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人獣見聞録 猿の転生Ⅸ Side-B:ルシファー・イン・ザ・ブラッディナイフ  作者: 蓑谷 春泥
第3章 フラトリサイド・ラブストーリーズ
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第23話 雷(いかづち)と天魔

「認識範囲外からの、即死狙いの不意打ち」

 穴の開いた頭蓋骨を撫でる。既に脳漿が生え、盛り上がった筋肉が猛スピードで傷を覆い始めていた。

「狙いは間違ってない。再生能力者を殺すなら一撃必殺がセオリーだ」

「だよな。っつーか普通、脳味噌刺すだけでも充分だけどな」

 ウルフギャングが気味の悪い目で伊舎那を見る。「思いのほか首も丈夫だしよ」

「種明かしはもう少し先かな。戦略を見るに僕の能力知ってそうだし。諜報活動(スパイ)の賜物かな」

 伊舎那が首を傾ける。「それだけ前から裏切ってたんなら、煙草森ちゃんに操られてるわけでもなさそうだね。咎める気はないけど、なぜ反旗を翻したかだけでも訊かせてくれないかな?」

「別に裏切ったつもりはねえよ。初めから潜入捜査だった。それだけだ」

 ウルフィーが端的に言う。ああ、じゃあCIAか国際刑事警察機構(インターポール)ってとこか。ウルフィーの来歴を鑑みて伊舎那が肯く。

 ウルフィーは狼のようにしなやかに腰を低めた。

「お前は明らかに曲者っぽかったからな。能力があると踏んで、ずっと調べてたぜ。その攻略法もな!」

 奥歯を鳴らす。ウルフィーの体は床を蹴って残像に変わっていた。伊舎那が視線を巡らすが、影すらも追えない。文字通り目にも止まらぬ超音速で縦横無尽にホールを駆け巡る。

「第六天魔王・呰部(あざべ)伊舎那……! お前の能力(コンセプト)・『化人(パラノーマル・)幻戯(アクティビティ)』はあらゆる攻撃に対応する超速進化……! 細胞を高速度で世代交代させ、全ての環境に最適な状態へと肉体を造り変える……! 無限に進化を続けるお前の肉体には、どんな能力も通じない。だが無敵に思えるこの能力にも、攻撃を通す方法はある!」

 壁を蹴り、ウルフィーの瞬拳が伊舎那を穿つ。「……っ!」よろめいた伊舎那の脇腹に皹が刻まれた。ブレーキを掛けたウルフィーが再度姿を消し猛攻を仕掛ける。「それはスピード! 細胞が書き換わるより早く内側にダメージを刻めば、無効化は間に合わない! 進化が追い付く前に削り殺す! お前が後の先をとるならこっちは先手必勝だ!」

 一秒に二十発の攻撃が全方位から刻まれる。ウルフィーの拳は硬い響きと共に伊舎那の皮膚で弾かれたが、卵の殻を剝くように次第に亀裂が広がり始めた。

 不意打ち対策の硬質化……。予想の範囲だ。静寂した時の中でウルフィーは思考する。初手の突き技で仕留め損ねたのは、予め用意されていた『鎧』のせいだ。不慮の一撃による即死を避けるため、汎用性の高い硬質化で急所を守る。だが既に頭蓋を割って攻撃を通したように、硬化で耐えられる打撃には限界がある。超加速の攻撃に対応するには、軟化や液状化で衝撃を分散させるしかない。その前に鋼の皮骨鎧を剥がし、確実に内部まで致命傷を与える……!

 伊舎那の姿勢が崩れ、喉元が露わになった。ここだ! 指の隙間にナイフを握る。一定の打撃に対応させたところで……、いきなりの刺突! 極限まで一点に集中させた圧力で、脆くなった表皮を貫く! 踏み出したウルフィーの拳が、肉を裂く音と共に血を纏う。

 と、同時に、その拳は伊舎那の突き出した掌に受け止められていた。

「……やれやれ」驚愕したウルフィーの顔をちらりと眺め、伊舎那が退屈そうに溜息を吐く。

 ぱきりと音がして、折れた刃が背後に落ちる。超音速で放たれたウルフィーの拳は、完璧にタイミングを合わせた伊舎那の防御に防ぎきられていた。圧力に耐えかね、先にナイフの方が限界を迎えていた。伊舎那の掌には折れたナイフの根元だけが突き刺さっていた。

「あらら……。先に得物が壊れてたんじゃ世話ないね」

「ってめえ、どうやって私の攻撃を……」ウルフィーが戦慄く。握られた手の甲は引き抜くことができなかった。恐るべき握力もそうだが、蜘蛛の足のような粘着力でもって張り付いていた。

「進化より速く深部までダメージを届かせる……。その攻略法は正しい。細胞の変化は皮膚に攻撃が触れた瞬間に始まり、衝撃が内部に伝わるまでの間に行われるからね。表皮への攻撃が筋肉に届くよりも速く変化する速度だけど、それ以上のスピードを出せる君なら、たしかにダメージを与えられるだろう」

