エピローグ ワールズエンド
南極大陸。二号基地。
肩から先を失った右腕を押さえながら、御黒闇彦は足を引きずるようにして基地へ帰還した。通常ならば死して当然の攻撃を、食らってなお生還しているのは、無尽蔵のエネルギーゆえだろう。
「やはり、強いな……」
凍らせた右肩の傷を掴む。言葉とは裏腹に、表情は意気高くどこか満足げだ。
「今回は……、殺れなかった。だが次だ。今の俺には次がある……」
自然とこみ上げてくる笑いを、御黒は闘志と思い込んでいるようだった。
ふと笑いが止まる。玄関奥、床の間の扉が不自然に開いている。まるで争った後のように絨毯が乱れ、点々と部屋の中に向かって赤い斑点が続いていた。
「喪刈……?」
御黒は足早に部屋の扉を開いた。そこかしこの壁に隣の部屋が見渡せるほどの穴が開き、護衛用の機械兵たちが家具を突き破って転がっている。……その部屋の中央に、大きな血だまりに沈む喪刈の姿があった。
「喪刈!!」
血だまりに膝を付き抱き起した。血の気の失せた白い顔から今にも消え入りそうな声が漏れる。
「御黒、くん」
「何があった!! 誰にやられた!?」
損壊部がレンズの中に表示される。傷は深く内臓にまで達していた。ショック死していないのが奇跡なくらいだ。導き出される生存確率の低さから眼を背け御黒は傷口の血管を氷結で塞いでいく。傷は塞がるが、しかし。
出血が多すぎる。
「増血剤……、人工血液の予備は……、地下だったか……! すぐに用意する。それまで持ちこたえろ!」
間に合うか? たとえ処置できたとしても、ここまで血を出してからでは……。最悪の想定を頭から蹴飛ばし、御黒が立ち上がろうとする。
その手を、喪刈の手が掴む。
額に汗を浮かべ、御黒が振り返る。喪刈は静かに首を横に振った。それから弱々しく笑う。
「御黒君よりも……、人の体には、ちょっとだけ詳しいからね。もう手遅れだって、分かるんだぁ」
「馬鹿野郎っ、諦めてんじゃ……」
その手がひどく冷たいことに気付いて、御黒は唇を噛む。指先から熱を伝えるが、自発的な温かさは戻ってこない。
「でも、良かった……。最後に御黒君に会えて。イヴちゃんに出会っちゃったら……、もう……、戻ってこないんじゃないかって……」
「……俺がそう簡単に死ぬかよ」
そういうことじゃなくて、と言いたげな顔で首を振る。
「イヴちゃんと再会したらさ、きっと御黒君は夢中になるから。そしたら私のことなんて忘れちゃうう」
「んなこと……」
「そんなことあるよ」
冷たい唇を持ち上げ、喪刈は、御黒の口に押し当てた。
熱が伝わって、喪刈の僅かな温かさを帯びた唇を離す。
「こういう気持ちもね、御黒君よりちょっとだけ詳しいんだ……。知ってた?」
御黒が迷った様子で目を伏せ、かぶりを振る。喪刈が小さく笑う。「そんなだから、自分の気持ちにも気づかないんだよ」
眠るように瞼を閉じる。「幸せに、してあげてね……。イヴ、ちゃんの……こと……」
弱っていた心音が、静かに鼓動を止めた。呼びかける御黒の声が城の中に虚しく反響する。やがてその声は痛切な慟哭に変わり、いつまでも響き続けた。
〇
『雪君、報告受けたで。タワーにおるんやな?』
雪のインカムに、木葉下からの連絡がかかる。雪が肯定の応答を返す。
『状況は聞いた。戦場から離れたことは不問にしたる、地上の作戦はどうなった?』
「袈裟丸の襲撃を受け負傷者が多数。〈寿〉の力をコントロールしこれを撃退。取り逃がしましたが……、のまえと設備は無事です」
