第29話 刺客
拡散装置・コントロール部分を目指す地上班一同は、既にデッキ下部屋内フロアまで到達していた。気圧差で突風の吹き出す連絡扉を最後の一人が閉め、全員がタワー内部に潜入する。
地下からの連絡は数十分前から途絶えていた。見や局長のいる指令室と連絡が取れない。後原は嫌な予感を感じながらも、頭ではそれを否定していた。司令部含む地下野営地は煙草森が守っており、敵襲や侵入にはめっぽう相性が良い。温存兵力の役割も果たしており、いざとなれば戦線に突入して盤面を書き換える、切り札でもある。
「よし、後は各部員所定の作業に付け。A班とB班は下に下って電源設備の復旧、のまえはこのままデッキを目指し、先行してはコントロールパネルの完成に当たっているC班に合流、リンクの準備をする。私と残りのメンバーはその護衛だ」
のまえたちが肯く。広く全面に伸びた窓から後原は階下を見下ろす。「と言っても、地上と途中階に併せて数班残して来たし、そもそも作戦が勘付かれていない限り、敵兵の襲撃はないだろうけどな……」
地上に蟻のように点々と部隊員の姿が見える。後原の強化され底上げされた視力が、違和感を感知させる。
「……?」目を細めた後原に、仁王立ちから横に寝びた状態に変えられた班員の寝姿が飛び込む。「……‼」
後原が目を見張ると同時に、反対側の強化ガラスが割れ、赤い物体が飛び込んでくる姿が反射した。
後原は弾かれたように振り向く。班員たちの間に悲鳴が上がり鮮血に染まった血刃フロアを横切る。
「後原さァん。遊びに、来たよ」
ピンクの髪を振り乱し、狂気の光を湛えた目を袈裟丸が覗かせる。いつもの子供らしい姿とは違う、副局長から教えられていなければ、にわかには受け入れがたい豹変ぶりに、後原も思わず言葉を失う。
「馬鹿な‼ 地上300メートルに設置された対圧ガラスだぞ……⁉」
なまじの犯罪者には動じないインターポールの職員たちも、目の前の光景に腰を砕かれ尻もちを突く。途中待機させたエージェントたちを一言の発する隙も与えず抹殺し、血の手足で鉄骨の上を軽やかに駆け上って現れた。上空の安全性を担保するアクリル硝子に空けられた穴から外部へと風が吹き出し、唖然として後ずさったのまえの制服をはためかせる。
「染、ちゃん……?」
殺人鬼の目がぎょろりとフロアを見回す。両手を胸の前に重ね無意識にか弱い防御姿勢をとる少女の瞳と、狩り手の瞳孔とがぶつかった。
「のまえ先輩……」
口の端に返った血を静かに舐めずり、白く湿っぽい息を吐き出す。
「みいつけた」
音も裂き繰り出された血刃の斬撃に、後原が飛びついて銃把で叩き弾いた。
「立ちすくむな一‼」守るようにのまえの前に立ちはだかり、袈裟丸へ銃を向ける。「こいつは分かってるだけでも21件の殺人に関与した生粋の殺人狂だ‼ 矯正施設から引き抜いた副局長でさえコントロールしきれず、隠蔽体質をいいことに今なお民間人を殺し続けてる闇の人間……! 断りなくここへ来たってことは……、間違いなく裏切りのため! こいつは、敵だ‼」
襲い来る血刃を、並外れた動体視力で捕捉し撃ち落とす。戸惑った様子で後ろに回るのまえを、横目で振り返る。「……悪いな、知ってて隠してた。あたしは五頭や雪たちに黙って、副局長に使われてたんだ」
後ろ手にのまえを庇いつつ、上階への階段にのまえを誘導する。
「謝罪はちゃんとするけど、今は任務が最優先だ。私怨か策略か分かんねーが、多分こいつはお前を標的ってる! こいつはあたしたちが止めとくから、お前は早く行って任務の遂行を目指せ‼」
階段に押し込まれ、なお踏ん切りのつかない表情でのまえが立ち淀む。「でも、それじゃ先輩たちは……」
「心配いらねーよ、こっちだってただで死んでやるつもりはねえ」
力強い後原の言葉に、のまえはようやく肯いて階段を駆け上がった。
「……とは言ってみたもののよ……」
いつの間にか頬についた掠り傷から流れた血を拭う。袈裟丸が愉快気に血の刃を振るう。伊達間ら3人の部隊長でも下しきれなかった相手だ。殺傷能力は並の贋作の比じゃない。
「一応聞くけど、お前の狙いはのまえ本人か? それとものまえが核になるこの作戦か?」
「どちらとも言えますけど」袈裟丸は鞭のように血の刃で床を叩いた。「私自身は欲求のままに動いてるだけです。お兄ちゃんに色気を使うあの雌猫を、刻んでぐちゃぐちゃにしてやりたいっていう欲求にね」
血の刃が紅い霧となって部屋中に拡散される。エージェントたちが狼狽えた様子で銃を構える。目晦まし! こんな技まで……! 「……だが、」
後原は素早く引き金を引く。「あたしには効かねえよ!」
銃声と共に水の弾が袈裟丸の額を撃ち抜く。はずだった、が、一瞬早く血刃が弾丸を弾き切った。