 伊舎那は指の圧に力を加える。

「でも、それは僕が受け身に回っていればの話だ。君はさっき僕の能力を後の先と表現したけれど、実際には先手を売っているのはこっちだ。昆虫の感覚器官。草食動物の優れた感知能力と、肉食動物の敏捷な反射神経。僕の五感は人間を遥かに超えた精度で研ぎ澄まされ、届くはずの攻撃を予め感得する。御黒君の野性や雪君の予知ほどじゃないけど、限りなくそれに近い速度で危険を察知して細胞の入れ替えを始めてるんだ。最初の攻撃で首を落とせなかったのも、既に硬質性から伸縮性へと首の筋肉を変化させていたからだよ」

「っ……、だが最初の一発は確かにてめえにダメージを与えた。ここまでの連撃だってお前は対応できていなかったはずだ」

「うん。たしかにどれほど速く進化をスタートさせても、それが完了するより超音速の攻撃が到達する方が一歩速い。そういう手合いには予測で対応する。あえてジャブを喰らっているふりをして、急所狙いの右ストレートを誘き出させる。わざとらしく隙を作って、攻撃してくる箇所を誘導すれば止めるのは簡単だ」

「ってめえ、まさか既にあたしのスピードに対応して……!」

「ああ。それでもこちらから攻撃を当てるのは、至難の業だからね。あえて受けることで……」気付けば袖口から伸びた触手が、ウルフィーの腕を絡めとっている。「捕まえた」 

 伊舎那の左拳がウルフィーを浮かせる。胴への衝撃に足が離れ、着地するよりも前に膝蹴りが顔面を襲った。右腕はがっちりと掌・吸盤に捕獲され、自慢のスピードで逃げることもできない。限られた可動範囲で攻撃を躱そうと試みるが、伊舎那の動体視力は完全にその動きを見切っていた。フェイントを混ぜた拳と足の連打が、片手を塞いだ状態で器用に浴びせられる。

「っ……!」

 ウルフィーが全身から放電する。

「だから効かないって」表皮を非導体に変えた伊舎那が眉一つ動かさず言い捨てる。が、手刀を振り上げたウルフィーを見て顔色を変えた。「おっ」

 ウルフィーの手刀が自分自身の右腕を切り落とす前に、伊舎那は回転し、凄まじい圧力をかけて地面にウルフィーを投げつけていた。轟音と共に床が砕け、階下のフロア目掛け二人が宙に浮く。

「くッ……!」

 ウルフィーが自由になった右腕を伊舎那に向ける。迸る高電圧の電流はしかし伊舎那の裏拳で軌道を逸らされた。

 弾いた! 拳で……⁉

 驚愕したウルフィーの全身はそのまま衝撃とともに柔らかい圧力に覆われた。視界がぼやけ気泡と冷たい感触に包まれる。ここは……。一拍開けて状況を理解する。水中! 貯水タンクか!

 すんでのところで水を飲むのを避ける。淡くなった水面の光が踊り、泡粒の中から猛スピードで伊舎那が飛び出してきた。

 水中での呼吸を可能にする鰓(えら)と、泳速を追求した流線形のフォルム。両腕に魚の骨のような刃を備え、呰部伊舎那が高速で斬りかかる。

 やべえ、水中じゃ電撃も効かねえ……!

 急所を守りながらウルフィーが顔をしかめる。そもそもこいつに効いてねえけど……。もう一つの高速移動も、水の抵抗を受けながらの泳ぎでは、速度はがた落ちである。反撃の機会がない。

 切り裂かれた皮膚から煙のように血が滲む。伊舎那はこちらを囲うように斬撃の檻を作っている。口から呼気が漏れる。呼吸も限界が近い。隙の大きい大技は狙ってこず、確実にこちらの動きを封じにかかっている。伊舎那の狙いは溺死だ……!

 がぼ、と息を吐く。いよいよ呼吸が限界に達しかけた瞬間、水槽の外に巨大な衝撃が加わった。

 途端に水流が生まれ、ウルフィーの体は水槽の外に押し出された。地面にもんどりうちながら、咳き込み喘ぐように空気を吸う。荒く息を吐き出しながら、元来た方を確認すると、濁流が飛び出す水槽に空いた巨大な皹の前に、刀を担いだ学ランの少年がいる。もう一人、ウルフィーの背後から少年が飛び出す。水槽から同様に弾き出された伊舎那に蹴りを浴びせると、滝を割るように水流が真っ二つに裂けた。

 脚に弾かれ、地面を跳ねるように移動した伊舎那が、濡れた床の上に滑るようにして着地する。苦笑いめいた表情で少年たちを見返す。「君らか……」

「やっと見つけたぜ、『蠅の王様』よぉ」

 拳を鳴らし進み出た馬飼の横で、潰された目が疼くと言うように五頭が眼帯をむしり取った。ぎょろぎょろと機械の義眼が蠢く。「この眼の借りは返す。その他にも色々とな」

 鰓(えら)と鰭(ひれ)を退化させながら、濡れた髪を掻き上げる伊舎那に牛頭(ごず)馬頭(めず)が睨みを利かせた。

「決着をつけようぜ、祁答院伊舎那……。俺たちの因縁によ」


 

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