第2話 隠退
新本部となった高等部校舎を前にして、注連野紫は葎の方を振り返った。
「子供たちのこと、頼むよ」
「言われなくてもよ」葎が答える。「今やずいぶんと大所帯だけどね。雪くんや見くんだけ見ていれば良かった頃とは大違い」
軽く口角を上げた。うんと肯いて紫は少し考えたように口を開く。「見くんのことだけど、彼ならもう……」
しかし思い直したように紫は言葉を止め、小さく笑んで首を振った。「……いや、私から言うのはよそう。これは葎たち二人の問題だからね」
「何の問題があるって言うのよ」
腕を組んだ葎が唇を尖らせる。かぶりを振って紫は地面の上に置いた旅行鞄を持ち上げた。
「むしろ何の問題も無いというべきかな。こういう状況だからこそ……。伝えるべきことは伝えておいた方が良い」
暇を告げアスファルトの道を行く。紅葉混じりだった枯れ木たちも今はすっかり葉を落として寒々しい。北風が吹いて紫はコートの襟を立てた。
裏門を出たところで立ち止まり、ついとまた本部を振り返った。
「つれないじゃないですか。局長。別れの言葉一つ残さないなんて」
振り向くと、門柱に寄り掛かった影がこちらを見つめている。「……それとも、もう局長とはお呼びできないですか」
「雪。どうしてここに」
「煙草森から聞きました。この時間に、ここを通るだろうと」
柱から背を話、こちらに近寄る。「しばらく離れるとは聞いていましたが……、局長解任の件、本当ですか」
「……煙草森君が漏らしたなら、仕方ないな。とはいえ人事も立派な内部情報だ。むやみに探らせるのは……」
「分かってますよ」
なおもこちらをひたと見つめるので、紫も観念したように肯く。
「言う通り、私はもう局長じゃない。隊員ですらなくなった。正式な告知は2時間後だ」
「……! 除隊処分まで……」
「本部を守り切れなかった私の責任だ。エデンの侵入を許し、あれだけの被害と死傷者を出した以上、続投はできない」
自戒の表情で言った後、紫はふっと口元を緩めた。「メッセージくらい、残していくつもりだったんだけど」
「……連絡が取れなくなるわけじゃないとは言え……、何も言わず去られるのは、辛いものですよ」
存外に素直な口調に、紫は思わず雪を見返した。雪はばつが悪そうな表情で目を逸らした。「あなたのことだ、心配をかけないようにと思ったんでしょう。でも……、話して見なければ伝わりませんよ。互いの配慮など」
雪が再び視線を戻した。思いがけず真っすぐな言葉に紫は呆気にとられ、それから口元を緩めた。
「何がおかしいんですか?」
「いや……、いつの間にか成長したもんだなと。私なんかよりよっぽど大人だね。……私はまた、同じ過ちを繰り返すところだった」
ふっと微笑んで、紫は真面目な表情になった。「何も言わなかったのはすまない。だが、私はこれが別れだとは思っていない。既に伝えた通り、ほんの少しの『暇』だ。私はまた戻ってくるつもりだよ」
「……! でも、公安部長は……」
「そもそもは幣原さんの考えだ。たしかに局長の任は解かれたが……、組織に属していないからこそ、できることもある」
「……?」
戸惑ったような顔で雪が首を傾ける。吹き抜ける風に掻き消されるほどの声で、紫は低く伝える。
「私は非公式の任にあたる。……『灰色の枢機卿』を探す」
「! エデンのボスを?」
「ああ。これはあくまでも極秘作戦だが……、『煙草森に聞かれてしまった』のであれば仕方ない。だが他言無用なのは分かっているね?」
言葉の意味を察し雪は肯いた。念のため周囲を見渡したが、やはり人影はない。
「このタイミングでの予算の取り上げ……。関係者しか知り得ないはずの本部の特定。いくつか推測できる根拠はあるが、枢機卿は政府筋の人間である可能性が出てきた。もし彼が高い地位にいる人物ならば、政府直下の公安内では捜査が妨害されることが予想される。……外部の人間が突き止めるしかない」
それならば自分も、という分かりやすい表情を雪は見せた。
「君は伏魔殿に必要な人間だ。それにこれは武力のぶつかり合う表の戦争ではない、影の戦い……。必要なのは狂花帯より、経験と人脈だ」
紫は微笑んで、まだ躊躇いの残る雪の頭に手を乗せた。
「君は伏魔殿の一員として、皆を守りな。仲間と……、そして市井の人々をね」
頭から手を離すと、雪は決意を固めた表情で肯いた。紫が満足げに手を振り離れる。雪はその背に向かって敬礼をした。局長の姿が遠く消えてようやく腕を下げると、隊舎に踵を返しながら通話を掛けた。
「あ、見先輩……」通話に出た見の声に雪は反応した。「副局長にアポイントを取ってもらえませんか。上層部を介して連絡を取りたい相手がいるんです」
雪は吐いた息の白む空を透かして、雲のかかる太陽を睨み上げた。
「僕も今のままじゃいられない……。全てを持つ『最強』に……、御黒闇彦に会いに行く」




