第21話 スノーホワイト
地下。
臭気と闇の立ち込める瓦礫の道を、男は朦朧とする意識で歩いた。
亀裂の走った水道管から、下水が絶えず漏れ出して足元を浸す。同じように額から滲み出す血が、ハンカチの隙間から額を温かくした。
「ニコラ……。ハチ……」
地上にいるはずの学友の名を呼ぶが、返事のあるはずもない。
冷たい風が吹き込む。崩落した地下道のものではない、新鮮な外気の風だった。一筋の光が差している。
彼は、導かれるように角を曲がった。天井に大きな穴が開き、青い空から降る光の下に、一塊の巨岩と、そこに根を張る銀色の樹があった。
銀の木はしなび、弱々しく、助けを求めているように見えた。細長い手を伸ばすように、銀の蔓が目の前に差し出される。
青年の呰部圷比古は、その蔦を掴んでそのまま倒れ伏した。遠くで自分を発見した邇凝の叫び声が聞こえたが、既に意識は闇に呑まれていた。
「話……? 時間稼ぎが見え透いてるぞ」
銃口を向けた雪の返事に、呰部枢機卿は視線を戻した。雪は慎重に目を走らせた。焼けた壁紙と死静物画の絵画がだらしなくめくれている。既に放棄された設備らしい。「それとも罠か?」
「時間稼ぎは本当だが、部屋にトラップを仕掛けてはいない。仮にも幹部連が集まる場だった部屋だ。細工などあれば彼らに造反の口実を与える」
たしかにそれらしい形跡は見当たらない。この時間で敵に反撃の隙を与える可能性はあったが、雪も枢機卿には聞きたいことがあった。数秒の間に考えを巡らせ、雪は唇を引き締め銃を机に置いた。「良いだろう、乗ってやる」
「そうこなくては」
枢機卿がほくそ笑むのが分かった。雪はアンティーク調の椅子にどっかと座り、机の下でひそかに逆探知を始めた。
「今更機械人形に隠れる必要があるか? もう正体はバレているんだぞ、呰部圷比古」
「君たちのおかげでね。まったく君の母親の行動力には、参らされた」
雪はぴくりと眉毛を動かした。「局長は無事なのか」
聞きたかったことの一つだった。
「恐らくはね。少なくとも私は、危害を加えていない」
枢機卿が答える。雪は内心で胸を撫でおろした。
「……気になっていたことがある。エデンから世界中に兵を派遣した後、すぐに声明を出さなかったのは何故だ? 『人類に永遠の生命を授ける』、その目標の後、無際限に増え続ける人類をコントロールするために世界を統治しようという狙いは分かる。だがわざわざエデンを、この国の正規組織として公表したことは、不可解だ。『E.D.E.N』の軍事力を楯に、日本を世界の中心に押し上げていくつもりだったのかもしれないが、日本政府を挟んで間接的に世界を牛耳るより、エデンの枢機卿として直接世界を征服した方がよっぽど手っ取り早く、自由に動けたはずだ。なぜわざわざ遠回りな手をとった?」
「遠回りに見えるのは、前提が間違っているからだ。私が挙兵したのは征服のためではない。『E.D.E.N』を日本国の正規軍として認めさせ、伏魔殿の介入を法的に牽制することが狙いだった」
「……? そんな馬鹿な話が通るわけないだろう。たかが一組織の動きを封じるために、全世界を敵に回すなど……」
「目的のためには、効率を度外視するのが私のやり方だ。真に必要な利益が得られるならば、それ以外のどれだけのコストや犠牲を伴おうとも構わない。釣り合いは必要ないのだ。前回の伏魔殿侵攻で君の狂花帯の欠片を手に入れたことによって、私の計画、『スノーホワイト・プロトコル』は最終段階に移行した。目的の達成まで秒読みのわずかな期間で、唯一茶々を入れてきかねない存在が君たち伏魔殿だったのだ。だからそれを潰そうとした。たとえ世界を敵に回そうと、計画を遂行さえしてしまえば『逃げ切れる』」
スノーホワイト・プロトコル。
「伊舎那が言っていたな。全人類を不死の生命体へと変えるという、お前たちエデンの計画か。だが計画を遂行してお終いというわけにもいかないだろう。さっきも言った通り、人類を不死化した後の統治計画が必要だ。実際、海土路兄弟は宇宙への植民を語っていたと聞く……。計画が成就したとしても、その後の争いの種を残したのでは、より悲惨な状態になる。『逃げ切る』のは不可能だ」
