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人獣見聞録 猿の転生Ⅸ Side-B:ルシファー・イン・ザ・ブラッディナイフ  作者: 蓑谷 春泥
第3章 フラトリサイド・ラブストーリーズ
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第31話 王

「もう終わったところだったか。増援が無駄足を踏ませられたな」

 現れた残間が、烏合の抱えた白い塊に目を止める。「塩生……、か?」

 烏合が肯く。そうか。と残間が肯いて周囲を見る。立派に戦ったようだな。

「第九研究班(プラン・9)も俺らだけか……」

 残間が頭を掻く。「ここに来るまでの道中、僅かな機械兵しかいなかった。それも西側に通じる通路を守る形でだ。通路は確認した限り、全て断絶しているか、瓦礫で塞がれている。人間の兵はこのブロックから撤退したみたいで、徹底して俺たちを隔離しているみたいだ。お前が足止めされている間に、電波と物理的な導線が遮断された。それが向こうの作戦だったみたいだな」

 無線機のボタンを押して再度確認するが、やはり電波が繋がる様子はない。

「それと、敵本陣を守ってた煙草森がついに前線へ出てきたって噂だ。こっちの精神感応系の贋作(パスティーシュ)を充分に狩りつくしたタイミングで、出してくる作戦だったみたいだな。エデン側の残存勢力の何分の一かは煙草森に乗っ取られて、戦場はかなり混乱してる。……西側のブロックに移動して枢機卿を助けろって言うのが阿舎利から最後に受け取った指令だったが、情報が錯綜してて真偽が分からん。見抜けたとして、この距離じゃ間に合うかどうかかなり怪しいな……。いっそ敵の本部に攻め込むか?」

 烏合がかぶりを振る。「もう……」


 〇


「猊下」

 赴いた執務室では、金庫から枢機卿が忙しく必要な書類を搔き集めているところだった。「伊舎那」枢機卿は息子にして最大の側近の姿を見止め、動かす手を緩めた。

 高度にプロテクトされた情報でも、ハッキング技術の日進月歩を考えれば、完全に安全とは言い切れない。たとえクローズドなシステムであっても、スパイや狂花帯能力による漏洩の可能性は捨てきれないからだ。機密資料は紙にして保管しておくか、全てを記憶し抹消してしまうのが23世紀のセオリーである。その機密書類を運び出し、革の鞄の中に仕舞い込んでいた。

「何をしているんです?」

「見ての通り、逃走の準備だ。今後も必要となるであろう最低限の資料を持ち出し、ここを脱出する。枢機卿(わたし)専用の地上エレベーター、伊舎那、君はそこまでの護衛に付きなさい。いや……、地上での待ち伏せを警戒するなら、その後の逃走経路にまで張り付いてもらう必要があるな」

「ここを捨てるんですか? 猊下の指揮なら、ここからでも挽回の余地はあると思いますが」

「既にこちら側の離脱率は7割に達しかけている。温存されていた、煙草森含む7号系の部隊が戦線に投入されたことで、無数のスパイが内外に入り混じり、統制も効かない状況だ。軍団の体を成していないと言っていい。雨乞君や残間愛とも連絡がとれないし、仮に彼らを動かせたとしても戦況を裏返せるかは五分だろう」

「相変わらず非情ですね。猊下が今離れれば、残された兵は全滅しますよ」

「エデンはまた創ればいい」枢機卿は至極当然のように答える。「時間はかかるだろうが、とどのつまり替えの利く兵隊にすぎない。いや、それどころか、スノーホワイト・プロトコルが完遂されれば、組織すら必要なくなるわけだ。雪君の狂花帯の複製さえ終われば、それで『上がり』なのだから」

「安心しましたよ」

 伊舎那がふと笑う。

「ここまでして築き上げてきたエデンを、僅かなリスクを回避するためだけに切り捨てられる潔さ。常人なら躊躇し選べないその選択肢を迷いなく選び取れるその透徹した思考こそが、ここまでの偉業を成させしめた秘訣でしょう」

