プロローグ 絶縁
暗く仄青い光が点々と灯る地下の部屋に、階段を下りてくる革靴の音が響き渡る。
意図して高く設定された湿度によって、強化アクリルの表面が結露する。しかし、防曇加工されたガラス面からは内部の様子がはっきりと見通せた。アクリルの表面を警吏がこつこつと叩くと、数敵の雫が震えて滑り落ちた。
水滴を透かし、両手を拘束された女がついと瞳を上げる。両腕は天井から伸びた合金製の鎖に繋がれて高い位置にぶら下がり、足は胡坐をかいている。既に半年以上監禁され続けているにもかかわらず、その眼から挑戦的な光は消えていない。
『餌やりの時間やでえ。ウルフィーちゃん』
天井のスピーカーから声が流れ、生焼けのステーキのような形状をした人工食糧がガラスの補給口から差し込まれる。ちょうど顔の高さに差し出されたそれに鼻を近づけ、『12人の怒れる男』・第10号ウルフギャング=エジソンは不機嫌そうな顔で器用に噛み千切った。
「ウルフギャング=エジソン……、エデンの主要戦闘員。長期間の拷問に堪え、一切の機密情報を漏らさない。どころか叫び声の一つも……。いくらなんでもタフすぎる。こっちも煙草森を使ったらどうですか」
地下の檻を間近に見下ろす監視室で、後原未は呟いた。室内の電圧が計器の針を微振動させている。後原の横で、慶留間次男が計器とモニターを油断なくチェックしていた。オペレーター上級役の慶留間四兄弟。四つ子のオペレーターで副局長派として知られている。
後ろ手に腕を組みながら、副局長の木葉下が否む。
「公安部長(幣原さん)の意向や。ウルフギャングが生きていることは、苦竹室長はおろか注連野局長にさえ秘密のトップシークレット。この設備の存在自体が超極秘、表向きは金属製武器の廃棄処理場いうことになっとるしな」
扉の解放で室内の湿度が変化しないよう慶留間が数値を調整する。乾燥による静電気の発生を抑制するためだ。
「雪くんちゅう本局最大の戦力を義理の息子に持ち、他の贋作や強化兵たちを直接に配下に置く注連野局長。万が一クーデターを起こされへんためにも、局内に公安部長の意志を汲む戦力を確保しておく必要があんのや。ウルフィーちゃんの存在は情報源としてはもちろん、局長派にとってもエデンにとっても強力な伏兵になる。今はまだ調教に手こずっとるけどな」
ウルフギャングの手首に繋がれた電子手錠は、壁に蔦のように這うコードたちを通して、ウルフィーが発生させようとする電気を吸い上げていた。薬品の投与と最低限の栄養のみを摂取させることで身体機能を低下させ、電流を未然に吸収することで放電を防ぐ。部屋の壁は全て非伝導物質でできており、電力の導線はウルフィーから慎重に遠ざけられている。彼女は電力をエネルギー源にできるからだ。
「ほんで、後原ちゃん。その後、染ちゃんはどうなの?」
染袈裟丸。12号真白雪の妹分にしてオペレーター見習いの少女。
「……本部防衛戦から3ヶ月、監視を強化してきましたが、……あいつの殺人依存症は完全に戻ったようです。ここ2年ほどは小動物を殺すなどして衝動を解消していたようですが、最近は無関係の市民をも標的にし始めています。慶留間・長男さんの見立てでは、阿虎の能力の興奮作用に中てられたのが原因かと」
慶留間四兄弟の長男・武智麻呂はオペレーター長である他、精神医学の泰斗でもある。
「はぁー、一般人にも手ぇを出し始めたとなると、後処理が大変やんなぁ。そろそろお灸を据えなあかんな。後原ちゃん、行ってもらえる?」
「いえ……、自分は不適任かと」
「不適任ん?」
木葉下がぎょろりとした目玉を回して後原を睨んだ。「雪くんに不義理働く、思とんか。あかんやろ、いつから僕に意見できるようなったわけ? 僕が拾わんかったら君ぃ、まだ少年院の中やったかもしれんのやで?」
口を噤む後原に、木葉下は不満げに鼻を鳴らした。「ま、ええわ。担当は改めて考えとく。それよりも今はあの狂犬ちゃんや」
素早い咀嚼で瞬く間に平らげたウルフィーを、プラスチック製の容器を回収した警吏が覗き込み、再びアクリルを叩いた。「口を開け」
ウルフィーはあんぐりと舌を出し、固形が口の中に残っていないことを確認させた。与えられた人工食糧の中には狂花帯の働きを抑制する薬品が混ぜ込まれている。即効性はなく一度ではあまり効果ないが、日に三度定期的に服用させることで一定の効き目を現す。
奥歯に銀歯のようなものが光る。電流の指向性を切り替えるスイッチであり、実質的な加速装置である。現在はスイッチを噛みこまれぬよう、樹脂製の膜で覆われている。
「次はもっとキツいクスリを入れな。ファストフードの方がよほどジャンキーだぜ」
「黙れ!」
警棒でアクリル板を叩く。
『あまりいじめなや、若い姉ちゃん』
木葉下の抑制が入り、警吏は申し訳なさそうに顔を下げる。木葉下はふふんと笑って扉を開けさせ、ウルフィーの前まで降りる。
「ずいぶんな言い様やん、エデンの狂犬ちゃん。ここ3ヶ月少しでも居心地ようしたろ思て、食事も尋問もマシにしたやろ。ええ加減こっちに寝返る気にならん? そろぼち気付いとる思うけど、エデンは君のこと1ミリも探してへんで」
「言い寄るなら、も少し上等な男を寄越すんだな。お前よか、野性の馬の方が幾分かマシだぜ、睾丸頭。あたしの仲間はほっといてもやって来る」
ガラスに向かって唾を吐きかける。木葉下がわざとらしく溜息を吐く。「心底残念やよ。君みたく躾の行き届いた子ぉと楽しくお喋りできるんも、あと少しや」
木葉下は上階に目線で指示を送りアクリル板を開けさせた。蒸気式の小型ドリルが放って寄越される。木葉下は挑むような目で見返すウルフィーの顎を掴んだ。「君を生かしとく理由があるんも、注連野局長が在任しとる間だけや。こっから先、伏魔殿は変わるで。組織に要らんもんは掃除してかんと」
右手にドリルを持って口をこじ開ける。「飯食うたら、歯ぁ磨かんと」
回転するドリルの肉を抉る音と、声にならない呻き声が反響し、後原未は顔を背けた。




