第28話 切り札
「まだ息しとる? 鴛原隊員」
男の声に見は目を開けた。泥のようにうねり地形の変わった洞窟の中を、監視ライトが照らしている。クレーンで吊るされているような奇妙な浮遊感があった。見ると自分の足が地面を離れている。
「悪運は持っとるようやな」
正面に立った木葉下が不気味に笑みを浮かべて言った。背中を支えていた何かが下がって地面に降ろされる。その何かは宙を舞って木葉下の手の中に収められた。鉄骨の欠片だった。どうやら磁力操作で操った鉄の棒に首根っこを掴まれていたらしい。見ると洞窟の入り口の方に巨大な鉄の瓦礫が突き刺さっており、摩天楼の方角から洞窟を分断していた。
「副局長。どうしてここに……」
「敵さんの融合能力がこっちの陣営まで侵食してきてん。えぐい能力や。地底都市どころか地下空間と一体化して、こっちの司令部をまとめて押しつぶすつもりだったみたいやね。せやから本部への通路と侵食された都市との連絡路を遮断することにした。溶けだした地面に呑まれかけとるキミぃを見つけたんはたまたまやけど、改造手術ができる貴重な人材やから助けたることにした。苦竹先生に感謝するとええわ」
幣原さんは助けられんかったな。木葉下が口惜しそうに言う。
「父は……、捌光は……?」
「八号か」木葉下は大して気の毒そうにもなく答えた。「第七中隊の連中も何人かおったけど……、助けられたんは君だけやったわ。地面に飲み込まれてくのが見えた。まず命はないやろうね」
もう一人女の子もいたけど逃げられたわ、と付け加える。
木葉下の腕時計から警戒音が鳴り、地面から地響きが続く。「⁉ マジか……⁉」
突然、急ブレーキをかけた電車のように、横向きの力が掛かって見を飛ばす。木葉下が飛ばされる見を捕まえ磁力の保護で自身の鉄靴を地面に吸い付ける。
歯を食いしばり衝撃に耐える。突風が吹き木葉下たちを吹き飛ばそうとするが数秒の後に風と重圧は収まった。
「今のは……」
「三廻部ちゃんの自転操作や。地球が止まってその上の物体全部投げ出されてん。幣原部長が亡くなったかて上の許可も取らずこの技を……。よっぽどの奴が居ったんか」
見を下ろす。スケールの大きさに戸惑いながらも4号が相手ではないかと見は尋ねた。
「かもしれへんね。まだ海土路弟との会敵報告は届いてへんし。情報じゃ御黒に始末されたんは兄貴の方や、弟の方は参戦してる可能性が高い。とはいえ……、これはチャンスやで。三廻部ちゃんが自転操作攻撃を使たんならその相手はまず死んどるはずや。加えて『摩天楼』の半分は吹き飛んどる。融合してる敵さんも能力を維持でけへんくらいのダメージを負うとるかもな」
「ということは……」
「ああ」木葉下が肯く。「戦闘は大詰め。枢機卿が見つかるんも時間の問題や」
〇
床板が荒々しく弾け伊舎那の体が舞う。
硬質化した太い筋肉のようなものが外皮となって全身と顔を覆い、エイリアンのような出で立ちと化した伊舎那が、四方の壁をバウンドし弾丸のように飛び出る。
「速……ッ」
音よりも速く、突き出されたその拳を馬飼の反射がぎりぎりで捉える。しかしカウンターを正面から受け止めた伊舎那の腕は蒸気を噴出してジェットのように馬飼の腕を押し返し破壊した。重装歩兵機構のプロテクトが罅割れ骨の突き出た腕の上を粉々に弾け飛ぶ。
「馬飼っ!!」
叫ぶが早いか打ち出された五頭の弾丸を軽く弾く。その横に瞬時に突撃したウルフギャングの目の前で伊舎那の外筋が膨れ炸裂する。ガトリング砲よりもはるかに強い勢いで打ち出されるテニスボール大の種子のようなものはウルフィーの肉体を抉り裂き、さらに弾け蜘蛛の巣のような粘糸となって倒れるウルフィーを絡めとった。その僅かな間に、五頭と馬飼が挟み込み全霊の一打を両側から撃ち込む。
伊舎那はそれぞれの腕で攻撃を受け止める。幾重にも重なり編み込まれた鋼の筋繊維が正面から攻撃を防ぐ。ブレードは砕け馬飼の蹴りは完全に表皮の隙間に吸収される。
さっきよりも硬くて重ぇ……! 唸る馬飼の鼻先を巨大な触手たちの振りが掠め、馬飼を凄まじい圧力の中に閉じ込める。全身の骨が砕けんばかりの圧縮に鎧が悲鳴を上げ、地面に叩きつけられた五頭は剥がれたマスクの下で頭から血を流し気絶した。
五頭の名を叫ぶ馬飼が反撃を加える暇も無く、撃ち込まれた伊舎那の拳から光が溢れ、巨大な光線の帯となって馬飼の体を壁際まで吹き飛ばした。
壁の後ろ岩盤まで崩れ去る勢いで殴られ力なく腕を垂らした馬飼のスーツは熱と衝撃に耐えかね、完膚なきまでに大破していた。
「こんなもんかな」
辛うじて息を保っている馬飼に、重量のある足音を響かせながら伊舎那が歩み寄る。
「正直ね、君らコンビには少しばかり手を焼かせられたよ。僕が支配してきた『蠅』たちの中で君らは勇敢に戦った方だ」