「ふむ。少し勘違いをしているようだな」
枢機卿は指を一本立てた。「『スノーホワイト・プロトコル』はエデンの全体計画ではない。あくまで私個人と『アンタイ・エデン』の計画だ」
「あなた個人の?」
雪は訝し気に問い返す。たしかに、以前の伊舎那の口ぶりも、そのようなものだったかもしれない。
「宇宙との合一を果たし、本物の『永遠の生』を手に入れた昼神イヴ。その『神』としての地位を継承し入れ替わる機会が、12万年後にやってくる。我が盟友邇凝の唱えた『世界12万年周期説』……。『宇宙樹』の熟成による13番目の狂花帯の誕生。その狂花帯を手に入れ、『12人の怒れる男』第13号となった人間のみが『神』の代替わりを成しえる。永遠の生を手に入れるのだ」
枢機卿は機械音の中に恍惚を感じさせる口調で言った。雪も昼神イヴ生存の報告は、ここに来るまでの間に受けていた。そして今の枢機卿の言葉によれば、昼神は宇宙と一体化したことによって不滅の存在となっていて、『宇宙樹』とやらが生み出す新たな狂花帯を手にした者が、その不滅性を受け継ぐ資格を得る……、らしい。そういうことだと理解した。
雪の理解が追い付いていることを確認し、枢機卿はなおも続けた。
「『スノーホワイト・プロトコル』は12万年後の未来に私を移動させる計画だ。もともとは御黒闇彦との共同開発による冷凍冬眠機を用いた、コールド・スリープを考えていた。12万年の眠りにつく白雪姫と、その眠りを守る7人の小人……、それがアンタイ・エデンの役割だった。だが冬眠機はエネルギー供給の面で実用性に限界があり、また御黒の離反によって協力を仰ぐことができなくなってしまったため、頓挫した。冬眠機自体は御黒闇彦本人が完成させたようだが、あれは彼自身にしか使えない専用機だ」
「御黒がお前たちに協力していたのか?」
「かつては……、研究者の一人としてな。冬眠機の共同研究者としてエデン製薬と提携していた。すぐに遺伝的な適性を認められて2号の被験体になったが、計画の全貌は知らされていなかった」
枢機卿の目的に、手を貸していたわけではなかったか。……だが、12万年後の未来への時間旅行、というのは……。
「『V』……、真白雪の量子器官を用いた実験か」雪は眼光を鋭くして問うた。
「察しの通りだ」枢機卿が肯く。
「冬眠機の開発と並行して、我々は確定度の分からない別プランを進めていた。5号狂花帯による時間の移動……。量子器官の限界が見えない状態での実行だった。しかし……、実験は成功した。計測された狂花帯反応からは12万年単位の量子ゆらぎが確認された。理論上、彼は12万年のタイムスリップを成功させたことになる。いや、成功させることになる、と言うべきかな。今彼は、時空のエアポケットに消失しているはずだ」
12万年のショートカット、おそらく当人の目線からはその時間は省略され無きものになっているが、こちらの時間軸から見れば12万年間失踪していることになる。
「彼の時間旅行の成功……、もとい成功見込みにより、量子器官による計画の実行が現実的になった。都合の良いことに、『V』と同等の量子器官能力を発動しうるもう一人の『12人』が存在した。それが『Q』、君だ。真白雪のクローンにして、引用能力を持つ君を利用した新たな真白雪計画。いわば『プランB』というわけだ」
枢機卿は空に文字を書いた。
「その後の実験でも、贋作の量子器官では12万年もの時間移動は耐えられないことが分かった。時間移動は量子器官の奥義神髄。『12人』レベルの出力が無ければ実行しえない。だからこそ我々は君の覚醒を促し続けた。そして先の本部侵攻において、我々は君の覚醒状態の狂花帯の一部を手に入れ、それを培養することに成功した。培養はあと数日で完了する。……惜しい所だった。君らの襲撃が無ければ、計画は密かに完了されていたことだろう。こうならないために、伏魔殿を封じ込めたかったのだが」
「あいにくこっちにはのまえが居るんでね。こういう好運には恵まれているんですよ」
雪は皮肉っぽく答え、それから指摘をした。