『! ものにしたんか! 12号の力‼ ……おし、今はそれで万々歳や。キミぃは早よ戻ってき。地下勢力の7割は殲滅か降伏済み、枢機卿はまだ見つかってへんけど、時間の問題やと思う。ただ敵の〈12人〉のうち3人は、まだ生存してる……。油断はでけへん。三廻部とも連絡付かんし。地上と地下の同時攻撃で終わらせるで』
「……はい」
『なんや歯切れ悪いな。……あー、9号の雨乞ちゃんなら……、生け捕りも許可したるわ』
「! 本当ですか?」
『枢機卿、始末できたらやけどな』
ではE3よりすぐに向かいます。と帰路を告げ雪は通信を切る。のまえと目を合わせ肯く。これで、ようやく終わる。エデンとの戦いが。
これまでの戦いが……。
「……なーんて、そんな都合の良い結末迎えるわけないよね」
三廻部の体に腕を差し込んだまま、昼神は言った。
三廻部の体は宙に浮き、狂花帯は鷲掴みにされている。昼神の腕との接合点は沼の水面のように滑らかに繋がっている。そこからぼんやりと虹色の光が漏れ出している。
「汝の能力は全宇宙規模。ゆえに出力の調整が難しくてね。だからこれから行う儀式では、他人の狂花帯を経由したかった。汝のエネルギーを流し込み、相手の狂花帯の能力越しに出力する。だがあまりにも弱い狂花帯や貧弱な肉体では、汝の力に耐えきれず目的を達する前に崩壊してしまう。だから君のような、適当な人材を探していたんだ」
その手から逃れようと藻掻く三廻部を、嘲笑うかのように続ける。
「御黒君も充分合格だったんだが、彼は使いつぶすには勿体ないからね。本当は彼が汝を殺せるほどに成長していれば、済んだ話だったんだけど……、ちょっと期待しすぎたようだ」
「何をするつもりだ……!」
三廻部が呻く。漏れる光が強くなる。
「『品種改良』だよ。地球上の全生物に、公平にコントロールされた淘汰圧を与え、力ある者だけを生き残らせる。交配と競争を促し、より強い種へと人類を世代交代させていく。計算された進化、万単位の時間がかかるだろうが、私にとっては一定の期間に過ぎない」
「進化……、だと⁉」
「そう。私を殺せるほどの強い個体が、できるまでね。手始めに、地球上の生命を五千分の一にまで間引く。三廻部ちゃん、君はその能力で地球の自転を止めてみせた。では、私がその力を使えば、どこまで止められると思う?」
狂花帯を掴む手が力む。三廻部が喘ぐ。「やめろォ!!」
「答えは、銀河系の全惑星まで、だ。それも自転じゃなく、公転をね」
虹色の光がまばゆくあたりを包んだ。「さあ始めよう!! 『転星の儀』を!!!」
静かな振動がタワーの床に伝わった。
雪は氷の中からのまえを助け出し、それから深く息を吐いて〈寿〉の力を解除した。
「長くは使えないんだね」
「もう少しいけるとは思うけど、狂花帯の出力を全開にしてるからな……。強力な分、負荷も大きい」
地響きは脅威を増すように大きくなっていく。警戒アラートが全員の時計からけたたましく鳴り響く。「……何だ⁉」雪は周囲を見渡し、信じられない光景を予知したようにのまえを抱きかかえる。
突如、タワーを根元から折りかねないほどの強い重力が、世界を襲う。鉄骨へ強烈に叩きつけられる。フロア中のエージェントが窓を突き破って放り出されていく。
天が裂け、落雷と嵐が吹き荒れる。地面が津波のように波打ち、大地から剝がされたビルが飛び交う。遠くの山の手で火山が噴き出していた。耳を聾するほどの激しい風雨が横殴りに注ぎこみ、倒壊した建物から爆発と火の手が一斉に上がる。
のまえを抱きしめたまま、雪が叫ぶ。
世界が、終わろうとしていた。