 口角を緩める。

「そして、あなたの敗因でもある」

「……何?」

 枢機卿が振り返る。

 と同時に、心臓が抉られていた。

「……!?!?!?」

 枢機卿の目が、理解不可能なものを見たように剥かれる。宇宙生物のようなおぞましい伊舎那の触手が、袖口から伸びてまっすぐに呰部副総裁の胸を貫いている。触手の先にぐっと力を込め、伊舎那は心臓を引きずり出した。

 地獄のような叫びを上げ呰部は膝を付く。黒々と空いた胸の穴からは曲がった肋骨が飛び出、赤黒い大量の血が滝のように流れていた。

「裏切りだと⁉ ここに来て……‼ 伊舎那……っ、何故だ!!!」

「人を操るあなたの政治手腕は大したものです。しかし、最も重要で、何より最も親(ちかし)い人間の心を、あなたは掌握できなかった」

 心臓を握りつぶし、伊舎那は答える。血飛沫が端正な横顔に飛び散る。

「あなたは……、顧みない。他者を、肉親を、愛する者を。その愛がどれだけ深かろうとも、あなたは切り捨てる選択肢を選べてしまう。そして一度切り離したものを惜しんだりはしない。あなたは、王となり、永遠を生きるのに相応しくない」

 血を吐き恨めし気に睨み上げる枢機卿を伊舎那は冷たく見下ろす。「永遠の命は、僕が手に入れる」

「ッ! 伊っ舎、那ァァア!!!」

 枢機卿の上体が跳ね上がり、その体を灰色の根の様なものが持ち上げていく。古びた古代樹のような木の枝が、皮膚を突き破り、胸の穴を埋め尽くして這い出る。

 部屋全体を覆いつくすほどの灰色の樹木の化け物が、伊舎那の頭上に聳え見下ろした。

「あなたは、宇宙樹が隕石により飛来したその事件を契機に……、狂花帯の種子を産み落とし全生命力を失った宇宙樹の抜け殻を、その身に取り込んだ。結果、生存本能は原始的に肥大化、思考は非人間的に情動から切り離されるようになった。それがその並外れた生への執着と、およそ人間離れした感情の切り替えの素早さの正体……。言うなればあなたは、改造人間第0号というわけだ」

「賢(さか)しらに講釈を垂れ流すな、餓鬼が!! 貴様の遺伝子は私から分けられたもの! その狂花帯もこの宇宙樹から生まれた! お前が手に入れてきたもの、力、思想、人生、全て私に与えられてきたにすぎない! お前は私に生かされてきた、私の遺伝子の半分でしかないのだ! 思い上がるな!!!」

 無数の木の枝が突き刺すように飛び出す。その鋭利な刃は伊舎那の触手の前に砕け折れ、高圧力の一薙ぎに怪異の植物体は胴体を吹き飛ばされた。上下に分かれた植物の異体を、四肢枝もろともばらばらに切り離し計器に叩きつける。装置が壊れ地面に枢機卿の上体が叩きつけられる。

「ッ……‼」呰部圷比古が、末期の血を吐く。「……どうしてだ、伊舎那……」

 恨めし気な視線が伊舎那を見上げる。

「私が旅立った後の世界……、その玉座。混沌、力、家族の情愛……! 望むもの全て与えてきたはずだ……! なぜ裏切る……! 今さら命が惜しくなったとでも……、いうのか……⁉」

 伊舎那は冷徹な表情で、触手の先を呰部に向ける。「あなたが与えてた無数のもの……。その全てより、僕から奪ったたった一つのものが、僕にとっては何よりも重要だった」

 感情の読めない無表情で伊舎那が告げる。

「……? ……まさか、」

 枢機卿は何かを思い出したように目を見張った。「たった数年の日々が……、あの女の記憶が、貴様にとってそれ程までに大きな存在だったと言うのか⁉⁉」圷比古が信じられぬという風に顔を歪める。「お前のその名も……」

 触手の一振りが、言葉ごと圷比古の首を吹き飛ばしていた。飛び出した首は椅子に当たって跳ね返り、床の上を転がって静まった。残された胴体と足は人の形を保たなくなり一本の細い枯れ木になった。

「あなたにその名を呼ぶ資格は無い」

 伊舎那は枯れ枝に火を放ち、振り返ることなく、煙の満ちる執務室から立ち去った。


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