獣のような反射神経。視界を失ったはずの袈裟丸は、しかし音も無く血煙の中を駆け回った。庇う間もなく次々とエージェントたちが切り裂かれていく。
野生の本能……! 研ぎ澄まされた捕食者の直感が、霧の中のわずかな気配を察知して袈裟丸を動かしている。のまえや捌光のような危機回避能力が草食動物の逃走本能だとするなら、袈裟丸のそれは肉食動物の狩猟本能を純化させたもの……! 木葉下が言っていたように、袈裟丸ら殺人癖の衝動は、「野性」と対を成す「蛮性」が形を成した姿。今の後原にはその知識が直に肌で理解されていた。
「……要は嫉妬じゃねえか、お前! のまえを傷つけるのが、一番雪の傷つくことだってわかんねえのか⁉」
『暗夜行路』で血煙の中を見通し、後原が叫ぶ。詰め寄って来た袈裟丸の一撃を銃の背で受け止める。
「お兄ちゃんには私一人いれば良い! お兄ちゃんにまとわりつく蠅は全部叩き落す。全部全部……」
一瞬消えたと見まがうほどの気配の静けさに、後原は僅かの間袈裟丸を見失った。刹那、背後から声が這い寄る。「……あなたもその一人でしたね?」
ずんと抉るような衝撃があって、後原の脇腹は深く斬りつけられていた。
〇
デッキ2階に、一足早く他のエージェントたちと辿り着いていたアーロン=ブラウンは、窓の外に目を向けながら油断なく銃を構えた。
後続の後原たちとはだいぶ距離が空いてしまった。後原自身は強化人間の足を持っているが、戦闘訓練を受けていないのまえに合わせて動いている分ペースは落ちている。直に追いつくだろう。
デッキでは十分ほど前から伝播装置の修繕が始まっている。既に事前調査と改修の手が入っているため、装置の機能自体は9割方完成している状態だ。万能工具を片手にパネルの配線をいじっている二人はICPO(国際警察機構)のエージェントだが、どちらも工学系の修士号を収めている。今の若者は皆優秀だ。知能開発メソッドの教育が完全に普及した世代で、ひと昔前なら天才と呼ばれた人間が当たり前のようにいる。
ほどなくして警護対象ののまえが階段を駆け上がってくる。少女が手短に英語で伝えた情報を聞いてアーロンは耳を疑った。急いで地上班に連絡を入れてみたが応答は無かった。
部下をデッキ全体にチラシ、アーロンは部下と共にデッキ入り口に立った。
「入口を爆破して塞ぎますか」
「報告によれば襲撃者は窓ガラスを割って乱入してきたようだ。爆薬を使うならむしろ敵が現れたタイミングだろう」
アーロンはC4を壁伝いに配置しコーティング用のスプレーを吹きかけた。周囲の壁の色に同化し爆弾が隠れる。
のまえが羅針盤のような形をした制御パネルの前に立った。アーロンが目を向けると、配電設備班との連絡を取っていたエージェントが、電力の再供給を開始したことを確認して指を立てる。
「装置自体は起動できる状態にある。だが実際に使用するためには6桁の暗証番号を入力してロックを解除する必要がある。さらにそこから先の操作方法はまだ確認できていない状況だ。パスワードの解析だけでも1時間はかかるぜ、嬢ちゃん」
横から整備担当のエージェントが忠告し、設定用のファイルを手渡す。アーロンはそれをひったくり唾を飛ばす。
「何を悠長なことを言ってやがる。この子の言う通りなら、すぐ下に思春期真っ盛りの殺人マシーンが迫ってやがるんだぞ!」
しかしのまえはパネルの上に迷いなく指を這わせた。瞬く間にロックが解け稼働の手続きがクリアされていく。エージェントたちが目を見張る。「馬鹿な! マニュアルも見ずに……」
「『勘』です」のまえが額に汗を浮かべながら答えた。画面をタップすると操作盤の一画が開き、のまえはそこに指を入れた。DNAの認証が完了したことをディスプレイは告げていた。タワー全体から唸るような微かな鳴動が響く。
「まさに『奇跡』だな」アーロンは独り言ちる。「これが狂花帯の……」
その瞬間、ぞっとするような悪寒が全員を包んだ。
アーロンは歴戦の敏腕捜査官だった。ストロー・ジョンの異名を持つ、欧州を震撼させた殺人鬼を取り押さえたのは巡査時代の彼である。西洋の国際テロ組織を壊滅に追い込んだのも彼の指揮下だったし、南米を支配する麻薬カルテルのボスがホテルに待ち構え直接脅しに現れた時も、臆さず追い返してみせた。
アーロンは優秀な捜査官である。
そのアーロンが、血の刃を持ったたった一人の少女の殺気に、動きを奪われていた。スイッチを握った部下も同様に。
バカな! アーロンは神を罵る言葉を内心で吐いた。スイッチを押させろと頭の奥で自分が叫ぶ。だが、その一挙手一投足が少女のナイフを動かす契機になりうると、喉が締まる。
この俺が……、俺たちが、たかだかナイフを持っただけの乳臭い小娘に、恐怖を感じているというのか?
