇を引き締めて頭を下げる。
「いやいやいや」
喪刈は思わず制止の言葉を口にする。「君、御黒君に半殺しにされたの忘れたの? のまえちゃんだって実験台にされてさ。組織同士はともかく、個人的には仇くらい憎まれてるかと思ってたよ」
「……思う所がないとは言いません。が……、憎悪の感情があるかと言えば、それは」
ノーだろうな、と喪刈は思った。全力で挑んだ相手に対する敬意のようなものが雪の瞳にはあった。それは御黒が雪の命を奪わなかった理由とも通ずるように思えた。
多分、前線で戦う者にしか分からない感情が、そこにはあるのだ。
「……だとして、うちが協力するメリットは無いよね」喪刈が食い下がる。「ただでさえ寿の力は強力なんだからさ、わざわざ塩を送るわけが」
「良いじゃねえか、教えてやれば」
ゴムボールが掌の中で止まる。
「御黒君⁉」
目を剥いて振り向いた喪刈に向かって、ゆっくりと身を起こした御黒が答える。「ちょうど暇してたところだ……。退屈しのぎにゃちょうど良いだろ」
「でもさぁ……」
ボールをソファの上に放り出すと、立ち上がって部屋の外に向かいだした。「前にも言ったろ。泥臭い奴は嫌いじゃない。それに……、藻掻き足掻くのは若者の特権だ。好きにやらせてみろ」
ばたんと扉が閉じられ、ディスプレイの中で雪が身を乗り出している。「そこに奴がいるんですか?」
「……っ」喪刈は渋い顔で口をもごつかせていたが、やがて渋々と言った形で答えた。「好きにしろってさ」
喜色を浮かべる雪に対して、喪刈は指を突き付けた。「でも条件は付けさせてもらうからね! まず基本的に雪君一人で来ること! 同行者は付けたとしても一人まで。特に7号ちゃんはNG!」
雪が同意をとると、喪刈は不満そうに通話を切った。
「あの御黒クン相手にずいぶん買われてるんやねぇ、雪クン」
閉じたディスプレイの前で、木葉下が悪趣味な表情で顎をさする。
「ともあれ交渉が上手くいったんは良かったよ。君が『寿』として完全にものになれば、今のエデンにも十分に対抗しうる。君を本部から離すリスクを、負うだけの価値ある賭けや。新局長も賛同してくれはった」
「それについてはありがとうございます。……てっきり局長の後任は木葉下さんかと」
「正式な発表は明後日んなるわ。君は南極にいる頃やろうからそっちに集中しい」
「は……」
紫が辞任したとなると、繰り上げで副局長の木葉下が新局長に就任しそうなものだが……、外部の人間が着任するのか? 極秘情報の多い部署に、このタイミングで? 疑問は尽きなかったが雪はひとまず口を噤むことにした。
「……で、雪クンに同行する人間のことやけど、あの御黒のアジトに潜入するチャンスなら、データを抜いて来れるような人材を選抜するかな」
「それはリスクの大きい賭けよ、副局長」
傍らで待機していた葎が諫める。「相手は世界を滅ぼしかねない男だわ。友好関係が築けているなら、それを崩す必要はない……。目下の敵はエデンでしょう、彼の情報は必要ない」
「むん、それもそやね」木葉下は案外あっさりと引き下がった。
「なら、おいおい御黒クンの対策は必要として……、今誰か一人付けるとしたら、雪君のメンターやろか。狂花帯の調整が必要になる可能性を考えて葎先生……、はさすがに難しいとして、お弟子の見君あたりに行かせよか。ま、他のオペレーターでもええけど……」
「あの、私行きます」
扉の方から遠慮がちにのまえの顔が覗いた。皆の視線がさっとそちらに集まる。のまえはこの対談に呼ばれていなかったが、どうやら傍で聞いていたらしい。
「上層部の会話を立ち聞きとは度胸あるなぁ。てか副局長室防音なんやけど、どうやって聞いたん?」
そもそも上層部の部屋はロックがかかっているので扉を開けられたこと自体不思議だ。
「扉、少し空いてたので……」
指さす先の扉は半ドアになっている。新本部改築に当たって付け替えられた扉だ、整備不良があったのか。
「けったいな能力や」
のまえの確率操作をいささか揶揄しながら、聞かれてしまっては仕方ないという風に木葉下はのまえを招じ入れた。
「私としては反対ね。のまえちゃんは一度彼らに囚われてるわけだし、うちとしても貴重な存在であるあなたを行かせるわけにはいかないわ」
雪も肯く。御黒は一号の能力を解明するため、昼神の贋作であるのまえの生体情報を求めていた。危険な実験に突き合わせるわけにはいかない。
しかし二人の反応に反して、木葉下は首を振った。
「ええんちゃうか。のまえちゃんの能力があれば、雪くんの修行の成功確率も上がるやろ」
「しかし……」
「もうこれは『戦争』なんや。情で作戦を立てるわけにいかへん。君ぃらにとって辛い選択でも、それがこの国のためェなるんなら、選ばなあかん」
木葉下は気楽に言う。「もう注連野局長おらひんのや。これからの伏魔殿は変わるよ」