「だけど、その計画には問題がありますよ。あなたの計画では、永遠の生を得ることができるのはあなただけだ。それでは人類全員の不死化という、エデンの目的は叶わない」
「だろうな。当たり前だ、初めから、人類全員が不死になる方法など、存在しない」
「……なに……⁉」
身を固める雪に、枢機卿は機械らしい口調で諭す。
「『スノーホワイト・プロトコル』を秘匿し、私とその親衛隊のみで進行していたのはそのためだ。エデンの活動によって不死を得るのは私だけ。彼らは皆、人類に不滅をもたらすという聞こえの良い理想に踊らされ、利用されていたにすぎない。そんな理想は欺瞞だよ。人類の不死化の実現可能性、その理論的検証は邇凝博士にしかできないレベルの高度に抽象的な難問だし、私は断片的にしかその方法を提示してこなかった。つまり彼らにその真偽を確かめる術はなかったのだ。だが、『宇宙樹』や『12人の怒れる男』という存在、世界への侵攻……、そういった大規模な神話の一端に触れさせれば、彼らはその途方もない物語に真実性を見出す。世界に向けて軍を動かしたとき、日本の正規軍として『E.D.E.N』を発表した時、彼らは思ったはずだ、ついに自分たちの計画が動き出したと。ただ伏魔殿を足止めするための策だなどとは夢にも思わない。世界に弓を引いたのはそのためでもある。私はそんな風にして幹部と兵士たちを騙してきた」
「馬鹿な‼」雪は椅子を蹴って立ち上がる。「自分一人が永遠の命を手に入れる、その目的を隠れて実行する……、そのためだけにこれだけの人間を……、僕や真白雪を巻き込み、世界に戦争を仕掛けたっていうのか?」
「そうだ。言ったはずだぞ、私は目的のためならば効率も犠牲も度外視できると。秘密を守るために、二人の妻を亡き者にすることも厭わないし、計画を円滑に運ぶためだけに副総裁の地位に上り詰めることもできる。その胆力と才能が私にはある」
「罪の意識は無いのか?」
「心が痛まないわけではない。私はソシオパスではないんだ。人並みに傷つき、苦しみを感じる。だがそれを即座に忘れるノウハウと精神性を心得ているだけだ」
「どうかしてる……」雪は銃に手を掛けた。「いっそ人間らしい感情を持たない方が理解できる。だが心を持ちながらそれを理性だけでコントロールするなど……。あなたはただ生きるためにのみ生きているのか? そんなものは死んでいるのと同じだ」
「それは違う。その言葉は死を軽んじる者のレトリックにすぎない。人は死なない限り生き続ける。そして生き続けるということは、現存するあらゆる生命の本能だ」
枢機卿が立ち上がる。「私は生を肯定し死を拒絶する‼ 『アンタイ・エデン』とは楽園(死者の国)の反定立! 散り様に美徳を見出す君ら兵隊には、私は止められない‼」
「ふざけるな! 雨乞やのまえ……、伏魔殿の皆……、お前の身勝手のために犠牲になった人間はどうなる!」
「知ったことではない」
銃弾が金属の髑髏を撃ち抜いた。仰向けに倒れる枢機卿を、雪は長机に乗り無情に見下ろした。「お前の野望は叶わない。お前は悲しみを生みすぎた。代償は必ず払わせる」
「無駄なことだ……、機械の器を撃ったところで……」
骸骨の死骸が停止しかけながら、かくかくと顎を動かす。「……逆探に気付かないとでも、思ったか?」
「なん……」がくりと地面が揺れる。強烈な横方向への重力で雪は床を転がった。襲撃か? 重力系……、海土路佑介? 警戒し身を起こした雪は、開け放たれた扉の外を見てそうでないことを悟った。扉の外を、高速で壁が過ぎていく。
「……驚いたか。部屋そのものを巨…なエレベーターのように移動させる置換システム……。摩天楼の内部構造は……に組み替えられる。これが……かぎり、お前た…が……辿り着くこ…は……」
機械髑髏の最後の声が響く。さらに縦方向の落下が始まって、雪の体は宙へ浮いた。衝撃とともに部屋が止まり雪は地面へ叩き落される。扉の外には堅い岩肌が見えていた。
「これは……。しまった!」
雪の空間把握能力は、自身が移動した先の座標を正確に捉えていた。摩天楼の遥か最深部、周囲を堅い岩盤に囲まれた地中深くに閉じ込められたことを雪は理解した。