馬飼の眼前に、ドリルのように伸ばした腕角を突き付ける。
「勇気を賞してとかじゃないけど、新しい世界に君らがいないのは残念だよ」
拳を振りかざした瞬間、轟音を立てて部屋の隅の地面が崩れ弾ける。
伊舎那は手を止めてそちらを眺めた。石片が床に落ち土煙の中を一人の少年が這い上がってくる。
「あー、やっと外に出られた」12号の少年、真白雪が疲れたような顔で腕を振る。穴掘りはもう勘弁……、と言いかけてこちらに気付いた様子で目を開く。
「馬飼! それに五頭……、と……」外皮に覆われた伊舎那を観察する。「……伊舎那?」
「分かるんだ」
伊舎那は意外を突かれたといった口調で言い、雪に一歩近づいた。と、そこで通信を受け取った素振りで耳に手を添える。
『伊舎那君、敵本陣への融合攻撃は失敗。『摩天楼』内外の戦力も6割が壊滅、残りの部隊もほとんどが足止めを食らっています』
阿舎利参謀の声が響く。
『枢機卿が動かれます。最優先で警護に当たってください』
分かったと返事を送り伊舎那が変身を解除する。雪たちに背を向け瓦礫の壁を跨ぐ。
「待てよ」雪が銃口を向ける。「お喋りはもっと静かにするべきだな。そっちの事情が丸聞こえだよ」
「あー、聞こえてた? ウルフちゃんの電撃でスピーカーがいかれちゃったのかな」
腕時計(通信機器)を外し何か操作をする。「邪魔されても面倒だし……。置き土産を置いていくよ」地面に放り投げられた時計の文字面から光が出て、立体映像が流れ出す。
『……デイジーと言ったかな、のまえちゃんの犬の名前』
雪はのまえの名に反応した。どこかの街路の裏手、時計の記録映像か、声の伊舎那が暗がりの誰かに向かって話しかけている。相手はその場を立ち去りかけていたようだが、雪と同じように伊舎那の言葉に反応し足を止めた。デイジー。のまえが家族同然に愛していたレトリーバー。のまえの精神を追い詰めるため、伊舎那の手によって無惨な姿に変えられた。その出来事は未だのまえの心に深い傷を残している。
『飼い犬を攫ってきて脅そうってのは、たしかに僕の考えだったけどね。遺骸が運び込まれた時には少し驚いたけれど、真虫あたりが気を回して殺したのかと思ってたんだ。そそっかしい奴だからね。でもよくよく訊いてみると、どうもおかしい。部下たちがあの犬を攫いに向かった時には、既にデイジーちゃんは何者かに殺された後だったんだ』
音声の伊舎那が、確信めいた声で奥の人物に告げる。『やったの、君だろ』
奥の人影は、振り返り不満を滲ませたような無言で伊舎那の方に戻って来た。雪の眼が強張り喉が息を吸った。陰の中から現れたのは、血に塗れた袈裟丸の姿だった。
「これっ、は……」雪は思わず銃口を斜めにした。「これは、……作り物だ‼ 僕らの攪乱を……」
「良い所だ、黙って聞きなよ。加工かどうかの見分け方くらい教わってるだろ」
せせら笑うように伊舎那が言い、映像の中で袈裟丸が口を開く。『デイジーって言うんだ、あの犬』
冷たく、歪なほど透き通った瞳。雪は思わず唾を飲む。
『そういう性質なの。どれだけ抑え込んでも、欲求が我慢できない日はある。せめて動物で鎮めたのは、人に殺意を向けないため。むしろ褒めてほしいくらいですよ?』
『そういう依存症があることは知っている。雪君に嫌われたくないという一心でその衝動を抑え続けていたのは大したものだよ。でもこうして殺人を解禁してなお、君はまだ自分を偽っている。標的にあの犬を選んだ理由は……、君が一番よく分かってるだろ?』
伊舎那が手を差しだす。
『枢機卿は君を7人目のアンタイ・エデンとして歓迎するつもりだ。だが今はまだ、君が伏魔殿の一員であるという状況を活かしたい。スパイ活動をする必要はない。ただ来るべき時、然るべきタイミングで幣原局長代か副局長を始末してもらいたい。君が矯正施設に収容れられてた事実を揉み消して利用しようとしてた奴らだ。良心は痛まないだろう?』
袈裟丸がオペレーターの時の表情で、計算する顔つきになる。
『それで、あなたに協力する見返りは?』
『君の望みの手助けさ。伏魔殿を追われた後の居場所を用意する。そして雪君にバレないよう、のまえちゃんを殺す舞台を整える』
偶然には作り出せない状況だからね。伊舎那の声がほくそ笑む。
何かを考えるように袈裟丸が黙り込み、やがて決意を固めたように伊舎那の手を取った。
そこで映像は途切れていた。
気付けば腕時計を残し伊舎那は姿を消していた。「舞台……」雪の中でタワーの作戦が鮮烈に過る。
「行け、雪……」声に振り向くと、起き上がるのもやっとの表情で馬飼がこちらを見ている。「伊舎那と枢機卿は俺たちが追う。お前は助けろ」咳き込み、しゃがれた声で続ける。「一と、袈裟丸を」