アーロンはピッチの外れた叫び声を上げると、緊張の呪縛を解いて部下の手から起爆スイッチを奪い取った。
少女が現れた時と同じように突然、気配を消す。充満していた殺気が嘘のように掻き消え、一瞬姿を見失う。と同時に、痺れるような感覚が肩から逆の脇に抜けていき、視界が地面に向いていた。目の前に部下の生首が転がっている。断面。自分も斬られたのだと理解したのは、壊れんばかりの握力で起爆ボタンを握りしめた後だった。
爆風がフロアを揺らしコンクリートの破片を内側へ飛ばした。エージェントたちも思わず怯む。が、罵り声とともに銃をまた構える。
袈裟丸は野生動物を思わせる反射神経で血のマントを羽織り、爆炎とコンクリ片を防いでいた。
「人間の反応スピードか?」
「化け物だ、聖書の悪魔だと思え」
立ち塞がる二人に振り抜かれた刃を、のまえの声が阻んだ。
「その人たちを傷つけないで。刃を捨てて、袈裟丸ちゃん」
袈裟丸は黒く充血した目をぎょろりと、のまえに回した。「それって命令? 隊員でもない人が」
肩口に刃をすとんと落とす。スーツが裂けて血が滲みエージェントが呻き声を漏らす。
「従わなかったらどうなるの? どうするの? 自分は特別だから、止められると思ってる?」
血刃にぐっと肉に触れた、瞬間、突風が起き血刃とエージェントの体を薙ぎ飛ばした。
「出た出た、得意の運頼み。泣き落としが通じなきゃ結局は力づく。でも……」
風に下りた前髪を煩わしそうに除ける。その額にはいつの間にか新しい返り血が張り付いていた。控えた指の先、投げつけられた第二の短剣がエージェントの心臓を素早く刺している。振り向いたのまえの潤んだ紅い瞳が、袈裟丸の充血した黒い眼とばっちりぶつかる。何とも言えない泣き出しそうな唸り出しそうなのまえの表情に、袈裟丸が青筋を立てる。「なんですかその顔は……」
ブレードが地面を削る。
「けなげに苦しみに耐えてるみたいな、可哀相な女の子って顔! そうやって何でも思い通りにしてきたんだ。運命を捻じ曲げて! お兄ちゃんも!!!」
刃の通った柱が崩れ、粉塵が舞い散る。無数の刃がのまえを襲う。
「奇跡だった……。運命だったんだ! あんたみたいな紛い物とは違う、本当の……! お前が奪ったんだ!! お前が!! お前さえいなければ!!!」
突風に揺れた切っ先は急所を偶然的に避けるが、それでものまえの頬や肌を赤い刃は次々と切り裂いていく。それでものまえはじっと耐えている。
袈裟丸は忌々し気に舌打ちしてブレードを止めた。
「……あなたはまだ、誰も傷つけないようにと甘いことを考えてる。その弱さが、のまえ先輩を殺すんですよ」
袈裟丸は血刃を瓦礫深く突き刺し、その奥から後原の体を引き出してきた。
後原は巻きつけられた血の刃の中で微かに呻いた。だが腹部から出血し、既に意識ない様子であった。
「ラム先輩!」のまえが叫ぶと袈裟丸は焦らすように指先をのまえの唇に向けた。
「殺すつもりだったけど、のまえ先輩のために生かしといたんだ。先輩、これ以上自分のせいで人が傷つくのは嫌でしょ? 止めようよ、不幸の連鎖を。のまえ先輩が大人しく殺されてくれれば、後原先輩の命は保証してあげる。逆に少しでも抵抗する素振りを見せたら……」
血刃が首筋に触れる。「死ぬよ、この人」
切っ先の触れた箇所に赤い血が滲む。のまえが天井を見つめる。蛍光灯が弾け過電流が袈裟丸に降るが、先読んだように血の刃がそれを薙ぎ払った。袈裟丸がじろりとのまえを睨めつける。
「抵抗するなっていったじゃん。なら……」
「待って!」
振りかざされた血刃に手を伸ばし、のまえが制止の声を掛けた。眉根に皺をよせ、決意を鈍らせないように震える手を握り、袈裟丸の前に膝を付いた。
「ごめんね、雪君……」
刃の向きを変え、袈裟丸が口の端を歪めた。
「じゃあ、死ね」
刃が風を切り、血飛沫が飛び散った。




